テルミドール⑦・公爵夫人の治療
「イングリドさんはわたくしと違って愛らしい方でした。旦那様の寵愛を受けるに相応しい花のようなご令嬢だったとわたくしも記憶しております」
「イングリド様はいつから病に倒れたんでしょうか?」
「あいにくわたくしにも分かりません。ある日忽然と姿を消し、旦那様からこの屋敷の離れで静養すると聞いて以来つい最近まで会ってもいませんでしたから」
夕暮れ時、お母様の案内を買って出たのは驚く事にアランソン公爵夫人だった。広大なお屋敷をただ黙々と進んでいくのに嫌気が差したのか、お母様はアランソン夫人へイングリド様に関する質問を振ったんだ。意外にもアランソン夫人は正直に彼女への印象を語ってくれた。
……今アランソン夫人は何気なく重要な証言をしていた。彼女はアルテュールの真実をご存じない? だとしたらアルテュール様とイングリド様の幽閉はアランソン公の独断? あの感じだと人の話を聞かなそうだからありえなくはないけれど……。
「アルテュールさんについては何かご存じでしょうか?」
「身ごもっていたのはわたくしも存じていましたが、旦那様からは死産と言われておりました。まさか今になってあのお腹の中にいた赤子と出会えるなんて思ってもいませんでしたね」
「良かったら正直な感想をお聞きしても?」
「旦那様に嫁いだ者はわたくしを含めて複数人おりますし、イングリドさんが今更増えたところで特に問題ではありません」
淡々と述べるアランソン夫人は確かにイングリド様をあまり気にしていない様子だった。側室への寵愛とかを気にする年でもないのかしら? 逆に正妻としての余裕と受け取れなくもない。どの道お母様とジゼル奥様のように交友関係は築かれていないのは分かった。
「ではアルテュールさんについては?」
「アランソン家と他家とを結びつける女性が増える事は喜ばしいと思っています。彼女個人の教養と見栄えについては特に不満はありません」
って口にするアランソン夫人ですが、残念ながらアルテュール様は男だ。
アランソン家の嫡男はあいにくアランソン夫人の息子じゃあない。彼女のお子さんは次男の方でアルテュール様の年下にあたる。いくらアランソン家の後継ぎが嫡男だと決められていないとは言え男子だったらアランソン夫人にとっては邪魔でしかなくなるでしょうね。
もしかしたらアルテュール様が女装を続けている背景には、アランソン夫人を始めとして後継者争いで面倒事にしたくないからって理由もあるかもしれない。公爵家の跡取りって言ったら王国の要人、当主の座は喉から手が出る程欲しいだろうから。
「真実を知ったらどう思われるのかしらね?」
ジャンヌは面白いとばかりに笑みをこぼしながらわたしへとつぶやいた。悪役令嬢は愉悦を嗜むなんて設定は無かったんだけれどなぁ。やっぱり今のジャンヌは私の作品の悪役令嬢から外れてきているんだなってつくづく感じる。
案内されたイングリド様が静養なさる部屋は屋敷の結構端の方にあった。今の所アルテュール様が幽閉されていたと思しき離れっぽい建物は確認出来ていない。アルテュール様が忌々しい建造物が視界に移らない部屋にイングリド様を移されたんだろうか?
イングリド様の部屋の中は思っていたより賑やかだった。と言うのも絵画や花瓶が飾られていたり壁紙は幾何学模様が描かれていたり、家具も機能美以外の紋様が彫られていたりと見る者を飽きさせないようにされていたからだ。
「あちらで横になっているのがイングリドさんです」
「……っ!? そ、んな……」
「これは……」
そんな部屋の中央に配置されている豪奢な寝具にその方は横になっていた。お母様は一目見るなり目を見開いて口元を押さえ、わたしも愕然としてしまい口に手をやってしまう。ジャンヌすら絶句してわずかにたじろいだ。
一言で言い表すなら、骨と皮だった。それぐらいまで眠りについている淑女は痩せ細っている。確かに以前可愛らしかった面影は所々に見られるけれど、衰弱が酷くて肌も潤いが無くなり、髪はほとんどが抜け落ちている。息はとてもか細く、なのにとても苦しそうにしていた。
お母様が慌てて駆け寄ろうとしたらアランソン夫人が手で制した。夫人は静かに顔を横に振る。
「今日は久しぶりに寝ているようですね。いつもは苦しそうに呻くばかりだそうなので。せっかく来ていただきましたけれど、今日はそっとしていただけませんか?」
「そう、ですね……。あの、イングリド様は治るんでしょうか?」
「医者は匙を投げましたので、王都から名のある水属性に優れた魔導師を呼んでいます。それで駄目でしたら万事休すとしか言えません」
かろうじて命を繋ぎ止めているイングリド様に水属性の魔法を施す……か。わたしとジャンヌは先を知っているから残念な結果に繋がるって分かっているけれど、アルテュール様が藁にもすがる思いで助かる術を探して様々に駆けずり回っているのは十分窺い知れた。
わたしはお母様の後ろでジャンヌと顔を見合わせる。
「手厚い看護を受けている割には肉付きが悪いわね。食が細くなっているのかしら?」
「もう流動食もろくに喉を通らないんじゃあないかな?」
「このまま成り行きに任せていたら間違いなく命を落とすわね。それで、どうする?」
「どうするって、イングリド様をお助けするか?」
確かにイングリド様を救った場合、アルテュール様と更にお近づきになる未来が容易く想定出来る。悪役令嬢の断罪を避けたいならここで攻略対象の今後を左右する選択肢には触れない方が賢明だって断言できる。
けれど目の前には今にも落命しそうな方がいて、わたし達は定められた運命を変えられる機会に出くわしている。それもただ攻略対象の母親ってだけじゃあない。本来この場にいなかった筈のお母様のご友人が相手なんだ。そのお母様が遠路を旅してお見舞いに行こうって言ったのだから……。
「問われるまでもないよ。助けよう」
「アルテュール様の好感度を上げたいから?」
「そんなのはどうだっていいから。ジャンヌだってお母様を悲しませたくないんでしょう?」
「そうね、違いない」
わたしは真面目な顔をさせて頷いた。ジャンヌも微笑を浮かべながら頷き返してくれた。
ジャンヌは「失礼」と述べながらイングリド様へと歩み寄っていく。あまりに堂々としていたからか、アランソン夫人やイングリド様お付きのメイド達はジャンヌを止められなかった。我に返ったアランソン夫人が「何を」と問う前に、ジャンヌはゆっくりとした仕草で手の平をイングリド様の方へと突き出す。
ジャンヌから発せられるのは輝く光の粒子、だろうか? 太陽が輝く海岸で砂が零れ落ちる様子、あるいは朝日が窓辺から差し込む様子を連想させるその光景は神秘的で、美しいとまで感じるほど幻想的だった。光の粒子は音ながらも苦しむイングリド様へと優しく降り注いでいく。
「光属性! ジャンヌさんがそうだとは噂には聞いていましたけれど……」
「私も実際にこの目にするのは初めてですよ」
アランソン夫人が驚愕に染まるのも無理はない。ジャンヌが行使しているのは光の奇蹟。その輝きをもって傷を治し、苦しみを和らげ、体力を取り戻す魔法なのだから。まだ生命活動が行われている命に対してこの癒しの光で治療できない怪我や病気は……。
いや、待てよ。確か明日水属性魔法の使い手が来るんだったっけ。十中八九回復魔法や治療魔法に秀でた方が足を運んできるんでしょう。そんな魔導師がイングリド様を助けられかった? ジャンヌの復活させる魔法に及ばなくても効果は十分見込める筈なのに……。
「っ!? ジャンヌ、一旦それ止めて!」
「……!? カトリーヌ?」
一つの可能性に思い当たったわたしはイングリド様の方へ集中するジャンヌの手首を掴んだ。思わずわたしを睨みつけてきたジャンヌはわたしの真剣な眼差しに気付いたのか、魔法の発動を強制中断させる。途端に舞っていた光の粒子は儚げにその輝きを失わせていった。
わたしはじっとイングリド様を観察して驚きの真実を目の当たりにする。確かに痛みと苦しみは治まったのか穏やかな表情になっていたけれど、呼吸は浅くなり脈拍はむしろ落ちている。あのまま続けていたらイングリド様は……安らかな永遠の眠りについていた気がする。
「……そう、普通の癒しの魔法は逆効果って訳ね」
ジャンヌは忌々しげに吐き捨てた。
水の優れた魔法なら例え毒が盛られていても癌に侵されていようと治せる筈だ。アランソン公爵家程の地位があれば王国で最も実力と名声のある魔導師を連れて来れる筈だし。なのに『双子座』ではイングリド様はこの後でお亡くなりになる。
だとしたら原因は治療の不十分だったわけでもミスがあったわけでもなく……。
「多分……何らかの魔導的要因で治療を受け付けない状態になっているんだと思う」
「どんな魔法に侵されているかの解析なんて私には無理よ。これじゃあ手が出せないわ」
この推測が正しいなら回復魔法をかけたら逆に何らかの害を成して寿命を更に削りかねない。もし明日本来適切な治療である水属性魔法が施されていたら……ぞっとする。けれど医学薬学でも効果が無いんだとしたら、打つ手は無い。
……仕方がない。あまり私の手の内は見せたくなかったんだけれど、背に腹は代えられない。
「ちょっと強引だけれど……時間が無いからこの手を取るしかないかな」
繰り返すけれど『双子座』は乙女ゲー。ロールプレイングゲームと違って魔法はあくまで物語を引き立てる道具、設定に過ぎない。だからメインヒロインが作中で行使する魔法の種類もたかが知れている。今から発動するこれも私が裏設定で考えていた代物でしかない。
わたしがかざした手が漆黒に染まっていく。正確には闇に覆われていくと言うべきかしら。
濃い黒い霧に包まれた手をそのままイングリド様へと振り下ろした。直後、闇はイングリド様へとまとわりついて彼女を蝕んでいく。アランソン夫人が何か叫んでいるようだけれど無視だ。
「……これで、魔法的要因は消し飛んだ筈かな」
「なら、続きは私がやるわ」
わたしが施したのは闇の瘴気で強引にイングリド様にかけられているだろう魔法の効果を浸食、無力化する魔法だ。これでジャンヌの光の魔法もすんなりイングリド様に効くようになった……と思う。あくまで私の脳内設定上の話だから自信はあまり無い。
ジャンヌの光がイングリド様を今一度包み込む様子を観察し続ける。今度はさっきまでと違って段々と表情が穏やかになりつつ血色が良くなっていき、肌に艶がほんのわずかに生じる。さすがに肉付きまでは戻らないけれど、それはこれからの療養に頼る方がいいかな。
「ふう……。後は安静にしていれば回復していくと思いますよ」
ジャンヌは額の汗をぬぐってお母様方へ振り向こうとして、身体をよろめかせた。隣にいたわたしが彼女の身体を支えたんだけれど、そのわたしも結構疲労困憊で立っているのがやっとだったりする。床に就いたらすぐにでも熟睡できる自信があるぐらいだ。
「お疲れ様、ジャンヌ」
「そっちこそお疲れ様、カトリーヌ」
何にせよ、わたし達はこれで私の綴ったシナリオ上では決して救われなかった人を救えた。その後の事は今はどうでもいい。今はこの感無量な気持ちを噛み締めるばかりね。
お読みくださりありがとうございました。




