テルミドール③・攻略対象の家族
「ううん、別に羨ましいだなんて感じないかな。確かにわたしだって女の子だから綺麗になりたいし着飾りたいって気持ちもあるけれど、だからってジャンヌぐらいに煌びやかになりたいってまでは思わなかったし」
「貴族令嬢にはなりたくない、と?」
「この間宮廷舞踏会で大恥かきたくなかったからお母……エルマントルド奥様に短い間ご指導いただいたんだけれど、礼儀作法とか教養とかわたしにはちょっときつすぎるかなぁって」
自分の本心を語りたかったので敬語は止めた。彼が礼儀正しいままなのであべこべになっちゃっているけれど、この場には二人だけ。つい先日の宮廷舞踏会でのお言葉もあったし、それぐらいは許してもらいたい。
貴族令嬢に憧れる気持ちは否定しない。けれどジャンヌやクレマンティーヌ様方貴族令嬢はその系譜と身分に相応しくあらんとご自分を幼少の頃から磨いていらっしゃる。そのたゆまない努力の結果が多くの方を惹きつけ、見惚れて憧れるんだから。
貧乏娘が王太子様の伴侶になる都合の良い世界は乙女ゲーの中だけでいい。って言うか多分無事ゴールイン出来ても間違いなく王室教育とか厳しい毎日が待っているんでしょうし。だったら身分相応って言うか、わたしは身の丈に合った気楽なままの方がいい。
「貧民娘には貧民娘の苦労が、公爵令嬢には公爵令嬢の苦労があるよ。別に今も食べ物に困っている程じゃあ……ちょっと前まであったけれど、それでもちゃあんと生きていけるから」
「……そう、ですか」
わたしの素直な想いが彼の意にそぐわないのは承知の上だ。だからってわたしも似たような境遇だったよって嘘八百を彼の前に並べるのはどう考えてもおかしい。その結果彼との間に深い溝が出来ても、綱渡りな関係を築くよりはマシだから。
「……では、カトリーヌはジャンヌ様やエルマントルド様方を家族とは思えますか?」
「難しい質問だね……」
自分を捨てた家族を、そして今更家族面する者達を家族と思えるのか? ちょっと表現をオブラートにしているけれど、彼が本当に聞きたいのはこの辺りかしら?
朝は日の出前に家を出て夜は寝静まった頃に帰宅する。学園に入学してからそんな毎日を送っているせいで家族よりジャンヌやお母様と一緒に過ごす時間の方が多いのは事実。最初は腹の探り合いだったジャンヌとも少しずつ打ち解けたし、お母様とのやりとりもぎこちなさが無くなった。
ジャンヌはわたしのお姉ちゃんでお母様がわたしのお母さんか、って問われたら、それはもう掛け替えのない家族だって認めてもいい。旦那様やサビーネお嬢様が父親で妹とはまだあまり思えないけれど、それは時間が解決するのかそのままなのかは未来のわたしに託すとしよう。
けれど、唯一無二かって言われたらそれは違う。
「どんなにジャンヌとお母様と親しくなってもわたしはただのカトリーヌのままだよ。オルレアン家の娘じゃあない。わたしの本当の家族はわたしが今まで育った家にいるんだから」
別に養子のわたしは虐げられてはいない。ジスレーヌ達他の姉妹達同様の愛をお母さんやお父さんから受けている。もしかしたらお父さん達には何らかの打算があったかもしれないけれど、少なくともわたしにはこれっぽっちも感じさせなかった。
わたしにとって、あの決して裕福じゃあない生まれ育った家こそ本当の家族なんだ。
「……正直、羨ましいです。そうして代わりの愛を得た貴女が」
わたしの正直な気持ちを聞いたアルテュール様はやや俯いて端正な顔をわずかに歪めた。
「私はそんな愛を受けずに暗闇の中で育ったのに」
「アランソン公閣下はアルテュール様をとても気にしておられたようだけれど?」
「あんなのは偽りです。単に私の都合の良い様に彼の意識を書き換えただけですから」
「それ、どういう事なのかな?」
彼は自分の送った過去をわたしに語ってくれた。その内容は私が設定した彼の過去そのままだったけれど、本人の口から聞くと印象が全然違う。ただの暴露じゃあない、彼はわたしに彼自身への理解を求めているんだ。
アルテュール・ダランソンは物心付いた頃から日光が一切射し込まない暗闇の部屋に幽閉されていた。部屋の中は寝具等の最低限の物しか無く、掃除も頻繁には行われない不衛生な環境。着る服も使い回しで贅沢とは無縁。罪人や奴隷よりマシって程度の扱いだったそうだ。
闇の申し子として生を受けたわたしを旦那様、オルレアン公は処分しようとした。じゃあアランソン公がどうしてアルテュール様を生かしておいたか? さすがに私も動機面までは設定してない。いずれ利用出来ると考えたのかもしれないし、温情なのかもしれない。
「私だけ隔離されるだけならまだ良かった。ですが、彼は私を生んだ母上まで巻き込んだ」
闇の申し子を生んだ魔女だから。そんな理由で、だ。
闇の申し子や光の担い手が生まれる要因についてまで私は設定していない。身分も人種も関係無く、あくまで偶発的。この世界風に言ってしまうと神のみぞ知る、だ。だからアルテュール様が闇を抱えていても母親には何の罪もない。
生んだ母親のせいにされるのは、スケープゴートにされたと言い切ってしまっていい。
「母上は私に自分の知識の全てを教えてくださった。灯りは燭台の蝋燭一本、それも尽きて暗闇の中で過ごす時間も決して少なくなかった。それでも心が病まずに済んだのは母上のおかげです」
それでも母親はアルテュール様を決して捨てずに、憎まず、むしろ献身的なほどに愛し続けた。本来母親も公爵家に嫁ぐ前から貴族令嬢で、公爵夫人として華々しい生活を送っていた。監禁されて転落した人生にも腐らずにアルテュール様を育てたんだ。
無論、あまり良いとは言えない環境におかれた母親の体力は衰えていく一方で。風邪をひいたりもした。流行りの病にかかったりもした。その度に母親は不屈の精神で乗り越えてきた。けれど気力で補うにはもうとっくに限界が来ていたんだ。
「母上が倒れたのは先月でした。息も絶え絶えに苦しむ母上に私はどうする事も出来なかった」
けれどアランソン公爵家の者は決して闇を抱いた彼らには近寄らない。背信行為だとされるからか忌み嫌っていたからかは私にも分からない。とにかく、生命力が抜け落ちていく母親に誰も手を差し伸べず、自分も助けられない。
「それまで私にとってはアランソン家の者達なんて他人同然でした。私にとって家族とは母上だけでしたし、それをずっと信じて疑わなかったから」
アルテュール様が母親の他にも本来家族と呼ぶべき者達がいると知ったのは母親が倒れた時、身の回りの世話をするメイドが衰弱した母親にとうとう痺れを切らして愚痴をこぼしたからだ。命の危機に晒されているのにアランソン公は非情だ、と。
決して不治の病じゃあない。けれど腕のいい医者から適切な治療を受けて初めて元気に戻るんであって、決して体力で回復出来る範囲じゃあない。にも関わらず伴侶として娶った公爵夫人を無情にもアランソン公は見捨てるのか?
「これが怒り、憎しみなんだって初めて知りましたよ」
そして同時にこれまでと同じように過ごしても決して母上は助けられないと悟った彼は、とうとう決心を固めた。闇の魔法でアランソン家一同の常識を書き換えたんだ。闇の担い手であっても忌み嫌われないように。
公爵夫人の立場に戻った母親はようやく医者の診察を受けたのだけれど……。
「もう助からない、手遅れだと言われました」
テーブルに両手をついて俯くアルテュール様の表情は伺えない。それでも食いしばる口元や震わせる肩から悔しさと無念な想いはひしひしと感じられた。程なく、彼はやや面を上げて遠く前方を見据えた。前髪の隙間から見え隠れする眼差しに宿るのは、憎悪では言い表せない殺意だった。
「私は決して許しはしない。母上を不幸にした者達を。そしてそれが当たり前のようにまかり通るこの世界を」
対象ではないって分かっていてもわたしは口を押さえて悲鳴を隠すのが精一杯だった。だってこれまで明確な敵意を抱かれた経験なんて無かったもの。彫刻のような顔立ちがここまで歪むのかって驚愕もあった。
アルテュールはもしかしたらカトリーヌが送っていたかもしれない可能性なんだ。わたしの場合はたまたま光の属性をもって生まれた双子のジャンヌがいたからお母様まで巻き込まれずに済んだだけ。逆にわたしが強い憎しみを抱いていたって不思議じゃあなかった。
「カトリーヌ、貴女は私と同じだ。けれど決して私じゃあない」
「……うん、そうだね」
「それでもカトリーヌには私を分かって欲しかった。今日はそれだけで構いません」
「打ち明けてくれてありがとう、って言えばいいのかな?」
どんな動機にせよアルテュール様はわたしに一定の信頼を置いて打ち明けてくれたんだ。その想いは無碍に出来ない。だからって彼の怒りと憎しみに賛同は出来ない。例えじゃあ何が正しいのかって説明出来なくても、だ。
アルテュール様は椅子を引いて立ち上がった。彼は既に自分の感情に蓋をしてこれまで見せていた風格すら感じさせる凛々しい面持ちに戻っていた。
「次の機会があればカトリーヌの事を教えてほしい。構いませんか?」
「ええ、問題ありませんよ。アルテュール様さえよろしければ」
彼は踵を返して既に出入り口付近に戻っていたアランソン公の方へと歩み寄っていく。公爵令嬢の仮面を被り直した彼からは、先ほどまで語ってくれた壮絶な過去を全く感じる事が出来なかった。
母親を死に追いやったアランソン公への殺意すら、微塵も。
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