メシドール④・母と共に準備しよう
お母様と再会して少し経った夕食前、ジャンヌとわたしはお母様の私室に招かれた。お母様付きの侍女達が馬車に乗せた荷物を引っ張り出してクローゼットや箪笥にしまっていく。そんな部屋の窓近くに置かれたテーブルにお母様とジャンヌが向かい合って座っていた。
さすがにわたしは王都の屋敷では雇われている身なので、ジャンヌの後方でクロードさんと共に控えている。とは言えクロードさんもお母様の侍女達もわたしの事情は知っている。ジャンヌの隣に座るよう促されたけれど、わたしが頑なに固辞した。
わたし達を生んでから一年も経たないうちにオルレアンのお屋敷へと隠居同然に移ったものだから、部屋には生活感が全く見られなかった。それでもいつ戻ってきてもいいように換気と掃除はされていたらしい。明日にはこの部屋はお母様になじむでしょう。
「――と、言うわけでカトリーヌも今年の宮廷舞踏会には参加するようになりました」
「それならカトリーヌの分の装いはオルレアンのお屋敷から持ってこさせましょう」
で、わたしが学園で成績優秀者になったと伝えたらお母様は顔を輝かせて喜んでくれた。ジャンヌの想定通りお母様はわたしの分のアクセサリーやドレス、靴など上下一式を取り揃えてくれると提案して下さった。
正直これで自分で何とかしろって言われたら生徒会に恥を忍んで土下座でもするしかなくなるので、胸をなで下ろしてしまった。そんなわたしの考えを看破したのか、「もしそうなっていたら私のを貸してあげたわよ」ってジャンヌが囁いてきたんだけれど。
ちなみに着付けや化粧等の当日の準備もお母様付きの侍女が責任を持ってやってくださると仰ってくれた。文明社会で育った私も所詮は一般庶民、わたしは貧民街出身なのでそう言った経験は皆無。その提案はとても助けになる。
さて、これで外見はまあマシになるでしょう。ただしそれでも問題は片付いていない。肝心要の部分をどうにかする必要がある。すなわち、わたし自身のそっち方面の教養の無さだ。
「それで、カトリーヌは舞踏の経験と礼儀作法の心得は?」
「い、いえ。それが全く……」
残念ながら学園の入学試験にダンスを上手く踊れるかなんて課題は無い。市民枠で入学する生徒がその後名声を得て一代限りの名誉貴族にまで上り詰めるのはごく少数。大半はそのままの身分で人生を終える以上、社交界でのマナー等は無駄知識でしかない。
逆に学園に集う貴族令嬢やご子息にとってはそんなものは物心ついた頃から教育を受けている。考えるまでもなく自然に動作に現れるまでに身体や頭に叩き込まれた結果、後はわざわざ学びの場で学ぶ必要が無いまでに昇華されているわけだ。
まあ、つまり学園では礼儀作法とかダンスなんて己を更に磨こうとするクラブ活動以外では学ぶ機会がないってわけ。貴族の殿方と添い遂げる気が一切無かったわたしはそっち方面に全く手を付けていなかったりする。
わたしの答えを聞いたお母様はにんまりと笑ってきた。それもわたしに向かってじゃあなくて、ジャンヌに向けて。わたし達に背中を向けているジャンヌの表情は分からないけれど、背中越しからもどうやら興が乗ったみたいだって感じ取れた。
「ねえジャンヌ。オルレアン家に勤めている侍女が今度の宮廷舞踏会に出るんですって」
「そうですね、お母様」
「でもその子ったら残念な事にそう言った教育は受けていないんですって」
「このままではその子個人どころか雇っているオルレアン家まで品を疑われてしまいますね」
「だから、その子を当日までにまともにするぐらいはしてあげてもいいと思うの」
「賛成です、お母様」
『双子座』だと宮廷舞踏会は生徒会に所属する攻略対象と一気に関係を進めるイベントになる。王太子様だったりアンリ様が手取り足取り踊りや礼儀作法を教えてくださるんだ。オルレアン家で面倒を見るって話になったから生徒会の提案を蹴ったんだけれど。
それで同意した筈なのに、どうしても今更不安が過るんだろう?
「楽しみだわぁ。やりがいがあるわぁ。ジャンヌには残念だけれど私から教えられなかったけれど、カトリーヌとは遠慮なく一緒にいられるもの」
「そうですね、お母様」
何だかとってもやる気に満ち溢れているお母様が意気込む。ジャンヌがこれは面白いとばかりに微笑を浮かべる。お二人が楽しそうで何よりです、とばかりにお母様付きの侍女は微笑んでいるし、クロードさんは表情を見せないまま変わりがない。
そんな当事者になったわたしは苦笑を浮かべるのが精一杯だった。
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公爵令嬢教育は正直泣きを見る破目になった。
『双子座』だと舞踊や礼儀作法を教える側に回った王太子様相手に頬を染めながらも、メインヒロインは器量の良さって名目の主人公補正でまあそれなりに見れなくはない程度に成長していったんだっけ。で、攻略対象は単なる保護対象として接していたのに女の子を意識しだすわけだ。
ところがどっこい、現実はそう甘くない。何せ既に私世界で言う思春期な年のわたしはもうある程度癖が付いてしまっている。それを一から叩き直すなんてまっさらな幼児に教えるより困難極まりないでしょうよ。
背筋、歩き方、挨拶、言葉づかい、一つ一つを事細かに指摘された。しかもお母様ったら結構厳しい躾け具合なので危うく何もかも放り出したくなったし。まあ、馬鞭みたいなので叩かれなかっただけまだマシだけれど。
「お母様。さすがに徹底的に仕込んでしまったらカトリーヌの今の立場から遠ざかってしまうのではないですか?」
「別に当日はちょっと何かやっちゃってもいいのよ。けれど土台はしっかりと築くべきでしょう? カトリーヌにだって何があるか分からないんだし」
「成程、そうですね」
おかげでオルレアン邸には奉公と言うより更なる教育を受けに足を運んでいるようなものだった。一応ジャンヌの身の回りのお世話はしているんだけれど、当の本人が少し自分でやるようになったものであまり本職に手を付ける必要が無くなったのも大きい。
公爵夫人の立場ではお忙しいのでは? とも思ったのだけれど、今のところはまだ病気療養中で今度の宮廷舞踏会でようやく復帰って道筋にしているらしい。なので今の所はジゼル奥様の方が公爵夫人らしくお茶会を開いたり屋敷の切り盛りをしている。
そんなお母様はジゼル奥様とどれだけ短くても必ず毎日一緒の時間を過ごしているらしい。初対面の時みたいにお母様はジゼル奥様に自分をさらけ出しているんだとか。そんなお母様に警戒心を露わにしながらも次第に打ち解けているように見えた。
「お母様。油断させた所で何か仕掛けるおつもりですか?」
「そんな悪巧みしているわけないじゃないの。私個人はジャンヌが蔑ろにされないんだったら別にジゼル様が正室でもいいのよ。私もジョルジュ様も愛を高らかに叫ぶ年でもないし」
「つまりはジゼル様に面倒事を押し付ける、と」
「言い方が悪いわよジャンヌ。ジゼル様は自他共に認めるオルレアン公の妻、私はそんな立派にその立場を務める彼女を尊敬しているだけね」
と言った感じなので、戻ってきたお母様は特に問題なくお屋敷の皆さんと打ち解けていった。まあ、さすがにジゼル奥様のご息女達、サビーネ様とマリリン様は少し線引きをしているようだったけれど。多分時間の問題かと思う。
偶然居合わせた時を振り返ってみると、こんな感じだった。
「お久しぶりです、エルマントルド様。お変わりないようですね」
「まあ、サビーネさん! 大きくなりましたね。昔から可愛かったけれど、段々と綺麗に美しくなっていくんだからジゼル様も鼻が高いでしょう」
「え? は、はい。ありがとう、ございます?」
「今度お休みの日に一緒にお茶しませんか? 王都では手に入らないお菓子を取り寄せてきますし紅茶葉も奮発しますから」
まずサビーネ様が廊下の脇に寄って軽く会釈。ところがお母様は遠慮なしにサビーネ様に近寄って親密に語り出したんだ。おかげで面食らったサビーネ様はお母様に始終ペースを握られっぱなしだった。サビーネ様付きの侍女が後方で驚愕に染まっていたし。
そりゃあそうでしょう。だってサビーネ様はジゼル奥様のご息女であってお母様の血は受け継いでいない。義理の娘、極端な話赤の他人……いや、むしろ排除対象と評していい。嫁ぎ先に己の血を残そうとするのは嫁いだ貴族令嬢の義務って言っていいから、他の女の生んだ子は邪魔だ。
「あの、エルマントルド様。お、お久しぶりです。お元気でしたか」
「マリリンさん。数年前にオルレアンに来てくださって以来ですね。一段と可愛くなられて。きっとすぐにお母様のように見麗しい淑女になれるでしょう」
「あ、ありがとうございます……」
「アントン様。公爵家を継いでいくのは大変かと思いますが、これからは私めも微力を尽くさせてもらいます。何か困った事がありましたら遠慮なく言ってください」
「は、はいっ」
けれどお母様はジゼル奥様の生んだ子にも分け隔てなく語りかけた。公爵家の次を担う自分の血を引いていないアントン様に対してすら。さすがにジャンヌ程に溺愛はしていなかったけれど、それでもオルレアン家に亀裂なんて無いんだとわたし達に知らしめるにはお母様の行動は十分すぎた。
「準備は整いました。それでは行きましょうかカトリーヌ」
「はい、エルマントルド奥様」
「んもう、ジャンヌを呼ぶ時みたいに私も普通に呼んでほしいのに」
「さ、さすがにそれはちょっと……」
そして当日。いよいよ『双子座』前半の山場でもある宮廷舞踏会が始まる――。
お読みくださりありがとうございました。
今回の話で十万字突破したようです。




