プレリアール⑥・遠出
「ねえカトリーヌ。日帰り旅行って素敵だと思わない?」
「えっと、王都から離れた事無いわたしには旅行って考えが無いかな」
「日帰り旅行って素敵だと思わない?」
「んー、でも確かにどこか日常とは全然違った場所に行きたいって気持ちもあるかな」
「日帰り旅行って素敵だと思わない?」
「……――」
学園に入学して最初の定期試験も終わった。各攻略対象との距離も一定に保ちつつある。ようやく劇的に変わった環境にも慣れてきたある日、ジャンヌがオルレアン家のメイドとして奉公しているわたしの袖を引っ張ってきた。
とぼけてみたけれどジャンヌが何を意図して壊れた再生機器みたいに何度も同じ言葉を紡ぐのかは分かってしまった。念の為にクロードさんへと視線を移してみたものの、特に助け船を出してくれる兆候は見られなかった。
「うん、分かった。日時を前もって決めてくれたらお母さん達にも言っておくから」
「んもう、分かってて言っているでしょう。連れて行ってよ」
「そう言われても困るよ。ジャンヌだって薄々は分かっているんでしょう? わたしの空間移動魔法の特性はさ」
「一度でも行った場所、正確には頭の中で思い浮かべられる場所にしか行けない、でしょう?」
わたしがオルレアン家のお屋敷から帰宅する時にいつも使う夜限定の空間移動魔法。傍から見れば闇の中に沈んで闇の中から這い出るみたいに見えると思う。あまりにも万能すぎるので私は初期設定から一部制限を加えさせてもらった。それが未知の場所には行けないってものだ。
当然ジャンヌが知っているのはメインヒロインが行使する場面があったから、と思うんだけれど、『双子座』のゲーム中にジャンヌが知るきっかけなんてあったかしら? まさか前回のメインヒロイン拷問時に実験したなんて言わないよね……?
ジャンヌはクロードさんに紅茶のお代わりを要求しようとカップを持ち上げ、それを事前に察したクロードさんが温まったポットから丁寧な仕草で山吹色に輝く液体を流し込んでいく。少し離れた位置で待機するわたしの鼻をいい香りがくすぐった。
「それなんだけれど、可か不可かの境界があいまいだからはっきりさせたいの」
「……あー、言われてみたらそんなにしっかり確かめてなかったかな」
「例えば地平線が見渡せるぐらい広がる場所にいるとするわね。この場合はどこまでが移動できる範囲内なの?」
「多分、あまり周りの景色が変わってなければ地の果てまでじゃあないかな?」
ジャンヌの意見は興味深い。魔法を行使するわたしが認識出来たら問題ないのか、それとも私すら想定していなかった制限制約があるのか。王都だけで生活が完結していたわたしには決して閃けない発想だった。
ちなみに『双子座』は一応地動説を採用している世界です。まだ時代設定もあって天動説が信じられているのだけれど。大地は平らじゃあなくて丸みを帯びていて、地平線は視線と大地が作る円弧との接点になる。距離にして4,5キロメートルぐらい。意外に近いのよね。
「じゃあ山の頂上が見えていたり登山を終えた後の絶景だったりしたらもっと遠くまで移動できるのね」
「……やった事が無いけれど、多分」
「お嬢様。お言葉ですがカトリーヌが移動できるのは太陽の沈んだ夜間のみ。一切視界が利かない環境ではたかが知れているのでは?」
「それも大丈夫よ。カトリーヌは夜の申し子、夜目が利くものね」
ジャンヌは微笑みながらこちらに視線を向けてくる。
そう、確かにわたしは夜目が利く。月明かりが無くても十分に読書出来るし、正直暴露すると街灯とか燭台が無くても夜間の移動が出来ちゃう。私の記憶を思い出して闇属性があるんだって認識した後は更に鮮明に見えるようになった。
……闇の恩恵、なのかな? むしろ今となっては昼間より夜の方がはっきり見える気がする。だからジャンヌの意図している試みは十分に叶えられると思う。つまり、視界に映る距離の移動を繰り返して繰り返して目的地まで行っちゃおうって算段なんだろうね。
「じゃあ物は試しって言うし、今ちょっとやってみない?」
「へ? 今すぐに?」
ジャンヌは妙案を閃いたとばかりに手を叩いて喜びを露わにした。眩しいぐらいの笑顔なんだけれどわたしはごまかされない。当然主が企む無防備な試みにはクロードさんも露骨に顔をしかめてきた。その辺りを取り繕わずに進言するクロードさんは侍女の鑑だと個人的に思う。
「お嬢様、いくらなんでも危険すぎます」
「大丈夫よ。逃げるならカトリーヌで事足りるし万が一があってもクロードが助けてくれるもの。それともクロードは私を守り切れないって?」
「勿論お嬢様は私の命に代えてもお守りいたしますが、だからと無駄に危険な目に合わせるわけにはいきません」
「そうは言ってもカトリーヌの魔法は夜しか効果を発揮出来ないから、有効活用するならいつかは試さないといけないでしょう?」
クロードさんは唇をきゅっと引き締めて無言でかしずいた。どうやらこれ以上言葉を並べてもその意志は固いままだって判断したのかジャンヌへの説得は諦めたみたい。代わりにクロードさんはクローゼットから外套を取り出してジャンヌへ差し出した。
「まだ夜風は寒うございます。こちらを羽織り下さい。それと衣服と靴はいかがいたしましょう?」
「服はこのままでいいわ。靴だけは野外用に履き替えましょうか。悪いけれどクロードもカトリーヌも私に付き合ってもらえる?」
「承知致しました」
クロードさんは椅子に座って脚を差し出すジャンヌからヒールの高い室内履きを脱がせて足首のやや上までしっかりと固定するブーツを履かせていく。正直その光景は結構蠱惑的な色気をわたしに感じさせた。
「えっと、それじゃあまずどこに行けばいいのかな?」
「王都内だと視界が悪いからまず南側から外に出たいのだけれど、カトリーヌは外に出た事はあるのかしら?」
「ううん、無いかな。でも多分大丈夫だと思う」
「それは頼もしいわね。じゃあ早速私を星空の下に連れ去っていただける?」
ジャンヌが手を差し出してわたしがその手を取る。まるでダンスで淑女の手を取る紳士のようなやり取りに思わず苦笑いが浮かんでしまった。それを嗜めるようクロードさんが軽く咳払いをさせる仕草を取った。彼女はわたしの腕に軽く腕を回す。
「では、行きます」
次の瞬間、わたし達三人の身体は室内の灯りで生じた影に飲み込まれるように沈んでいった。ほんのわずかな間暗黒の海を漂う感覚を味わい、次には水面に浮上するみたいに全く別の場所から這い出ていく。視界にはわたしもジャンヌも良く見知っている光景が広がっていた。
「……王立学園の敷地?」
「うん、じゃあ次の場所に移動するね」
ジャンヌがわずかに眉をひそめて辺りを窺った直後、またわたし達は影の中に沈んでいく。しばしの遊泳の後、今度わたし達が浮上したのはわたしも来た試しの無い場所だった。多分王太子様に見つかっちゃったら処罰されちゃうんじゃあないかしら?
世界が寝静まった夜の中でその場所、王立学園にそびえ立つ時計塔の内部は歯車が幾重にも動いていて時を刻んでいた。わたし達のすぐ上には時を知らせる大鐘があって出番を待ち続ける。さすがのジャンヌもこの空間跳躍には驚いたようで、顔を左右に動かして見渡していた。
「そうか……学園の敷地に入れば時計塔は視界に入るから、夜なら行けるって訳ね」
「時計塔上部の鐘は見えたから行けるんじゃないかって思って。でもさすがに本当に出来るだなんて考え付かなかったかな」
学園内で一番高い建造物だけあって眼下に広がる王都の街並みは星の輝きが大地に降りたみたいだった。まだ全ての灯りが落ちるには早い時刻だものね。日付も変わっていないし。私の世界での高層ビル最上階みたいに現実感を失わせる程の俯瞰風景でもないので、絶景って言っていい。
えっと、わたしって結構星座を見るのは好きだったから、私の世界で言う北極星に相当する星もどこかはすぐに分かる。その反対方向だから、真南は……こっちの方向かな? 視界を移してみると王都を取り囲む城壁を超えた先までちゃんと見えるみたいだ。
「ジャンヌ。ここからなら門を潜らなくても王都の外に出られそうかな」
「そう、じゃあ行って頂戴」
「えっ……!?」
「お嬢様……!?」
わたしとクロードさんが驚きを露わにしたものの、すぐに言葉を無くしてしまった。ジャンヌは南の方角を一点に見つめながらいつものように微笑を湛えていたけれど、その目は全然笑っていなかった。瞳だけを動かしてわたしを見つめてきて、有無を言わさない命令を下してくる。
さあ、早くやりなさい、と。
こうなったら言っても聞かないだろうって観念したわたしはまたジャンヌの手を取った。クロードさんが咎めようと口を開きかけて、やっぱり断念したみたいで黙ってわたしの手を取った。わたし達三人はジャンヌの意向に従ってまた一気に移動していく。
次に到着した場所は王都から南に延びていく街道の脇だったみたい。王都の街並みはもう私の世界で主食になっていた米粒より小さくなっている。どうやら私の移動魔法は推測通り視界に移る場所なら行った事が無くても行けるみたいだ。
「えっと……ジャンヌ、王都から脱出できたけれど……」
「じゃあ更に南南西に進んで。平坦な道が続くから何度も移動してもらうから」
「もっと南に!? あの、目的地がどこなのか教えてもらえたら嬉しいなぁ、なんて思うんだけれど」
「着いたら教えるから、早くしなさい」
有無を言わさない迫力に思わず頷いたわたしは何度も飛んで、飛んで、飛んで。街道の途中にあった村とか町には見向きもしないで通り過ぎて、目まぐるしく周囲の情景が変わっていって。もう飽きたよと愚痴もこぼせずに黙々と延々と作業する有様だった。
「お嬢様、まさか――」
「クロード、悪いけれど少し黙っていてもらえない?」
クロードさんは何度目かの移動でジャンヌの意図に気付いたようだけれど、わたしは魔法の発動に集中しなきゃいけなかったせいもあって彼女の真意には全くたどり着けなかった。
そして、ようやく何がしたかったか分かった時には目的地に到着していた。
わたし達三人の前方に広がるのはそれなりに高めの城壁。松明が灯される城壁や城門に掲げられる旗は王国のものと、オルレアン公家のものだった。これが意味するのはただ一つ、目の前の城壁の中に広がる街が公爵家の領地である事に他ならない。
「オ、オルレアン……」
そう、わたし達は馬車で二日をかけてやっとたどり着ける都市まで来ていた。
そしてこれが意味するのは、わたし達はもう王都の学園を舞台にした『双子座』のシナリオから大きく逸脱してしまっているって事実だった……。
お読みくださりありがとうございました。




