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死出山怪奇譚集   作者: 無名人
6/6

物語は死なない


第六章 物語は死なない


「……君が、瞬君だね?」

恐る恐る振り向くと、そこには深緑色の着物を来た男性が居た。靴は下駄履きで、前髪が長くて口元しか見えない。

僕は一瞬たじろいだ。

「そうですけど、あなたは?」

「私は渡辺茂、茂さんで良いよ。怪奇小説家『闇深太郎』って知らないかい?私がその人なんだよ。」

僕は、彼の何ともいえない気迫に耐えるのに必死だった。

「…ちょっと、知ってるかもしれません。」

「まぁ、そうかい。」

茂さんはそう言って、口元を緩めた。

「あの、どうして僕の名前を知っているのですか?」

「君のいつも側に居る子に話し掛けたからね。」

側に居る子というと、晴人の事だろうか。

「…今度友達と一緒に家においで、話したい事があるんだ。」

茂さんはそう言って、僕に背を向けた。

「…ずっと、君を見てたよ。」

あの時、僕の頭上で聞こえた声だった。そして家に入って行く。

僕はそれを見て、寒気がした。なんとそれは、僕の家の隣のおんぼろ屋敷、通称『幽霊屋敷』だったからだ。





翌日は終業式だった。僕の朝の会の前に晴人と話した。

「晴人、どうして僕の名前を知らない人に教えたんだ?」

晴人は僕から顔を背けた。

「あの時は、精神的にまいってたから…。」

それを聞いた僕はこれ以上の詮索は止めた。晴人を取り巻くものは、僕が想像する以上に暗くて重く、悲惨なものだと知ってたからだ。

「で、その人はなんて言ってたんだ?」

「うん、その人の名前は渡辺茂で、怪奇小説家『闇深太郎』って言ってたんだ。」

「その作家って、由香さんがよく読んでるやつだ。」

「へぇ、そうなんだ。」

「で、瞬の霊感でなんか感じた事は無かったか?」

僕は頭を抱えた。

「…少なくとも、あの人は霊じゃない。でも、僕の霊感では死者は感知出来ないから、その可能性もある。

…もし、生きてる人間だとしても、あの人は、ただの人間じゃない。だって、あの人の周囲だけ、気がおかしかったから…。」

「そうか、なんか興味湧いてきた。俺、その人と会って、もっかい話したい。」

「うん、辞めた方が良いって…言いたい所だけど、茂さんは友達と一緒に来てって言ってたから…。

明日からちょうど夏休みだよね?その時はどう?」

「分かった、じゃあ明日の昼頃、瞬の家に行く。」

晴人はそう言って、自分の席に座った。

「茂さんみたいな人、なんて言うんだっけ…?」

不審者と言えばいいのだろうか、だがそんな人はわざわざ怪しまれる事をするだろうか。僕は茂さんを一言で言い表す言葉を探したが、見つからなかった。



そして翌日、晴人は僕の家の前にやって来た。

「で、茂さんって何処に住んでいるんだ?」

「ここだよ。」

僕はそう言って、『幽霊屋敷』を指差した。

晴人も僕と同じような反応だった。

「この家って…誰も住んでいなかったよな?確か三年生の夏休みに俺と瞬でこっそり中に侵入したような。」

「うん、茂さんって物好きなのかな?」

僕達は恐る恐る木製の引き戸を開けた。


その中で、茂さんは物書きをしていたが、僕達を見ると近づいて来た。

「瞬君、来てくれたんだね。で、君は?」

「青山晴人です。」

茂さんは、相変わらず深緑色の着物を着て、長い前髪をしている。小説家というのだから何かを書いているのだが、その時は邪魔にならないのだろうか。

「『闇深太郎』がどんな話を書いているか知っているかい?どの作品もこの志手山を舞台にしているんだ。私自身昔、ここに住んでいたからね。」

「へぇ、そうなんですか。」

茂さんが、思ったよりも朗らかに喋る事に驚いた。怪奇小説家という者は、根暗で陰湿なイメージが僕の心の中にあっただけかも知れないが…。

「茂さんは、どうしてこの家に来たのですか?」

「この家には、お祖母ちゃんが『住んでいる』んだ。」

僕の背中に静電気のようなものが走った。そして頭の中で『違和感』という言葉が回り始める。

「茂さんって…、今お幾つですか…?」 

茂さんは晴人の問いには答えなかった。



「晴人君、もう帰って良いよ。」

「えっ、どうしてですか?」

「晴人、失礼な質問をするから…。」

「いや、そうじゃないんだ。私は瞬君と話したい事があるんだ。」

晴人は一瞬茂さんを睨んだが、すぐに僕の方を見た。

「そっか…、じゃあまたね、瞬。」

そして晴人はトボトボと歩いて帰って行った。

「………さて、瞬君。」 

茂さんはさっきの温和な声とは打って変わって、冷たく背筋に響く声を出して、立ち上がった。そして本棚から一冊の古めかしい本を出した。それは、血のように赤黒い表紙で糸で綴じられてある。

僕はそれから何かの気を感じて、頭が痛くなった。

「この本は、『完成していない』んだ。私は十八年間その本の完成に尽力してきた。だが、それでも完成しない。

…瞬君、君には霊を見る力があるのだろう?」

「どうしてそれを…?」

僕も晴人も、その事については触れてないはずだった。

「この本の完成には瞬君、君の助けが必要なんだ。協力してくれるよ、ね?」

茂さんはそう言うと、両肩を持ってじっと見つめて来た。

その時僕は、茂さんの目が見えた。それは、大きく見開いていて、赤く光っていた。僕はその目を何処かて見た事があったが、それがいつ、どこでなのかは今は思い出せない。

僕は本当はそこから目を離したかった。だが、金縛りに遭ったように体が動かない。

茂さんはそんな僕を見て冷たくニヤリと嘲笑うと、その手で僕を突き飛ばした。

「うっ………、」

僕は静かにその場でひざまずいた。それでも茂さんから目を離す事が出来ない。

「…………瞬君、絶対に逃さないからね…。」


『狂気』という言葉がふと頭をよぎった。そうか、これが茂さんを例える唯一の言葉なんだ。

この人は何もかも狂っている『狂人』、僕はそんな人に目を付けられてしまった。一体僕はどうなってしまうのだろうか、想像するだけで体が凍り付いた。




翌日、僕は茂さんに頼まれてこれまた古めかしいフィルムカメラを持って事故現場の写真を撮りに行った。晴人や他の友達に言われた事だが、僕がこういった写真を撮ると、たいてい心霊写真になる。茂さんはそれを使って新たな小説を書きたいらしいのだ。

「今どきフィルムのカメラを持ってる人なんて居るんだなぁ。」

そして、写真を撮って近くのカメラ屋に現像してもらおうと交差点を走っていたその時、ベビーカーにぶつかってしまった。

「大丈夫?」

お母さんらしい若い女の人が立ち止まって、僕に近寄って来た。

「いえ、なんとか。」

僕はぶつけた膝をさすってこう答える。

「こんな所で何をしてたの?」

僕はその女の人よりも、ベビーカーに乗っている小さい男の子に目を向けた。

「可愛い子ですね、お幾つですか?」

「あ、この子は優太、今一歳よ。」

「へぇ、そうなんですね。」

優太君は今起きていて、僕の方を向いて笑っている。

女の人はその様子をじっと見てたが、僕の首のカメラを見て、はっとした。

「このカメラ、茂のお祖父ちゃんのじゃない?」

「茂?ひょっとして茂さんを知っているのですか?」

僕は女の人の方を見た。

「知っているも何も、旦那さんだから。」

「えっ、あの茂さんに?!」

他人の事のはずだが、僕のその事実に驚きを隠せなかった。

「私は渡辺志保、あなたも茂の事を知っているんだね。本名で呼んでるって事は、会ってるの?」

「…まぁ、色々ありまして。」

僕は昨日の出来事を話すのは止めた。その代わり、志保さんの手を引いてこう言った。

「これから、茂に会いに行こうとしてたのに。」

「それでは、一緒に行きませんか?僕もちょうど茂さんに用があるんです。」

僕は写真の現像を頼んでから、志保さんと一緒に茂さんの家まで行った。



「茂、中に入るよ。」

志保さんはそう言って引き戸を開けた。

「志保、なんだまた来たのか?」

「また一緒に青波台に住もうよ!」

すると茂さんは声を荒げた。

「放っておいてくれ!」

「そんな、どうして…?」

「私はなんとしてでもこの本を完成させる。その為にここに来たのだ。それは誰にも邪魔はさせない。」

茂さんは志保さんから背を向けた。

「本と家族、どっちが大事なの?!」 

茂さんはこう言い切った。

「本だ!!」

そして、家の奥に入ってしまった。

僕は他人の修羅場を目撃してしまったような、複雑な気持ちになった。


「ごめんね、こんな事に巻き込んでしまって。」

「いえ、なんと言うか…。」

「………昔は、あんな人じゃなかったのに。」

「そうですよね、あんな…」

『狂人』と言いそうになって思わず口をつぐんだが、志保さんはそれに気づいていた。

「いいよ、それは私も承知しているから。」

「志保さんは昔の茂さんを知ってるのですか?」

「こんな所で立ち話もなんだから、中央公園に行かない?」

僕達は茂さんの家の前でずっと話し込んでいたようだった。

「そうですね。」

そして、中央公園に行った。




公園には晴人と友也が仲良く遊んでいた。

「瞬、こんな所でなにしてるんだ?」

「いやぁ、ちょっと茂さんの奥さんと話があって。」

晴人は僕と志保さんを交互に見た。

「あの茂さんに奥さんが居たなんて…。」

「志保さん、茂さんと何があったのですか?」

僕は志保さんと一緒にベンチに座った。

そして、僕と晴人を見て、こう言った。

「茂と出会ったのはいつなの?」

「昨日の事がですかね。友達の晴人と一緒にお宅にお邪魔したら、晴人だけ先に帰らされて、それから本を見せられたんです。その本はどうやら『完成していない』らしくて。」

「そうだったの。」

「志保さん、茂さんに何があったか教えて下さい。」

志保さんは僕の真剣な態度に気づくと、目を閉じて昔の事を語り始めた。


「私と茂はね、幼馴染で気づいた時にはずっと側に居たの。親同士も仲が良くて、誕生日も一ヶ月違うくらいだったからら私達は兄弟みたいに仲良かった。」

「えっ、志保さんと茂さんって同年代なんですか?」

晴人は志保さんの顔をまじまじと見た。確かに若いお母さんのような志保さんと、文明に取り残された感じのあの茂さんが同年代とは思えない。

「うん、そんな日々がずっと続くと思ってた。だけど三年生の五月の時に茂のお祖母ちゃんが亡くなって、それから茂はおかしくなった。私もそれは一時的なものとは思ってたんだけど、五年生の時に茂はあの本を拾って、そのまま…、ずっとあんな感じなんだ。

一時期は一緒に青波台に住んでて優太もそこで産まれたんだけど、茂は家族の事には無関心だった。

そして、茂は家を出て、ここに引っ越して来た。」

「青波台って、姉ちゃんの青波高校がある場所だ。」

青波台というのは志手山から十駅離れた海辺の大きな町だ。

だが、僕が気になったのはそこではない。

「志保さん、茂さんのお祖母ちゃんが死んだのは本当ですよね?」

「うん、お葬式にも行ったから。でもその時何か変な事が起きたのよね。」

「変な事?」

「うん、火葬した後、茂のお祖母ちゃんの死体が行方不明になったの。家族総出で探したけど、結局見つかってない。」

「確かあの時茂さんは、お祖母ちゃんはこの家に『住んでいる』って言ってたんです。」

それを聞いた志保さんの顔が一気に真っ青になった。

「と、いう事は茂はまだお祖母ちゃんの死をまだ認めてないって事…?」

「そんな、茂さんは怪奇小説家なんだろ?いくらなんでも死を認めないなんて。」

「…そういえば、茂はお祖母ちゃんの事が大好きだった。茂のお父さんは産まれる前に死んで、お母さんは仕事で忙しかったから、茂はずっとお祖母ちゃんと一緒に居たの。もちろん茂は人の死を分かっていたけど、いざお祖母ちゃんが死んだ時にそれは違う、と思ったんじゃないかしら。」

「そんな…。」

晴人が突然何か思い出したようにこう言った。

「そういえばあの家に黒いふすまがあって、そこだけ鍵が掛かってるんです。ひょっとして茂さんは何かを隠しているんじゃないか、って思って。瞬、明日また茂さんの家に行こう。」

「えっ、晴人?」

志保さんは僕達を見てうなずいた。

「私からもお願い。」

志保さんは真剣な眼差しで僕達を見つめた。


僕達がそこから立ち去ろうとした時、志保さんは言い残した事があるらしく、呼び止めてこう言った。

「茂の話とは全く関係ない話なんだけどね、私最近『夢』を見るのよね。」

「『夢』ですか?」

「その夢は、どうやら過去のものらしいの、私はその中で一人の女性になって、ある男性の事を想っている。だけど、それは叶わず夢の私は死んでしまった。

その『夢』は何度も見て私はその中の出来事を昔、体験していたような、変な気持ちになるの。これは、私の気のせいかも知れないけど…。」

僕は志保さんを見た後、晴人と友也を見た。

「志保さん…、僕もう、行きます。」

「ごめんね、変な話をして。また何処かで会おう。」

そして、志保さんは優太君のベビーカーを押して、駅の方まで行ってしまった。




翌日、僕は晴人とまた茂さんの家に行った。

「写真はまだ現像されてないんですけど。」

僕がそう報告すると、茂さんは玄関に出て、下駄を履いた。

「まぁ、そうかい。私はこれから出掛けるとするよ。」

そして、外に出て行ってしまった。

「瞬、ちょっといいか。」

晴人は僕の肩をぐいっと持った。

「何?」

「今が黒いふすまを開けるチャンスじゃないか?」

「でも、鍵が…。」

晴人は僕に向かって耳打った。

「開いてるんだよ。」

「えっ…。」

晴人は黒いふすまを指差した。

「何か感じるか?」

僕はそれに手を触れて首を振った。

「それじゃあ、いくぞ。」

晴人は震える手を抑えてそのふすまを開けると、そこには、人が住んでいるのではないかと思うくらいに整えられた部屋があった。


「何これ、こんな部屋があったなんて…。」

僕達は部屋を歩き回って見たが異変は無かった。そして、そこから去ろうとした時、晴人が何かに気づいたらしく、僕を呼んだ。

「瞬、これを見てくれ。」

それは、何かが寝かされているらしく中央が盛り上がっている布団だった。

「一体どうなっているんだ、ここに住んでいるのは茂さんだけなのに…。」

晴人はそれを勢い良く引き剥がすと、そこには、服を着せられ、顔に布が掛かった死体があった。

「ひょっとしてこれが、茂さんのお祖母ちゃん…?」

「志保さん、お祖母ちゃんの死体が行方不明になった話をしていた。もしかしたら、茂さんが持っていったからじゃないか?」

その時、玄関の扉が開いて茂さんが帰ってきた。手には花束を抱え、僕達の事がまるで見えていないように素通りした。そしてお祖母ちゃんの元に来て、こう言う。

「お祖母ちゃん、ただいま。花束を買って来たよ。」

そしてそれを枕元に置いた。

「動かなくても、話せなくてもいい、お祖母ちゃんは私の側に居てくれるだけで良いんだ。」

白骨死体は微動だにしなかった。

晴人はしばらくその様子を見ていたが、とうとう我慢出来なくなって、こう言った。

「茂さん、あなたのお祖母ちゃんはとうの昔に死んでいるのですよ。これを見て何も思わないのですか?」

晴人はそう言って顔の布を剥がすと、朽ち果てた頭蓋骨が顔を覗いた。

「そんな…、そんな訳ない。お祖母ちゃんは生きている。現に今も私に向かって微笑んでくれている…。」

「まだ認めようとしないのですか?!」

「うわあぁぁぁ、そんな、それは嘘だ!」

茂さんはそう言って頭を抱えて顔を伏せた。

「そんな、そんな事って…。」

そんな茂さんがだんだん可哀想に思った僕は、晴人をなだめた。

「晴人、もう止めよう。茂さんが苦しんでいる。」

「でも、いつまで経っても死を認めようとしないなんて…。」

僕はそんな茂さんをどうする事も出来なかった。その時、玄関の扉が開いて志保さんが入って来た。

「茂、どうしたの、何があったの?」

そして、その背中をそっとさすっていた。

「辛かったんだね。よしよし、お祖母ちゃんが居なくなっても私がいるから…。」

昔も同じ事があったのだろうか、僕はその様子を見て、見た事がないはずの昔の茂さんと志保さんの姿が見えたような気がした。




そしてまた翌日、僕は晴人と一緒に中央公園で遊んでいると、真海さんが通りかかって来た。

「おはようございます。」

「二人とも、おはよう。」

真海さんはそう言うと、公園のベンチや遊具裏を見始めた。

「何か探している物があるんですか?」

「実はね、本を探しているんだ。」

「本、それはどんなものなんですか?」

真海さんは滑り台の影から頭を出した。

「瞬君達はお初さんの話を聞いた事ない?」

「江戸時代の話のですよね?ここに住んでいたけど結局妖に食われたという。」

「そのお初さんにはね、恋人が居たの。その人はお初さんの死を認められなかった。そしてその思い出を書き留めようと本を作ったの。でも、その人はそれだけでは飽き足らなくなって、この地の悲惨な出来事も集め始めた。

結局、その人は本を完成出来なかったんだけど、それが原因で彼の執念はこの世に取り残されたままなの。そして、後の時代に様々な人がその執念に取り憑かれて本を完成させようとしたけど、本を関わった人はことごとく死んでいって…。それで封印はされたみたいだったけど今は何処にあるか分からないままなの。」

「瞬、ひょっとして、」

晴人がそう言って僕の肩を叩いた。

「晴人、どうした?」

「茂さんの事じゃないか?瞬、茂さんに古い本を見せられたって言ってただろう?」

「うん…、」

「一刻も早く言って、手放してもらわないと。」

「でも、あの人がすぐにそれを手放すと思う?」

「確かに…、」

晴人はそう言って、頭を抱えた。

「とりあえず、冥徳寺に行こう。詳しい話は和尚さんが知ってるから。」

僕達はそう言って、冥徳寺まで行った。




和尚さんは僕達の話を聞くと目を見開いた。

「ああ、その本で間違いないよ。」

「それをどうやって手放してもらうのですか?」

「圭ノ介とお初を会わせて、話をしてもらうしかないな。」

「ですが、二人共死んでいるのですよね?どうやってあわせるのですか?」

「瞬君の力を使うのだ。」

「僕の力…?」

僕は両手を握りしめて、和尚さんを見た。

「瞬君、君には極端な霊媒体質がある。それを使えばお初さんの霊を呼び出す事が出来るはずだ。」

「僕に、そんな力があるなんて、知らなかった…。」

「圭ノ介の方はどうするのですか?」

「本の持ち主に取り憑いているはずだ、その人を呼べばいい。」

「俺、呼んで来ます。」

晴人はそう言って立ち上がった。

「待て、それは今晩にしよう。」

「そんな、いきなりですか?!」

「ようやく本が見つかったんだ、出来るだけ早い方がいい。」

そして僕達は一回家に帰る事にした。


「瞬、大丈夫か?」

「うん、なんかだんだん不安になってきた。でもそれで茂さんと志保さんを助けられるのなら…。」

「瞬、君は相変わらずお人好しだな。」

「なんだよ、悪かったな。」

僕がそう食いかかると、晴人は僕から視線を反らした。

「いや、人の為に自分の身が捧げられる瞬が羨ましいと思うだけかも知れない。」

「晴人…。」

その話題が、晴人を取り巻く環境が本人にとってどれ程辛いから僕は知らない。だからせめて僕と一緒に居る間だけでもその事を忘れて欲しかった。だが、晴人にとってはそれこそが苦しむ原因となっていたのだ。

「俺、なんで瞬の側に居るんだろう。瞬は俺よりも賢いし、心だって強いし、人に優しい。みんな俺に足りない部分だ。瞬と居ると俺は劣等感に襲われて、苦しいんだ。瞬…、俺どうすればいいんだろう?」

僕は何も言わずに晴人を抱き締めた。

「晴人だって、僕に持ってないものを沢山持っている。運動は僕よりも出来るし、親しい人に対してもはっきりと言いたい事を言える、それが晴人にあって僕にない部分だ。

晴人、僕は晴人に対して何も求めない。ずっと側に居てくれるだけで良いんだ。僕だって一人では生きていけない。この上ない苦しい事があっても、晴人が居たから乗り越えられたんだよ。」

「瞬…………。」

晴人はそう呟くように言って僕の背中に手を乗せた。

「ありがとう、こんな俺の側に居てくれて。」

僕は何も言わずに晴人を見つめていた。




そして、夕暮れ時になった。僕は茂さんと志保さんを連れて志手山を登っていくと、晴人と真海さんが居た。

「説得は出来たんだね。」

僕は志保さんを見た。

「志保さんが居たからだと思うよ。」

「そっか…、」

本が元々封印されていた祠の側に和尚さんが立っていた。

「あなたが本の持ち主か?」

茂さんは、自分の事を言われてるのに気づくと、和尚さんを睨んだ。 

「何故ここに連れて来た?」

「その本は呪われているんだ、手放さないといつか死に目に遭う。」

「そんな事は関係ない、私はこの本を完成させるのだ。」

僕は和尚さんと茂さんの言い争いを小耳に挟みながら、祠を見た。

「晴人、この祠の中に風が吹き込んでいる。」

晴人は一緒に覗き込んだが、首をかしげた。

「風なんて感じないぞ。」

「えっ、どういう事?」

僕がそれから目を離すと、祠の風が突然向きを変え、僕の周囲を取り巻き始めた。

「なんで僕の周りだけ風が吹いているんだ?」

そしてそれが止むと、目の前に白い着物の女の人が立っていた、膝から下は透けていて、目は赤く光っている。


僕はその時、背中を打たれたような衝撃が走って、記憶の中の光景が浮かんだ。

間違いない、あの人は僕が一年生の時に神隠しに遭った時に出会ったあの女の霊だ。

和尚さんはそれに気づくと御札を投げた。すると、女の霊から黒い煙が逃げ、本来の人間の目になった。

「和尚さん、この人は?」

「お初の霊だ。」

「さっき、祠の風が、僕の周囲に吹き込んだんです。あれは一体何なんですか?」

「瞬君、あれは普通の人では感じない霊の流れだ。君はどうやらそれを風として感知出来るらしい。」

「さっきお初さんの目が赤かったじゃないですか、実は茂さんも同じ目をしていた時があって、あれは何なのですか?」

「あれは妖の目だ。私がさっき御札を投げたのはお初の中に居る妖を浄化して本来の意思を取り戻させたんだよ。」

「それじゃあ茂さんは?茂さんはお初さんと違ってお腹の中に妖なんか居ませんよね?」

「いや、圭ノ介の中にも妖は居たよ。自分の執念がいつの間にかそれを生み出して、知らぬまま飲まれて死んでいった。茂さんもその圭ノ介に取り憑かれていると最初は思った。だが、茂さん自身にも本を完成させたいと思う気持ちがあったのだろう、それに共鳴し、二つの意思が一つの体に入ってしまってのだよ。」

「その状態が十七年間も続いてたなんて…。」


僕はもう一度お初さんを見た。側にいるはずだが、晴人と真海さんには見えていないらしい。だが、その中で一人お初さんの方を見ている人が居た。

「志保さん、お初さんが見えるのですか?」

志保さんは僕に全く気づいていなかった。

「あれは…、ひょっとして、『私』?」

「志保、さん?」

「間違いない、あれは『夢』の中の『私』だ。」

「瞬、志保さんは何を言ってるんだ?」

僕の頭の中に一つの言葉が飛び込んで来た。

「輪廻転生…、」

「瞬?」

「志保さんはひょっとして、茂さんこと圭ノ介さんとの仲をやり直す為に生まれてきたんじゃないかな?」 

「と、言うと茂さんが圭ノ介さんの生まれ変わりって事…?」



茂さんが、お初さんに気づくと近づいた。

「お初…、なんだよな?」

そしてそっと抱き締めていた。

「茂、さん?」

「今のあの人は茂さんじゃない、圭ノ介の意思で動いているんだ。」

茂さん、いや、圭ノ介さんはお初さんの顔を見て、涙を流していた。

「お初、また会えるなんて思ってなかったよ。」

「圭ノ介さん、突然死んでごめんなさい。」

「どうして死んでしまったんだ?村人達に殺されたのか?私はずっとそれを知りたがっていたんだ。」

「…私は腹の中の妖に食われ死んだの。だから、圭ノ介さんも村人達も何も悪く無いよ。」

「お初…、それが聞けて、良かったよ。」

「圭ノ介さん………、ありがとう。また私達やり直そう、今度はこんな事にならずにずっと一緒に居られるように…。」

お初さんは圭ノ介さんの胸の中で笑いながら泣いていた。そして、その魂は光となって、空へと昇っていく。

「お初……………、」

そう言って、圭ノ介さんの意思が消えた茂さんは、静かに倒れ込んだ。そして懐の本が地面に落ちる。

僕がそれを拾おうとすると、一瞬で灰と化してしまった。

「本が存在する意味を失ったんだ。」

「それじゃあ茂さんは…。」

茂さんの元に志保さんと真海さんが駆け寄る。

すると茂さんは意識を取り戻して、志保さんを抱き締め、涙を流した。

「茂…、お帰り。十七年間ずっと待っていたんだよ。」

志保さんの目にも涙が浮かんでいた。




「…これで良かったんだよね?」

僕は晴人を見てこう言った。

「ああ、これで茂さんが元に戻ったからな。」

僕は夜闇に立つ『死出山』を見た。

この町には『死』がうごめいている。『死』が僕達を見つめている。そして、いつか僕達を襲おうとしているのだ。

お初さんと圭ノ介さんのように仲良くても、二人の仲は、人の命は、いつか終焉を迎える。

日常は脆く、人々との繋がりが儚いものとは知っている、だからこそ、僕達は生き続けなければいけないのだ。僕だって、いつ死ぬかは分からない。何十年先かも知れないし、ひょっとしたら明日かも知れない。

この『死出山』で生きるものの宿命だ。だから何度死にかけても僕は懸命に生き続ける。




終章 物語は知られない


…………………それから、茂さんと志保さんと優太君は青波台で一緒に暮らした。僕と晴人達は志手山で暮らした。そして、友也が小学校を卒業する時…、廃校するという話があった。町の行政も全て隣町に移るらしい。

それはつまり、志手山町が事実上消滅するという事だった。

僕達はその町には移らず、青波台に引っ越す事になった。



僕は青波台で高校、大学を過ごして就職した。そして、ある人と結婚して一人息子が産まれた。




海は夕焼けの光を映している。僕は、一人息子の卓と一緒に浜辺を歩いていた。

「卓もあの時の僕と同い年になったんだな。」

「お父さん?」

あれから、いろんな事があった。晴人はこの町を出て、真海さんはフランスに渡ってそこで結婚した。友也と優太君もこの町で働いている。

「あの町で、色んな事があったね。」

「由香、そうだな、今は見る影もないが…。」

「もうすぐ、千香の命日だね。お参りに行かないと。」

冥徳寺や、お墓はあの町に残されたままだ。僕達はそこで命を散らせた人達の為にも、あの町を忘れてはいけない。

「もう一度、あの町に行こう。」

僕は由香と卓を見てうなずいた。


「お父さん、お母さん、闇深太郎さんの新刊が発売されたんだよ!買いに行こうよ!」

卓は家にある本を見て、すっかり茂さんのファンになっ

た。

「ああ、そうだな。買いに行こうか。」

僕は卓の手を引いて、浜辺の階段を上がって行った。

志手山町は無くなったが、僕達はこれからも生きる。

どんな事があっても、誰が死んでも、生かされている限りは、生きている意味があるのなら、頼られる存在がいるのなら僕は……、、少しでも生き続けようと思うのだ。

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