物語は止まらない
第二章 物語は止まらない
私達が住む志手町、志手山と言うのは後に付けられた当て字で、本当は「死出山」と言う。
私は草壁由香、今年で中学一年生になる。この町の名前であるが故なのか、同級生は小学校の時に比べてニ割は減った。だが、いちいち気にしている暇は無い。自分やその周囲にいつ降り掛かってくるか分からないから、それぐらいはなんともないように思っている。
だが、私には忘れられない人の死がある。それは、双子の姉である千香の死だ。
私は交差点を眺めていた。ここは、町で一番交通量が多いが、予算の都合で信号機は無い。
ここで七年前の夏休み、千香は、向かい側から突っ込んで来たトラックに轢かれそうになった私をかばった。
即死だった。目の前でそんな事が起こるなんて思わなかった。
中学校生活にも大分慣れた。卓球部の先輩によると、小学校程ではないが、ここでも毎年数人は在校中に帰らぬ人となっているらしい。
この町は、そういうものなのだ。だからいつどこで自分が死んでも大丈夫なようには、一応している。
そんなある日、卓球部の休憩時間にある話を小耳に挟んだ。
「なぁ、この話知ってるか?」
「え、何?」
「駅の所の交差点あるだろう?そこで俺の友達の知り合いが霊を見たんだってさ。」
「今更その話する?似たような話をもう何十回も聞いたよ?」
「いやいや、そんなのじゃないって、その霊は人に危害を与えないんだ。ずっと交差点の所に止まっていて、誰かを待っているんだ。その姿は確か…、」
ずっと話をしていた男の先輩が、私を指差した。
「由香に似ていたんだよ。」
それを聞いて体に電流が走ったような気がした。
「ちょっと待って!確かに私は小さい時にそこで姉の千香を亡くしたけど、どうして今更そんな事に…?」
「小さい頃に?俺が聞いた話によると、身長は今の由香と同じくらいだった気がするが…。」
私の脳裏にあの時の千香が映った。自分を顧みず、私をかばって血まみれになった千香。私もあの事故で重症を負ったが、すぐに回復した。もし、あの時千香が死んでいなかったら、私が死んでいたのかも知れない。
そうだとしても、千香の死は私にとって一番のショックだった。
「由香ちゃん、どうしたの?」
女の先輩の声でハッとした。
「いや、昔の事を思い出してただけです。」
それでも、千香の事が気になるのは確かなのだ。そこで、帰り道にあの交差点による事にした。
その交差点は、相変わらずの交通量だった。そこで毎月事故が起きているというが、信号機は付けられそうに無い。
この町は、滅びるのをただ待つだけというのを、誰かから聞いた。
私はそれをしばらく眺めて、それから帰ろうとした時だった。
目を開けられない程の突風が吹いた、やっとの事で耐えた私が目を開けると、そこには驚きの光景があった。
目の前は地平線が見えるくらいに草原が広がっていた。空には光の塔が立っている。私はさっきまで交差点に居たはずだが、これは夢の景色なのだろうか。
体をつねったら痛かったので、夢でもないし、死んでもいないようでほっとした。それから、この場所を歩き回る事にした。
それにしても、ここは一体どこなのだろうか。そう思ったその時、見覚えのある姿が見えたので思わずその名を叫んだ。
「千香、千香だよね?!」
千香は私に気づいて、振り向いた。
「由香?どうしてここに?」
千香は私と同じくらいの身長だったが、膝から下は透けていた。
「交差点に居たら急にここに来たんだ。ここは一体どこなの?」
「ここは地の果ての世界、生と死を越えられる唯一の場所。」
「どうして千香は私と同じ身長になってるの?どうしてまたあの交差点に居たの?なんの未練があってここに…?」
千香は意外な答えを言った。
「未練なんて無いよ。ただ…、由香の事が心配なだけ。」
「千香!あっ…、」
もう一度、千香を呼びとめようとしたが、また突風が吹いて、私はいつの間にか元の交差点に戻っていた。
「一体、何だったんだろう…。」
私はそう考えながら家に帰った。
その日、夢を見た。私はまた地の果ての世界に来ている。その中で千香は泣いていた。背中には折れて血が付いた翼がある。
私はその側にまで来たが、千香をどうすればいいのか、分からなかった…。
夢から覚めた私は、部屋に飾ってある千香の遺影の側に置かれている花と水を交換したが、私の心はモヤモヤしたままだった。
今日は休みで、卓球部も無い。そこで真海さんにその事を相談しに中央公園まで行った。
公園で友也君と遊んでいた真海さんは私に気づくとこっちを向いた。
「由香ちゃん、珍しいわね。」
青山真海さんは、千香が死んでから出会った人だ。今は高校生で、たまにしか一緒には居られないが、頼れるお姉さんだ。
「友也君、今日は瞬君は居ないの?」
「お兄ちゃんは、晴人お兄ちゃんと遊びに行ったよ。」
晴人君というのは、真海さんの弟で、瞬君の親友だ。友也君ともよく遊んでいるらしいが、今日は居ない。
「真海さん、ちょっといいですか?」
私は真海さんを呼んで、公園のベンチで話す事にした。
真海さんは私の話を聞いて、そっと肩を叩いた。
「そうだったの…、私も何回か伊織に出会った事があるから、その気持ち分かるわ。」
原田伊織と言うのは千香と同じ年に亡くなった真海さんの親友だ。真海さんは千香を亡くして悲しむ私を、自分と重ねたらしい。
「真海さんも、そんな事があったんですね。」
「うん、」
「真海さん、千香が私の事が心配で飛び立てないらしいのですが…。」
「それは、姉の性かも知れないわね…。」
「姉の性?」
「姉が妹の事を心配するのは当然でしょう?例えば、瞬君や、晴人が突然消えたら、心配するでしょう?それには理由なんて無いわよね?」
「そう、ですね…。」
真海さんの話はそこで途切れた。
千香が私の事を心配するのが姉の性なら、私が千香を心配するのは妹の性だ。
千香…、私は千香がこの世界から飛び立てないのが、心配でしょうがないんだよ。私は、千香が居なくても大丈夫だから、心配しなくて良いんだよ。
私はベンチから立ち上がった。
「由香ちゃん…?」
「真海さん…、私、また千香の元へ行って来ます。」
私はそう言って、あの交差点まで行った。
私は交差点に立った。そして、突風が吹いてまた地の果て
の世界に来た。千香は、私を待ち構えていたようにそこに居る。
「千香、私は大丈夫だよ。」
「えっ、どういう事?」
「私の事は心配しなくて良いよ。真海さんや、瞬君も居るし…、それに、千香には次の世界で幸せになって欲しいんだ。」
「寂しくないの?」
そう言う千香の方が悲しい顔をしていた。
「もちろん、寂しいよ。けど、千香がいつまで経っても私の事を気にして、飛べないのなら…、それはそれで、悲しいかな。」
「由香…、ありがとう。」
「えっ?」
千香は羽を広げた。それは真っ白で血は付いていなかった。
「これで私、飛ぶ事が出来るよ。」
そして、千香は雲ひとつ無い空へ羽ばたいて行った。
私はもう、千香を呼び止める事は無かった。
突風が吹いて私はまた、交差点に戻って行った。五月晴れの空に一つ、白い羽が舞っていた…。
翌日、私はまたあの交差点に来た。千香にはもう会えないと言う事は分かっているが、なんとなくそうしたかった。
すると、いつも私が突風に巻き込まれる辺りに、珍しく人が居た。その人は、深緑色の着物に下駄履きで、髪の毛は焦げ茶色で、前髪が鼻に掛かるまである。
その人は私の存在に気づくと、こう話し掛けて来た。
「君は、あの時交差点に居た子だね。目の前でお姉さんを亡くして、大変だっただろう?」
私は初対面の青年が、見ただけで千香の事を言った事に驚いた。
「どうして、それを知っているのですか?」
青年は口元をほころばせてこう答えた。
「何故って、それを元に小説を書いたからだよ。」
「小説…?」
すると家にある本の表紙の作者を思い出した。
「あなたはひょっとして、『闇深太郎』」さん?」
青年はうなずいた。
「ああ、そう呼ばれる時もあるな。」
「やっぱり…。」
『闇深太郎』というのは、志手山町の事について小説を書いている怪奇小説作家だ。本が苦手で、あまり読まない私が唯一全作品読んだ人でもある。
「会えて光栄です。」
握手を要求された彼は、照れ隠しに頭を掻いた。
「そんな大層な事はしてないよ、私はただ…、」
「ただ…、?」
「ただ、『あの本』を完成させたいだけなんだ。」
そうして彼は去って行った。気のせいなら良いのだろうか…、通った後に、血のように赤い何かが舞っていた。