【過去編】出会いと誓い その1
「幸せの量には人によって限りがある」
『何でも良いぞ?好きな事を望むが良い』
「はっ・・・はっ・・・はっ・・・!」
ある地下に存在する、幾重にも道が分岐している石造りの道を少女が息を切らしながら走る。
所々が風化しているのが伺えるが、それでも繋ぎ目一切分からないのは、それ程の名工が造ったのだろうか。等間隔で壁に燭台が取り付けられ闇を照らしているが、ギリギリ先がぼやけて見える程度の薄暗さにしかなっていない。しかし、現在走っているこの広く感じる道は一本道になっている様なので多少暗くとも然程問題は無い。
しかも、幸いな事に今に限って言えば、少女にとってその薄暗さは彼女の味方をしている。
一見、10~12歳程度の少女が、何故こんな地下通路を走る事になっているかと言うと、逃げる為だ。
「いたか!」
「駄目だ!くそっ!あのガキ、どこ行きやがった!」
「こんな暗ぇ所まで逃げやがって・・・!さっさとあの袋奪っちまいてぇのによ!」
「しらみ潰しに探せ!どうせ生死なんざ気にしねぇんだ!見つけ次第ぶち殺せ!」
「どうせ死体はこいつらで木っ端微塵だ。証拠なんざ残りゃしねぇ!」
少女の背後、かなり後ろ側であるが、男達の声が聞こえる。品性の無い大声のおかげで、離れていても位置が分かるのも有り難い。男達の手にボウガンや爆弾が握られていなければ、隠れてやり過ごす事も出来るのだが、何時乱射し始めてもおかしくない。そうなったら危険過ぎる。だから万が一射撃された時の為に、矢が届かない距離へ離れないといけないのだ。広範囲に爆風の広がる爆弾と距離が近いなんて持ってのほかだ。
「(絶対にこのお金だけは守らないと・・・!)」
少女の手に握られているのは、膨らんだ白い袋。この中には金が入っている。それをあの盗賊達に気付かれた所為で、今の様に逃げる羽目になっている。そうして少女は只々、自身が広いと感じている一本道を進み続けている。
「(もっと離れないと・・・・・・っ!?)」
少女は突如足が縺れて地面に倒れてしまう。そして不運な事に、倒れた際に硬貨が入った袋を地面にぶつけてしまった所為で大きな金属音が響いてしまった。先程まで大声を発していた盗賊達も声を消し、こちらへ走り寄ってくる音が聞こえる。
「(足に力が入り辛い・・・!これじゃ走れない・・・なんで足が・・・!?)」
理由は単純明快。年端もいかない少女が半日近く逃走劇を繰り広げていたら、精神は兎も角、足が限界を迎えるのは当然だろう。
「(歩いてでも離れないと・・・)」
走り寄る音は徐々に大きくなっている。これでは追いつかれてしまう。
少女は精神力だけで立ち上がり、限界を迎えた足でフラフラとゆっくりと歩みを始める。
「(このお金はお兄さんが最後に遺してくれたお金なの・・・!あんな奴らに渡したくな)っうわ!?」
少女が少しずつ、壁に手を突きながらも歩んでいると、足場が急に低くなっている事に気付かず、ガクンと踏み外し倒れてしまう。しかもその際に、何かにぶつかってしまい倒してしまう。
大きく妙に変な破砕音が響く。少女はぶつかってしまった痛みに耐えつつ立ち上がり前を向く。
とても広い空間。損傷も風化も全くしておらず、繋ぎ目が無い石造りの様々な色で彩られた壁。その空間は、光源が一切無いのに周囲は妙に明るく、崩壊した天井から零れる月明かりに照らされた地面には、目を見開いた歪んだ五芒星が描かれ、青白い光を力無く明滅させており、辺りには何も映さない鏡が複数存在している。そして少女の近くの床には、頭の無い砕けた真っ黒な人形が1つ。
どうやら先程割ってしまったのはこの変わった人形の様だ、と把握しながら周囲を見回す。
そして少女は見る。
五芒星の上に、空間を塗りつぶす様に存在し宙に佇む‟それ”を。
*
‟それ”は円錐型の足を模った光沢を感じない、三枚の黒い布らしき物を腰から生やし覆い垂れ下げている。そこから床に向かって、雷の様に伸びる黒曜石や黒水晶の様な光を透さない太く鋭い足らしき物。二本の木の幹が捻り合う様にして出来た体に、細い触手が絡み合い出来た二の腕、肘より先は二の腕より大きく、大きな手からは細長い五指がすらりと伸びている。こちらへ向けている、捻り合った末に出来た様な顔らしき部分には木のうろを想起させるぽっかりとした穴があり、そこには一切の光を飲み込む闇があるのみだ。両腕から生える膜は頭に被さり、一見すると短い外套の様だ。その膜にびっしりと人の顔を模した仮面が生えていなければ、だが。頭頂部からは膜を巻き込むように捻れた、長い触手状の物体を生やしている。
正に邪悪その物を具現化した様な風体だが、どこか抽象的な感覚を覚えさせる。
そんなモノを直視してしまった少女は、思わず息を呑む。体に纏わり付く様な不快な感覚に蝕まれる。
理解できない理解できない理解できない理解できない。理解したくない理解したくない理解したくない理解したくない。
――いや、そうだ。理解できないなら、理解できないモノとして理解すればいいんだ。
不思議と少女が恐怖を抱いていなかったのは、この特異な思考回路のお蔭だろうか。大の大人が理解出来ずに、あまりの恐怖で正気を失い、精神が耐え切れず崩壊してしまうのが幸運。そんな存在を直視したのに無事であるのは、この邪悪にとっても興味を惹かれる事であったようだ。
『少女よ』
その見た目からは想像も付かない程優しく、尚且つ神々しさすら感じさせる声音で少女へと語り掛ける。
『よくぞ我が封印を破壊してくれた。礼を言うぞ』
その声色は、恐怖していなかったとはいえ、流石に体が竦んでいた少女の緊張を解すに足り得る物であった。少女も緊張が解かれ、多少自然体で過ごせるようになったのが見て取れる。
「あなたは・・・何ですか?」
少女の呟きに邪悪は、一瞬思考が止まる。
そう言えば、私を神と崇めたりする者は山の様に居たが、私が私を何、と定義する事は無いままだったな。黒、邪悪、邪神、軍勢、無貌の神、千の昏き貌、、外なる神、這い寄る混沌・・・等と様々な呼ばれ方をされたが、自分から何である、と言った事は無かったな。
『分からぬ。が、我は神である』
矛盾しているが、そう呼ばれていたからな。そう答えるしかあるまい。
「神様ですか・・・」
『少女よ、我は汝の働きに報おうと思っている。つまりは褒美だな。何でも良いぞ?好きな事を望むが良い』
怯んでいるが怯えてはいないこの少女の本質を邪悪は、なんでも願いを叶える、という誘いで暴こうとした。
そもそもこの邪悪がこの様な誘いをするのも有り得ない事だが、邪悪が問い掛けたのは少女の本質が気になったからだ。というのも、この邪悪程になると物事の本質程度‟視”るだけで理解出来るのだが、邪悪は少女の本質の表層部分を‟視”て読み取り、自身の愉悦の為に、己の目の前で明かされるこの少女の深層にあるであろう本質の醜さを目の前で見たい、と思っただけである。
それだけでも、十分に有り得ない奇跡といっても過言でない程の事だったのだが、少女を含む邪悪本人すらその事に気付いていない。
「何でも・・・叶える・・・」
少女は俯き、少しの間思い悩む。
「・・・せん」
『うん?』
しかし、少女は直ぐに顔を上げて答える。
「いりません・・・」
『・・・ほう?』
邪悪は少女の返答に心の中で嗤う。
あぁ、こいつも世に蔓延る聖者気取りの偽善者だったか。ならもう興味は無いが・・・。
『ふむ・・・要らぬ、とな。何故だ?何でも思うがままであるぞ?』
これの返答次第ではもう生かす価値は無――。
「だって幸せの量には人によって限りがあると思うんです」
『・・・何故そう思うのだ?』
「お母さんは小さい頃に死んじゃったらしいけど、私はお父さんとお兄さんがいたから幸せでした。周りの人がどう思ったとしても。けど、お父さんはそうじゃなかった様で、もっともっとお金を貰うために、もっと怖い魔物を倒しに行ったきり、帰って来ませんでした。協会の人からお金は出たけど、結局お兄ちゃんも働く事になりました。そしてまたお金を貰い、お兄ちゃんも帰って来ませんでした・・・」
『・・・・・・』
「・・・お父さんやお兄さんが帰って来ないのはとっても寂しいです」
『ならばそれを、汝の父や兄の帰還を願えば良いではな――』
「でも、それはダメなんです。私は今まで幸せでした。お父さんやお兄さんがいて、貧乏でも幸せでした。でもお父さんもお兄さんも死んでしまったのは、多分もう幸せの量を使い切っちゃったんです。それに私以上に不幸せな人はいると思います。だから、ごめんなさい。何もいりません」
優しい笑顔を浮かべ、年端もいかない子供が口にするとは思えない事を言い放つ少女に、邪悪は少女を‟視’’続けていた。
『(一切の・・・乱れも歪みも無い。しかも、こんな子供が世界の真理に気付くとはな。誰も彼も、自分だけは、自分は特別だ、自分は報われるべきだ、自分は幸せになる権利がある・・・などと馬鹿は馬鹿らしく無駄で無意味な妄想を抱く中、こんな子供が‟各自に割り振られた才能や幸福の総量”を本心から語るとは・・・・。面白いな、非常に面白いぞ)』
世界中の偽善者が得意げに語る上辺だけの軽く怪しいお涙頂戴の献身よりも、正しく真摯に世界を見て向き合っている。そして、こうして幾度か言葉を交わし交流した事で理解した少女の本質の深層。‟それ”は、この少女は邪悪が今までの長く永い過去の中で数える程度しか居なかった逸材だ。邪悪は様々な形でそんな者達の行く末は見て来た。ならば・・・。
『ふむ・・・なら――』
邪悪が少女にある提案を持ち掛けようとした瞬間、少女の胸より鏃が生えた。
*
正確に言うならば、背後より放たれた‟ボウガン”の矢が少女の胸を貫通したのだ。
少女は胸より感じた熱を確認すると諦めの様な笑みを浮かべ、しかし袋は握り締めたまま膝から崩れ落ちる。そして少女が通ってきた道の奥より響く、無駄に音を立てる無作法な足音と大声。
「よし当たった!無駄に苦労かけさせやがって!」
「よっしゃあ!金だ金だ!」
成程、少女が手にしていた袋は人間界で流通する貨幣が入っていたのか。そして、あの塵共に追われていたのか。まぁ波長が合った人間をここに辿り着く様に誘導したのに無駄な塵共が付いて来たのか。しかし、折角の久し振りの人間との語らいを邪魔されるとは、な。しかも、この私が提案を持ち掛けようとした瞬間に、だ。
「さっさと取っちまえ!」
「駄目だ!このガキ、気絶してるのに袋を離さねぇ!」
奥より出てきた盗賊達が倒れた少女の手より、無理やり袋を奪い取ろうとするがそれは叶わない。倒れ、気絶し、死に瀕しても袋を離さない、そんな少女の姿には感動すら覚える。
「クソっ!ならもう一発ぶち込んでや・・・る・・・?」
悪態を吐きながらボウガンを少女に向ける盗賊の一人は・・・ようやく、目の前に佇む、‟死”を見てしまう。
「あ?何がい・・・る・・・?」
「どうした?二人共、早く手伝・・・え・・・?」
仲間の一人の様子がおかしい事に気付き、彼の方へ向く仲間達も‟死”を見た。
『不愉快だ。死ぬが良い』
邪悪がその手を男達に向ける。その掌から生成され放出され続けている、宙に浮く幾つもの――掌の割には小さな――悍ましい肉の塊が男達に向かって行く。
「「「ひっ・・・、ぎっ、ぎゅぎぎぎぎぎぃぃぃぃぁぁぁぁぁぁぁあああああああああ!!!???」」」
男達の最後、彼らの真の幸運は、邪悪を直視してしまい精神が崩壊し狂っていく最中だったお蔭で、止め処無く飛来する肉の塊が少しづつ男達の体を抉り取り、消失させていく痛みを感じる事が無かった、という事に尽きるだろう。
*
『・・・さて、どうしたものか』
邪悪は思考と共に呟くが、言葉を加えた事に意味は無い。ただ、先程の会話の名残があるからだろうか。口は無いが言葉にしてしまう。
原形を留めておらず、最早人であったとは絶対に気付けない穴だらけでグズグズの屑肉と化した男達は、既に意識の欠片すら向けられていない様だ。
『むっ』
邪悪はふと、先程の少女へ意識を向ける。胸を矢で貫かれ既に死んだものと思っていたが、僅かに息があり、口が力無く動いている事から意識が無いのに何かを小さくか細い声で呟いている様だ。
非常に惜しいが、もう楽にさせるべきか。
僅かとはいえ楽しませてくれたからな、と邪悪は呟き少女に近寄る。すると、少女の無意識の呟きが聞き取れた。
それは消える様な物であったが、邪悪は聞き逃す事は無かった。
「・・・いさ・・・いさん・・・お兄さん・・・。」
『・・・未熟とは言え、‟彼の者達”の様な少女も何かに頼ざるを得ぬか。・・・しかし惜しいな』
先程の少女との交流が頭に過ぎる。まだこの少女は幼い。先程の様な考えと視点を今後の生涯、永久に持っていられるかは分からぬ。が、この少女の行く末を見て‟視”たいという欲求は大きい。
『・・・そうだ、な。私はこの少女の行く末を見たい。この、胸を貫かれようが生にしがみ付くこの少女の行く末を、な』
邪悪は少女をまるで壊れ物を扱うかの様に、優しくその手に乗せる。
『これ程の者が、ここで力尽きるというのは・・・面白くない』
邪悪は掌を天井へ向ける。その手に生成されるのは、どす黒く渦巻き光すら歪めるの大きな球体。
それを邪悪は解放する。
限界まで圧縮され光すら捻じ曲げていた球体は、解き放たれた事により轟音を響かせながら、全てを進路上の全てを呑み込み消失させる。その光景はまるで漆黒の光柱が現れ、空間を呑み込んでいく様にも見える。
天井に穴が開き、空へと続く一本の道が出来る。
『おっと、流石にこのままでは死ぬか』
邪悪は掌の少女の体へ指を乗せる。そして黒の淡光が灯り、指先から少女の全身へと伝わっていく。そして淡光が少女の全身から消える。するとそこには、先程までの死にかけの様な顔色が、誰もが健康そうに思える顔色へ変わり、矢で射られた傷は傷痕一つ残っていない程綺麗に無くなっていた。
『さて・・・行こうか』
邪悪は空へ向かい上昇していく。近くにある人の集まっている場所を探さねば、しかしこの姿で言ったら皆が発狂死するから駄目だな・・・どうしたものか、私が通れる大きさまで天井含む一面を吹き消し飛ばしたが・・・後で絶対バランス崩して地下道が崩壊するな、というか何かこの少女以外にもいた様な気がするがまぁいいか・・・等の様々な考えが浮かんでは消えを繰り返している中、それら全てを消し、邪悪は再び、静かに寝息を立てる少女を見る。
そして、問われた時からずっと引っ掛かっていた、最初の問いを思う。
あなたは何、か。そんな事は考えた事は無かったな。そう言えば、人が勝手に呼んだ名前しか私は分からないのか。そして私が私を何である、と確信を持って言える事は、この力以外無いのか。改めて考えてみると可笑しな話だが・・・。私が私を分からないのに他の者に分かる筈も無しか。
歴代の理解出来ない者達が思い思いに私を名付けて来たのだ。様々な名前が付くのも当然か。
しかし。もしも、もしも私が私を定義出来無い時は、この私を見ても狂わず受け止める程の精神力。世界を正しく見る事が出来る異常とも言える才能。私と、この‟私”と波長が合う稀有なこの少女ならば或いは私を・・・。
邪悪は、この少女の所為だな。と、自らに小さく芽生えた‟思い”に苦笑する。そして、人の集まっているであろう明かりを見つける。そこへ向かう為、そのまま星の光すら無く、僅かに月明かりが照らす夜にその体を溶かしていった。
これは、一つの真理に気付いた少女と、その少女に興味を持った邪神との物語です。
千の昏き貌を持つが故に、真の自己を意識しなかった邪神が、少女の兄代わりとなり生活していく中で、様々な人々と出会い、人の温かさを知り、唯一無二の自分とは何かを考える物語でもあり、貧しさの中で世界の真理の一面に気付いてしまった少女が、新たに出来た家族と共に過ごし、様々な人と関わる中で、自分にとって本当の幸せの形とは何なのか、と自問し続ける物語でもあります。
そんな二人が紡ぐ物語です。
不定期ではありますが皆様、宜しくお願い致します。