縁結びの神とカイダンニッキ
読後感が悪いので、メンタルが弱っている時にはキツイ話だと思います。
逢魔ヶ時、手入れもされず草が伸び放題になった寂れた神社に、カリカリという炭素が削れる音が響きます。
誰にも使われる事無く朽ちかけた木のベンチに腰掛けて、私は表紙がボロボロになったノートに記録を書き留めました。
正直、ライトがあると言っても、日が落ちた中で記録を残すのは難しいです……。
それでも今のうちに書き切ってしまわなくてはならないという強迫観念に駆られます。煩わしい事に、手汗が滲んできちんと色がついてくれません。
それでも日課となったからには、日記を綴る事を止めたくはありませんでした。
『
今日は予定通りに××神社を訪れた。
××神社に行くためには山道を歩かなくてはならず、車で訪れることもできなかった。寂れてしまったのも頷ける立地だ。
石畳みの間からは雑草が生え、砕けている場所もある。管理者すらいるのか怪しい、こんな場所を訪れる人間がいるのが驚きだ。
いや、だからこそこの場所が舞台に選ばれたのかもしれない。
先日、ネットで見つけた都市伝説の発祥地がどこかを探っていると、物語の舞台となったのはこの××神社だと突き止めた。その根拠は活動日誌に記録した。
地元にある神社が都市伝説の発祥地だと知ってなお調査を行わないのでは、オカルト研究サークルメンバーを名乗れるだろうか? いや、名乗れない。
都市伝説の内容は、この神社には性別を変える神様が現れたというモノだ。
しかし、都市伝説の元になったと思われる異常は何一つも見当たらなかった。詳しい調査結果は活動日誌に残す。
話は変わるが今日は中学校の同窓会である。
もう少し調査を行いたい気持ちはあるが、これ以上は予定に支障が出てしまいそうだ。
今日はこれで切り上げて、後日、もう一度調査に訪れるとしよう。
カナたちは元気だろうか? 連絡は取り合っているが、実際に会うのは久しぶりだ。実に楽しみだ。
』
「ふぅ……」
私は日が落ち切る前に日記を綴り終えた事に満足し、ノートを鞄に入れて立ち上がりました。
本音を言えば今から探索を始めたかったです。ですが、興が乗ると時間を忘れてしまって、同窓会に間に合わなくなりそうなので自重しました。
探索中や日記を書いている途中では気が付かなかった服装の乱れを整えた後、石段を下って帰路に着きます。
その途中、私と入れ違いになるように神社に向かう人影がありました。
「夜野さん?」
「こんばんは、陽くんはこれから探索?」
石段を登ってきたのは同じオカルト研究サークルの同級生の陽くんでした。
陽くんはヨレヨレのジャージに破れかけたウエストポーチといった少々小汚い格好です。しかし、これから雑草が伸び放題になっている場所を動き回ると考えると、妥当な格好だとも思います。
ウエストポーチの中には記録紙の他にも懐中電灯などが入っているのでしょう。夕暮れの視界が悪い中でも、ウエストポーチがパンパンに膨れ上がっているのが見て取れました。
彼は私の問いに頷いて肯定します。
「夜野さんの記録を読んで、僕も調べてみようと思って」
「そっか。嬉しい。でも、それらしきものはなかったよ。私の仮説が間違っていたのかも」
今日の探索ではちょっと自信を無くしてしまいました。
人を性転換させる神様が現れたという都市伝説について調べると、SNSへの書き込みが発端だったと突き止める事ができました。どうも発信者はこの町の住人みたいです。
というのも、女体化させられたと発言したアカウントの主が投稿した過去の写真を漁ると、見覚えのある風景がいくつか写り込んでいたからです。
さらに、神様が現れたらしい神社の特徴についても言及があったため、この町でその特徴を満たす神社を探した結果、この神社に辿り着く事ができました。
でも、実際に訪れてみても、都市伝説の元ネタになりそうなものは見つかりませんでした。もしかしたら、間違った場所に絞り込んでしまったのかもしれません。もしそうなら、何も出てこないのも頷けます。
しかし、陽くんはそんな事ないよと励ましてくれました。
「夜野さんはどういうアプローチで検証したの?」
「私は共感呪術の法則が元ネタじゃないかって当りを付けてたよ」
共感呪術は多くの創作物で使われている概念です。
対象に接触したモノを使って呪いを行う、対象の髪などを使って呪いを行う、似たモノに起こった出来事は別もモノにも影響を及ぼすと言った考えで、有名どころと言えば呪いのワラ人形でしょうか?
人が性転換させられるという都市伝説が生まれたプロセスが共感呪術だと仮定すると、この神社には性転換をイメージさせる何かがあるはずです。
けれど、残念ながらそんなものは見当たりませんでした。
陽くんは一つ頷いて、思案しました。
「うーん……。魔術的なルーツではないか……。もしかしたら、この場所に何か神話があって、それを元にしたのかもしれない」
神話ではしばしば性転換を扱う事があるようです。
性転換を扱った物語がこの神社にはあるのかもしれません。
だとしたら、失敗です。もう少し調べてから調査に来るべきでした。
個人的にはもっと本格的に議論を重ねたかったのですが、時間がありません。
陽くんが私には見つけられなかった資料(写真)を持ち帰ってくることを祈って同窓会会場に向かう事にしましょう
「ごめんね。これから用事があるんだ。また学校で」
「あっ、うん……」
語り足りないのか少し残念そうな表情を浮かべた陽くんに背を向けて、同窓会に向かいます。
それに、せっかくの逢魔ヶ時です。怪異に遭遇しやすいと言われている貴重な時間を無駄にしてはいけません。
陽くんにはしっかりと資料(写真)の収集を進めてもらわなくてはなりませんから。
「頑張ってね! 期待してるから!」
「う、うん」
彼の報告が楽しみで仕方ありません。
彼に手を振って別れを告げると、鳥居の下で彼も手を振り返してくれました。
別れ際、彼の顔は夕焼けに照らされて真っ赤に染まっていました。
――
――――
「おっすおっす、夜野っちおっひさー!」
幹事から送られてきたメールには手羽先屋の住所が添付されていました。
家に戻って着替えてから店に向かったため、少々遅れてしまったようです。当時中学生だった同級生たちは、すでにお酒を飲み始めています。もうそんな年齢かとようやく実感が湧いてきました。
大皿に盛られた手羽先の他に、個人の前に和風料理が並べられており、小さな鍋の下に置かれた蝋燭にはすでに火が入れられていました。
もうお子様ランチを食べるような年齢ではないんだなぁと感慨深く思いながら、受付役の幹事に参加費を渡し、すでに酒が入っている友人の隣に元に向かいます。
「久しぶりー。カナは元気だった?」
「元気も元気ー! 遅いから夜野っちは来ないかと思ったぜー!」
顔を赤くして一人でおちょこを傾けていた友人の隣に座って、とっくりを手に取ります。彼女のおちょこに追加のお酒を注ぐと、カナはそれを一気に喉に流し込みました。
「かーッ! 熱い! もう一杯っ!」
「ちょっと、そんなに一気に飲まないでよ」
遅れたとはいえ、同窓会が始まってから一時間も経っていません。
それなのにカナの顔は既に赤くなっています。度の強い酒を一気に飲みすぎだと思います。
「こんなん飲まずにやってられるかー!」
「そっか」
なにが「そうか」なのかは自分でも分かりませんが、適当に相槌を打ちました。
そういえば彼女の周りには人がいませんでした。皆、友人同士や恩師と会話を楽しんでいる中で、彼女は周りから浮いているように見えました。
早々に酔って、面倒くさがれたのでしょう。懐かしい顔だからといって軽率に近づいたのは間違いだったかもしれません。
「そういえば、ルミはどうしたの? 姿が見えないけど」
面倒を押し付けるために、カナの恋人の姿を探します。けれども、それらしき姿はありません。
ほとんど姿の変わっていない者、異常なほどに背が伸びて、あなた誰ですか? と問い詰めたくなる者、がっつり髪を染めている者……。いくらか懐かしい顔も見えますが、肝心のルミの姿は見当たりませんでした。
(そういえば、夕未くんの姿も見えない……)
ふと頭をよぎり、辺りを見渡しますがそれらしき人物は見当たりませんでした。
ルミを探していたはずが、いつの間にか夕未くんを探している事に気が付く前に、カナに抱き着かれて思考が中断させられました。
「ちょっと、抱き着かないでよ。お酒臭いっ」
「いいじゃんかよー。あと、ルミならショウベンだ。ショウベン」
「食事の場で二回も繰り返さないでくれる?」
私は顔を顰めて自分のコップにビールを注ぎます。
いきなり米酒はキツそうだったので、とりあえずビールをあけました。お酒の力が無いとこのテンションについて行けそうにありませんでした。
コップから溢れ出しそうになった泡を口に含んだ所で、カナがぽつりと呟きます。
「それに、ルミはこっち来ねーと思う。この前、別れた」
「ぶっ!」
「うわ、なんだよキタねーな」
言葉の意味を理解すると同時に思わず吹き出してしまいます。カナに少しお酒がかかりました。
頬に付いたビールを舐めとったカナは、唇を尖らせてブーたれます。
「何でよ! あんなに仲良かったのに! 大学に入った時、養子を男の子か女の子にするか迷ってるって散々惚気てたじゃない!」
「そーなんだけどさ……。何て言うかな。あたしらも昔のままじゃいられなかったんだよ。だからさ、性的に慰めて?」
「あー、はいはい、私は同性愛者じゃないので遠慮しときますねー」
意外と余裕ですねと思いながら、お酌の続きを行います。
カナは付き合っている彼女がいるのによく女の子をナンパしており、嫉妬したルミに脇腹を抓られる光景がよく見られました。
けれども、カナはルミのいない時には決してナンパを行いませんでした。
どうやらルミと別れたというのは本当のようです。
「あたしら以外も変わったよ。もう結婚している奴らもいるらしいし。子供がいる奴らは全員きてない。アカネも子供ができて来てない」
「えっ!? あの子も子供がいるの!?」
よくつるんでいた友人が、すでに子供を産んでいたという事実を知らされて口が塞がりませんでした。
カナは鼻で笑って再びお酒を煽ります。
「あたしも知ったのが今日だった。アカネとは連絡を取り合ってたが、それらしい事は一度も聞かなかった。親の情報網を通して知った奴がさっき言ってた」
「ほぇー」
本当に昔と変わってしまったと思いました。
他にも、彼氏持ち、彼女もちが何人かいるとカナはため息交じりに語ります。
特に、古場くんと瀧原くんが結婚を前提に付き合っていると聞いた時は微妙な気分だったようです。
二人が結ばれれば、カナとルミが至れなかった同成婚の成立です。
養子はどうするかと二人が話しているのを微妙な表情で眺めていました。
「なぁ、夜野っち。夜野っちは彼氏とかいるの?」
「……いないよ」
そう問いかけられて、チクリと胸が痛みます。
一瞬、脳裏に夕未くんの姿がよぎりますが、首を振って追い払いました。
中学時代の片思いの相手。勇気を出せずに、想いを伝える事ができませんでした。
その彼はこの場に来ていません。欠席するという連絡は幹事に行っているのでしょうか? 彼の事が気になっていると感付かれるのが嫌で、幹事に問いかける事もできません。
「……そっか。夜野っちはまだ夕未きゅんの事が気になってんの?」
「うん……。ってちょっと待って」
私はカナの肩を掴んで視線を彼女の目に合わせます。
カナの表情が引きつり、顔から赤みが引いて、一気に酔いが覚めてしまったのが見て取れました。私はそんなに怖い顔をしているのでしょうか?
「夕未くんが好きだって誰にも言ったことが無いんだけど?」
「い、いや、見てれば分かるだろ……? ちょくちょく夕未に視線が行くし、夕未と朝吹が付き合っているって噂が流れた時はずっと機嫌が悪かったし……」
カナの指摘を受けて思わず、地面に手をついてしました。
自分がそこまで分かりやすかったとは思いませんでした……。
「大丈夫だって。夕未は気づいてなさそうだし……。クラスのほとんどは気付いてたと思うけど」
「ダメじゃん!」
夕未くんと朝吹くんが付き合っているという噂が少しずつ無くなったのは、彼らが付き合っているという事実が無かったのもありますが、私から溢れる黒いオーラに周りが引いたからだそうです。
そんなありさまで、夕未くんに私の気持ちが知られていないと思うのは甘い考えでしょう。
彼から何のアプローチもなかったのは、やっぱり好みじゃなかったからでしょうか?
中学二年の頃、夕未くんと朝吹くんが巨乳貧乳論争で本気の喧嘩をしていたのを覚えています。
夕未くんが貧乳派だと叫んだ時は、自分にぶら下がる脂肪の塊を苦々しく思いました。ルミに話すとグーで殴られそうです。
「お、噂をすればなんとやらだな」
「……」
カナの声につられて顔を上げると誰かが幹事と会話をしていました。
私は目にかかった前髪を払って視界を確保します。
「朝吹くん……?」
幹事と話していたのは、夕未くんの親友の朝吹くんでした。
中学生の時から目つきの悪さが変わっていません。そんな彼は、私と同じく遅れての参加です。
それは別にいいのです。いいのですが……。
朝吹くんは見知らぬ女の子を連れていました。彼女は不安そうに、幹事と話す朝吹くんの服の裾を摘まんで後ろに控えています。
おそらく中学生くらいでしょうか? かなり小柄で、お酒の出る場には相応しくありません。
会話を聞き取ろうにも、周りが騒がしくて聞き取る事ができませんでした。
「カーッ! ペッ! 朝吹の奴、彼女連れで来たのかよ!」
「聞き取れるの!?」
カナが憎々し気に朝吹くんを睨みます。
彼女が会話を聞き取れたことも驚きですが、朝吹くんが恋人を連れてきた事にも驚きです。
具体的には胸がです。彼女さんの胸はぺったんこです。巨乳派だと公言していた朝吹くんが貧乳派に鞍替えしていた事にも驚きでした。ロリコンの誹りを受けてもらいましょう。
幹事と話が付いたのか、朝吹くんは少女を連れて会場に入ります。
朝吹くんの彼女と思われる少女はぺこりと幹事に頭を下げて、不安そうに彼の服の裾を握りながら会場に入ってきました。
その光景には既視感がありました。
裾こそ掴んでいませんでしたが、夕未くんは引っ込み思案で、朝吹くんの後ろをちょこちょことついていく小動物みたいな少年でした。線が細く、母性が刺激されて思わず守ってあげたくなる少年です。
彼女の姿が夕未くんに重なり、懐かしい気分になりました。
夕未くんも来ないかなぁと考えながら、ちびちびとビールを流し込みます。
そうしていると、朝吹くんと彼女さんに質問の嵐が飛び交い始めました。
「朝吹お前その可愛い子誰だっ!? 俺に紹介しろ!」
「はっ! お前に紹介する女はいねぇ! こいつは俺の彼女だ!」
「ロリコンきもっ!」
酔っぱらいの叫びに得意げに答えた朝吹くんは、周りから罵詈雑言を並べたれられました。
大半は冗談交じりですが、一部には目が据わっている人もいます。私の隣でお酒を飲んでいたカナもその一人でした。
「よし、あいつシメてくるわ」
「ほどほどにね」
手の骨をポキポキと鳴らしたカナはゆらりと立ち上がり、朝吹くんの元に向かいます。
男連中と、同性愛者の女に群がられて悲鳴を上げる朝吹くんを尻目に、彼から引き離された彼女さんは別のテーブルで質問攻めにあっていました。
面倒くさい人間を朝吹くんに押し付けられたので、私も彼女さんの所に向かいます。
「ねぇねぇ、君、なんて名前なの?」
「えっと、朝吹カナデっていいます……」
「朝吹と苗字が一緒なんだ。朝吹とはどんな関係?」
「ア、アキラとは結婚を前提にお付き合いをさせていただいてます……♡」
「爆弾発言キターっ!? あいつのどこが良かったのっ!?」
会場が黄色い声で満たされます。
会場に入る時はオドオドしていた彼女ですが朝吹くんとの関係を告白するときは、顔を赤らめて体をくねくねとさせていました。
彼女は次々に繰り出される質問に律儀に答えます。
少し信じられないでいましたが、どうやら二人は本当に付き合っているようです。
「カナデちゃんも飲む?」
「あ、いいんですか?」
「ちょっとダメだって。カナデちゃんは未成年でしょ?」
「えへへっ……。だいじょぶです! もう飲めますよ!」
そう言って彼女はごそごそと自分の鞄を漁ります。
何をしているのかと興味津々で見ていると、カナデちゃんは両手で一枚のカードを両手で持って掲げました。
そこに書かれた情報に、私たち一同は目を見開いて驚くことになりました。
「ちょっと待って! もしかしてそれ、運転免許!?」
「しかも20歳!? アタシらと同い年じゃん!」
「合法ロリね……」
「ロリコン死ねっ!」
彼女の年齢が公になると共に、朝吹くんへの追撃が激しさを増した気がしました。
主にカナの罵声が大きくなったような気がします。
「えへへ……。やっぱり大人には見えませんよね……?」
一方、こちらは平和そのもので彼女は屈託のない笑顔ではにかみます。
思わず胸がきゅんってなりました。母性に来ました。この笑顔を守ってあげたいです。
「二十歳なら気兼ねなく飲めるわね! 何がいい?」
「テキーラでお願いします!」
「いきなり度数の高いお酒ね!?」
カナデは意外とイケる口のようでした。迷うことなく度数が高いお酒を頼みます。
初めは不安そうにオドオドしていたカナデでしたが、しばらくすると、まるで旧知の中のようにすぐに皆の輪に溶け込んでいました。代わりに朝吹くんと他の男連中の友情が壊れかけていますが。
終始周りに笑顔を振りまくカナデ。
そんな彼女を少々遠目に眺めていると、一瞬だけ目が合いました。
なぜか、彼女の目が見開かれます。その理由が分からずに首を傾げていると、彼女の唇が動きました。
小声で何かを呟いたようですが、その内容は喧騒に溶けてしまって誰にも聞こえませんでした。
――
――――
「あー、お疲れー様でしたー!」
「またねー」
「おっし、これから二次会に行くぞ!」
「朝まではしごだー!」
中学時代とほとんど見た目の変わらない担任と、中学時代より髪が薄くなった気がする副担任の挨拶を聞きながら、あまり手を付けられていなかった手羽先をひたすら齧るというイベントも終わり、あっという間に解散の時間となりました。
二次会に洒落込もうとするメンバーと、このまま帰宅するメンバーに分かれます。
誰が二次会に参加するのか幹事が聞いて回っていました。
「夜野はどうする?」
「私は帰るよ。もうお腹いっぱいだし、カナを連れて行かないといけないし」
「あたしはまだまだのめるぞー、うぃっ、ひっく、うっ、ぎぼぢわるぃ」
「分かった。また今度な」
カナがわたしの肩を借りながら何か言っていましたが、二人とも聞こえないフリをします。
私たちの他にもこれで帰宅するメンバーは多く、カナデちゃんも帰宅組のようでした。
彼女はこの辺りに住んでいるようで、朝吹くんも彼女を送って帰るようです。
誰からともなく肌寒い夜の街に足を踏み出していきます。
私も足元がおぼつかないカナに肩を貸してその後に続きました。
「あー、ちくしょう、ルミのやつー……。うう……っ」
「はいはい、その愚痴は聞きました。それより、家に帰るまで吐かないでよね?」
カナはまだルミに未練たらたらのようです。
しばらくしたらまたルミに言い寄るのではないでしょうか。
二人の友人としては、元の鞘に収まってくれると嬉しいのですが。このままでは少々気まずいので。
「じゃあね。おやすみなさい」
「おやず……、うっ……」
カナを家まで送った所で、彼女が突然口元を押さえました。そのままよろよろと家の中に戻っていきます。
心配になって中を覗くと、洗面所で盛大に嘔吐しているようでした。
少々、片付けを手伝ってから私は帰路に着きました。
「私はこれで。おやすみなさい」
「あ、ありがと……。おやすみ……」
まだ顔が青いカナに手を振って再び夜の街に戻ります。
普段はこんな夜中に出歩くことが無いので、イケナイ事をしているようでちょっとテンションが上がってしました。
お酒が入っているためか、知り合いがいなくなったためか、いつもとは違う行動をしてみたくなります。
少し遠回りになりますが、中学時代に使っていた通学路を使って帰る事にしましょう。
懐かしさに浸り、鼻歌を歌いながらの帰宅です。
夕未くんに会えなかった事がちょっぴり残念でしたが、概ね上機嫌で帰宅している途中の事です。人気のない公園に、見覚えのある影がありました。
「朝吹くんとカナデちゃん……?」
二人は寂れた公園のベンチに腰かけています。二人の姿は街灯に照らされて目視できますが、二人からはこちらが見えていないようです。
お酒を飲んで気が大きくなっていたからでしょう。私は惚気話をネタに朝吹くんをからかうために聞き耳を立てる事にしました。鼻歌を止め、足音を殺してそろそろと二人に近づきます。
「なぁ、カナデ。大丈夫か? ちゃんと楽しめたか?」
「うん。みんな優しくて、すぐにわたしを受け入れてくれたし。それよりも、アキラの方が辛かったんじゃないの?」
カナデちゃんはニヤニヤと笑いながら朝吹くんに問いかけます。
朝吹くんはずっと嫉妬の視線に晒されていましたからね。カナデちゃんは色々なやっかみを受けた朝吹くんをからかいました。
朝吹くんは顔を赤くしながら対応に困っています。カナデちゃんはクスクスと笑いながら彼の反応を楽しんでいました。
しかし、カナデちゃんはふと真顔になって言いました。
「なぁ、朝吹。せっかく二人っきりなんだ。昔みたいにさ、僕の事は――夕未って呼んでくれないか?」
…………は?
思考が停止します。カナデちゃんが何を言っているのか、ちょっと意味が分かりません。
ほらカナデちゃん。朝吹くんも驚いて固まっているじゃないですか。冗談はやめてくださいよ……。
朝吹くんは視線を彷徨わせていましたが、おずおずと頷きました。
「……そうだな。それもそうか。夕未」
「……うん♡」
カナデちゃんは嬉しそうに頷きます。
何で? 何で朝吹くんはカナデちゃんの発言に戸惑わないの……? まるで、以前から聞かされていたような……。
カナデちゃんは朝吹くんの身体に寄り添います。
朝吹くんはそれが当たり前だというように、恥ずかしがる素振りを見せませんでした。
「今日は楽しかった。でも、もう夕未カナメはもういないって実感しちゃった。あの神様にこの姿に変えられても、まだ僕は夕未カナメだって思っていたのになぁ」
「……辛かったか?」
「……少し。でも僕は大丈夫だよ。だってアキラが覚えていてくれるもん」
「それにしては浮かない顔だな」
カナデちゃんは朝吹くん手に指を絡ませます。まるで、恋人のような仕草でした。
いえ、二人は恋人でしたか。
何もおかしい事はありません。おかしい事はありませんが……
ふと、調べていた都市伝説が脳裏によぎります。性別を変える神様が現れるという噂です。
都市伝説なんて、ただの噂です。本物の物語なんて聞いたことがありません。
それが何かを理解すると発狂してしまう妖怪「くねくね」は、出没場所の設定から蜃気楼と熱中症が同時に起こったものと等と推測できます。マスクを取ると口が耳元まで裂けている「口裂け女」は、山を超えて恋人に会いに行く女性が、荒事から身を守るために怪奇な格好をした件などが元になった等と推測されます。
だから、性転換を行う神様についても、元ネタがあるはずです。決して、本物が実在してはいけないのです。
でも、二人は本当に神様が当たり前のように話していました。
「……同窓会に初恋の人がいたんだ。目が合ったらちょっと動揺しちゃた。でも今は、好きっていうのと違って……。なんだろう。過去の憧れと出会って懐かしくなって、夕未としてお話しできなかったのが、ちょっと寂しかったというか……。あっ……、い、今は朝吹一筋だからなっ! 浮気じゃないから! か、勘違いするなよっ!」
「……ああ」
カナデちゃんは、朝吹くんが仏頂面になっている事に気が付くと、ぱたぱたと手を振って必死に取り繕いました。
そして、あーうーと何か唸ったかと思うと、いきなり朝吹くんの唇を奪います。
「――っ!?」
朝吹くんは突然の事に顔を赤くしていましたが、同じく恥ずかしそうにしているカナデちゃんを抱きしめてキスを受け入れました。
舌まで入れて、何度も何度も唾液を絡ませ、ここまで聞こえてきそうなほどに熱く互いを求め合います。
そして、呆れるほどの時間愛し合い、ゆっくりと唇を離すと二人の間を銀糸が伝い落ちました。
二人はしばらく見つめ合っていましたが、突然我に返ったのかカナデちゃんがぐしぐしと口を拭いました。
「――っ! と、とにかく! これが僕の気持ちだからな! 今の僕はお前の子供が生みたい気持ちでいっぱいだ! これ以上、何か言う事は無いかっ!?」
かぁっと赤くなり、爆弾を落とすカナデ。
朝吹くんは目を逸らしながら答えます。
「……。お前、飲みすぎだ……。キスが酒の味だった……」
「今、それ言うっ!?」
朝吹くんがヘタレました。顔を赤くして顔を逸らせます。
カナデちゃんはつんっと横を向いて拗ねてしまいました。これは全体的に朝吹くんが悪いです。女の子に恥を掻かせてはいけません。
「その……、すまん。俺も愛してる」
「……。僕のどこが好き?」
「あ、いやその……」
「僕のどこが好き?」
頬を膨らませて、にじり寄るカナデちゃん。
ヘタレ朝吹は視線をあちこちに飛ばしますが、視線に気圧され、観念したのかため息をついて口を開きます。
「そのだな……。隣にいるだけで安心する。一緒にいて沈黙が苦にならない。俺が他の友人と話していると嫉妬するのがいじらしいし、からかったときの反応が面白い。恥ずかしい事があると照れ隠しにもっと恥ずかしい事を言って自爆するのが面白いし、趣味も合う。休日にだらだらとダベっているだけで充実する。あと、ちっこくて動きが小動物っぽくて頭を撫でたくなるし、それから――」
「……バカっ!」
「理不尽だなっ!?」
耐えきれならなくなったのか、カナデちゃんは朝吹くんの脇腹をグーで殴ります。
悶絶して地面に倒れた朝吹くんに追い打ちをかけるためか、彼女は彼のお腹の上に馬乗りになりました。
そして、手のひらを朝吹くんの太ももに這わせます。
「あー、もうっ! 僕だけ恥ずかしい目に合うのは理不尽だ! 朝吹もこの気持ちを味わえばいいんだ!」
少しずつカナデちゃんの手つきが妖しくなってきました。手のひらがゆっくりと朝吹くんの足の着け根に向けて動いていきます。
「ちょっ、お前っ、これはシャレにならな――」
「何っ!? やっぱり僕じゃダメなわけっ! お前は巨乳派だもんな! どうせ僕はぺったんこですよーだっ!」
カナデちゃんは泣きそうな顔で叫びます。
涙を浮かべて朝吹くんに顔を近づけますが、その際に腰が浮いて拘束は緩くなってしまいました。
朝吹くんはその隙を見逃さず、カナデちゃんを組み伏せてしまいました。
「……ひとまず落ち着け」
上下が入れ替わった二人。
けれども、朝吹くんはこのままカナデちゃんを押し倒す事はせずに、服についた砂を払ってゆっくりと立ち上がりました。
「むー……」
「あー、なんだ。お前、酔ってるだろ……? 俺の家の方が近い。今日は泊ってけ」
「……。それって……♡」
仏頂面を浮かべるカナデちゃんを見かねたのか、朝吹くんは頭を掻いて、ぶっきらぼうに言いました。
次の瞬間、カナデちゃんの表情がぱぁっと明るくなりました。
「ふふっ! 子作り、子作り♡ 朝吹と子作り♡ 久しぶりの子作りだぁ♡♡♡」
「お、お前……っ、大ぴらに口にするな……っ! 明日の朝、恥ずかしさで悶絶するやつだな……」
「何してるのー!? 早く行こ♡♡♡」
「分かってる! あと、きちんと避妊はするからなっ!?」
「……♡ 朝吹、ヤル気満々♡」
「……」
私は二人が暗闇に消えていく光景を、力なく眺める事しかできませんでした。
一人残された私はとぼとぼと帰路に着きます。
「はぁ……、叶わぬ初恋かぁ……」
カナデちゃん――いえ、久しぶりに会った夕未くんは朝吹くんと恋仲になっていました。
都市伝説が実在しているだなんて、考える事も馬鹿らしいですが、二人っきりで嘘を交えて会話をする必要がありません。
都市伝説は実在し、その登場人物は夕未くんだと考えていいと思います。
(それに、カナデちゃんには夕未くんの面影があった気がする)
酒場で感じた既視感を思い出すと、その馬鹿馬鹿しい考えもストンっと胸に落ちました。
ちょこちょこと朝吹くんの後ろをついて行く姿が昔の夕未くんの姿と被ります。
二人は中学時代から仲のいい友達でした。
男女間のカップルの他、男同士、女同士のカップルが誕生する中で、彼らは最後までただの友達だったように思います。
それなのに今は恋人同士という関係に……。
何でしょう。この徐々に力が抜けていくような喪失感は……。
夕未くんには想いを伝える事もしていませんでした。だから、私がとやかく言う権利はないと思います。ええ、それは分かっています。
けれど、胸の中から感情がごっそりと抜け落ちて、空っぽになってしまいました。無気力感で何もする気が起きません。
同窓会では、誰々が結婚しただとか、付き合ったりしただとかいう情報が飛び交っていました。
あの場には、片思いをしていた人が、手の届かない場所に行ったのを知った人もいた事でしょう。彼ら彼女らもこんな気持ちを味わっていたのでしょうか? それでもお酒の力を借りるなり、友達と話すなりをして気を紛らわせていたのでしょうか?
「みんな、強いな……」
私にはとても耐えられそうにありません。
いつの間にか、ぽろぽろと涙が零れてしまっています。
ええ、自業自得です。この悔しさと後悔は想いを伝えなかった私の怠惰が招いた報いです。
この想いは早く忘れてしまうべきです。
それが、お互いのためになるはずです。
でも……。こんなの納得できる訳がないじゃないですか。
夕未くんに彼女ができたのなら諦められました。
夕未くんに彼氏ができたのでも諦めがつきます。
でも実際には、夕未くんが女の子になって、朝吹くんと付き合う事になりました。
夕未くんも、朝吹くんも、二人とも異性愛者のはずでした。いくら仲がいい友達だからって、結ばれる事は無いはずでした。
それが、神様なんてモノのいたずらで、結ばれてしまうなんて……。
意味が分かりません。理解できません。理解したくありません。
人の世の理の外から、ルールを無視した存在が、散々引っ掻き回した結果が夕未くんの消失だなんて、納得できる訳がありません。
私は、私は――
気付けば、いつの間にかベッドの上で眠っていました。
考え事をしている間にも、体に染みついた習慣が、就寝の準備を刺せていたのでしょう。
私はこれからの事を考えます。
考えて、考えて、考えて……。そして、日が昇るまで考えて……。
そこまでやって、ようやく決意を固める事ができました。
「……よし、決めた」
私はベッドから飛び上がって机に向かいます。
ほとんど翌日と言ってもいい時間ですが、習慣は続けていかなければなりません。
日記を取り出し、ペンを走らせ、いつものように記録を残します。今日の気持ちを決して忘れないように……。
――
――――
「陽くん! この前の神社の調査はどうだった?」
週明けの大学で、なかなか身の入らない講義を終えた後の事だった。
オカルト研究サークルの部室でダラダラとネットサーフィンをしていると、部室の扉が勢いよく開けられ、声をかけられた。
立っていたのは数少ないサークルメンバーの一人である夜野さんだった。
彼女は走って部室に来たのか息を切らせており、開きっぱなしの鞄の中には教科書類が乱雑に詰め込まれている。急いでここまで来たのは明確だ。
「どうしたんですか? そんなに息を切らせて」
「何でもない……。それより、何か分かったの?」
「えっと……」
僕は彼女の剣幕に押されて、先週の調査結果を取り出した。
調査で見つけたのは古い書物だ。持ち帰ってくるわけにもいかないため、内容を写真に収めた所で先週の調査は切り上げたのだ。
僕は印刷したそれを夜野さんに差し出した。
「神社で見つけた書物。まだ中身は見ていないけど、くずし字で書かれていたし、それなりに古いものじゃないかな?」
「ありがとう! ちょっと用事があるから借りていくよ!」
「あっ、矢野さん!?」
彼女はひったくるように資料を受け取ると、そのまま部室から飛び出していった。
その際に開いたままになっていた鞄から一冊のノートが零れ落ちた。
彼女はノートを落とした事には気が付かなかったようだ。
走り去っていく背中に声をかけるも、気が付いた様子はなかった。
「……」
僕は手元に残ったノートに視線を落とす。
矢野さんのノートの表紙には何も書かれていない。何のノートなのかと好奇心に駆られた僕は表紙に手をかけてページを捲った。
「これ、日記? でも変な感じ……」
開いたページは土曜日の日付になっていた。
そういえば、この日は用事があると言っていたけ。軽く読んでいると、どうやら同窓会があったと分かる。
夜野さんも酔っていたのだろう。字が汚く、文も不自然で読みにくい。普段なら漢字で書くような部分がひらがなになっていたり、ノートの端に意味のない鉛筆の線が何本か伸びていたりと、何かと雑な仕上がりだ。
他にも、消しゴムの跡が延びてほとんど読めない場所まである。
講義の途中に睡魔に襲われ、それでも精一杯眠気に抗って完成させた時のノートのようだ。
ひとまず、比較的に読みやすいところだけ眺めてみる。
『
絶交するってどんな気持ちなのだろうか?
次に合うのはいつになるのか分からないけど、それでも二人は友達だ。
沢山遊んだのだ。カナやルミとは。
いつもみたいに笑い合える関係になればいいな。
人間関係の拗れなんて私たちには 関係ないと思ってた。
うぬぼれが強かったのかもしれない。
バイバイと手を振った友人の気持ちは碌に分かっていなかったんだと思う。
胃を空にしたこの友人は私が思うより傷心だったのかもしれない。
とにかく、しばらくは様子を見る事にしよう。
ルミとカナの関係をよくするために頑張ろう。
』
どうやら、友人が交際相手と分かれてしまったらしい。
どうも文が不自然な気がしたが、酔っている時に書いたんだと納得して、前のページに手をかける。けれども、ピタリと手の動きが止まった。
「もう止めよう……」
今更ながらに罪悪感がむくむくと湧き出してきたので、僕はノートを優しく閉じた。
人の日記を勝手に覗くなんて間違っている。
彼女もいい気分はしないだろうし、僕も嫌われたくない。
僕は中身を見なかった事にして、ノートを返すために彼女の後を追った。
最後は縦読み。