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「…………は?」


 リクが切り出した言葉に、キーボードを叩いていた音が止まる。

 ハルから発せられた声は、若干一オクターブ分は低かったように思えた。

 キィっと椅子が回り、ハルがリクの方に向き直る。



 今日はじめて視線が合う。

 こんな目をしていただろうか、ふいにリクが思う。

 まだ自分が見上げていた頃の兄は、太陽の光を涼しげに流す、水晶玉みたいだと思ったことがあった。

 だけど今目の前にあるそれは、まるで日が差さない森の中の泉のように深く濁って見える。


「あ、いやあの、俺だけじゃなくて、俺らっていうか、あの、ゲームの……その」


 リクが慌てて訂正しようとするが、予想外の反応に挙動不審に挙動不審を重ねる始末だった。


「ゲーム?」

「そ、そう、ゲーム。コードハントっていって、俺の高校で流行ってるんだ。

 流行ってるというか流行ってたというのか、また流行ってっていうのかわからないんだけど、それでそのゲームのネイビスのプレイヤーが切り裂き魔に脅迫されて襲われて」

「おい」

「だけど俺は脅迫って言ってもみんなとは逆で。

 あ、でも狙われたのは俺じゃなくて友達なんだけど、その友達の写真もあって。

 で、でね、放っておこうって思ったんだけど、その友だちがライトの下敷きになって、それでそれで」

「……おい」


 いつの間にかハルはデスクに頬杖をついていた。

 表情に変化はなくても、その様子で呆れているのが分かる。


「落ち着け。まったく分からん」

「へ?」


 緊張からか、喋り出した途端にヒートアップし過ぎたようだ。

 呆れたハルとは真逆に、リクは身を乗り出して拳まで握りしめ、頭に浮かんだ出来事を手づかみで取り出して力説していた。

 若干息切れして、手に汗を握りながら。


「いいから落ち着いて、はじめから話してみろ」

「えっと……」



 ハルの冷静な言葉に、リクはこの数日間のことを話す。


 相変わらず要領の得ない話し方だったが、それでも友人の身に起きたことと、これから起こるであろう危険のことを、リクは兄に何とか伝えたかった。

 しかしハルは、既にリクからデスクのモニターに目を移していた。

 リクに背を向けて相槌一つ打たず、耳に差しっぱなしのイヤホンのコードを細い指にからませている姿を見て、まるで大きい独り言でも喋っているようにさえ思えた。


 それでも話すのをやめなかったのは、そんな兄の心のほんの一欠片でも、自分の方に向いていると信じていた、いや、信じたかったからかもしれない。


「……それで、打つ手がなくなっちゃったから、兄貴に、その」


 結局大体のあらすじを話し終わっても、兄は一つも反応しなかった。

 自分なりに上手く伝えられたと思うが、段々と自信がなくなり、まるで聞こえている素振りを見せない兄の背中にかける言葉が、尻すぼみになる。


「あ、兄貴?」


 モニターを見つめる兄の顔に画面の光が反射して、青白い顔が更に白く人間味を奪っていた。

 聞こえているのか心配になって、リクが恐る恐る声を欠けてみる。


「何?」


 が、ほとんど口を動かさずに、短く返されただけだった。


「何って、だから、兄貴に助けてほしいんだけど」

「助けるって?」


 同じように言い返される。


「だから、その……」


 なぜか泣きそうになるのを、リクはぐっと堪える。

 自分の気持ちが伝わっていないのだろうか。

 ここまで、この場所に来るまで、どれだけ勇気がいたか、兄は知っているのだろうか。

 昔だったら顔を見ただけで、自分の気持ちなんて簡単に汲み取ってくれたのに。

 そんな気持ちが溢れそうになる。


「俺にどうしてほしいんだ」

「えっと……その」


 姿勢を変えないまま、ハルが問う。


「その切り裂き魔が誰か特定するか? 

 それとも仕返しでもするか? 

 捕まえたいのか? 

 お前たちの身の安全を守るの?  

 それとも、ゲーム自体をなくして欲しい?」


 まるで録音でもしていたかのように、抑揚なく淀みなく、矢継ぎ早にハルの口から言葉が出てくる。

 その問いに気圧されながらも、一応自分の話は通じていたのだとリクは安心する。

 それに、この問いに関する答えなら既にリクの中で出ていた。


「俺は、友達を守りたい」


 自分のせいでミズキが傷ついた。

 そしてこれからも、危険な目に遭うかもしれない。

 リクにとって一番怖いのはこのことだった。


「だから兄貴……」

「なら答えは簡単だ」

「え?」


 切りだされた言葉に、思わず立ち上がりそうになる。

 膝の上で握りしめていたこぶしは、既にじっとり汗をかいていた。


「どうすればいい?」


 リクが兄の背中に問いかける。

 その背中は呼吸もしていないんじゃないかと思うくらい、微動だにしていない。


「ゲームをやめろ」


 事も無げにそう言われる。


「……え?」


 聞き間違えかと思ったリクの言葉が一瞬詰まる。


「ゲームをやめろ。で、警察にでも行けよ」


 聞き間違えではなかった。

 ハルの言う言葉は予想外のことが多かったが、それは自分が知らないことについてだった。

 まさかリクに考え出せた答えを、そして諦めた答えを出してくるとは思わなかった。


「だ、だけど警察に行ったの分かったら、また俺らが狙われるかもしれないだろ?」

「ゲームのことを話せよ。そうしたらお前たちを脅してる奴を特定してくれる。

 実害が出たんだろ? 

 だったらさすがにそのまま放っておくってことはしない。

 その後のことだって、色々と任せておけば上手くやってくれるさ。

 そもそもそれが警察の仕事だろ。俺の仕事じゃねぇよ」

 

 まるで興味が無いようにハルが言う。

 協力をしてくれないということもショックだったが、それよりも、リクが抱える不安や焦りに対して、関心を示さないことに対して、リクは心臓が締め付けられるようだった。


「でも犯人見つけるまでに時間がかかったら? 

 その間、俺ら狙われ続けるんだよ。

 それに、ゲームのことは、その、警察とか学校には……内緒だし」

「今更学校が云々とか言ってる場合か? 狙われてるなら尚更だ。

 それに切り裂き魔をどうにかしなきゃいけねぇっつぅんなら、俺だって時間がかかる。

 その間お前たちが危険なのは変わらないだろ。

 プロに任せておけよ、そういうのは」

「………」


 なんとか食い下がってみるが、一層興味が無さそうな声で簡単に返されてしまう。

 それに、ハルは間違ったことは言っていない。

 リクは言葉を失って、うつむいてしまう。


「協力は、してくれないのか?」

「たった今助言してやっただろうが」


 なんとか出したリクの言葉にも、にべもない言葉が返ってくるだけだった。


 同情してもらうために兄に会いに来たわけではない。

 だがもっと、別の答えをリクは期待していた。

 具体的な案などなくとも、一緒に考えてくれたり、リクのために何かしてくれると思っていた。

 彼自身、急に押しかけておいた身分でありながら、随分勝手な期待だと思ってはいた。


 だがハルに対して、失望と、そして怒りに近いものを感じざるを得なかった。


「分かった。……もういい」


 これ以上ここにいても、期待しているものは帰ってこないとリクは感じ、荷物を持って立ち上がる。

 なにより、リク自身に対して関心を示さない言葉を続けるハルと、これ以上一緒にはいれなかった。


「警察に行くのか?」


 ハルが視線だけこちらに向ける。

 だが、今度はリクはそれに背中を向ける。


「行かない」


 ハルを頼ることが出来ないと分かった以上、もう自分でやるしか無い。

 リクの目の前でミズキが怪我をした。

 あの時間違いなく、彼は自分の心臓と呼吸が止まったのを感じたのだ。

 もう一度繰り返すわけにはいかない。


「ミズキは俺が守る。ゲームはやめない、絶対に」


 具体的なことなど考えていなかった。

 だが自分を否定されたことによって、たとえ兄でもこれだけは譲れないと、

 リクの中で固い決心が出来た。


 ハルがさらに続ける。

「お前のその決断が、大事な友だちを傷つけることになってもか」

「少なくともゲームを続けている限り、俺らを脅迫した奴には襲われないんだ。

 他のことは……なんとかする」

「なんとかってなんだよ。軽率極まりない」


 だからここに来たんだよ。でも、それに応えてくれないじゃないか。


 そう言いたいのを、リクは唇を噛んでぐっと我慢した。

 彼の後ろでキーボードを叩く音がする。

 兄はもう自分の方を見てもいないのだろう。リクは背中で感じた。


「兄貴。怪我したのがミズキじゃなく俺でも、同じ事を言った?」


 口に出してから、リクはほんの少し後悔する。

 今自分で兄に頼らないと宣言したのに、心のどこかで期待をしている自分が嫌だった。


「誰だって同じだ」


 だが間髪入れずに答えたハルの言葉は、その期待をもう一度打ち砕いた。


(誰だって、か)


 再び強く唇を噛む。


(俺はもう『弟』じゃなくて、『その他大勢の一人』なのか)


 それがリクには、すごく悲しかった。


「変わったんだな、兄貴」


 ついハルを責めるような言葉が出てくる。

 そんなことを言ってどうするんだ、とリクは自分を責めながらも、僅かに震えながら出てくる言葉は止まらなかった。


「昔は、そんなこと言わなかった。話だってちゃんと聞いてくれた。

 俺の方を向いて、一緒に考えてくれた。傍で俺のこと、ずっと守ってくれてたのに」

「………」


 何も言わないハルの顔を見るのが怖かった。

 コンピュータの動く音だけが、冷えた部屋の中に響いている。


 自分はやっぱり、自分に向けた言葉を期待しているのだと、その静寂の中でリクは思った。 

 しかし結局、その冷たい静寂をハルは破ることはしなかった。


「もういい」


 再びリクが言う。

 今度は自分にも向けた言葉だった。


 もうやめよう、と。


「邪魔してごめん、兄貴。おやすみなさい」


 リクはそのまま振り返らずに、玄関に向かう。

 正確に言えば、怖くて振り返ることが出来なかったのだが。

 

 結局ハルの元に来ても収穫はなかった。

 ただ一つだけ、自分たちを、ミズキを守るためにゲームを続ける。

 その決意をはっきりと確かめることが出来た。


 



 ハルは一人残された部屋の中で、リクが出て行った玄関に目をやる。

 そしてやがて、ぎっと音を立てて椅子によりかかり、天井に顔を向けて目を軽く瞑った。

 コードを引っ張ってイヤホンを外した彼の耳には、いつもと変わらず鬱陶しく雨の音が響き続けている。


(『昔はそんなこと言わなかった』、か)


 リクが言った言葉を思い出す。


「自分だって随分と、昔とは違うことを言うようになったじゃないか」


 ハルの独特な無機質な声質に、少しだけ感傷が混じる。

 もっともそれがリクに届くことは無いのだが。


「さて」


 軽く身を起こして携帯端末を手に取り、一つのアドレスを画面に映す。

 通話ボタンを選択すると画面に白いライオンが表示され、ガオガオと楽しそうにハルに向かって口を開閉する。

 たった二度目のコール音の途中で、早速相手につながった。

 早すぎる相手の対応にも慣れたもので、挨拶もなしに用件を告げる。


「アキか、帰る途中で悪いんだが………」


 その日、ハルの部屋のモニターが消えることはなかった。

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