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1-7

 リクの兄、ハル。


 彼についてミズキに話したことに嘘偽りはない。

 リクにとって兄は最も大事な人であり、最も尊敬する人物だ。


 『最も』というのは、誇張でも何でもない。

 学校や本で扱う、どんな英雄や偉人よりも、兄は尊敬に値すると彼は思っている。



 自分たち家族が、世間一般と比べて少し特殊だということは、リクも幼いころからなんとなく感じていた。

 父親は日本人であったが、母親は様々な血が混ざった人間であったためか、国や地域というボーダーラインをよく知り、そしてそれを超えることを苦としなかった。

 そんな両親の仕事のため、彼ら親子は国内外問わず飛び回り、やっと日本に家を買って腰を落ち着けようということになったのが、今から五・六年前。


 しかしその前後で変わらなかったのは、激務の両親と、彼らの代わりに家事全般を担い続けた兄だった。


 平日にかぎらず、誕生日やクリスマス、正月といったお決まりのイベントですら、家族4人が揃ったことを思い出すのは難しい。

 リクが思い出す両親は、たまに帰ってきては「いつもごめんね」と謝り、そしてその日思いっきり甘やかすと次の朝早くにはもう姿を消している、そういう二人だった。


 周りから見たら寂しい家庭だとか思われそうだが、別段そういうことはなかった。

 物心ついた時からそれが普通だったし、両親に愛されているという自覚もあった。

 不満があるとすれば、自分たちはその中で自分たちなりに支えあって暮らしているのに、外から『普通』を押し付けられることが度々あったことだろうか。


 勿論、リクも周りの家族と違うことに疑問を持つことがあった。

 だが両親の仕事は色んな人を救うものであり、自分たちとあまり一緒に入れないけれど、その時間が長ければ長いほど、たくさんの人が救われているのだ。兄はよくそう言っていた。


 両親に代わって全ての家事を一手に担っていた僅か一つしか違わない兄は、それを自らにも言っていたのか、両親にもリクにも、覚えている限り一度も不平不満を口に出さなかったと思う。


 毎日の炊事洗濯掃除は勿論、イベント事のごちそうやプレゼントまで、他の家とは遜色ないほど、むしろそれ以上にリクの世話を焼いた。

 病弱気味だった幼いリクの傍に寄り添い、外に出ることができず暇を持て余す弟のため、ハルは古今東西流行りの歌から聖歌まで、ピアノを弾いては歌を歌って楽しませてくれたりもした。

 そのくせ学校では勉強も運動も常にトップで、リクの担任でさえ、彼ではなくハルを褒める始末であった。


 比べられることを不快と思ったことは一度もない。

 むしろリク自身が褒められる以上に、ハルが褒められることが嬉しかった。

 比べることなんて、考えたこともない。


 そんな兄が、周りと比べて明らかに弱虫で愚図な弟のそばに、ずっといてくれた。

 リクにとって一番近くにいながら、雲の上にいるような存在、それが兄のハルだ。




「……はぁぁ」

 それなのに、その兄に会いに行く足が重い。


 バスに乗るほどではないが歩けば三十分ほど、しかも雨の日ということもあり、歩いている時間がリクにはかなり長く感じられた。

 どこか人目を避けるように建てられた簡素なアパートの二階を下から見るが、ハルの部屋には電気が点いていない。


「まだ帰ってないのかな」 


 リクが傘から雨水を垂らしながら階段を登り、扉の前に立つ。

 そして一瞬の躊躇いの後に、少し震える指でインターホンを押す。

 部屋の中にインターホンの音が響くのが聞こえるが、それ以外は何も聞こえない。


 やはりまだハルは帰っていないようだ。


 リクは残念だと思うのと同時に、安堵感が心の底に滲むのを感じた。

 それを振り払うように軽く首を振り、扉を背に寄りかかる。


「久しぶりだな、兄貴と会うの」


 リクがぽつんと呟く。

 


 四ヶ月ほど前、ちょうど中学生も最後の時期に一度だけ、彼はハルと会った。

 兄がリッパーズ・ストリートの事件を調べていると知ったのはその時である。

 小さな事件だったが、どこから集めたのか一介の高校生が持ち得ないデータと、それをまるでパズルを解くかのように組み合わせ、いとも簡単に予想し得なかった真実を導き出した。


 彼がリクに見せたデータや洞察力は、おそらくほんの一部だろう。

 リッパーズ・ストリートの事件について、兄の持つ情報と知識。

 これがあれば、今回の事件を解決する糸口を見つけられる。

 否、例えなんの情報もなかったとしても、あの兄ならば何らかの回答を導き出す。

 まるで小説やドラマの中の探偵のように。


 そう考えたのだが。


「……久しぶり、だなぁ」


 リクの表情は浮かない。


 考えてみれば、リクはその時から兄に会っていないことになる。

 つい四年前までは、当たり前のように、いつだって一緒にいたのに。

 目の前にはいつだって、兄の背中があったのに。

 手を伸ばして飛び込めば、いつだって真正面から受け止めてくれたのに。


 四年前のある事件を境に、兄は変わってしまった。

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