5-9
「うん、確かにね。
俺、難しい問題は嫌だと言ったよ?
……言ったけどさぁ」
いつものコードハントだったら、回答が正解の場合、すぐに次の問題が送られてくるはずなのに、第八問目がリク―『Luis』宛に送られてきたのは、翌日の放課後だった。
不安にまみれた心境でメールを開いたリクは、そのまま数秒間固まり、問題文の書かれた画面をミズキの方に向けてから、気の抜けるような音を喉から出して机に突っ伏す。
何事だと、その画面を頬杖をついたまま覗き込んだミズキは、ひくりとその頬を引きつらせる。
「お、おう、これは……。
難しい問題ではないけど。
……難しいな」
画面を見て、リクが突っ伏したくなる気持ちを十二分に察したようだ。
第八問目として送られてきたのは、とある風景写真だった。
つまり、今回はコードサーチ。
この場所に隠されたコードを探せ、という指令だ。
問題は場所だった。
難しいわけではない。
むしろ逆だ。
見た瞬間に、リクでも特定できるほどに分かり易い。
場所は陽光学園の中。
手を広げたら両端に届きそうな、タイル張りの細い通り道。
その左手には緑色のタイル。右手側は幾つもの木のドアが並んでいる。
タイル側には二組の鏡と手洗い場。
細長い部屋の奥からは、広い校庭が見える。
「女子トイレ、だよなぁ。
これ、どう見ても」
男子二人が頭を抱えて嘆いているのは、問題が難しいからではない。
この未知の領域に到達することが、非常に難しいのだ。
「えーと、正面の窓からグラウンドが見える。
……ということは、この校舎だねぇ。
で、地面近いってことは一階か。
今回は、ピンポイントで正解できるくらいに分かり易いな」
写真の窓に映ったグラウンドをミズキが指で突く。
容易く答えを導く友人に、リクは顰め面を見せる。
「んなこたぁ、俺だって分かるよ。
問題はどうやってここに行くかってことだよ!
こんなところ探していたら、『Ripper』より先に、俺らが警察に捕まっちまうぜ」
「だよなぁ」
「あ、そうだミズキ。
お前、陽光出身の姉ちゃんいるって言ってたよな?
なんとか頼み込んで、この場所のコード探してもらうとかできないか?」
リクの提案に、ミズキが首を横に振る。
「残念ながら、姉貴は現在体調不良により、絶賛入院中」
「そっかぁ。それじゃ無理言うわけにはいかねぇな。
ぐむむ……」
男二人が苦悶の表情をしていると、彼らの背後から軽い声がかかる。
「あらやだ。
りっくんたら、また人一人絞め殺したような顔しちゃって。
どしたのぉ?」
何か良いことがあったのか、スキップで教室に入ってきたクラスメイトの女子だった。
茶色く染めた髪を肩まで垂らした少女は、黒いシャツの上に羽織った薄いピンクのカーディガンを翻しながら二人に近づく。
髪留め用の輪ゴムやらシュシュを幾つも巻きつけた腕を重力に任せて振りながら、きつめの化粧を施した大きな目で二人を愉しそうに見ていた。
クラスメイトの、特に女子はリクのことをりっくん、と顔に合わない可愛らしいあだなで呼ぶことが多い。
「殺してねぇよ。
人を顔で判断するなって言ってんだろうが」
「ね、ね、何か楽しいことしてるの?
もしかしてコードハント?」
「……イオリさんや。人の話を聞いて下さらんかね」
今の二人を見て、どうして楽しいことをしていると思ったのか。
矢継ぎ早のハイテンションで話しかけてくるイオリだったが、彼女はある意味でリクの恩人でもある。
入学当時、彼らは席が隣同士だった。
明らかにカタギではない顔のリクを刺激しないように生きるイオリと、何もしていないのに避けられ続けて孤高という名の傷心独りぼっちを貫くリク。
日に日に高くなっていくその壁をぶち破ったのは、場を和ませようと「イオリって男の名前だろ」とリク本人は豆知識程度のつもりで笑って言った言葉を、馬鹿にされたと感じて激高したイオリの拳だった。
その後のあまりにヘタレな対応に、リクの内面を知ったイオリが、「りっくん」と可愛らしいあだ名で呼び、時にからかい、時に世話を焼く関係となったのがきっかけで、リクはクラスメイトに馴染むことができた。
と、イオリ自身は覚えていないような恩がリクにはあることから、どうも彼女を無碍にはできないのだ。
ネイビスについて頭を悩ます二人に、理解不能な思考回路できらきらと目を輝かせるイオリにも、リクはただげんなりと返すだけだった。
もちろん彼女はまったく気に止めず話を進める。
女子高生らしい好奇心を隠そうともせずに、彼女は二人に詰め寄った。
「ネイビスでしょ? でしょ?
あははー、まだやってるんだね。
あたしも含めて他の子達は、結構リタイアしちゃったのに」
「あぁ、それってもしかして」
イオリの言う『ゲームを辞めた』理由に見当がついたのか、ミズキが人差し指を立てる。
それに応えるように、彼女も人差し指を立てて答える。
「そそー。
『青い蝶』にやられた子がいたじゃん? アレがきっかけでさー。
なんか、あの降谷先輩も襲われたらしいね。
まぁ、あの人は何があっても大丈夫そうだけど。
他にも被害者が何人もいるとかって、皆怖がっちゃってさー。
なんかもう、楽しくないし、割に合わないしさー」
感情がそのまま表情と仕草になるのか、イオリはころころと態度を変えて喋る。
『降谷先輩』の事件については、色々と事情を知っているだけに、リクとミズキは顔を見合わせて密かにバツの悪そうな顔する。
どうやら『Ripper』や『BlueButterfly』についての事件は、その信憑性はともかくとして、プレイヤーの多くを辞めさせることに成功しているようだ。
彼女の示した事件の中でも、リクが気になったのは最初の言葉だった。
「『青い蝶』にやられた事件って、もしかして第三の被害者の事?」
ハルたちの調査記録を読んでいたリクたちは、その被害者に関する事件の詳細は知っていた。
『青い蝶』と同じように四肢を切り付けられ、強姦未遂にあった、この学校の女子生徒。
名前は確か『古馬信乃』だったかな、とリクは思い出す。
この事件について、兄たちは『Ripper』の仕業と考えていた。
しかしイオリ達一般プレイヤーの中には、あの有名なシリアルキラー、『青い蝶』の犯行であると考えている者もいるようだ。
噂話程度しか知らないであろうイオリは、思い出すように人差し指をこめかみに当てる。
「そう、それそれ。
被害者の子って、女の子なんだってー。
あたしたちもネイビスやってたんだけどさぁ、アユミちゃんに気づかれちゃって。
でも先生たちには言わないから、怪我しないうちにやめなさいって言ってくれたのよ。
……あれ?
でもなんで、アユミちゃんはネイビスのこと知ってたのかな」
「あぁ、それは多分、俺達が相談したからだよ」
心当たりのあるリクが、はいっと挙手をする。
彼の言葉に、イオリが黒く縁取られた大きな目をぱちぱちと瞬かせる。
「えー、そうだったの?」
「俺たち、ネイビス関係でゴタゴタがあってさ。
それで先生に相談してたんだよ」
「ふぅん。
なんか女の子が被害者だって知って、みんな怖くなっちゃってさ。
……あ、別に男ならいいってわけじゃないよ?
りっくんなら大丈夫だろうとは思うけど」
「なんだよ、その俺限定差別」
実際襲われてナイフ向けられて首絞められて落とされそうでした、とは言わずに、リクが渋い顔をする。
しかしそんなリクを全く気にせず、イオリはまた目を輝かせて二人に迫る。
「で? りっくん達はどうなの?
優勝できそう?
賞金入ったら奢ってね?
あたしカラオケと映画とバッグでいいからさー!」
「イオリちゃん。
そういうのを取らぬ狸の皮算用って言うんだよ」
「あたしはね、常に輝かしい未来しか見ないのよ、ミズキ」
人の金で作られた未来だけどな、それ。
ぼそりとぼやくミズキを見ながら、リクがはっとして立ち上がる。
「そうだ!
ミズキ、これはチャンスだぞ!」
「ん?」
急に立ち上がったリクに、二人が目を向ける。
リクはイオリの方に向き直り、彼女の両肩に手を掛けると、
「もし優勝したら、さっきイオリさんが言ってたの、全部奢ってやる!
だから、頼みがあるんだ……」
「な、な、なによ!」
切実な目で睨まれ、もとい見つめられたイオリが、若干引き気味にリクを見返す。
いつになく真剣な眼差しに、彼女はゴクリと喉を鳴らす。
たっぷりと間をとった後で、リクがゆっくりと口を開く。
「一生のお願いだ」
「だ、だから、何?」
「……俺と一緒に、女子トイレに入ってくれないか」
「………………は?」
ゴッという鈍い音がした。
リクが音源の方に顔を向けると、彼のあまりにひどい言葉選びに、ミズキが頬杖から顔を滑らせて机に額をぶつけていた。
「だれか警察呼んで。それか救急車、頭と心の方の」
イオリは真顔でがクラスメイトに呼びかける。
「あれ? え? なんでだよ!
違うよっ!
これにはちゃんとした理由があるんだって!」
イオリが今まで見たことのない冷ややかな目で自分を見ていることに気付き、慌ててリクが肩から手をしてぶんぶんと首を横に振った。
ついでに同じような目でリクを見ながらヒソヒソと話を始めたクラスメイトに、「違うっつってんだろうが!」と一喝して黙らせる。
「今のはまずいよ、リク」
リクの失言に、ミズキが額をさすりながら顔を上げる。
「えっとね、イオリちゃん。
ちょっといい?」
リクに話を任せるのは危険だと踏んだミズキが、イオリを椅子に座らせ、クラスメイトには聞こえないように経緯を話し始める。
詳しい話はせず、ただ純粋にコードハンターの自分たちが最新の問題に行き詰っている、という体で話を進め、本来の目的には気づかれないように細心の注意を払う。
発言禁止令が出たリクは、その間ただ神妙な顔をして相槌を打つ係の役割を果たしていた。
「なぁるほど。
つまり、次のコードサーチが女子トイレなのね?
それであたしにコードを探してほしい、と」
デフォルメ化された熊をつけ爪に乗せた人差し指を顎に当てながら、イオリがまとめる。
それに二人がコクコクと頷く。
どうやらミズキの思惑は、思った通りに運んだようだ。
「なによもう、びっくりしたなぁ。
ついにりっくんの頭がおかしくなったのかと思ったじゃない。
お馬鹿なのは大丈夫だけど、おかしいのは困るわよ」
「……『ついに』ってなんだよ」
「別にいいよ。
それくらい、このイオリ様がやってあげましょう。
というかりっくん、さっき『俺と一緒に』って言ってたけど、もしかして一緒に入るつもりなの?」
二人の提案を、案外気軽に了承しながら、イオリがリクに問う。
リクは三白眼と眉を寄せて、何やら心配そうな顔をしている。
「だって、『Ripper』にプレイヤーたちが襲われたのって、コードサーチの答えのところだったじゃん。
何かあったら危ないだろ?」
「あぁ確かにね。イオリちゃん一人じゃ危険かも」
第一、第二の被害者が出たのは、第二問目の住宅街路地裏、電柱の影。
第三の被害者が出たのは、第三問目のカラオケボックス近くの繁華街路地裏。
全てコードサーチの答えとなった場所の近くだった。
賛同したミズキに、イオリが人差し指を顔の前で振る。
「ちっちっち。
イオリ様をナメんじゃないよ。
このご時世だもの、防犯ベルを三つに催涙スプレー、小型カラーボール、ついでメリケンサックを常備してるんだから!
二人はトイレの前で待っててよ。
この時間だったら人もいないし、何気なく話してるふりでもしてれば怪しまれないって。
逆にトイレの中でアンタたち二人が見つかったら、さすがにあたしも言い訳が出来ないじゃないの」
それもそうだ、と男子二人が揃って頷く。
「それよりも!
優勝した暁には、絶対に約束守ってよね。
りっくん?」
えくぼを作りながらにっこり笑って、イオリはぱっちりと大きな目でウィンクをした。




