5-1
「……気持ち悪い」
「なんだと!?
風邪かミズキ、バカのくせに!
俺みたいに鍛えないと駄目だぜー!」
「……いや、その」
『お前』が、気持ち悪いんだ。
完全復活した友人に言ってやりたい気持ちを、やっとの思いでミズキが飲み込む。
リクが『Kalu』を追って廃工場まで行き、そのまま倒れたのが昨日のこと。
それをカイから又聞きしていたミズキは、登校してきたリクを心配して駆け寄った。
しかし当の本人は、ミズキが未だかつて見たことのない笑顔で手を振って彼を迎えた。
色々と聞きたいことがあったが、とりあえず「どうした?」とミズキが聞くと、「ふひひ」とこれまた聞いたことのない気持ちの悪い笑い声が、リクの口から漏れるだけだった。
普段の無骨で飛ぶ鳥を射殺すような面構えが、今日に限って朝から一日中この調子なのである。
そんなリクを、彼らのクラスメイト達は逆に怖がってしまったせいで、本日の授業は全科目通して落ち着かない雰囲気で終わっていった。
「行くのやめとくか?」
本気で体調の心配をしているらしく、リクがミズキを覗き込む。
二人は放課後の学生の波に交じって、降谷宅のガレージに向かう途中だった。
昨日、廃工場の後に何があったのか、結局一日がかりでミズキはリクから聞き出した。
聞くたびに興奮状態で矢継ぎ早に喋りだすものだから、理解できたのは「兄貴は自分を嫌っていなかった」「俺のことを大事に思ってくれている」「まだ大事な家族だと思ってくれている」「ハンバーグが美味しかった」「兄貴は凄い」程度だったが。
昨晩の和解はリクにとって、この上なく幸福な出来事だったのだろう。
きっと恋人ができたって、こんな喋り方はしないんだろうなぁと、リクが興奮すればするほどミズキは冷静に分析する。
とりあえず、確執だらけだった兄弟の間が、少しは氷解したというのは理解した。
きっと全てではないが、それは兄弟が一番分かっているはずだ。
弟側の友人としては、頑固になって突っ走ってしまうリクの暴走がなくなるなら、その方が良いに決まっている。
こんな良い人間に、暗い感情は似合わない。
……現在のリクは少し行き過ぎだが。
そして、事件についてだが、念願かなってハルの協力を取り付けることができたらしい。
らしい、というのも、リクの私情と雑念混じりの饒舌な説明から、やっとミズキがこのように解釈をしたのだ。
恐らく間違っていないだろうと思いたい、そうミズキが苦渋を顔に浮かべる。
「大丈夫。
……むしろ見張ってないと、お兄様の身が危険な気がする」
最後の方は聞こえないようにミズキが呟く。
「うむ、その意気じゃ! 苦しゅうない!」
「お前もう、なんか滅茶苦茶だよ……」
拳を振るリクと、だめだこれは、とため息をつくミズキが、肩を並べてガレージまで正反対のテンションで向かっていった。
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「わんこ。まだ資料全部パソコンに入れていないのか。
いつまでかかってんの、まったく」
「うるせぇな! 今やってんだろ!
おれぁこういうの苦手なんだよ」
「おいこら犬野郎。
ここにあった資料全部片付けとけつっただろうが。
さっさとやれよアホが」
「んだこら!
それくらい自分でやりやがれ!」
「ポチ。誰の許可取って、俺のソファに座ってやがんだ?
踏むぞ」
「だれがポ……グギッ!」
カイ、アキ、ハルのそれぞれから浴びせられる言葉に、ライカがいちいち噛み付くように答え、そして最後は物理的に踏み潰される。
「さすがハル君。電光石火有言実行」
カイがぱちぱちと拍手で称賛する。
リクとミズキが覗き込んだガレージは、外見の無機質な出で立ちに相対して、割りと賑やかだった。
高級そうなソファの上で三者三様の批難と物理攻撃を受けているのは、どのような経緯でここにいるのかよく分からないし、あまり聞きたくないライカだ。
彼はソファの背もたれに座ったハルに頭を踏まれ、ノートパソコンのキーボードに頭を突っ込んでいる。
和室空間には白黒の猫と三毛猫が睨み合って座布団を取り合い、ちゃぶ台を挟んだ向こう側ではカイが日本茶をすすりながら資料と睨めっこををしている。
ソファの前に空いた空間では、アキが病院の待合室にあるような長椅子を片手で運びながら、その道中に散らかっていた資料をライカに投げつけている。
「……わあー」
ちぐはぐな趣向がパッチワークのように散りばめられた場所で、やはりどれも毛色が違う人間が集まって騒いでいるのを、リクとミズキは異星人を目にしたかのような顔で見ていた。
「なうぅ?」
リクの足元で小さな声がする。
足首では黒い猫が首を擦りつけて、金色の瞳でリクを見上げていた。
サラーサの鳴き声で、ガレージにいる四人がやっと来訪者に気がつく。
「よう、元気か一年坊主たち! おら、入ってこいよ」
その中で愛想良くアキが、大きく手招きをして二人歓迎してくれる。
リクはミズキと顔を合わせると、サラーサを拾い上げてカオス空間へと歩を進めた。
「さてと……」
アキが運んできた病院の長椅子に座った二人を見て、ライカからソファを奪い返したハルが仕切り直す。
「まずは、簡単にこいつらを紹介しておくか」
視線が集まったのを確認して、彼はそう提案する。
そして、大きなスクリーンの横にあるドラム缶の前に立っているカイを指さす。
「こいつはお前らも知ってるだろ。陽光学園の問題児。
降谷開」
「いえい」
ローテンションでマイペースなカイが、ドラム缶の上で開いたノートパソコンを操作しながら、左手だけ挙げてピースを作る。
「で、多分こいつも白獅子って言えば分かるか。
カイの弟の、降谷明」
「がおー!」
暴徒、の部分をなくした愛想の良い瞳を細めて、アキが片手の指を折り曲げて獣の口を真似る。
彼はソファの前に設置されたドラム缶の上で、ゆったりと胡坐をかいていた。
「これが、ポチ」
「雑ぅ!!」
ハルのブーツの先で突かれて、ソファの前の床に座らされたライカが吠える。
「それから、そこの喋るウサギがクリス。本名じゃないけど、クリスって呼んでやって」
「クリスタルと申します。どうぞ、よろしく」
ハルの指先で白いウサギのぬいぐるみが軽やかに喋り出す。
クリスとは初対面のリクは、驚いて椅子から転げ落ちそうになる。
「あとは、もう一人女医がいるんだけど、まぁ追々でいいか」
「お前、結構面倒臭がるとこあるよな……」
ここ数日で思うところがあるのか、もう一人のメンバー・女医リサの紹介を省いたハルを、ライカがそう評価する。
「まー覚えなくても、覚えてもどっちでもいいよ。
さっさと本題に入ろう。
話はリクから聞いたか、ミズキ」
ライカの言葉を無視したハルが、革ソファの上で足を組んで問う。
黒猫を膝に抱えたリクと少し居心地が悪そうなミズキは、少し顔を見合わせる。
そういえばいつの間にか呼び捨てだな、いやはじめから呼び捨てだったかな、まぁいいか、と思いながらミズキは曖昧に頷く。
「一応聞きましたけど、何だか支離滅裂で。
翻訳した結果、事件について協力してくれる……ということで、合ってますか?」
妙な聞き方をされ、ハルが小首を傾げる。
「リク、お前ちゃんと説明しなかったのか?」
「したよ。そりゃもう、一から百まで。
俺の想いを込めて!」
「あぁそりゃ……。
……すまなかったな、ミズキ」
頬を紅潮させて拳を握ったまま反論する弟を見ながら色々察したのか、興奮状態の一端を担ったハルは気まずそうに視線をそらす。
「いえ。お察しします」
そんなハルと友人に、今度はリクが小首を傾げる。
「ま、ともかくそういうことだ。
『Ripper』と『BlueButterfly』が本気で仕掛けてきた以上、昨日みたいなことがいつあってもおかしくない。
俺たちの目的はこの二人の正体を暴くこと。
お前たちの目的は、このゲームを勝ち抜けすること。
俺達はお前らにゲームのサポートをする。
お前らにやってほしいことができたら協力してもらうが……とりあえずは好き勝手動くのはやめてくれ」
考えてみれば、リクやミズキに協力するメリットはハル側には無いのだ。
それこそ、最後の言葉通り、二人を心配してのことだろう。
今になって協力するということは、もちろん八柄兄弟の和解もあるのだろうが、それほどまでに『Ripper』や『BlueButterfly』の動きが過激になったとも取れる。
もしかしたら。
ミズキは邪推する。
切り裂き魔の動きが過激になったからこそ、ハルは長年続けたスタンスを変えてまで、リクを保護しなければならなくなった、のではないかと。
ともかくリクら二人にとっては、強力過ぎる助っ人が出来たことになった。
「それで、さっそく今後の方針……と言いたいところなんだが。
先にお前ら二人には色々と説明が必要だな」
その通り、とばかりにリクとミズキが頷く。
それを見て、ハルが今まで行なってきた調査で分かったこと、仕入れた情報を二人にも共有する。
なぜ陽光生でもないハルがここまで事件に入れ込んでいるのかは分からなかったが、少なくともリクが思ってた以上に裏がありそうだ、というのはうっすらと理解できた。
ただ、彼にはこの雑多とも言える情報がどのように結びついているのか、までは理解に及ばない。
が、ハルはさっさと本題に入る。
「よし、それじゃ今後の方針だ。
一つ、ゲームの早期クリア。
『Luis』には『Ripper』以上か同列の順位になってもらう。
二つ、『Ripper』の特定。
三つ、そこから『BlueButterfly』の特定に引っ張ってくる。
この中で一番早く方が付きそうなのは、二つ目の『Ripper』だ」
「へ?」
意外な言葉だったのか、所々からそんな声が漏れる。
「ハル、もしかして『Ripper』が誰か分かったの?」
質問は挙手で、と躾けられているのか、アキがドラム缶の上で手を挙げている。
「特定はできていないが、時間の問題だ。
見当は付いているから、あとはどうやって絞り込むかという段階」
「うへ、マジか……」
ネイビスのプレイヤーがこぞって怯えていた人物だ。
部外者のハルがなぜそこまで言い切るのかと、メンバーが疑問を視線で送る。
その中でもカイだけは、うっすらと見当が付いているようだ。
「あー、ハル君が黒狼のことを調べていたのは、このため?」
「なんだよアホオタク、詳しく言いやがれ」
「言ったとおりだ。
お前は脳ミソまで真っ白ツルツルなのか。
……仕方ないな。
ここ数日間、黒狼がなにやら騒がしかったのは知っているだろう?」
カイがアキの挑発を皮肉で返しながら、黒狼の幹部切り裂き事件について話し出す。
リクたちも、その事件自体は知っていた。
殺気立ったギャングのメンバーに、善良な市民たちは肝を冷やすことも多く、陽光学園内でも噂になっている。
「幹部が切り裂き魔に襲われた、ってやつですよね。
それがなんで今回関係あるんですか?」
ミズキが綺麗に整った眉を寄せる。
その言葉に、ハルが背もたれに重心を預けて僅かに上を向く。
覗いた白い首元は、青い血管が浮くほどに白かった。
ハルの動作一つで、ふと空気が変わったのを、その場のメンバーは感じ取る。
少し冷たくなった空気の中で、ハルが口に出したのは、ミズキの質問の答えとは思えない、とある歴史だった。
「……十九世紀、ロンドンのイーストエンド、ホワイトチャペル。
分かっているだけで五名の女性が惨殺された。
ご存知、世にも有名なシリアルキラー、通称ジャック・ザ・リッパーの仕業だ」
突然、まるで教科書でも読むかのように、彼は話し始める。
この街で、ではなく、この世界で最も有名な『切り裂き魔』。
一体何だ? と思ったが、そこにいた誰もがその独特な口調と温度に、耳を奪われて聞き入る。
「標的は女性で売春婦。
残忍で、しかしながら手慣れた手口。動機は不明。
当時の捜査体制ではその犯人像の特定には至らず、現代の科学捜査によって、ようやく真実が少しずつ紐解かれてきた。
当時から現在に至るまで、正体不明であったシリアルキラーは格好の研究対象となり、その犯人像は研究者から素人、小説家によって様々な形を見せることになる」
ハルは頭を下ろし、細い指を組んだ上に顎を乗せる。
その目には、緩やかながら冷たい光が宿っていた。
「数多く挙げられた犯人像の一つに、こんな興味深い説がある。
……『犯人は女性である』」
「女?」
首を傾げたアキに、ハルが目を細める。
「そう。
さらに突っ込んだ説の特徴としては、子供がいない、出来ない体の持ち主である女性。
鮮やかとも言える解体手口から、医療や助産に携わるような教養の高い人物とも考えられた。
その他にも、信心深く敬虔なクリスチャンだとか……。
このように人の生き死の神秘に深く関わりながら、自分は子供を産めない女性が、性を蔑ろにする同じ女性を殺して回った、ということらしい」
「殺害された女性は、子宮や乳房、性器といった『女性』たらしめる部位を切り取られていた、だったっけ?」
カイが思い出すように言うと、想像したのかリクがうっ、と口を手で覆う。
「生命の尊さを知りながら、それに触れることが出来ない。
なのにその尊さを卑俗にも売り捌く彼女らを見て、『彼女』は何を思っただろうか。
……嫉妬、羨望、そして『なぜお前なんかが』という同性だからこそ沸き起こる、深く暗い憎悪」
温度のない言葉は、ぞくりと背筋を震わせるには充分だった。
淡々とした語り口調は、下手な感情移入よりもよっぽど効果があるようだ。
「そ、そ、それが一体なんだっつぅんだよ!」
その寒さに我慢ができなくなったライカが、顔を引き攣らせて怒鳴る。
すると意外にも、
「そうだな、そろそろ話を元に戻そう」
「んなっ!?」
と、けろりとしてハルがのたまう。
かくん、と拍子抜けして首を落としたのはライカだけではなかった。
しかしそれに構うハルではない。
さらに言葉を続ける。
「黒狼の事件に戻ろうか。
襲われた後藤文一について、彼が吐きかけられた言葉に注目する。
記憶している限り、『馬鹿』『雑魚』『クソヤロウ』『調子に乗るな』『ゴミ』『クズ』『お前なんか必要ない』『死んじまえ』『この街から出て行け』。
この中で重要なのは、『調子に乗るな』『お前なんか必要ない』『この街から出て行け』かな」
なぜそんなことまで覚えているんだ、ということまで彼の頭は記憶している。
更に続ける。
「さて、この文一君。
この街に来たのはつい最近だ。
そして黒狼の中でも新参者であり、かつ幹部でもある。
……ここから言えることは?」
反応したのは、どこかで同じ事を思っていたカイだった。
「推測だけど、犯人は同じ黒狼のメンバー」
「俺もそう思う」
意を得たり、とハルが頷く。
他の連中がぽかんとしているので、ハルが補足をする。
「『調子に乗るな』や『お前なんか必要ない』ってのは、一方的か双方的かは分からんが、顔見知りの言葉と捉えるのが自然だろう?
最近来たばかりの新参者の顔見知り、且つまるで同族に対する嫉妬のような口ぶりからすると、自然と答えは絞られてくる」
ようやく他のメンバーにも、先ほどのイギリスの切り裂き魔の話との繋がりが分かったようだ。
つまるところ、この幹部を襲った犯人の動機は『妬み』、もしくはそれに近いもの。
「だが『彼女』と違うのは、それによって恨みを晴らそうというのではなく、『この街から出て行け』という口ぶりから分かるように、彼を排斥したがっている、ということだ」
「つまり、黒狼のメンバーが、同じ黒狼のメンバーを追い出そうとしたってこと?」
ドラム缶の上で体育座りをし直してアキが問う。
「そういうこと。
理由は……おそらく幹部候補が幹部になり損ねたとかそんなところかな。
部隊編成真っ最中で、自分も上手いこと上部に組み込まれそうだったのに、新参者が気に入られて幹部となった。
しかもそのせいで『爪持ち』を増やさないように、という方針に変わったって話だ」
「プライドたけぇもんな、あいつら。センミンイシキっての?
不良崩れのくせに、俺たちは黒狼だ―! みたいの多いもんね」
けっ、と唾でも吐かんばかりにアキが言う。
その横で、首を傾げているのはリクだ。
彼にとって黒狼やらギャングやら裏社会やらの話は明後日の方向のもので、街で見かけても目をそらして関わらないようにするだけの連中だ。
「それは分かったけど。
兄貴、一体この事件がどうしたってんだ?」
イギリスのジャック・ザ・リッパー。
そして、黒狼幹部の切り裂き事件。
しかし現在問題となっているのは、陽光学園の『Ripper』だ。
その言葉に対する答えは、リクが予想もしていなかったものだった。
ハルは、真正面からリクを見る。
「結論から言おう。
『Ripper』を名乗る切り裂き魔の正体は、後藤文一を襲った黒狼のメンバーと同一人物だ」




