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3-10

「はぁー、なるほど。

 お兄様の言ってた『追い詰めろ』っていうのは、公園の端にって意味じゃなくて、お兄様のいる方向にってことだったのかぁ。

 なんつーか、無茶苦茶ですねぇ」


 ミズキが感心したように声を漏らす。

 上層部、中層部、下層部と三層に分かれている公園は、上層部と下層部が道路と繋がっていて出入りができる。

 大きな通りへと続く下層部のトンネルのちょうど上を、上層部の出入り口に繋がった道路が直角に通っており、構造上トンネルの出口に最も近いのは上層部となっている。

 トンネルの高さ分の高低差、という概念を抜かせば。

 この概念を物ともしないハルは、バイクの男とアキが公園の端に行ったり階段で追いかけっこをしている間に公園上層部からいったん出て道路へ、そして自身の身軽さをフルに発揮させてトンネル天井に移動して待機していた。

 こんな鬱蒼とした公園近くのトンネルにぶら下がっている少年の姿など見たものなら、緑が丘公園に新たな幽霊伝説が出るところだろう。

 そんな状態のまま、アキによってトンネルへと誘導されたバイク男が出口を出ようとした瞬間、ハルは彼に向かって飛び降り、バイクから男を叩き落としたのだった。

 下手すれば二人とも大怪我どころでは済まされない行動をいとも簡単にクリアする小さな少年に、ミズキは感激の目を向けている。


 人がいないとはいえ、さすがに誰が来るかわからないということから、四人とバイクの男は公園の中層に設置された、長らく誰も使っていない事務所裏に移動していた。

 併設された掃除の行き届かない公衆便所の臭いが、数メートル離れた場所にまで存在をアピールしている。

 男はアキの手によってビニールの紐でガチガチに縛り付けられていた。

 ハルは男の気絶中に顔だけ確認すると、再び目隠しするように、ガムテープで視界を塞いだヘルメットを被せる。


 ヘルメットの中の男は恐らく成人しているだろう。

 高校生の彼らよりも精悍な顔つきをしていた。

 リクよりは身長が低いもののがっしりとした体格を持ち、長めの茶髪の下からは耳に付けられた大きめのピアスが覗いている。


「それにしても、あれだけの言葉で意思疎通しちゃうなんて、お兄様たちって凄い良いコンビなんですねぇ」

「えへ、やっぱり分かる?

 分かっちゃう?

 分かっちゃうよねー。

 やー困ったなぁ」


 さっきまでの獅子の形相はどこにいったのか、アキがデレデレしながら警棒で頭をかく。

 その警棒はつい先程まで、黒い男が口を開いて恫喝するたびに彼を上回る形相のアキに振り下ろされ、そのせいで男はぐったりと身を横たえていた。

 男の世話はアキに任せ、ハルは引剥がされた男の革ジャンを探っている。


「これはこいつの携帯か。

 ミズキのは……これか」


 すべてのポケットを裏返してハルが呟く。


「ひゃっほぅ! 俺の携帯ちゃん!」

「衝撃で壊れてるかもな、どうでもいいが」

「良くないですよぉ!!」


 悲壮な声を上げるミズキを放っておき、ハルは男が持っていた携帯の画面を表示させて中身の調査を始める。

 そんな光景をリクは黙ってみていたが、すぐにハルの舌打ちが聞こえた。


「あぁ……クソ。遅かったか」

「え?」


 ハルは立ち上がると、横に転がされた男の前に立つ。

 ミリタリーブーツのつま先で軽くヘルメットを蹴って、男の意識を自分に向けさせる。


「お前に命令したのは、誰だ」


 冷たい声が短く響く。

 しかし男は答えなかった。

 次に舌打ちをしたのはアキだった。


「黙ってんじゃねぇ、立場わきまえろよ。

 分かってんのか、すぐ横は山だぜ? 

 お前なんてスグに処理できんだからな」

「ぐっ!」


 アキがつま先を勢い良く男のみぞおちに入れると、くの字に体を折り曲げて男がくぐもった声を出す。

 荒事に慣れていないリクとミズキが、その様子からそっと視線を外した。


「……うぐ」


 しかし男は、それでも黙って呻くだけだった。

 それが気に入らないのか、アキがピクリと顔を歪める。

 低い臨界点を超えつつある獅子が顔を出す。


「こいつ、腕折るか」

「ひっ!」


 先程より一段低いアキの言葉が聞こえたのか、男がヘルメットの下で喉を鳴らす。

 しかし、


「いや、その必要はない」

「え?」

「もういい」

「も、もういいってどういうことだよ」


 男の反応を黙って見ていたハルが、あっさりと尋問を止める。

 それに対してアキが戸惑った声を出した。

 てっきり徹底的に吐き出させるのかと思っていたからだ。


 アキを押しやり、ハルが男の目の前にしゃがむ。

 ヘルメットを、まるでノックするように軽く二度人差し指の間接で叩く。

 彼の姿が見えていない男は、それだけで怯えたようにさらに身を縮こまらせた。

 ハルは目隠しのためのテープを半分だけ剥がしてやる。

 頭を横にした男の眼にはハルの顔までは見えないものの、ぼんやりと上半身が見えるようになる。


 ハルはリクたちに見えないように、いつもは指先以外隠れるようにして着込んでいるパーカーの左腕を、シャツごと二の腕まで捲ってみせた。

 その腕と、そこに描かれた印を視界に捉えた瞬間、男がビクリと頭をあげようとする。

 ハルはさっと袖を下ろし、そのまま左手で男の頭を押さえつけ、もう一度ガムテープを上まで貼り付ける。


「イエスなら頷いて、ノーなら首を振れ。

 全部正直に答えることができたら、お前を守ってやる。

 俺はそのためにここに来た。

 ……できるか」


 まるで囁くような声でハルが男に言う。

 男は戸惑ったようにヘルメットの中でなにか呟いていたが、やがて小さく縦に首を振った。

 トンネルでの行動。

 手際の良すぎる拘束と情報収集。

 そして、先程見せられた腕。

 男は、彼らがただの高校生ではないことを身を以て悟ったようだ。


 だが一方で、ただの高校生に他ならないリクとミズキは、その言葉の意味が分からずポカンと口を開ている。

 それには構わずハルが質問を投げる。


「実行犯は友人、もしくは顔見知りか?」


 その問いに、男は横に首を振って否定した。


「奴のタトゥーは直接見たのか?」


 もう一度横に首を振る。


「画像で送られた?」


 今度は縦に振って肯定。


「メールか。画像も文章も無いな。

 アドレスも電話番号も、証拠となるものは消せと指示されたのか?」


 もう一度肯定。


「それはつい最近?」


 さらに肯定。


「そいつのタトゥーは、どこにあったか分かるか?」


 今度は少し考えてから横に首を振る。


「病院に行ったのも、お前だな?」


 僅かに怯えたように肩を震わせ、そして頷く。

 そこまで聞いて、ハルは考えをまとめるように口元に指を当てて目を細める。

 数秒そうした後で、どこか呆れたようにため息をつくと、もう一度ヘルメットをノックする。


「はじめは美味しい話だと思ったんだろ?

 なのに深みに嵌って、気づいたら逃げ道を失ったか? 

 馬鹿だな。

 ヘタしたら、お前の人生終わってたぞ。

 奴らはギャングだが、チンピラじゃねぇ。

 フツーに人も殺せるような集団だ」


 いつものような口調の中で、どこか諭すような響きがあった。

 男の喉が鳴る。

 ぱたりと水滴が落ちる音がヘルメットの中から聞こえた。


「た、ただ脅すだけだって!

 そう言ったから、俺は……ッ! 

 なのに、あんな、あんなの聞いてねぇよ! 

 や、めたかった、けど、俺、俺だって、もう、嫌で……!」


 嗚咽とともに、まるで唸るように男が言う。

 肩を震わせて泣き出す男の頭をハルが上から抑える。


「で、連絡先を消せって言われたってことは、これが最後の仕事だったってわけだ。

 内容は、『上位者プレイヤーの端末を奪え』ってとこか。

 それで見逃してやるとか言われたんだろ、どうせ。

 頼りになる相棒が出来りゃ、お前なんかお役御免だもんな」


 ヘルメットを細い人差し指でリズミカルにトントンと叩きながら、まるで独り言のようにハルが呟きながら考える。

 そして、


「んー……。お前、本当に刺したの?」


 叩くのを続けながらそう口にすると、男は先程より一層大きく首を横に振る。


「違う、やってねぇ!

 いや、殴ったけど、でもそこまではやってねぇ!

 あんなの、正気じゃねぇよ!

 なんで、あいつ、刺して、笑って、笑いながらあんなこと……っ!」


 とん。


 ハルの指が、止まる。

 ざわりと、静寂の中で草木が啼くような音に包まれる。

 ただ、指が止まっただけ。

 なのにハルの周りの温度だけが、瞬時に下がるような感覚をその場の人間を襲う。


「………?」


 突如立ち上る異様な空気から感じる息苦しさと首筋が粟立つ感覚の意味を、リクとミズキは知らない。

 身動きもできず、声も出さずに互いに目を合わせる。

 ただ一人、ハルの表情が見えていたアキだけが、喉の奥を鳴らして唇を噛んだ。


 だがそれも数秒だった。


 ふぅ、と胸の奥の空気を吐くようにハルが息をし、そしてかくんと頭を落とす。

 その瞬間に、先程までの緊張感が解ける。

 彼はゆるく頭を二三度振ると、先程と同じように、人差し指で男のヘルメットを突く。 


「お前、これからどうする」


 問われた男は緊張が解けた今でも身を強張らせたまま、肩で息をする。


「分からねぇ、もう、嫌だ。

 死にたくねぇ」


 もはや答えにもなっていないような泣き言に、呆れたようにハルがため息をつく。

 

「なら方法は一つだ。

 口を噤め、今後一生。

 苦しかろうが自責の念に駆られようが良心の呵責に悩もうが、このことに関して口外するな」


 温度のない言葉がハルの口から吐かれる。

 しばらく黙っていた男が、やがて頷いたゆっくりと頷く。

 それを確認するとハルは立ち上がり、男の背中を引っ張って立たせる。

 よろめきながら彼が立つと、体を拘束していたビニール紐を素手で引きちぎり、そのまま男の背中を押して数歩公園側に歩かせる。


「振り返らずに、まっすぐ出口に向かえ。

 そしてそのままこの街から出て行け。

 少なくとも一週間。

 その間に片は付けてやる」

「………」

「分かったら、頷く」


 男は力なく項垂れるように一度頷く。

 ハルはヘルメットのガムテープを一気に剥がし、そして再度男の背中を押す。

 男は開けて視界を確かめるように辺りを見回そうとするが、


「真っ直ぐ歩け」


 背中から聞こえる厳しい声に押されるように、よろめき、そしてそのままふらふらと歩き出し、やがて走り出す。

 振り返るなという言葉の通り、一度もハルたちの方を振り向くことなく、公園上層部の階段に足をかけて上っていくと、やがて高校生たちの視界から消えていった。

 それを見てハルは疲れたように、天を仰いでため息を一つつく。


「お兄様! お兄様!」


 そんな彼に声を掛けたのは、案外物怖じしない性格なのか空気が読めないのか、ミズキだった。

 授業で質問があるときにするように、手を上げてハルに呼びかける。


「なんだ」

「先程のやりとり、ぜんっぜん意味分かんないので、説明を要求してもよいでしょうか!」


 ぶっきらぼうなハルにも怯まず、手を上げたままミズキが問う。


「俺も俺も! 要求する! 説明を求む!」

「……俺も」


 ミズキの真似をして元気よく手を挙げるアキと、少し気まずそうなリクも後に続く。

 空を仰いだまま目だけで彼らを一瞥すると、


「俺の話を聞いてたなら、ちょっとは考える努力くらいしろよ、面倒臭ぇ」


 ハルがそっぽを向く。


「そんなぁ!

 さっきの奴はなんなんですか!

 まさかアイツが『Ripper』なんですか!」


 諦めきれないミズキがハルに縋りつかんばかりに詰め寄る。

 それもまた面倒臭かったのか、


「違う、『Ripper』ではない。

 そしてもう襲ってはこない。

 ……これでいいか?」


 短く目も向けずにハルが答える。


「うー……」


 納得したのかしないのか、ミズキが唸る。


「うー、じゃねぇよ。

 気をつけろと忠告してやったにも関わらず、二人して襲われやがって」

「学園モノ漫画のヒロインみたいだね」

「……こんなでっけぇヒロインがいてたまるか」


 アキの言葉に、ハルが勘弁しろとばかりに苦い顔をする。


「お前らネイビスの問題を解きに来たんだろ。

 さっさと済ませておうちに帰れ。

 いいな」


 ハルが二人に向き直って言う。

 その言葉にリクとミズキが、思い出したように顔を合わせた。


「あぁ、そうだったな、そういえば」

「そうそう第七問……って」


 そこまで言って、二人同時にハルを見る。


「な、何で兄貴がそんなこと知ってんだよ!」


 ここに来ることはリクとミズキ以外知らないはずだった。

 まるで予言者のように行動を言い当てた兄の顔を、リクがまじまじと見る。

 が、ハルはそれには答えず、さびれた事務所と続きになっている公衆トイレの壁の裏側あたりを指さす。


「そこ」

「え?」

「答えの場所」

「えぇ!?」


 ハルの言葉に、リクとミズキがトイレの壁伝いを小走りに進みながら外壁に目を凝らす。

 すると一か所、確かに写真と同じように、黄ばんだ壁に生い茂る蔦が絡みつていた。


「あった! あったよリク!」


 その壁の端、膝のあたりに羅列する数字を見つけたミズキがはしゃぐ。

 すぐさまリクが駆け寄って確認する。

 蔦の葉で隠されるようにして【0310294239】という文字がボールペンで書かれていた。

 リクが携帯のカメラで写真を撮ってミズキに見せる。


「よっしゃ!」


 顔を見合わせてニッと笑うと、二人で同時にガッツポーズをしてみせた。


「いやーすごいな、お兄様。

 ……あれ、お兄様?」


 公園側を見ると、すでにハルはアキを連れて帰ろうと背を向けて歩き始めていた。


「ちょ、ちょっと待てよ兄貴!」


 愛想も説明も挨拶も何もない兄を、リクが呼び止める。

 底なし沼のような瞳が彼の方を向く。

 その静かさに、リクは思わず言葉を飲み込んだ。


「『Luis』」

「……え?」


 殆ど動かない唇から出た自分のコードネームに、リクは耳を疑う。

 そのコードネームも、リクとミズキしか知らないはずだった。

 それをなぜ、兄が知っているのか。

 困惑する顔のリクに、ハルがため息をつく。


「誰がその暗号の作り方を教えたと思ってるんだ」

「あ、そうか」


 やっと思い当たったのか、リクが納得した顔をする。

 かつて兄と暮らしていた頃、何かの話の余興に教わった数多くの知識の一つだった。


「何度も言わせるな。

 軽率な行動は慎め。

 お前が思っている以上に、事態は大きくなっている」

「………」


 言うだけ言うと、ハルはさっさと背を向けて、先ほどバイクの男が進んだ方向とは逆の、公園下層の方に下っていった。

 アキは一度振り返り、二人にバイバイと大きく手を振る。

 二人はそれに答えるように、小さく手を振った。

 完全にハルたちの姿が消えると、リクが大きくため息をつきながら、その場にしゃがみ込む。


「な、なんか疲れた……」


 彼にとって、ハルが同じ空間にいるだけで緊張と疲労感が溜まるようだ。

 ミズキを見上げると、先ほど二人が帰っていった階段の方を見ている。

 弟の友人だろうと気を使わない兄の態度が気に障ったのだろうかと、リクが声をかける。


「いつも悪いな。

 兄貴があんな感じで」


 しかし、リクの方を振り返るミズキの顔はにんまりと笑っていた。


「なぜ謝るのかね、りっくん」

「だって、なんか色々強烈だっただろ?

 兄貴、愛想も態度も良くねぇし」


 ミズキはその言葉に、大げさなまでに大きく横に首を振る。

 まるでお前は分かっていない、とでも言いたげに。


「そこがいいんじゃないか。

お前とは似ても似つかない美形で可憐なお兄様が、その頭脳と力で敵を追い詰め、軽く足蹴にするその姿が! 

外見が綺麗なのに中身が男前ってギャップも、高ポイントだよなぁ!」

「……え?」


 ハルの態度が気にならないどころか、なぜか好感触だったらしい。

 どこか興奮気味にミズキが力説する。

 昔、兄が言っていた言葉をリクは思い出す。

 人は理解の範疇を超える行動や思考をするものに対して、畏怖、恐怖、嫌悪、様々な感情を持つ。

 その後その人間に対する態度は極端で、感情を抜きにして行動だけ抜き出すと、主に忌避、攻撃、追従に分かれる。

 そんなことをものすごく簡単に教わった気がする。

 まさかそれを教えたハル自身も、弟の友人からそんな視線を投げかけられるとは思いもしなかっただろう。


 勿論、弟本人も。

 顔をひきつらせて、続けざまに話す友人を見上げる。


「なんていうのかな。

 胸に来るんだよな、お兄様の一挙一動一言二言が。

 ……あぁ、痺れるぅ」


 俺の兄貴はアイドルじゃねぇぞ。

 というかお前、クーガちゃんはどうしたんだよ。

 そう言ってやりたかったが、疲れたリクにそんな元気はなかった。


「兄貴の行動一部始終を見てその言葉が出るなら、お前も相当だよ」


 げんなりとした顔で深い溜息を付いて、リクがそう吐き出した。


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