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3-4


 真っ白な頭のなかに、淡々とした声が左から右へと流れる。

 嘘?

 全部、嘘?

 どこから?

 どういうことだ。いやそんな事を考えている暇はない。


「ここから見たら、さながらヒットマンだなぁ、お前」

 無言のライカにハルは続ける。


 そうだ。


 黒狼の連中の目の前で、拳銃を持った自分は、つまり。

 殺気立ったギャングの眼の前にいる自分は、つまり。

 

 ライカの思考がわずか数秒でフル回転する。


 あぁ、そうか、そういうことか。


 最初からハルは見張りなんてさせながら、ちまちま仕事をする気なんてなかった。

 彼は、ここにいるギャング全てが目障りだったんだ。

 だから、それを片付ける人間が必要だったんだ。

 すべての注意を引き付ける役目が必要だったんだ。


 それは誰か?


「俺のダチを、てめぇのクソどうでもいい糧にしやがって」


 俺だ。

 無機質に続く声に、ライカは眩暈を覚える。


「なぁ?

 お前を許したなんて、俺は一言も言って無ぇぞ」

 真っ白な脳みそに刺激を与えるハルの声は、ここで途切れた。

 


 ライカと同じように呆然とした黒狼の一人が我に返る。

 それは完全に血走り、敵意という言葉では優しすぎる鋭い光だ。




 彼の口が開くよりも先に、ライカの足は地面を蹴っていた。

 つま先は、さっき自分たちが通ってきた路地裏へ。



「敵襲ぅっっ!!!」


 先程の爆音よりも大きな怒鳴り声を背中に受けながら、ライカは光のない細い曲がりくねった道に向かって走り出していた。





----------------------------------------------------


「いたぞ、こっちだ!」

「っあぁああクソっ!!」


 ライカは見つからないように細くて暗い道を探す。

 追いかけてくる黒狼は数人いるのか、角を出るとすぐに怒涛が飛んでくる。

 訳も分からず、目の前の細道に飛び込み、逃げ道を探してまた通りに出ては見つかる。

 先ほどから数回そのパターンだった。


 もはやライカは足が動いているのが不思議なくらいだった。

 呼吸と心臓の音が、鼓膜を震わす。

 肺から大量に出入りする息で、喉の奥に擦り切れるような痛みが走る。

 それでも彼は走るのをやめるわけには行かなかった。


 今思えば逃げなければよかった。

 ちゃんと説明すれば分かってくれたかもしれない。

 分かってはくれなくとも、今よりはマシだったかもしれない。

 いやどうだろう、やっぱり殺されてたかな。

 あの目、あれはマジだった。

 畜生、あんな奴について来なければよかった。

 アイツが、下衆で、外道で、俺をクソ以下にしか見てねぇなんて分かっていたのに。

 上手いこと乗せられて……!

 クソクソクソッ!


 

 頭のなかで滅茶苦茶に罵倒しながら、ライカは身を隠せそうな場所を探す。

 暗い場所。

 狭い場所。

 隠れる場所。


 次の路地に出る。


「あそこだ!」

「っくそ!」


 すぐに見つかる。

 後ろからも追ってきている。

 このまま進んだら中心街に近づいてしまう。それはマズイ。

 ライカが酸素の足りない脳ミソで考える。

 だが迷っている暇はなかった。


 中心街の光の方の小道に滑りこむ。

 ここからまた隠れられそうな場所を探せばいい。

 また暗い方へ。

 薄暗い迷路に迷い込んだネズミのように、ライカは路地裏を走り回る。


 その時だった。


 ジッ……と独特の機械音がイヤホンに入る。

 そして、同じように無機質な声が思考に滑り込む。


「雨は降ったか?」

「!?」


 思わず足を止めそうになる。

 イヤホンを通して耳には響いたのは、ハルの声だった。

 返事が出来ずに、足を動かしながら考える。


「雨?」


 気づいたら当たり前のように降っていた。

 傘を差すべきか走り出すか微妙な、小降りではあるが。

 ライカは必死でそれには気づかなかったが、その言葉で顔が濡れているのは汗だけではなく、自身を打ち付けている雨だと気づく。


 冷たい刺激が、酸欠で真っ暗な思考に光をさす。

 小道を曲がると、ちょうど道は二股に分かれていた。

 このまま中心街へと一本通行で抜ける道と、そこから離れて暗い路地裏へと繋がる道。


 先程からのクセで中心街から距離を取ろうとした足にブレーキをかける。

 足が滑って、壁についた手が擦りむける。

 その痛さも、思考を冷静にさせた。


 確かハルはこう言っていなかったか。

 問題が起きた時に思い出せと。


 ―『意味のないことはさせねぇ』


「……あ」


 ライカの中で、行き場をなくしていたパズルのピースが、見事に一つの絵を描く。


「こっちじゃねぇっ!!」


 ライカは先程まで必死に探していた暗い小道に背を向けて、眩しいほどの光と喧騒の中へと、最後の力を絞って駆け出した。





「おい、いたか?」

「いねぇ。くっそ、あの頭なら見りゃすぐに分かるのにな」

「顔は?」

「髪の色に気ぃ取られて、よく覚えてねぇよ」


 鬱陶しそうに雨粒を振り払いながら、黒狼らしき二人がライカの背後で会話をする。


 ―『なかなか目立つ色に染まったじゃないか』


 ハルの言葉を思い出して、ライカが思わず舌打ちをしたくなる。

 額まで降りていたオレンジ色の髪は、雨と汗で一気にオールバックにしており、目深に被ったフードの奥にしまってある。


「アイツの上着の色は、確か青だったよな」

「あぁ、間違いねぇ」


 再び二人組が確認し合う。


 ―『喜べ、お前のためにリバーシブル仕様を用意してやったぞ』


 再びライカが舌打ちしたくなる衝動を抑える。

 青がかったライカのウインドブレイカーは裏返され、今や黒に近い灰色と白のラインの入ったものになって彼の体を雨から防いでいる。


 まるで急に降られた雨を避けるための雨宿り場所を探すかのように、ライカはごく自然にフードをかぶり、同じようにカバンや手で雨を遮りながら小走りになっている群れに混じっていた。

 背中に受けるギャングの声から全速力で逃げ出したくなる気持ちを抑え、自然に街の一部と化す。

 

 ―『ほらぁ。お前がチョロチョロしてっから、雨降ってきちゃったじゃねぇか』

 ―『ちょうどいいな』


 数十分前にハルとライカが交わした会話だ。

 何がちょうどいいのか、という問いに彼は『すぐに分かる』と答えた。


「……痛ぇくらいに、よく分かったよ」


 誰にも聞こえない声で毒づいたライカの背後からは、すでに黒狼の二人の会話は遠くなっていた。

 繁華街から離れるまでは油断できない。

 ここが一番隠れるのに適しているのだ。

 皆が同じような格好をした場所で、先ほどとは違う格好で、彼らに混じっているこの場所が。

 自然に、自然に、と言い聞かせて繁華街のネオンが途切れる場所まで、彼は重い足を引きずった。





 ずぶ濡れで重い体を気合で引っ張りながら、ライカが降谷家のガレージの前にやっと辿り着く。

 すっかり暗くなった庭に、下が一メートル程開いた隙間からガレージ内の光が漏れている。

 それがまるで、自分がここに帰って来るのが分かっていて開けているように思えて、ライカは顔をしかめた。

 だが、そのまま自分の家に帰るような真似はしたくなかった。

 ぎりっと奥歯を強く噛んで、身をかがめてガレージ内に足を踏み入れる。


 ガレージの和室空間ではカイが正座のままノートパソコンに指を走らせながら、その正反対側では天井から吊るされたサンドバック相手に拳を振るっていたアキが、それぞれに入ってきたライカに目を留める。


「おかえりーぃ」

「お、少し男前が上がったか?」


 ハルの思惑が分かっていたカイと、それを彼らが出て行った後に兄から告げられたアキが、愉快そうな声でライカを迎える。

 しかし、ライカはその二人を無視して、一番奥で顔すら上げずに二人掛けの専用ソファのど真ん中にどっしりと身を預け、片手で携帯端末を操作しているハルに向かっていく。


 ガレージ内に雨粒が垂れる音とライカの靴音だけが響き、そしてハルの真正面で止まる。


「ご苦労。おかげで色んな物が手に入ったよ」

「……あぁそうかよ」


 未だ顔を上げずに何事も無かったように言う彼に低い声で答えると、着ていたウインドブレイカーと通信機、拳銃、そしてサイドポーチを丸めて投げつける。

 それを端末を持っていない方の手で造作もなくハルが叩き落とし、


「きったねぇな、おい」


 湿った袖口を見ながら毒づいた。


「返せよ」

「あ?」


 仁王立ちでハルを睨みながらライカが低い声で言う。


「データ、返せ。約束だ」


 ここを出て行った時とはまるで違うライカの様相に、ハルが面白そうに僅かに口元を歪める。


「お前はさぁ、本当に人の話を聞かねぇやつだよなぁ?」


 携帯端末をポケットしまって、大儀そうにハルがわざとゆっくり立つ。

 代わりにポケットから取り出されたのは、例のデジタルカメラだった。

 睨めつけたまま動かないライカの前で、ハルは片手をポケットに突っ込み、片手でカメラを弄ぶ。

 そしてライカの視線を真っ向から受け止めて、目を細める。


「『全部』仕事が終わったら、返してやるつったんだ。

 『全部』の意味、勘違いしたか?

 俺は事件が全て終わるまでって意味で、言ったんだがなぁ?」


 ハルが首を傾げながら、抑え込んだ怒りを拳に込めるライカをカメラレンズ越しに覗き込む。


「てめぇっ!!」


 その挑発的な態度に、目を開いたライカが殴りかからんばかりにカメラに手を伸ばす。

 しかしハルの方が早かった。

 身をかがめてその手を避け、がら空きの脇腹に肘を入れ、ついでにその勢いのまま足を払う。


「うぐっ!」


 最小限の動きで、ライカの体がさっきまでハルのいたソファに投げつけられる。

 柔らかいソファが落ちた衝撃を吸収したが、脇に入った攻撃が効いたのか、そのまま彼は体を丸めようとする。

 だが、ハルの右足のブーツが、ライカの左肩を背もたれに叩きつける。

 強制的に上を向かされたライカと、それを見下すハルの目が再び合う。

 反射的にハルを睨みつけて、ライカが押さえつけているハルの足に手を伸ばす。


「ぐっ」


 しかし手を伸ばした足にその手は蹴り飛ばされ、代わりにライカの首を、ソファに縫い付けるようにしてブーツの底で押さえつける。

 呼吸を止められたライカが、それでもハルを睨みつけながら、両手でその足をどかそうとブーツを掴む。

 しかしブーツに食い込むライカの指の力と比例するように、彼の気道を圧迫する力が強まる。


 もはや声ではない音がライカの喉から漏れる。

 徐々に赤くなっていく顔を、全くの無表情でハルは見ていたが、やがて目をつぶってため息をつくとライカの首から足をどけ、彼の右こめかみをブーツの踵で横殴りするように蹴り落とす。

 声すら出せずに、ライカの体がソファの上で横倒しにされた。

 何とか彼は身を起こそうとするが、その頭はハルの手の平で上から押さえつけられる。

 顔の右半分をソファに埋めたまま、ハルは彼の視線に合わせるようにしゃがむ。


「これでチャラ」

「…………あ?」


 その言葉にライカが何とか声を出す。


「言っただろ?

 お前を許したなんて言ってないって。

 でもこれで許してやるよ。

 お前がやったこと、チャラにしてやる」


 何だか理不尽なような気がしたが、それを言う気力はライカにはもうなかった。


「もしカイを襲った時に俺たちが来なかったら?

 カイがお前の提案を受け付けなかったら?

 お前の脅しに屈しなかったらどうしたか?

 ……なんてのも聞かないでおいてやる」


 一貫した口調でハルが言うのを聞いて、ライカが段々と理解する。


 彼は出来ればライカに来てほしくなかったのだと。

 カイを襲うような人間が、いてほしくはなかったのだろうと。


 この街の切り裂き魔は伝染病だと、いつか誰かが言っていた。


 もしもカイが自分の脅しに屈しなかったら?


 今更ながらライカは思う。

 恐らく自分は『Ripper』と同様の手段を取っていただろう。

 さも当然のように。

 そしてほんの僅かの罪悪感を、数時間という短時間で風化させ、日常に戻る。


 なるほど病気だ。とライカが納得する。

 ならばこれはハルなりの荒療治なのだろうか。


 そこまで考えて、ライカがそれは考えすぎだろうか、と心のなかで苦笑した。


 ふとライカは頭が軽くなるのを感じる。

 ハルの手が離れたのだ。

 痛みと苦痛を押し殺して、ライカはソファにもたれるように身を起こす。

 全身に溜まった何もかもを吐き出すように、大きく息を吐く。


「カイ。お前の体どうだ?」


いつの間にか畳に胡座をかき、アンとアルを両膝に乗せてポテトチップスを食べながら観戦していたカイがその手を止めて、首を傾げて考える仕草をする。

 完全に寛ぎモードに入っていたため、一瞬何のことかと考えたが、どうやらライカを脅すネタだった当たり屋稼業についてのことだと分かり、コクコクと頷く。


「絶好調。背骨も手首も、昼寝したら治った」

「トラウマの方は?」

「今の見たショックで吹っ飛んじゃった」


 二人の会話を、ライカが目を丸くして見る。


「………」

「だそうだ。これで二百万もチャラ。さて後は……」


 ハルがデジタルカメラを顔の高さまで持ち上げる。

 そのままポスターにでもしたら、そのカメラ馬鹿売れするんじゃないのか、というポーズのハルを見て、ライカは気持ち良いくらいの敗北感を覚えた。


 一体いつから、どこからこうなることをハルは予期していたのだろうか。

 全てが彼の思う通りに、行動のすべてを未来から見られてきたかのような日だった。

 今日ライカが校舎裏に来たこと、それが自分のような人間だったことは全くの偶然である。

 それなのに、ここに至るまでの準備は万端だった。


 ライカは思い出す。

 ハルは何度か『適材適所』という言葉を使った。


 これが彼の『特性』、彼が持つ独自の『力』なのだろう。

 集めた過去のデータ、そしてそこから予期される幾通りもの予測。

 彼はその予測に基づき、知識、身体能力、行動力、仲間、持ちうる全てを駒としてばら撒く。


 そうしてやがて状況が一つの予測に至ると、まるで絵でも描くかのように、一瞬にしてばら撒いた駒を一筆書きで繋ぎ、その先にある自分が欲しい未来、もしくはさらなる予測に結びつける。



 彼にとっては、まさに『適材適所』だ。

 相手にとっては、ただの悪魔の所存であるが。


「……分かった。分かったよ」


 どうやったって敵わないじゃねぇか。

 ライカは苦笑しながら両手を上げる。


「事件が終わるまで、お前に協力してやるよ。

 それでいいんだろ?」

「え、それでいいの?」

「おい、なんだお前いまさら!」


 逆にきょとんと聞き返したハルに、思わずライカがソファの上で転びそうになる。


「もうちょっとゴネるかなと思ったんだけど。

 案外扱いやすいのな、お前」

「は? 何が言いてぇんだよ」

「いや、こっちはお前の時間拘束するわけだしさ。

 ついでにゲームも降りてもらわなきゃならねぇから、一応バイト扱いで謝礼とか用意したんだが。

 そうか、いらないか」

「謝礼?」

「可能性を考慮して、優勝賞金とまではいかねぇが、一応十万円」

「十万!?」


 ポケットから引っ張りだされた茶色い封筒には、確かにそれ相応の厚みがあった。


「コイツ金いらねぇってさ。

 おいアキ、これでお前の参考書でも買ってこい」


 それを聞いたライカが痛みも忘れて身を乗り出す。


「アホかやめろ!

 俺がありがたく頂戴するから、そんな無駄遣いするんじゃねえ!」

「おいてめぇ、どういう意味だコラぁ!」


 サンドバックを殴る音とアキが吠える声が聞こえる。


「……欲しいの?」


 封筒を届かないように上に上げたハルが、片目を細めて意地悪く聞くと、


「欲しいです」


 こくこくと必死の形相でライカが頷く。

 それを見てはるが、やれやれといった感じで目を閉じて軽く横に首を振る。


「OK。とりあえず、成功報酬ってことで契約成立だ」

「うぉっしゃ!」


 ライカが両拳を握って喜ぶ。


「……ハル君って、本当に飴と鞭の使い方が上手い」

「アイツが馬鹿なだけだろ」


 その様子に降谷兄弟が口々にこぼす。


「それじゃあライカ。最初の仕事だ」

「え、これから?」


 早速ライカに仕事が告げられる。


「あ? 文句あんのか」

「いえ、無いです」


 不満を漏らしたライカに、ハルが冷たい目で見下して舌打ちをする。

 条件反射でライカがソファの上に正座する。


 ハルはそんなライカを指さす。

 正確には、ライカが座っている、泥だらけになったソファだ。


「今すぐ元の状態に戻しやがれ。殺菌込みでな」


 潔癖症、特に自分の周りのものに関して敏感過ぎるハルの性格をライカは忘れていた。


 雨と汗とその他諸々で、高級感溢れるソファが無残なまでに汚れている。

 それでなくとも、今日だけで数回彼の潔癖な神経にライカは何度も触れている。

 心なしかハルのこめかみがピクピクしていた。


「じ、自分で投げ飛ばしたんだろうが!」

「あぁ?

 お前、人が気ぃ使ってやったっつぅのに何だその言い草。

 あ、消臭も忘れるなよ。

 お前の臭いが染み付いてやがる」

「臭わねぇよ、そんなに!

 お前、俺のことなんだと思ってんだよ!」

「産業廃棄物」

「ちげぇよ!

 犬だっつって……いや犬扱いもあんまり認めてねぇからな!」

「うるせぇな。ほら早く綺麗にしやがれ。

 お前の給料からどんどん迷惑費天引くぞ」

「あーもう、俺、なんか早速選択肢を間違えた気がする……」


 ガレージに響く新しい声にワクワクしながらルリが覗きに来るまで、ライカの不平不満とハルのブーツがライカの頭を蹴る音はやまなかった。


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