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「お久しぶりです、八柄君」
次にハルとアキが訪ねたのは、こづかクリニックからそれほど離れていない喫茶店だ。
やはりクリニック同様に人足寂しい土地柄か、一見して趣味が良いと分かるイギリス風なアンティークを揃えた洒落た内装の店内には、まばらに客が入っているだけである。
白髪混じりの黒髪を丁寧にオールバックでまとめたオーナーも数少ない客も、その静けさをじっくりと愉しんでいるような表情をしていた。
二人を待っていたのは、肩より長い髪を一本にまとめた、一見真面目な大学生風のメガネを掛けた青年だ。
彼は二人を見とめると、椅子から立って軽く頭を下げる。
アキはともかく、見た目中学生のようなハルに対する挨拶としては、周りからは若干違和感を覚える態度だ。
ハルは軽く手を上げて、
「忙しいのに悪いな、カラスさん」
本当に悪いと思っているのかいないのか、誰にも判断の付かない淡々とした声で短く答える。
「ごとうふみいち、漢字は後藤文一。二十二歳。
去年黒狼に入ったメンバーなので、八柄君とは面識がないですね。
『ロック』は流石に覚えているでしょう? No.2の彼」
カラスと呼ばれた青年は、使い込まれた革表紙のノートに目を走らせながら、まるで家庭教師のように話しかける。
先程のリサには、三年前の陽光学園で起きた事件を調べさせていた。
そして今度は、現在リッパーズ・ストリート全体を騒がす、ギャング黒狼の幹部切り裂き事件について聞くために、ハルらは目の前の青年の元に訪れた。
一体、陽光の『Ripper』やら『BlueButterfly』やら『コードハント:ネイビス』やらはどうしたんだと、困惑するアキをよそに、二人は対面して話を進める。
カラスの言葉で、ハルはロックと呼ばれるギャング黒狼の幹部の顔を思い出し、完全に馬鹿にしたような様子でハンっと鼻で笑う。
「……あぁ、ロックねぇ。忘れたいけど覚えてるぜ。
あの脳ミソを母親の腹ン中に忘れたような、クッソうるせぇ馬鹿だろ?
生まれた瞬間マガミの野郎を見ちまったのか、刷り込みみてぇにピヨピヨとボスの後くっついて回ってる、あの馬鹿だろ?」
馬鹿を強調するハルの言葉に、くくくと小さく笑いながらカラスが頷く。
落ち着いた風貌のためか、カラスは二十代後半か三十代でも通りそうだが、おかしそうに顔を歪める様子は十代にも見える。
「そうそう、その馬鹿です。
文一君はその馬鹿の従兄弟でして、馬鹿同様にキングにぞっこんで魂捧げちゃって。
それなりに役に立つ青年だったので、馬鹿の下……幹部と言えば幹部ですが、まぁ立場的には中間管理職ってところですかね。
そこに落ち着いた人物です」
「……名前で呼んであげようぜ」
馬鹿と言われると、まるで自分が蔑まれているかのように思うのか、アキがソーダのストローを咥えたまま渋い顔をする。
「黒狼的には新参者中の新参者で、裏社会的に染まり切っておらず、裏表のない気持ちの良い青年でしたね。
他のメンバーのウケも良かったですし、キングにも信頼されていて、何度か大きな仕事も任されていました」
カラスは、可愛らしいワイルドストロベリーが描かれたウェッジウッドのティーカップに唇を付けて紅茶で喉を潤しながら続ける。
一人何も頼まずに机の上で携帯端末をいじるハルは、つけっぱなしのイヤホンも相まって、端から見たらまるで話を聞いていないようにさえ見える。
そんな様子にも慣れているのか、意に介さずカラスはノートをめくる。
「事件が起こったのは二ヶ月前。正確には四月二十一日」
その言葉に、本題に入ったとアキがゴクリとソーダを大きく飲み込み、自分のメモ帳を出して書き留める準備をする。
一方隣のハルは、先程と変わらず黙々と長い裾から指だけだして、両手で端末を操作していた。
「彼の話では、夕暮れに一人で歩いていたところを、いきなり催涙スプレーを浴びせられ、後頭部を殴打。
どこか路地裏に引きずり込まれてリンチ。
最初は殴る蹴るだったが、最終的に相手はナイフを持ちだして、頬と左足を複数箇所刺されています。
特に足の傷がひどいらしく、後遺症で歩けなくなるかもしれないそうです」
「ひでぇな」
アキが嫌悪感を隠そうともせずに吐き出し、カラスが同意するように暗い顔で軽く頷く。
「単純にキングに憧れて黒狼に入っちゃった、純粋な子でしたからね。
まぁギャングなんて名乗ってるのだから、こういうことも覚悟の上だと言えば、その通りなのですが」
「だからって、そこまでやるかよ。
そんなもん喧嘩でも抗争でもなんでもねぇ、ただのリンチじゃねぇか」
「ヤクザな商売してますから、文句は言えませんよ。
まさかギャングが警察に泣きつくわけにもいきませんし。
その代わり警察よりもタチの悪い、彼の仲間が目を光らせて犯人を追ってるってわけです」
そう締めくくって、カラスが再び紅茶に口をつける。
「最近黒狼の奴ら出張ってて、うっぜぇなって思ってたんだけど、そういうことなら分かっちゃうな」
自分で書き留めたメモを、しかめっ面で睨みながらアキが言う。
「特にロックは自分の従兄弟ということもあって、見つけたらぶっ殺してやるって息巻いてますよ。
ピリピリカリカリして、『城』にも戻らずに手当たり次第捜索してるみたいです」
城、というのは黒狼の根城である。
リッパーズ・ストリートで最も高い高級高層ビル。高いというのは勿論値段も高さもである。
そこがこの街を仕切る獣たちの住処だ。
「うへー、会わないように気をつけよ。
絶対因縁付けられるもんな」
アキがずずっと底に残ったソーダを行儀悪くすすり、相槌一つ打たないハルの方を見る。
彼は相変わらず黙々と携帯を操作していた。
「どうですか八柄君。少しは役に立ちますか?」
「タダ分の情報としては」
目も上げずにハルが答える。そして、
「『情報屋のカラス』が役に立つのはこれからだろ」
携帯から片手を離してポケットに突っ込み、口以外折り目一つない封筒を投げるように机に置く。
それをカラスがにっと笑って拾い上げ、中を確かめる。
「ちょっと多くありませんか?
今度は何を企んでらっしゃるんですかねぇ」
中に入っているお札を封筒の中で指を滑らせて数えながら、今度は訝しそうにカラスが言う。
ハルはそれに軽く肩をすくめて続ける。
「契約金。一回一回払うの面倒くせぇから、一週間お前を雇う。
俺の質問には嘘偽りなく答え、情報を集めてほしい。
あと、繁華街を巡回してる黒狼の連中の動向を、随時メールで俺に送ってくれ」
「……それにしては少なくないですか。
立場上、君の下につくと色々面倒なのですが」
「危険なことはさせねぇよ。そのためにコイツもいるし」
ハルが顎でアキをさすと、彼は得意げに胸を張る。
しかしハルの真意は違うところにあるようで、それに気づいたカラスが同じように肩すくめてみせる。
「なるほど。
この金額が、君が今調べている案件に立ち入らせないための防護柵ですか」
「カラスさんが察しの良い人間で、本当助かるよ」
二人の会話に、胸を張ったままのアキがどういうこと? と首を傾げる。
自分たちが欲しい黒狼の情報だけ買い、今調べている切り裂き魔事件のことについてカラスに踏み入らせない、というハルの思惑には結局気付かなかったようだ。
「情報屋としては、八柄君の行動原理には大変興味があるんですが。
まぁいいや、僕も忙しいし、今回はこれで契約成立としましょう」
カラスが封筒を脇に置いた革製の肩掛けバックにしまい込むのを見ると、ハルが軽く手を上げてオーナーを呼び、カラスの空になったティーカップにお代わりを注ぐようにオーダーする。
甘酸っぱいベリー系の香りでカップが満たされたのを見て、カラスが一口つける。




