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2-8

 リッパーズ・ストリートのオフィス街も、中心部は手入れの行き届いた数々の銀色のビルで圧倒されるが、それも数キロ離れると、途端に煤けた色が混じってくる。

 三十年前に新築されたビルが来るまで、サラリーマンを抱えて細々とながら繁栄を続けていたであろう数階建ての無骨なビルたちは、今やその地位を奪われ、雑居ビルとして入れ替わり立ち変わるテナントを無作為に受け入れる建物に変わっていた。

 それはオフィス街から離れるに従って顕著になり、最終的には人がいるのか廃墟なのか分からない建物群となっていく。


 そんな寂れた旧オフィス街の一角、雑居ビルの一階に『こづかクリニック』と緑色の文字で書かれている看板前に、ハルとアキがいた。


「……毎度思うんだけどさ、どうやって生計立ててんだろうね。この病院」


 蔦が絡まり端が割れた看板を見ながら、アキが訝しがる。

 たまに車や散歩中の年配者が通る以外、この地区には人通りすらほとんどない。

 そんな物悲しい雰囲気の中で開業医が生きていけるのか、本気で疑問に思っているようだ。


「時折お年寄りとか来るらしいぜ。

 大学病院とかよりも居心地がいいんだと」


 絡まった蔦を、細い指で引っ張って取ってやりながらハルが答える。

 

 ハルの言った大学病院は、このクリニックから割と近くにある。

 そこはオフィス街や駅から歩いてもいけるし、バスもあるという利便性も相まって、目が回る繁盛をしている。

 比べてこのクリニックに来る患者、いやこのクリニックの存在自体を知っている人間が、一体どれだけいるだろうか。

 そんなライバルを抱えながらも、地味に固定客が付いているのが、この『こづかクリニック』らしい。


 銀色のノブを捻って扉を開けると、立て付けが悪いのか、きぃっと軋む音を立てて開く。

 内装は外見とは違い、古くて狭いながらも清潔でしっかりとした造りであり、足を踏み入れると病院独特の消毒液の匂いが二人を包む。


「ようこそいらっしゃいました。

 本日は診察ですか?

 それとも先生にご用でしょうか」


 簡素な受付で出迎えたのは、ショートカットの小柄な女性だった。

 カミソリのような切れ目に黒縁の眼鏡を掛けた彼女は、笑みの1つも浮かべずに、まるで秘書かロボットのようにペコリと頭を下げる。

 無機物のような表情は、どことなくハルと似ている。


「ちょっとコイツの脳ミソを取り替えてくれないか?

 なんかもう、蟹ミソとかのほうがマシかもしれねぇって最近思い始めてさ」

「ハル!?」


 ハルが同じように笑みの一つも浮かべず、親指で後ろから着いてきたアキを指す。

 何を言い出すんだと驚くアキとは正反対に、受付は僅かに考える素振りを見せてから、やはり無表情に告げる。


「開頭手術ですか? 少々お待ちくださいませ。

 長時間の手術が可能な日程を調べて参ります」

「悪ぃな。手間を掛けさせて」

「いえ、仕事ですので。

 そういえば母方から美味しい信州味噌が届いたのですが、代用品としてどうでしょうか」

「こいつには勿体ないから、俺にくれ。

 苦労ばかりかけてるこいつらの妹に、美味しい味噌汁の作り方教えてやるって約束してんだ」

「かしこまりました。後ほどお包みいたします」


 どこまで冗談かわからない二人の後ろでアキが涙目になる。


「しないよ! 手術なんてしないから!

 先生にご用なので呼んでくださいっ!」

「……そうですか、残念です。

 とてもかなり随分残念です。

 今お呼びしますので、診察室の方へどうぞ」

「残念とか言うなよ!」


 ギャンギャン喚くアキを放っておき、受付が示した診察室へとハルが足を運ぶ。


「ちょうど客がいなくてラッキーだったな」


 我が物顔で壁際の診察台にハルが腰を掛ける。


「馬鹿じゃねーし。馬鹿じゃねーもん」


 受付にさらに無感情で鋭い一言二言を浴びせられたのか、泣きそうになりながらアキも診察室に入ってくる。


「この時間に客来ないってやばくない?」


 ブーツのまま診察台に寝転ぶハルの脇スペースに、腰を掛けてアキが案じる。


「いいことじゃねぇか。

 客がいねぇってことは患者がいねぇってことだ。

 こんな病院まで流行るようじゃ、それこそ大問題だろ」

「そりゃそうだけど、本当に経営できてんのかな」

「アイツの医者は趣味みたいなもんだから、いいんだよ」

「趣味が医者なんて、どっかおかしいよな」

「俺達も人のこと言えねぇだろ」

「……それもそっか」


 アキが苦い顔をして頷いた時だった。


「ハールにゃーっ!!」


 先ほど入ってきた診察室の扉が吹っ飛ぶほど勢い良く開けられ、更に同じくらい勢いの良い黄色い声が診察室に響く。

 姿を現したのは満面の笑みを浮かべた、白衣に身を包んだ女医姿の女性だった。

 はちみつ色の金髪をアップでまとめ、青い目を溢れんばかりに見開いて頬を紅潮させたまま、一直線に診察台にダイブする。


「……この病院が暇で一番困るのは、リサのテンションが行きどころを失うことだ」


 一般女性より遥かに真っ白で豊満な胸にアキごと押しつぶされながら、ハルがげんなり呟く。






「作戦はネ、随時完璧に実行中ヨ」


 怪しい日本語イントネーションで、リサがハルにウィンク付きで説明する。

 明らかに日本人ではない金髪碧眼で長身ナイスバディな年齢不詳の女医は、猫をあやすようにハルを膝に座らせて満足そうだ。

 それと逆の表情をしているのがアキだった。


「おい女狐、ハルを離せ。匂いが移るだろうが」


 主人を取られた猫のように、リサを睨みつけて喉を唸らす。


「ワタシ、狐じゃないヨ! バカ猫ー!」

「猫じゃねーよ! 獅子だ! ライオンだ!」


 子供のようにイーっと歯をむき出す2人に、ハルがため息をつく。


「……馬鹿の方を否定しろよ、アキ」

「ハルもなに大人しくしてるんだよ。

 お前、他人に触られるの嫌いだろ?」


 潔癖症を指摘されるが、


「こうしておくと、次の診察代がタダになるんだよ」


 いつもベタベタ触ってくるお前が言うな、と付け足してハルが答える。


「金のために体を売るのか!」

「……変な言い方するんじゃないの」


 アキの言い草に、ハルは長い袖を使ってペシッと彼の頭を叩く。


「おねーさんがハルにゃん飼っテあげてもイイのよ。

 オ金には不自由させナイのよー」


 白衣に収まり切らない胸をハルの首筋に押し付けながらリサが言うと、アキの中で何かが切れる。

 音を立てて立ち上がると、目を怒らせてリサを指さす。


「てめぇ、汚ぇもんハルに押し付けてんじゃねぇええ!!」

「……うっせぇ」


 リサの胸にも無反応だったハルが、さすがに眉間にシワを寄せて耳を塞ぐ。


「汚くナイもーん!

 年がら年中使いもしないのに、無駄に汚いモノぶら下げてるアンタに言われたくないヨーだ!!」

「……女の子がやめなさい」


 アキに応戦するリサの言葉に、ハルがさらに眉間の皺を深くする。


「む、む、無駄じゃねーよ!

 ちゃんと使うわ! 馬鹿にすんじゃねぇ!」

「アラアラアラー、強がっちゃっテー!

 使う相手もいないクセに! 自家発電は数に入りまセンー!

 キャハハ!」

「うるせぇ、男は数より質だ!

 俺はてめぇみてぇに無駄に発情しねぇんだよ!」

「ハイハイ言い訳ー!

 もてナイ上に言い訳がましい男は惨めネー!

 もう男ヤメやめちゃったら? イラないでしょ?

 いまならタダで摘出してアゲルわよ?

 そこら辺のネズミに付けたほうが有効活用してくれるんジャナイのー?」

「てめぇこそ、AV女優にしか見えねぇその無駄な脂肪の塊、取り外してゴリラにでも付けとけよ!

 ちったぁ医者らしく見えるかもしれねーぞ、おい!」

「何よバカ猫!」

「あんだこら女狐!」






「反省は?」


 ハルの踵で頭を上から穿たれたアキと、無駄のない動きで受付嬢から垂直にクリップボードを頭に振り下ろされたリサに、ハルが問う。

 ちなみに受付の彼女は既に一礼をして退室済みだ。


「……ゴメンナサイ」

「……ごめんなさいデシタ」


 頭を抑えた二人が、痛みに顔をしかめて反省の意を表す。


「無駄な時間使うんじゃねぇ。遊びに来たんじゃねぇんだからよ」


 それを見て、いつも通り能面のような顔でハルが言う。


「いやでもな、ハル。男には譲れな……キャンッ!」 

「まだ反省が足りねぇようだなぁ。

 なぁアキ? もう一回、ゼロからしつけ直してやろうか。

 無駄なモン全部捻り潰して完璧に仕上げてやろうか」


 再びアキの頂点をハルの踵が襲い、地に伏したアキの頭を更にグリっと踏み躙る。

 抑揚のない声に、背筋をヒヤリとさせたアキの口から再度ゴメンナサイの言葉が出る。


「ハルにゃん、遊びに来たんじゃナイの?

 作戦変更トカ?」


 小首を傾げてリサが問う。

 アキから踵を外して、ハルが診察台に座り直す。


「ちょっとお前に聞きたいことがあるんだ」

「スリーサイズ?」

「んなもん新聞の求人欄にでも書いてろよ。

 聞きたいのは二つ。

 一つ目は陽光学園の切り裂き魔、『Ripper』に襲われた被害者について。

 確か搬送先は大学病院のようだが、こっちでも情報は入ってるだろ?」


 聞かれて、リサが大きな目でウィンクをして、診察するときのように椅子に座って電子カルテも兼ねたパソコンの操作を始める。


「モッチロンよー!

 カイにゃんにCustomizeして貰ったコンピュータでピポパのドーン!」

「ちゃんとした日本語で喋れよ」


 色んな言葉と擬音語が混じった言葉に、アキがイライラしながら言う。

 彼女のコンピュータはカイの手によって、大学病院の電子カルテやら個人情報を無許可で引っ張りだして見られるようになっているらしい。

 勿論違法である。


「三人のうち、はじめの二人は前に聞いたからいい。

 問題は三人目だ。大怪我したという話だが」

「Ahー……あった、コレコレ」


 画面に表示されたのは、【古馬信乃】と書かれた電子カルテだ。

 制服からして陽光学園の生徒と分かる。


「お、女の子だったのか」


 少し驚いたようにアキが言う。

 今まで男子高校生ばかりであったからか、無意識に男だと思っていたらしい。


「大怪我ってのはどの程度だ。

 たしか『青い蝶』と同じ手口だと聞いたが」


 ハルは気にせずリサに問うと、彼女はその詳細を引き出す。


「右肩、左上腕、左右下腿部に刃物による切り傷、あと数箇所殴られたミタイ」

「切り傷?」

「ソーヨ。……程度は、ふむむむ。

 傷はそれほど深くなくて、ちゃんと治療が終わったらアトも残らない程度ネ!」

「そっか! 不幸中の幸いだな、良かった」


 大怪我とは言っても怪我の程度自体はそれほどではないらしい。

 実際に襲われたという恐怖心は計り知れないが、ともかく重傷ではなくてよかったとリサとアキが胸を撫で下ろす。

 しかし、リサがその詳細に目を通しながら、顔を暗くさせる。


「……あ、デモね」

「どうした」

「……襲われかけたミタイよ」


 濁しながら言った言葉に、アキが何を言っているんだとぽかんとする。


「は? そんなの知ってるよ。つぅか襲われたんだろ」


 そんなアキに女医は何も答えないので、ハルが代弁する。


「強姦」

「………………は?」


 いつもの冷然とした言葉で告げられた単語が上手く処理できなかったのか、アキは数秒沈黙した後、その行為自体が信じられないというように声を漏らす。

 切り裂き魔に対する怒りと、少女に対する同情で、無表情になる。

 それはリサも同様だった。


「襲われかけたってことは未遂で済んだのか」

 一人ハルだけが一貫した態度で報告を聞き出す。


「……ウン。ちょうど人が通ったミタイで、逃げていく犯人も見てるノ。

 その通りかかった人が救急車呼んで助かったノネ。

 じゃなかったら、この子どうなってたカシラ……」

「襲った場所と時間、それから犯人の姿は?」


 一切の私情を挟まずにハルが質問を続ける。


「犯行場所は繁華街の路地裏。

 時間……救急車が呼ばれたのは午後八時クライね。

 犯人は、よく分からなかったらしいワ」

「よく分からない?」

「助けたヒトも、後ろ姿ダケしか見てないし、怪我した女の子の方に気を取られてそれどころじゃなかったらしいノ。

 多分男だろうって言ってるケド。

 女の子の方は……何も話してないみたい」


 リサが気の毒そうな声で答える。


「そりゃそうだよ!

 襲われるだけでも怖かっただろうに。

 ……ひでぇよ、女の子にさ」


 アキが怒りを滲ませて歯ぎしりをする。

 それをハルは顔を向けないで横目で見ながら冷たく言う。


「男なら切り裂かれようが強姦されようが、どうでもいいのかよ」

「そ、そういう意味じゃねぇよ! 分かるだろ!」


 それには答えず、ハルは冷笑とも取れるように片目を僅かに細めるだけだった。

 そしてリサの方に目を向けると、再度質問を続ける。


「今はまだ入院中か?」

「ソウネ。

 多分怪我だけじゃなくて、精神的にも落ち着くまで大学病院にいるんじゃナイかな?」

「なるほどね。

 OK、三人目の被害者については以上だ」


 一つ目の質問をハルが締めくくる。

 それを聞いてリサが古馬信乃のカルテを閉じる。


「彼女について、また何か分かったらオシラセするネ。

 それで二つ目は?」

「もう一つは、この街の様子。……三年前の」


 ハルの質問は、リサだけではなくアキも首を傾げるものだった。

 てっきり今回の切り裂き魔事件について聞くのかと思ったが違うのか、と二人がハルの顔を見るが、どうやら彼なりの意図があるらしい。


「三年前? 具体的には?

 ワタシに聞くってことは、病人トカ怪我人トカ?」


 首を傾げて、リサが思い出すように宙を見上げる。


「暴行恐喝切り裂き魔何でもいい。三年前の、おそらく陽光学園で起きた事件だ」

「陽光学園? んー……」


 腕組みをして目をつぶるリサを横目に、アキがのそのそと起き上がる。


「三年前の陽光学園? 何でそんなこと聞くんだ?」

「俺が二問目の場所で言った事を、もう忘れたのか?」

「へ?」

「……いいや、もう」

「あ、ちょっと! やめてよ、そういう諦めた感じの目!」


 ふいと目をそらしたハルに、アキが涙目で彼の袖に縋る。

 それを逆の手で制しながらリサの答えを待つが、彼女は目を閉じて唸っていた。


「急に言っても出てこねぇよな。

 また折を見て聞きに来るから、適当に思い出しておいてくれるか?」

「んー……ん?

 そうネ。ちょっとスグには出てこないノ。調べておくヨ。

 用事はそれだけ?」


 考え込んだまま動かなくなったリサに声をかけると、彼女は元気よく頷いて返す。

 問われて、ハルはふと考えるように目を伏せ、


「ちょっと刺激的なアレが欲しいかな」


 そのまま、深い色の瞳をリサに向ける。

 それを見て、リサがにぃっと唇を上げ、蠱惑的に目尻を下げる。


「カラいのと、イタいのと、マブシいのと、ウルサいの、どれがお好み?」


 ピンク色の唇から紡がれる言葉に、ハルが当然だろう、というように形の良い唇を僅かに上げて返答する。


「全部」



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