少女の仕事
「邪魔くさいな……」
東京郊外の住宅地で一人の少女が呟く。
昼時の集合団地、確かに人は多くないが皆無というわけでもない。
それらの人に向けた言葉ではないにせよ、鋭い目つきと相俟って人をどけさせるには十分な迫力があった。
しかしそれは人に向けて発したものではなく、むしろどかした人々を守るためのものともいえる。
「ちっ……」
小さく舌打ちをしてから少女は団地の一角に歩みを向けた。
通称お化け団地、見る位置によって煙突の本数が変わる為お化け煙突と呼ばれた場所があるが、それとは違い純粋な意味で幽霊の目撃談が多いことからお化け団地と呼ばれていた。
また周囲には広大な墓地と古城跡が有る為にその通称は真実味を帯びて日夜若者の肝試しスポットとして扱われてきた。
それが災いしたのだろう。
元来幽霊や妖怪といった類は人のうわさにひきつけられる。
特にインターネットという通信手段が発達した今、心霊スポットの突撃ブログなどで大々的に取り上げられるとその噂はさらに拡散される。
「あーもしもし、こちら辰巳事務所のものです。
もっかい詳細を利かせてください。
はい、はい、あぁやっぱり。
で、それいつの話ですか。
……3日前か。
十中八九死んでるんで覚悟だけしといてください」
少女は電話の先で女性の泣き崩れる音を聞きながら携帯電話の電源を落とす。
そして目的地であるお化け団地の4階にある部屋を目指した。
そこは過去に首つり焼身身投げと様々な自殺事故が発生している部屋で、心霊スポットの目玉ともされていた。
その内装は血が飛び散ったままの壁に、焼身の跡の残った床、他にも爪痕の残る柱などまるで廃墟のようなと表現したほうが適切な内装だった。
「もしもし、おじゃましますよ~」
しかし物怖じすることなく、靴を履いたまま室内に上がりこむ。
日本の建築物としては靴を脱ぐのがセオリーだが、過去にここに来た連中がそれを怠ったのだろう。
床には土埃が貯まっており、そこを靴下出歩くのはさすがに気が引けた。
「えーと……ここか」
少女は風呂場の前に立つとその扉をあけはなち、そして浴槽を覗き込む。
「もしもしこんばんわ、お邪魔してますよ」
にっこりとほほ笑みを浮かべて少女が挨拶した相手は、水の中にあおむけに浮かぶ男だった。
その肉体はふやけたのか、それとも水を吸ったのか肥大化しており来ていた服ははちきれんばかりに引き伸ばされている。
「3日でここまでか……ずいぶんと強いらしいわね」
それは紛れもなく死体だった。
けれど少女は戸惑うことなく男の死体をあさり、尻のポケットから財布を抜き取る。
生憎札は使い物にならないほどボロボロになっていたがカード類は無事だった。
その中から見つけ出した学生証には近隣の高校に通っているという事と本名が記載されており、先ほど電話で話した女性の息子であることを物語っている。
「まあ予想通りだけど、あとはこの惨状をどうするか……か」
ぼやくようにそう言った少女が振り返った先には焼けただれたマネキンのようなモノが立っていた。
この場所で焼身自殺した30代の男性、その霊魂であり自殺から数年がたち怨嗟に縛られている。
「さわんな」
本来であれば忌避感を抱き、恐怖心に支配されたであろうその姿。
しかし少女は生まれつきの感性で死者生者問わず霊魂を見てきた。
中には嫌悪感を覚えるようなものもあったがそれらと比べると目の前にある魂は、それこそ子犬の様なものだった。
少女は焼けただれた魂が伸ばした手を払いのけ、そのまま霊魂の腹部に蹴りを放つ。
「もっかい燃えておく? 」
そう言って少女が取り出したのはオイルライターとそのオイルで、霊魂の足元にオイルをぶちまける。
そしてそこに、火をつけたライターを落とした。
「霊魂は炎で浄化される。
火葬なんかはその代表よね」
そう呟きながらライターを拾い上げ、胸元から取り出した煙草に火をつける。
タバコの煙、金属は霊魂が嫌う節がある。
しかし金属を身にまとっているとお目当ての霊魂にあえないこともある為少女は常に煙草を携帯していた。
「あとは報告をするだけ……だったんだけどな」
オイルが尽き、火が消えた後に霊魂は残っていなかった。
しかしその炎の向こう側には順番待ちでもするかのように頭の潰れた霊魂と手首から水道の如く血を流している霊魂、そして異様に首の長い霊魂がいた。
「しょうがない、全員送ってあげるからかかっておいがぼっ」
少女が不敵に笑みを浮かべた瞬間、背後から何かが少女の首に手を回し、水のたまった浴槽へと引きずり込まれた。
その正体は先ほどの膨れ上がった男子高生の霊魂であり、死体は今もなお浴槽に浮いている。
つまり少女は浴槽に死体と並んで沈んでいるわけで、本人にとっては嫌悪感を隠しきれない状況となっている。
そのためか、普段は意識的に行っている手加減を放棄して自衛のため、そして殲滅のために少女は抵抗した。
霊魂は、憑代が無ければ存在できない。
悪霊となった物は怨嗟を憑代に、通常の幽霊は生前の思いを憑代に、死んで間もない霊魂は自身の死体を憑代とする。
この憑代に与えられたダメージは霊魂に直接伝わる。
それを少女は知っていた。
「!!!!!?!??!? 」
先ほどまで少女を抑え込んでいた男子高生の霊魂は突如内またになり、口と目を限界まで開き、股間を手で押さえ始めた。
「まったく……見目麗しい処女を風呂に引きずりこむとか何考えてんだ間抜け」
処女……もとい少女は男子高生の死体の股間をつぶさんばかりに握りしめていた。
幸か不幸かふやけた肉体は非常にもろく、奇妙な液体をまき散らしながら睾丸は破壊されることとなった。
「あーあ、誰が喜ぶんだよこんな変態プレイ。
ぺっぺっ」
口の中に入った水を吐き出し、再び正面にいた霊魂に向き直る。
しかしそれは杞憂に終わり、首の長い霊魂は少女に一礼したのちに消えてしまった。
また手首から血を流し続けた霊魂は少女を無視して浴槽の中で寝転がり、頭の砕けた霊魂は少女に相対するどころかわけもなくその辺りをうろつくだけだった。
なお男子高生の霊魂は股間をつぶすと同時に消滅した。
「……独り相撲って恥ずかしいもんだな」
そうつぶやいた少女は携帯電話の電源を入れようとして、水没した際に破損してしまったことを思い知る羽目となる。
その八つ当たりとして男子高生の死体を一発蹴り飛ばし、財布から小銭を抜き取って近隣の公衆電話へと歩みを向けることとなった。