誘(いざな)い
「ちっお前か……居たんなら言えよな」
痘奔煎は、自分の頭をくしゃくしゃと掻き回しながら私の上から退いた。扉にいた男は、ベッドに近寄ると眉間に皴を寄せ、ポケットからハンカチを取り出すと鼻を押さえた。
「なんだい、この甘ったるい匂いは」
「香だよ。起きても大人しくなるようにあのクソ官長からの頂きモンを使ったんだ」
「……相変わらず女癖が悪いのは似たもの同士だと思うがね」
「あの阿呆と一緒にすんな!大体、あいつは……ぶつぶつ……――」
痘奔煎はずっと頭を掻きながら扉を開けて部屋を出て行った。
「……ごめんね。女を見ると手を出すのが早い奴なんだ」
「はあ……」
ベッドに腰を下ろす男に警戒して後退りすると、男は私に満面の笑顔を向けて言った。
「そんなに怖がらなくてもいいよ。僕は痘奔煎とは違って、紳士だからね」
「……」
都会でよく使われる、云わばナルシストというやつだろうか。初めて見るような人だった。洋風の、またもや高級そうな服を纏っている。
「紹介が遅れてしまったね。僕はこの痘奔国のとある邸に住んでいる、痘奔煎の友人、アレス・クンセルト。アレスでいいよ。金髪でわかると思うけど、僕は外来種だ」
「外国……人?」
ここまで来て、頭が混乱する。
(ここは本当に痘奔国?ではあれが叔父様の言っていた領主?でも何故滅んだ筈の国があるの?何故私はここにいるの?)
逆流する様に頭の中で渦が出来るようだった。酷い頭痛で頭を抱えた。
「混乱しているんだね……大丈夫、全部話すよ」
アレスは目を伏せて言った。
「ここは荏田村が出来る、20年以上前の異空間と言っていい。痘奔煎は元々あった国を約500の兵で制圧し、痘奔国と名を改めて国の主となった。それからどれくらいか年月が経って、他国から攻められて滅んだんだ」
「それは、二十三代目から聞きました。でもなんで、滅んだ国があるんですか?」
「痘奔煎は死んでも尚、生き続けようとする強い意志があったんだ。本人が言うには、死後迎えに来た死神か悪魔とある契約を交わしたと聞いてはいるが、内容は聞いていない」
「へぇ・・・・・・」
「痘奔煎は死んでも尚国を保とうとした。だがそれでは現実に矛盾が出来る。契約が実行されてから日が経ち過ぎて、そこには既に荏田村が存在していたんだ。何故か荏田村には、痘奔国と領主のことを知っている者までいた。それを裏手にとって、痘奔煎は異空間を村の出口に作った」
「どういうこと?」
「荏田村から出ようとする者を在りもしない痘奔国に招き入れていたんだ。異空間に連れて来られた者は、二度と外へは出られない……それを大昔の痘奔国の呪いに見せかけて、人間が全員いなくなるように、荏田村を潰そうとしたんだ」
「でも、私の代になるまで一度も逃げ出すような人なんていなかったわ?」
私は首を傾げた。アレスは苦笑いをして言う。
「村長がどれだけ代わろうが、用もなく村人が村を出るなんて事はなかったみたいだからね。君の代になってからだよ。無茶をする人間が出てきだしたのは……でも悪いのは君ではないよ。愚かな人間の性さ」
私を慰めているのか、アレスは明るい口調で言った。
「始まりは一人の男だった。家族の為にと出稼ぎに出掛けた若い男は、荏田村の最初の犠牲者になった……彼が村から出て行き、姿が消えたのを目の当たりにした者は、他の男を誘い好奇心で村を出た。その先に何があるのか興味が湧いたのだろうね。誰もその先が痘奔国に通じているなんて、知りもしないから」
アレスは愚かだと言った。
(そんなの、村の出口に勝手に変なことした痘奔煎が悪いんじゃない!)
お腹でむかむかと、ますます怒りが湧いてきた。それと同時に限界がきたのか空腹の音が鳴り出した。
≪ググゥ~≫
「あ……」
「……くっ」
アレスは私の動揺に反応したのか、あはははと笑い出した。
「ふふふ……ごめんね!お腹が空いているんだね。話の続きは食事の後にしようか」
アレスは微笑みながら立ち上がり、扉を開けて私の方へ振り返った。
「どうぞ。ご招待致しますよ」
にこっと笑い、右手を胸の位置で止めてお辞儀をする、まさに紳士のようだった。
「……ありがとう、ございます。じゃあ、お言葉に甘えます」
私もベッドから降りて、扉の方へ向かった。アレスは私の右手を取り、目的の場所までエスコートをしてくれた。