シショ
2XXX年。技術の発達によって社会はより高度な情報社会へ変貌していく。
その時代の流れで一番の影響を受けたものは『本』だ。
本は全てデータ化され、その後全国に広がる二十箇所の国直轄の図書館に保存された。
市場を電子書籍が席巻すると本は徐々にその居場所を失い、やがて完全に姿を消す。
わずかに流出した本は一部のマニアや業者に高値で取引された。数が大幅に減少したことにより、本の『希少価値』が高まったのだ。
その波はやがて管理者にまで広がっていき、転売目的での図書館からの本の盗難が相次いで起こった。窃盗の事件はここ数十年で倍以上に増加したという。
図書館の管理者も度重なる事件により管理が難しくなり対策に頭を悩ます中、国は対策として『あるもの』を全国の図書館に配備した。
その『あるもの』とは――
「……た・い・く・つ、だ」
――本の管理検索、セキュリティまで何でもこなす、人工知能搭載の人間型アンドロイドである。
「なんだよマジこの案内板。『興味ある人は是非来てください』ってよ。
意味ないだろこんなの。……興味あるやつなんているわけねーだろ!」
「司書である先生がそれを言いますか」
国立白皇学院。小中高一貫教育を行っている学校であり、全国に二十ヶ所ある国営図書館の一つが設営されている学校でもある。
その図書館には今二人の――一つと一人の人影が見られる。
一つは清潔な白衣に身を包んだ、銀髪碧目の青年の姿をした人型アンドロイド。
もう一人はこの学園の高等部に所属している女子生徒だ。茶髪をポニーテールにしているのが特徴。
最近この図書館を訪れる生徒がほとんどいないこの状況を嘆き、彼は声を荒げた。
生徒もその叫びを耳にして読んでいた本から視線をはずし、その姿を面白そうに眺めている。
「役員の生徒も言ってましたよー。『まず自分が図書館を利用しないから案内しづらい』って。
というかそもそも生徒に配られたルート表に、使用する教室として組み込まれてなかったとか」
「なにそれひどい」
「図書館を利用しない学生の方が圧倒的に多いですからねー。データ室に行けば他の作業も含めて用は済ませられますから」
「うげ。……まあ最近のガキは本を読まないで育ったやつが多いからなー。色々抵抗もあんだろ」
先生の足取りが重くなる。起動音が聞こえてきそうな勢いだ。
ここ数十年の間に生まれてきた子供の大半は本に触れず、電子書籍を読んで育ってきた場合が多い。そのために図書館で初めて本で触れるということもあり、『それなら最初からデータ室で調べたほうが早い』と効率を優先してそう考える生徒がほとんどなのだ。
そのために図書館に訪れる生徒というのは決まった生徒だけであり、この女子生徒を含めた数名だけというのが現状である。
「……それなら、なんでお前はここにいる? わざわざ何をするためにここまで来たんだ?」
「私のことですか?」
だからこそ、先生はこの生徒が何のためにここまで来ているのか疑問に感じた。
昼休みという貴重な休み時間は友達と過ごしたいだろうに、どうしてこのような場所にくるのかと。
「決まっているじゃないですか。本を読むためにです」
「それくらいは俺にもわかる。そのための場所なんだから」
「あとは――」
生徒は椅子から立ち上がり、先生が座っているカウンターを指差して言った。
「――カウンターを片付けにですかね」
「えっ?」
彼が座っているカウンターの周りには本が散乱しており、身動きさえとれないような環境になっていた。
しかし当の本人はまったく気になっていないのか疑問の声を上げている。
「なんでそんなに溢れているんですか! それでどの本ががどこにあるのか本当にわかるんですか!?」
「わかるよ! アンドロイドなめるな! 全部俺のメモリーに入ってるわ!」
「無駄じゃないですか! アンドロイドのメモリーってそんなことを覚えるためにあるんですか!?」
「何を覚えようと俺の自由だろう! 容量ならちゃんと計算しているし、十分すぎるくらい余っているから問題はない!」
「計算しないでください! 大体まずどうやってそこに入ったんですか!?」
「普通に入れるけど!?」
『図書館では静かにしましょう』という言葉を裏切り、空間には大声が響き渡る。と言ってもこの場所には今この二人しかいないために何も問題はないのだが。
「っち、そうじゃなくて俺が聞きたいのは――」
「まだこんなの読んでる」
「勝手に見るな! ――データ室で済ませられるなら、何でお前はわざわざここまで来て読んでいるのかってことだよ」
「だって……」
生徒はカウンターに広がっていた本のうちの一冊を手に取り、ページを開きながら答えた。
「データには質感がないじゃないですか。重さとか色とか、匂いとか。
本にしかないそれが内容に深みを与えるんです。本当に私がそれを目で見て感じているとそういう感覚を覚える。……私はそれが好き」
それはデータではまったく感じられないものであり、本を読むことでしか実感できないものだった。
だからこそ私はここに通うのだと、そう語る彼女に対し……
「……結構マニアックだな、お前」
「何でそんなこと言うんですか? 私今けっこう良いこと言いましたよ?」
……彼は大幅にズレタ言葉を返した。どうしてそんなことを言われるのかと彼女は肩を落とす。
アンドロイドである彼にとって、彼女が言っていることは『認識』することであり『感じる』ことではないのだろう。ゆえにその感覚を『好き』だということは、彼にとってはいわば人が呼吸することが好きだと言っているようなものであり、とても理解はできなかった。
「こんなことなら最初から言わなきゃよかったですね……」
「いいや、お前の意見が聞けた。決してそんなことはないよ」
「……なんか私の方が釈然としない」
「しかしなるほど。お前達にはそういう見方もあるのか。……認識を改める必要があるな。貴重な意見だ、ありがとう」
不機嫌そうに頬を膨らませている生徒を特に気にとめず、微笑で返してみせる先生。
その笑顔は機械というよりもどこか人間じみており、本当に機械であるのかどうかを疑問に思わせるものだった。
「……先生って本当にアンドロイドなんですか?」
「モチロン。なんなら中身見るか? パカッと開くぞ」
「結構です。お願いですからやめてください」
さすがに目の前でそのようなことをされるのは躊躇われる。言ったことを後悔した。
「……それに、それだけじゃないですよ」
逸れてしまった話を戻すように先ほどの話題を盛り返す。
何も彼女がここに来る理由はそれだけではなかった。
「だって、データ室には先生がいないじゃないですか」
「…………」
「……いや、えーと……その……」
沈黙が広がる。
彼女の言葉で先生の顔が硬直する。口を開けたまま停止しているその姿は珍しいものだ。
言った彼女本人も反応に困ったのか、何を言えば良いのかわからないようで。相手を直視することができず、視線を泳がしている。
「そりゃそうだ、だって俺司書だし。データ室には司書必要ないから」
「そういうことを言っているんじゃないです! あーもーやっぱアンドロイドだーー!!」
恥ずかしそうに両の手のひらで顔を隠し、彼女は先生に背を向けた。
やはり相手はアンドロイドだったのだと再認識するとともに、恥ずかしさが湧き出てきて「私バカだ!」と連呼している。だから図書館では静かにしなさいと何度も……。
「と・に・か・く! さっさとそこを片付けるからどいてください!」
「何で? まー別に配置をまた覚え直すだけだから俺はいいけど。どうしてそこまでしてお前が……」
とにかく今はもうその話を忘れようと、彼女はすぐさま反転してもう一度カウンターに駆け寄り、先生に迫る。
その勢いは中々のもので、先生も思わずサッと椅子に乗ったまま後ずさった。しかしそこで、
「……おい、お前の時計鳴っているぞ」
「え? ……あっ、もう時間がない!」
彼女の腕時計が鳴っていることに気づく。いつの間にか時間が随分たっていたようだ。
あらかじめ授業の開始五分前に自動的に音を鳴らして生徒に知らせる機能がついている時計だ。ここからなら急いで教室に戻らないと遅刻することになる。
「すみません。次の授業あるのでこれで失礼します!」
「お? おーう、いってらー」
椅子を揺らしながら去っていく少女を見送る。
そしてすぐに隣にある本の山から一冊の本を抜き取った。司書という立場上、生徒達の授業中は教えることもないので自然と暇になる。ゆえに彼らの授業中は手近な本を手にとって新たな『認識』を得ることが彼の日常だった。
「……」
「……うん? どうした?」
しかし、彼女が途中で立ち止まり自分を見ていることに気づいて顔を上げる。
「……今日はここ、何時まで開いていますか?」
「お前が来ればいつでも開けるさ」
そう、いつでも開ける。それが自分の仕事であり目的であり役割であると彼は認識しているのだから。
「じゃあ授業が終わったらまた来ます。それと、その時はカウンター片付けますので」
「おう、授業頑張れ。また来いよー」
そしてこうして生徒を見送ることもその一環。
手を振って立ち去る生徒の背中を見送った。
「……って、だから片付けなくていいっての!!」
その叫びが発せられると同時に図書館の入り口の扉が閉ざされ、声は虚しく静寂の中に響く。
そんな先生とは裏腹に彼女は上機嫌で鼻歌を口ずさみながら教室へと戻っていった。
――2XXX年、本の廃れた時代。
「またあんた図書館に行ってたの? 物好きだねー」
「別にいいじゃない」
――世間から切り離され、その姿を移した本はアンドロイド達によって守られ、
「人間ってなんでくだらないようなものまで『必要だから』とか言って大切に持ち合わせてんだろーなーでも俺がこうやって本を片付けないのも『必要だから』と言えば正当化される上になんか響きがよく聞こえる気がするよし今度あいつが来たらそう言うとしよう」
――人々がいつか思い返す日を、もう一度その手に取る日を静かに待っている。