黒旋律の歌姫
リオを見たカリダは、膝まずいて上を向き口を開いた。
「て……天使様?」
リオを見つめたカリダは急かすように、真っ赤な舌を突き出してユラユラと揺らしながら指差した。
中に入れろと急かす彼にリオはビックリするが、焦る様子に気付くと、覚悟を決めて頷いた。
「んっしょだべ」
小さなリオは、カリダがしゃがんでも背伸びしなければ口まで届かない。背伸びしたリオが開いた赤い口の中に、硝子玉をソウと入れる。
真っ裸な少年が、膝まずいた青年に硝子玉を食べさせる様子は、何処か怪しい雰囲気がある。
だが、リオはそれどころではない。
顔の部品を中心に集めるように、不細工にギュッとしかめるような真面目な顔をして、カリダの舌に自分の指が触れないように細心の注意をはらう。
リオの小さな指が摘んだ硝子玉は、突き出された赤い舌の上に落とされる。
カリダが舌を動かすと、スルリと硝子玉が咥内に移動して転がる。
コロン
大きめの硝子玉だが、カリダの咥内を転がり、彼の喉がコクンと動いた。異物が蠢く感触に、カリダはブルリと体を震わせる。
飲み込んだ硝子玉は彼の中に入り、目を細めて細い指で喉を押さえる。喉を通る硝子玉はフワリと解け、彼の喉に染み込んだ。
キラキラと光る粒子がクルクルと舞う様子が、リオからも分かる。
「わぁ……」
それは、まるで何かの演劇の一場面。光の粒子はまるで天の川のようで、それが天使の喉を覆う様は現実ではないようだ。
全てが還った時、立ち上がったカリダの口からフウと吐息が出る。
それは以前とは違った。
以前は呼吸音のみしか聞こえなかったのだが、今は甘い声が吐息と供に一緒に響く。
パサリと彼の無事な翼が満足げに動いた。太陽の光を背に、純白の翼が輝く。
「リオ、ありがとうございます」
微笑むのは澄んだ碧眼。
優しく笑みを浮かべるのは唇。
「て……天使様!こここ声が!?」
「はい、リオのおかげで取り戻しました。ありがとうございます」
その低く甘い声に囁かれながら微笑まれ、リオの腰がヘニョヘニョと抜ける。
彼を受け止めて座らせたカリダは、安心させるように優しげな表情を浮かべながら光を見つめた。
「さあ、参りましょう」
傍らに飛んでいた光を撫でた彼は、光と額を合わせる。瞳を閉じた彼と光の間がポワリと蛍のように輝く。すると、ツウとカリダの瞼から涙が滴った。
顔を光から離したカリダは口を開いた。
一方フォルテスとセンティーレは、黒い波の中を駆け巡っていた。フォルテスが手袋を嵌めた手を刀のように振れば、付近の分身が細切れとなる。
数の暴力は、今の彼の歩みを止める理由にはならない。逆に、広範囲を叩く術を持たないフォルテスにとって、固まって向かってくることは殲滅しやすくて都合がよい。
手刀と逞しい足による蹴り。時に地面を舐めるように移動し、時に翼を使った上空からの重い一撃。彼の死角からの攻撃はセンティーレが防ぎ、死体をブレスで焼き切り、フォルテスが動きやすい場を作り出す。
黒い悪魔と黒い竜の竜巻。それに粉砕されるように、分身達が細切れになる。
「ハハハ!久しぶりだなセンティーレ!」
「キュ!」
フォルテスは、久しぶりの相棒との共闘に楽しげに笑う。先程、憎まれ口を叩いていたフォルテスだが、心中ではセンティーレの無事を喜んでいた。
幼い頃のように一緒に戦う竜に、自然と笑顔が溢れて笑った。
笑い声が響き、血に塗れたフォルテスが手刀を振りかぶった時。
何かが聞こえた。
「?」
その美しい音の重なりに、思わずその場の全てが動きを止めた。
フォルテスも思わず動きを止めた。それは、戦士としては愚かとしか言いようのない行為。
目の前に倒すべき敵がいるのに動きを止めて、よそ見をするなんて。
だがしかし、体を甘く痺れさせる琥珀の歌声に、彼は振り向いた。
気づくと、草も木々も風もなにもかも、ゴキブリでさえ動きを止めていた。
何故か?
それは聞くためだ。自らの動きで発生する駄音が邪魔をしないように。静かに耳を澄ます為。
何を?
それは微かなハミング。
歌詞も曲もない、ただ声を馴らす為の声の羅列。なのに、何故こんなに美しいのか?
その黄金蜂蜜の歌声の持ち主。全ての視線の先には、カリダがいた。
彼は視線に怯むこともなく手の平を胸に当て、まるで踊るように、優雅に腰を折って一礼した。
誰に?
それはゴキブリ達、いや違う、たった一人の人物に……。
頭を上げたカリダは両手を左右に広げる。彼の頭上には対面するように、光の球が瞬いていた。
「貴方に捧げます」
開いた彼の口から、深く甘く低く優しい、まるで琥珀をトロリと蕩かしたような声が響いた。
今此処に、黒旋律の歌姫の歌声が響く。
■■■■■■■■■■■■
オラが町は果物の町
爺ちゃも婆ちゃも甘い物好き
青い屋根の家があってさ
皆でジャムを作ってた
丸い真ん丸葡萄の木
つまみ食いしてたら母ちゃんに叱られた
ある日料理屋に弟子入りし
とんとん拍子村一番
オラの作る料理は一番だべ
悠々と独り立ち
鍋と包丁携えて
目指すは都会
一旗あげること
だども都会の風は冷たいべ
田舎者と罵られ誰もオラを雇ってくれない
酒場で酒を飲んでめげそうになった時
出会ったのは可愛い子ちゃん
葡萄みたいな真ん丸お目目にボンキュバン
ニッコリわらう可愛い笑顔にフォーリンラブ
愛すべき可愛い子ちゃんにアピールアピール
可愛い子ちゃんの為なら
頑張んべ
仕事も決めて薔薇の花束でお出迎え
可愛い子ちゃんは笑ってくれて夫婦になって子供二人
頑張り踏ん張り十数年
オラは宿のコックだべ
皆オラの料理たべてけろ
お勧めは特製ジャムを挟んだケーキ
オラの店は甘いお菓子のある店だ
子供も大人も食べれば頬っぺた落ちる
美味しいもんが沢山あるべ
オラの店は素敵な青い屋根のある宿
皆笑って食べてけろ
■■■■■■■■■■■■
カリダが歌うのは一人の料理人の平凡な人生。
彼が辿った人生を一つ一つ心を込めて、楽しげに体を動かしながら踊り、光と戯れる。
彼が歌い続けると、大きな変化が訪れた。
「ギチギチ」
「な……に?」
カリダが、料理人が幼い頃、兄弟と一緒に庭を走り回った事を歌うと、フォルテスの目の前の分身がフッと力を抜いた。
どこか満足そうに鳴きながら、地面にぶつかる巨体。
地面にぶつかった瞬間、焦げ茶色の硬い体が弾けるように砕けた。砂のように粉々に砕けた体は風で舞い上がり、まるで砂金のように金色に輝いた。
「これは……」
フォルテスが見回すと、次々と分身達が砕けていた。
カリダが、料理人が初めて包丁を握った時を歌うと。
カリダが、料理人が恋人にプロポーズをした時を歌うと。
カリダが、料理人の子供が産まれた時を歌うと。
次々に分身たちが砕け、金色の粒になり空に舞い上がる。
いつしか、村の中は金色の渦に満たされていた。最後に、兵器も砕けて金粉になった。
「兄さん」
フォルテスは兄を見つめる。そこには笑いながら楽しげに歌うカリダがいた。だがしかし、その頬は濡れていた。
「これは、兄さんがやっているのか?」
フォルテスは自然と理解していた。
牧歌的で長閑な歌であるこれが、悲しい歌なのだと……。これは死人の歌。
兵器の材料になった人間の歌。彼は、歌を歌う事で、全てを忘れてしまった魂に、己を思い出させているのだ。
金粉はザアと風に乗って動き、それは光に向かって流れて行く。
「凄いべ」
「母ちゃん!お星様だ!」
「うわぁぁー」
「これは……」
村人達や、意識を取り戻した軍人の中から歓声が響く。彼等の頭上には金粉が、まるで金で出来た天体儀のように瞬き輝いていた。
流れてくる金粉を受け入れる光は、金粉を飲み込み次第に膨れ上がる。
全ての金粉が光に飲み込まれた時、そこには光の球体はいなかった。
そこには、料理人服と白い帽子を身につけた、半透明の中年の男性がいた。
太く丸い眉毛。丸い鼻に垂れ下がった目尻。太っていて、頬っぺたは赤くプクプクで、お腹は突き出ていた。
見るからに、食いしん坊で陽気そうな男性。
『ありがとうございます』
そんな彼は、空中に浮かんでカリダに頭を下げた。だが、顔を上げた彼は涙を流していた。
『感謝していますだ。ああ……、でも、何故オラをあのままにしてくれなかったんですかべ。あんな汚い姿を見せてしまって、正気に戻るのは……オラは……オラは……』
兵器の狂気は、材料になった人間の心の闇を活用された物だ。
それは誰しもが持っている隠れた欲望であり、材料になった人間と兵器の狂気は無関係ではないのだ。
『何故、あのままにしてくれなかったんですべ?何も分からないままの方が……』
幽霊の男性は、頭を抱えるようにして泣いてうずくまる。泣きながら、ひたすら「何故?」と呟く姿には、絶望しかなかった。
彼には、朧げながら記憶があった。自分の体と魂から作り上げられた化け物が何をしたのか……。どうせなら、再生させないで欲しかった。そのまま殺して欲しかった。
泣いてうずくまる料理人。それを見たカリダは、顔を強張らせていたが、彼は料理人に近付き語りかけた。
「申し訳ありません。私の思慮不足でございました。私の薄慮で貴方様を傷付け、誠に申し訳ございません」
そう言ったカリダは、深く深く頭を下げた。
「だけども、伝えたい事がございます。もし、兵器のまま殺しても、貴方様は世界に還っていたでしょう。けれども、それには長い時間が必要でした。兵器として死ねば、更に長い間、ご家族と離ればなれになったのでございます」
『家族?オラは……オラは家族に会えるんだべ?』
「はい」と答えたカリダは、料理人から離れると、両手を胸の前で組んで息を吸った。
そして歌うは【死神の曲】
冥界と人間界を行き来し、死者の魂を守り導く神の歌。一番優しい神様の歌。
穏やかな静かな歌に導かれるように、二人の周りを囲んで無数の扉が現れた。
それは様々なデザインと材質の扉。数える事が無意味に思える程、夥しい数の扉は、何重にも輪になって空を埋め尽くしていた。
歌い終わったカリダが見上げる先には、見知った人物がいた。
いや、人物はおかしいだろう。何故なら彼は神なのだから。
深くフードを被り、大きな鎌を持った死神は、空中に浮かびながら鎌をクルクルと回した。
すると、鎌は鍵に変化した。
表面に流麗な模様が彫られた黒い鍵を構えた死神は、一つの扉をソレで指差した。
カチャリ
触れていないのに、小さな木製の扉の鍵が開く音がした。
そして、そこから出て来たのは。
『『おとーさん!』』
『あなた!』
それは、一人の女性と二人の少女だった。少女達は双子なのか良く似た顔をしており、料理人に面影が似ていた。
女性と少女達は空を飛んで料理人に抱き着く。
『よかった!やっと……やっと会えたのね!』
『『えーん!おとーさん』』
『お前達……お前達も……』
泣きながら喜ぶ女性達を見た料理人は、一瞬喜ぶが、彼女達の半透明の体を見て声を詰まらせた。
そう、彼女達には体がなかった。彼女達も死んでいた。
『オラが、オラがしっかりしなかったせいで』
『あなた、自分を責めないで。あなたが囮になってくれたおかげで、私達は一緒に死ねたの』
『うん!お母さんと一緒だったから、寂しくなかったよ!』
『私も!でも、おとーさんは大丈夫?』
『オラ?』
『おとーさん一人ぼっち……寂しくなかった?』
『そうだなぁ……寂しかったなぁ……お前達がいなくて……寂しくて寂しくて仕方なかったなぁ……』
『あなた……』
『『泣かないで!おとーさん』』
『一緒に行きましょう。あっちにはね皆いるわよ』
『あのねあのね!神様が私達を精霊にしてくれるんだって!凄いでしょ!』
『私達、台風の精霊になるんだよ!』
『見習いだけどね!』
『おかーさんは焚火の精霊だよ!』
『皆、精霊見習いになって頑張ってるのよ。一緒に行って、あなたも一緒に頑張りましょう?ね?』
『あ……ああ、当然だべ。行こう、一緒に行こう』
『やったー』
『ねえねえ、おとーさんは何の精霊になるの?』
『そうだべなぁ、お父さんは当然……』
賑やかな家族は数年ぶりの会話を楽しみながら扉の向こうに消えて行く、扉の向こうには半透明な町並みが広がっていた。
『おう、大将!あんたもやって来たか!』
『久しぶりだねぇ』
失われた町の失われた住人達は、かってあった日常を大切にしながら暮らしていた。
新しく戻ってきた仲間を祝福する声が、門の中で響く。
振り返った料理人は、カリダを見て微笑んだ。
『ありがとう天使様』
消え去る扉を見送ったカリダは、首をユルリと振った。彼は悲しげな顔をしていた。
「御礼なんて……、私には過ぎた物でございます」
呟いた彼は再び歌を歌う。死神へ感謝の歌を……。
「スゲー力だな」
「!?」
魅入られたようにカリダを見つめていたフォルテスは、後方からの声に驚いて振り向いた。
まさか、自分が後ろをとられるのを許すとは!
焦りながら振り向いた先こには、ボロボロの双子軍人がいた。衣服は破れて部下はおらず、互いに肩を貸している正に満身創痍。
構えるフォルテスとセンティーレを見て、慌てて首を振るディータ。
「殺気立つなパクスちゃん。俺達はもう、アイツを兵器だと思ってねーよ」
やけにアッサリとした言葉。セブも不本意そうだが頷いた。
「何故だ?」
胡散臭そうに二人を睨み、理由を尋ねるフォルテス。ディータはカリダを指差す。
そこでは、カリダとその周りを囲む黄泉への扉があった。神が扉を自分のフードの中にしまっている。
軽やかな歌声は相変わらず響いている。
「正確には、兵器の可能性は限りなく低いと判断した。それは、歌姫だからだ。神に認められる存在しかなれない神職に、兵器がなれるはずがない。奴らは生物じゃねーからな。だから、奴は兵器じゃない」
「俺達が命じられたのは兵器の捕獲。それ以外に何かすれば命令違反になるからな、もう何もやらねーよ」
セブの不満げな顔に殺気立つフォルテスは、ペッと唾を吐きながら双子と相対する。
「あ゛?兄さんにあんなことして、それだけかよ?」
「申し訳ないが、まだ任務中でもあるし疑いが晴れた訳でもない。謝罪は出来ない」
「ほう?今、俺が手を離したらどうなるだろうな?」
フォルテスの手の中にはセンティーレの尻尾。その先には、凄まじい形相でビチビチと暴れるセンティーレがいた。
今までの会話で、カリダを傷付けたのが双子だと悟って怒り狂っているのだ。ガチガチと牙を打ち鳴らし、ドタンバタンと暴れていた。
センティーレの目線は双子の股間に注がれていた。
「うるせーな。上にお伺いをたてて、全部終わったら何でもしてやるよ!」
「ああ、そうだな。一度上に確認しなければ。お前もそうだろ?」
「まあな、馬鹿王子達にイロイロ確認しなけりゃいけねーな」
彼を守る為に。
フォルテスが見つめる先には、こちらに向かって歩いてくる白翼の青年がいた。
双子が謝らないのは、やっぱり軍人が、任務中に簡単に謝ったらアカンよねという感じ。




