千里眼の先2
「今日も見付かりませんでした」
リュートの中央にある、中央広場。大きな人工池と人工林がある此処は、週に一度、朝市と夜市が開く。
今日は夜市が開く日だ。夜遅いが、眼下の広場には魔道具による光りが輝く市場が開かれていた。簡易なテントの間を沢山の人々が蠢き、大道芸人達が芸を見せる度に歓声が響く。
その広場を見下ろすように、巨大な時計台が佇んでいた。
建国時から広場を見つめていた、趣のある煉瓦製の時計台。その巨大な時計の、四十分をさした針の長針。夜目でも分かるようにボンヤリと光るようにされている時計盤を背にして、そこに座る少年は無感動に呟いた。
今日も、日課の【探し物は何か探し】を続けた少年は、いつも通り不収穫に終わり暇を持て余していた。
もはや顔見知りとなった市場の老婆に串焼きを貰った少年は、串に刺さった魚介類を小さな口に詰め込んで、無表情にモチャモチャと顎を動かした。
少年はフォルテス達に養われ、宿舎に住んでいる。今日も宿舎にて、留守番組の隊員達と留守番をしていたのだが、類い稀な魔術の才能を持つ彼は、宿舎を抜け出して王都中を探していた。
【分からない何かを】
だがしかし、分からない物を探し出せれるはずもなく、定番コースを平和に散歩するだけに終わった。
魔術で羽根を隠して、平凡な美少年となった彼が、毎日決まった時間に街を歩くのは街の人達に知られている。
「一体何なんでしょうか?欲しい物とは?」
自分の事ながら、心底不思議そうな少年。
意外と、街の商店のおばちゃんやおじさん達に可愛いがられていた少年は、タンマリとお菓子や食べ物を貰っていたらしい。
おばちゃんが食べ物を入れてくれた袋を、ガサガサ漁りながら少年は呟く。
無表情に座っていた少年だが、自分が座っていた長針がガクンと動いた事を感じると、手を前に伸ばした。
この時間、この場所で風が独特な動きをすることを知っていた。それは魔術での狙撃に最適な動きである。
【観測魔術暗殺用第二式起動】
手の平大の小さな魔法陣が幾つも生まれ、それはスコープのように少年の右目の前に重なった。少年の目の前に、風速や気温等の数値が表示される。
【炎魔術 貫壊 起動】
右手の指を銃の形にして突き出すと、ユラリと揺らめく赤がね色の光が少年の手の周りに発生した。
少年の瞳には、遥か遠くの暗殺対象の生体反応が映っていた。此処で魔術を発動させれば、強烈な熱線が発射される。
だがしかし……。
「いけません、そういえば暗殺時間が制限されたのでした」
ポンと手を叩いた少年は、魔術を片付ける。
深夜の暗殺が続いた為、フォルテスが少年に夕食後の暗殺を禁じたのだ。
今、自分は串焼きを食べた。これは夕食になるのだろうか?
少年は、顔面をピクリとも動かさずに首をかしげた。こんな不確定な状態で暗殺を決行するのは得策ではない。
「それに、食事の後には歯を磨かなければなりません」
無表情ながら、何処か焦った雰囲気の少年は、長針から飛び降りようとした。
「おおっと、いけません。忘れるところでした」
踏み止まった少年は長針の上に立ち上がると、暗殺対象のいる方向に向かって親指を下げて棒読みで言った。
「おぼえてやがれー」
少年は長針から飛び降り、闇の中に消えていった。
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ガヤガヤと賑やかに隊員達が動いて、食堂内の椅子と机を部屋の隅に移動させる。
ランプを消された暗い室内の照明は、中央の蝋燭だけ。乱雑に積まれた机と椅子の上に座る隊員達が見守る先には、一つの机と二脚の椅子が部屋の中央に置かれていた。
机越しに向かい合わせになるように置かれた椅子。そこに千里眼の少女と有翼の青年が座っていた。
中央の机の上には蝋燭が一本立てられている。香油が入っているのか、炎が揺らめく度に淡い薬草の匂いがした。他にも薬草を編み込んだ紐が用意されていた。
「何で、こんなのを用意するんだ?」
紐を摘みながら、少女に尋ねるフォルテス。
千里眼スキルの発動には、このような道具は必要ない筈だ。下座に座ったフォルテスが尋ねると、サミィは自信満々に答える。
「今回は、パクスさんに私が見た内容を伝えようと思います。だから、このような用意をさせて頂きました。やるからには全力です!」
「【見た】内容を伝えるなんて凄いな」
「はい!先生直伝です!」
基本的に千里眼は使用者本人しか見えない物だ。それを他人に見させるとは、秘術に入るんじゃないかと思う。というか、フォルテスが知る限り、それを使用していたのは遠見姫しか知らない。
先生とは何者か気になったが、見てもらうのが先なので聞かないことにした。
「それでは始めます。紐の先を握って下さい」
「おう」
仕事モードになったのか、先程とは違いテキパキと進める。サミィの指示に従い、フォルテスは紐を掴む。
「それでは始めます。息を吐き、リラックスして下さい。探し人の方の事を心に思い浮かべ、雑念を払って下さい」
無言で頷いて目を閉じる。
それは、フォルテスにとって簡単な事だった。体から無駄な力を抜く事は、戦闘時に慣れているし、白翼の少年の事は何度も思い浮かべていたからだ。
目を閉じ、十七年前に見てからずっと焦がれていた姿を思い浮かべる。
緩やかなウェーブの輝く金髪に、煌めくような碧い瞳。まろやかな頬にベビーピンクの唇。あの碧瞳が自分を見詰めた時の嬉しさは、今でも鮮烈に覚えていた。
「それでは始めます」
紐を持った手がジンワリと温かくなり、その熱が瞼まで移動した。これも遠見姫の時と同じだった。
以前は、視界に闇が広がるだけで終わってしまった。今回もそうだと思った。
「え?」
戸惑うサミィの声がしたと同時に、視界一面に色鮮やかな花の群舞が広がった。
「な!?」
息を飲むくらい大量の花々は、白と青の大きな花弁の花だった。紫陽花のような花樹なのか、青々とした枝葉に花が咲き誇っている。
それは、壁のように密集しながらフォルテスに向かって流れてきた。
花に隠れて、周りが見えない。視界に入るのは、花のみだ。むせ返る草木と花の芳香と同時に、何処からか涼やかな笑い声のような物が聞こえてくる。
花はフォルテスを避けながら、凄まじい勢いで後方へ流れていく。目を見開いて前方を見つめるフォルテスだが、花以外何も見えない。
ただ、ただ、朝露に濡れた花の群舞が目に焼き付く。
一際笑い声が大きくなり、凄まじい強風が吹き付け、花びらが舞ったと思った時、唐突に花が途切れた。
目に入ったのは青。
花の向こうには、何処までも澄んだ蒼空が広がっていた。
彼が立っているのは、花が咲き乱れた小高い丘だった。大輪の花を咲かせた低い花樹が生い茂り、丘の至る所で茂みを作っていた。
周りを見渡すと、右手に沢山の幟がはためき、その根本には色とりどりの屋台が見えた。沢山の人影が見え、お囃子のような音楽も聞こえる。
笑い声はいつの間にか止まり、代わりに低い美しい歌声が何処からともなく響いていた。
「何処だ?」
見覚えのない場所に、フォルテスが周りを見回していると、視界の端に白い物が入った。
「!?」
フォルテスが振り向くと、花樹の茂みの向こう側に一人の青年が座っていた。
風が吹いて花びらが舞い、歌声が響く。
こちらに背を向けて、傍らにいる虹色の竜を撫でている青年。その白い長い指が竜の顎を撫でると、間抜け顔の竜がクルクルと満足そうな顔で喉を鳴らしていた。
「キュー」
竜が甘えるように鳴くと、青年はクスクスと笑いながら立ち上がった。
青年の動きに従いフワリと動く豊かな金髪。それと背中を飾る大きな白い翼を見たフォルテスの瞳が見開かれた。
あまりの事に動けないフォルテスの目の前を、青年は軽い足取りで通り過ぎる。
「あっ…」
焦りが喉の奥で言葉を空回りさせる。異様に口の中が粘ついて、小さな呻きのような声が漏れた。
そうする間も、青年の背が小さくなっていく。立ち去ってしまう!そう悟ったフォルテスは叫んだ。
「兄さん!!」
フォルテスの声に振り向いた青年の瞳は、フォルテスを見ると嬉しそうに微笑んだ。
ああ彼だ。
成長して顔立ちは変わってしまったが、その無垢な輝きは変わっていなかった。頭上に広がる青空のように澄んだ碧い瞳。
痛い痛い
胸が
心が
張り裂けそうだ
見た目なんて関係ない。ただ、彼が目の前で笑っている事。スキルでの幻視なのに、それが心が痛くなるぐらい嬉しくて切ない。
「兄さん……」
フォルテスが呼び掛けても、青年は笑うだけ。バサリと白翼が開き、その美しい白金の輝きが目の前に広がり、白い羽毛が空を舞う。
ハッ!?と我に返ったフォルテスが、青年の方に足を進める。
「兄さん待ってくれ!今行く!」
飛び立とうとする青年に、フォルテスは焦って茂みを掻き分けて、あちらに向かおうとする。だがしかし、茂みは自在に伸びて絡み付いてきて邪魔をする。
舌打ちして黒翼を広げて飛ぼうとしても、花が葉が視界を覆い押し戻す。
「くそ!!」
ザワザワザワ
葉のざわめきが全てを隠す。求めた金色が、僅かな隙間から少しだけ見えた。
押し流されて遠退く金色。
「兄さん、今から行くから待ってくれ。お願いだ、待っててくれ!もう何処にも行かないでくれ!」
花が再び視界を覆い、押しのけられる。もう何も聞こえず、そこで夢は途絶えた。
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「サミィ!?ちょっと大丈夫なのサナ兄ちゃん!?」
「大丈夫です。気絶しているだけです」
あまりの騒がしさに、フォルテスが目を覚ますと、サミィを囲んで隊員達が大騒ぎしていた。
どうやら彼女は気絶しているらしい。机を繋げて布を敷いた簡易ベッドの上に寝かされていた。
「隊長!?目を覚ましたんだ。さっきから動かないから心配したんだよ!」
隊員達の話では、スキルを発動した瞬間、サミィは崩れ落ちて気絶してしまい、フォルテスは椅子に座ったまま微動だにしなかったそうだ。
隊員達は何とか正気に戻そうとしたが、叩っても叩いた者の拳がフォルテスの筋肉に弾かれて、逆に負傷してしまう体たらくだ。
フォルテスは、殴ろうが擽ろうが【何を】しても動かなかった。
「サナエル!彼を見つけた!」
「ぶっ!そ……そふでふか」
興奮して友人に近寄るフォルテスだが、サナエルは視線を合わせず、口を押さえてプルプル震えている。
何事かと振り向いたソフィーが、フォルテスの顔を見た瞬間。
「キャー!?何それぇ!!キャヒヒヒヒ!馬鹿みたーい」
腹を抱えて爆笑するソフィー。その横では、サナエルが釣られて爆笑していた。
興奮していたフォルテスは、彼等の反応で自分の異常に気付く。顔を撫でると、手甲を嵌めていない手の平に墨がついた。
顔の感覚もおかしい。
鏡がないから詳しくは分からないが、恐らく自分がとんでもない事になっているということは理解した。
「……よし。とりあえず、鼻の中に豆を詰めた奴を差し出せば、他は許す」
「違う違う違う!」
「無実だあああ!」
見事な黒髪を椰子の木のようなスタイルにされ、ピンク色のハート型の髪飾りを飾られ、額には【マッチョは正義】と書かれた紙が貼られ、鼻の穴の中に豆を詰められ、頬に髭が描かれ、眉が繋がったフォルテスは、差し出された贄達の頭をグワシと掴んだ。
絶叫が聞こえたり聞こえなかったりしたが、些細なことなので省略。
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「そこは恐らく、歌声丘でしょう」
先程見た光景を、絵に描いて説明したフォルテスに、サナエルは頷いた。
フォルテスが描いた絵は、上手ではないが忠実に特徴を捕らえた絵だった。斥候で鍛えた腕前である。
そこに描かれた花樹を指差したサナエルは、確信を持って語る。
「これはルミネの花ですが、あそこには群生地帯があります。現在、地中から湧き出る歌声で観光が盛んになり、此処はお祭り騒ぎになっています。特徴は全て合致します」
「分かった。それじゃ、行ってくる。王子への言い訳とかの始末、頼んだ」
「え!?ちょ!!」
まるでコンビニに行くように軽ーく告げたフォルテスに、周りは戸惑う。
彼等は、規則を無意味に守るような真面目ではないが、一応は王子指揮下の武力組織の自覚はある。フォルテスはガンダリュートの最高戦力の一人だ。そんな彼が、王子の許可もなく遠出するのは問題がある。しかも、歌声丘は隣国との国境にある土地だ。
問題ありまくる。
「いいの副隊長?」
「仕方ないでしょう。いつも通りの事後承諾です。王子に適当な書類を書いてもらいましょう」
深ーい溜息を吐く副隊長。事務方の顔が思い浮かぶ。
椅子の背に掛けていた、濃い茶色のコートを手に取ったフォルテスは、ポケットの中に入れていた手甲とコートを身につけながら窓を開いた。
「じゃあ行ってくる」
「待って下さい!俺達も!」
慌てて出立の用意をする隊員達に、困ったように笑いながらフォルテスは告げた。
「すまねーな。俺、もう一分一秒も我慢できないんだわ。お前達の中で、俺の最高速度に追いてこられる奴がいるか?」
「それは……」
「それにな……早く行って殴らないといけない奴がいるんだ」
フォルテスの黒翼がバサリと広がり、空気を掴んで羽ばたく。フワリと浮いた体は、空に向かうに連れて何かのスキルを発動したのか、キラキラとした淡い燐光に包まれる。
猛禽類のような力強い翼が動く度に、彼のスピードがグングンと面白いくらい上がる。吹き付ける風が彼の長髪を玩び、バラバラと夜空を舞う。黒翼が広がり羽ばたく。
遥か上空を照らす満月に向かって突き進む、黒き戦士。
凄まじい速さで進む彼は叫んだ。
「テメェェェ!何で兄さんと一緒にいやがる!センティーレェェェ!!」
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「キュピークション!」(ハークション!)
「!?」
「きったねーべー」
何処かの虹色の竜が盛大にクシャミをして、青年に鼻水を拭いてもらっていた。




