海辺の研究所と犠牲者2
糸を垂らして数分。
突然糸がビン!と引いた。
「テメーラ用意しろ」
フォルテスの言葉に、眼帯とポニーテールの仲間達とガールズトークをしていた槍の少女は、槍を思いっきり引いた。
「ギャアアアア!キモいキモいキモい!大将ヘルプミー」
縄に引っ張られて、水中から飛び出てきたイケメン青年。蒼白の顔で号泣する青年を追い掛けて出て来たのは、巨大な化け物だった。
「でかいな」
「うおおお!イケメンンンン!私の王子様ぁぁあ!!離さない離さない離さないぃぃぃわああああ!」
「誰がお前の王子様じゃ!イケメン馬鹿にするな!触んな!」
澱んだ水中から手を伸ばして現れたのは、巨大な女型の兵器だった。
先ず先に目がつくのは、美しい女。純白の肌や亜麻色の長髪、豊かな胸が弾む。そんな美女の【上半身】。
その上半身はただの飾りだった。その上半身を帽子のように被っているのは巨大な女の顔。
ソバカスとニキビだらけの魚顔からは、凄まじい悪臭が漂う。女の顔から生えた胴体はまるで芋虫。生々しい肌は、まるで幼い少女のように白く柔らかい質感で、見た者に猛烈な嫌悪感を抱かせる。その胴体からは、乳房と痩せっぽちな足が無数に生え蠢く。
高さは三階建ての校舎と同じ程度、長さは先が水中に沈んで分からないが、とぐろを巻いていた。
イケメン青年を見つめる人魚は、その巨大な顔の両脇についた細い腕を伸ばした。こめかみに着いた小さな口がボソボソと何かを呟くと、両手を中心にして水の柱が乱立し、まるで檻のようにイケメンを取り囲んだ。
「捕まえたぁあああああ!!」
「ギャアアアア!って捕まらないよ!」
人魚が叫ぶと、水の檻が凍り頑丈な檻が出来た。檻の中に捕われるイケメン。
人魚姫が長く伸びた舌でイケメン青年を捕まえようとした瞬間、青年を戒めていた縄が解けた。自由になった青年は舌を避け、守備力強化のスキルを足元に集中させると、檻ごと人魚姫の顔に蹴りを叩きこむ。
パリイイン
衝撃で砕けた氷の檻。
青年のブーツの先が、人魚姫の右目にズブリと突き刺さった。
「どうだ!僕はイケメンでも戦えるイケメンなんだぞ!」
「ひぃいぃぃどぉぉぉい王子様ぁぁぁ!!」
イケメン青年が勝ち誇りながら高らかに笑う。
すると、悶え苦しむ人魚姫の顔面のニキビが潰れ、ドロドロとした白濁の液体が噴出した。
「げっ!?」
慌てて人魚姫の顔を蹴って飛びのいた青年に、放物線を描いた液体がかかりそうになる。
「馬鹿者、【水泡】」
冷静に青年を馬鹿にしたサナエル。その魔術によって発生した泡が、イケメン青年の周りを包む。
「ありがとうございます!イケメン先輩!」
「その呼び名、いい加減にしろ」
無数の泡によって防がれた液体は、泡に触れるとジュワと不快な音がした。
「キイイイイイ!」
失敗を理解した人魚姫が金切り声で歌うと、水面から魚と磯巾着を合体させたような化け物が五体現れた。
例えるなら、開いた魚の腹の中に磯巾着が住み着いたような外見。各自、控えめな胸や華奢な手足等の人間の部品を持っているのが更に悍ましい。
その化け物達は磯巾着部分に骸骨を抱き抱えていた。近隣住人達がよく着る衣服や旅装束を着ているので、恐らく過去の犠牲者だ。
「やったな、お前が好きなチッパイだぞ」
「あれは認めません」
分身の一体を指差し、うそぶくフォルテスに、冷淡に答えるサナエル。
この化け物達は分身と呼ばれる種類の兵器だ。
兵器は一人の人間を細切れにして作製されるが、主に二種類に分けられる。
一つは【分身】と呼ばれる、戦闘能力が低い雑魚。思考能力もなく、機械的に攻撃を仕掛けてくる。
一つは【頭】と呼ばれる、戦闘能力も高い個体。これは脳が材料として使われている為、思考能力を持っており分身を統率する。
分身個体は弱いが、それが【頭】に統率されると、危険度は跳ね上がる。分身には考える頭がない為、文字通り【頭】の手足のように、【体が複数ある一つの生命体】として襲い掛かってくるのだ。
そんな分身を呼び寄せた人魚姫は、まさに本気になったと言える。
「酷い酷い酷い酷いいっいいいい!!」
戦闘体勢になった人魚姫のニキビと乳房から、悪臭漂う白い液体がピューピューと飛び出した。
「全員戦闘準備。液体が掛かると爛れるから気をつけろ。親玉は俺が叩く、サナエルとリアナは俺の補佐。後の者は分身の駆除に迎え」
「はいよ」「了解!」「承った」「ほーい」「はい」
各自の得物を構えながら、勝手な返事で答える隊員達。その時、分身達から氷の刃が発射された。まるでガトリング砲のように発射される氷の刃。
俊敏に避ける隊員達は各フォーメーションを展開していく。
当然、フォルテスにも氷の刃が向けられるが、彼は僅かに体をずらして避ける。
「ガチムチはキライキライキライキライィィィ!」
絶叫した人魚姫の尾が振り上げられ、肉の塊が叩き付けられる。しかも硬化の魔術が掛かり、まるで鋼のような硬さだ。
その何トンもある肉塊の衝撃は凄まじい。
ズウン
だがしかし、それをフォルテスは避けもしない。
尻尾を片手で受け止めたフォルテス。飛び散る滴を、いつの間にか脱いだコートで器用に防ぐ。
「タイプじゃなくてすまんな嬢ちゃん。だがまあ、俺が相手で我慢してくれや。そしたらな」
人魚姫のヌボオとした瞳を見詰めて、安心させるように笑うフォルテス。尻尾を掴んでいない左手を構え、大きな拳が引き絞られる。
「楽にしてやるよ」
そう呟いた瞬間、フォルテスの体がユルリと動き、逞しい足が地面を踏み締める。
ズッドン
重い重機のような一撃が、人魚姫の尻尾に胴体に顔面に、流れるように叩き付けられた。
「ウギャアボゲアアア!」
ぶざまに飛ぶ人魚姫。
岩場に落ちた人魚姫の頭や胴体には大きな穴が空き、激しく体液が流れている。普通なら致命傷。
だが、まだ戦いは終わらない。
「あーああーあああい!」
怨みがましい呻き声と一緒に、人魚姫から淡い燐光が発生する。回復魔法で破損箇所を治しているのだ。
それを見て、コートを片手に掛けたフォルテスは、翼を動かして空に浮かぶ。
人魚姫は感じていた、自分の分身が次々と機能停止していくのを。怯える神経なんてないはずの人魚姫に、恐怖という感情が生まれる。
「すまん失敗したな。痛くして、ごめんなお嬢ちゃん。安心しろ、次はカケラも残さず殺してやる」
そう言って空に飛ぶ彼。その声音は、あくまでも穏やかに静かに。まるで小さな女の子に語りかけるように。
「ひ……ひひひひひひいいぃぃぃぃ!?」
人魚姫が見上げる先。黒い羽根が空に舞い翼を広げる姿は、まさに悪魔。
それは、犠牲者達に死という名の救いを与える優しい悪魔だった。
「ひひひひひひゃひゃひゃひゃひゃひゃはははぁ!」
彼を見た人魚姫から、狂った笑い声が響く。それは恐怖の笑いなのか、それとも、ようやく訪れた救いの時に安堵する、とある少女の笑い声なのか。
壊れた魂の人魚姫自身、それは分からなかった。
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翌日の夜。
リュートの下町にある酒場【頑固親父亭】。
そこは、まさに頑固親父と表現するに相応しいオッサンと樽みたいな体型の女将さんの夫婦が経営している。
飯は美味いし、二人の可愛い看板娘がお客を迎えてくれる。提供する食事は安くて美味く、昼にはケーキセット、夜には酒を提供する此処は名店として好評だ。
そんな【頑固親父亭】は、今日は貸し切られていた。
「オッサーン。酒追加ー」
「エリンちゃん可愛いくなったね。今度どう?」
「やだー。お兄ちゃんたらー」
「お前、とうとうエリンちゃんに手を出したな」
「おい!後ろ後ろ!」
「酒美味ーい」
「大将飲んでる?」
「ギャアアアアア」
「お父ちゃん!?何してるの!?」
喧騒が満ちる食堂には、粗末な机と椅子が何脚も置かれている。食堂を見渡す位置に厨房があり、カウンター越しに出来上がった料理を直接渡す事ができるようになっている。
椅子に勝手気ままに座って料理を貪っているのは、若い男女達だ。下は十代、上は二十代後半な若者達は、飲めや歌えやの大騒ぎ。いつもの藍色の制服を脱いで、私服を纏っている若者達は第三王子直属部隊の隊員達。
騒ぐ彼等の頭上には、とある垂れ幕が掛けられていた。
【隊長を励まそう会】
この無礼講の主役であるフォルテス。
彼を探すと、食堂の片隅にて、もはやお決まりの光景が繰り広げられていた。
「サナエルー。また見つかんなかった。なーんも無いでやんの」
「そうですねフォルテス」
「解析班の無能がよ」
「はいはい。酒でも飲みましょう」
椅子の上で足を組み、本を読んでいたサナエルは、目線を本から外さずに酒瓶を傾けて、フォルテスのグラスに注いだ。
彼の前の席で、鬱々としたオーラを醸し出しながら管を巻いているのはフォルテスだ。
彼は酒瓶を抱きしめながら、瓶が無数に積まれた机に突っ伏していた。随分飲んでいるのか、浅黒い肌で分かりにくいが真っ赤になり、翼も元気なくヘニョンと垂れていた。
「隊長!羽!邪魔!」
「お?すまん」
少年に叱られたフォルテスが翼をヒョイと上げると、少年は料理を片手に、翼をくぐって立ち去った。
一方、フォルテスは相変わらず机の上にグデーとしていた。
「少しぐらい彼の情報を残せよ。あのキチガイ野郎、陰険過ぎる。絶対嫌がらせで情報を隠してんだ。粘着質のマッドサイエンティストが」
「あのクズなら、嫌がらせ目的でやりそうですよね」
「あー殺してー。キチガイ野郎殺してー」
ブツブツと呪詛を吐くフォルテスに、威厳は全くない。酒臭い息を吐き、呂律が回らない口調で呟きながら、机をガンガンと叩いている様子には情けなさ倍増だ。
昨日、探索した研究所にはフォルテスが求めていた情報はなかったのだ。
もう、十年間探して空ぶってきた。もう慣れたが、空振りが辛い物である事は変わらないのだ。
毎回毎回、此処にあの白い翼があるかもしれないと、胸をときめかせて落胆する。
しかも、今回は嫌がらせか。保存されたデータの中に、幼い頃のフォルテスの全裸写真があったのだ。
調査途中に、研究所の巨大モニターに映し出された全裸写真。小さな象さんもドアップで映し出され、一同に気まずい空気が流れた。
誰も反応したり、からかったりしないのが、逆に辛かった。絶対アレを見て現在を予想されたりしている。
これは恐らく、あの室長の嫌がらせだ。いつか自分が来る事を予想して、忍び込ませたのだ。陰険である。
「あー」
「フォルテス、髪が……」
オッサンみたいな声をあげながら、体を左右に揺らすフォルテス。分厚い筋肉に覆われた大柄な彼が体を揺らすことで、机がミシミシと鳴った。
ふと、サナエルが指差して眉をひそめる。フォルテスの長い黒髪が、煮込み料理の皿の中に入っていたのだ。
体を起こして、机の上に置かれていた台拭きで髪を拭くフォルテス。
「いい加減、切ったらどうですか?」
サナエルが指差すのは、フォルテスの髪。彼の黒髪は昔から長く、今は腰程の長さがある。彼のような職業の者で、髪を長くする者は少ない。
単純に邪魔だからだ。
戦闘中に視界を遮ったり、敵に掴まれたりしたら目も当てられない。
なのに、フォルテスは冒険者時代から髪を伸ばし続けた。
「……嫌だ」
フイと横を向くフォルテス。今まで通りの反応に、溜息を吐くサナエル。
「拗ねないで下さい。昔ならまだしも、今のガタイが良い姿でやられたら気持ち悪いです」
「そんな事言うなよ」
唇を尖らせるフォルテスにサナエルが苦言を漏らすと、何故かフォルテスは更に落ち込んだ。
「なあ、サナエル。やっぱり、俺みたいなガタイが良い奴はモテないのか?」
「は?何を言っているんですか?花街で毎回、取り合いがおきる人が……」
本っ気で呆れて、本から顔を上げてフォルテスを見るサナエル。サングラス越しにも、彼が蔑む瞳でフォルテスを見ている事が分かる。
毎回、花街に行くと、フォルテスに気に入られようと、娼婦も男娼も関係なく争いが起こるのだ。そのドロドロとした争いの後始末をしている身からしたら、「何言ってやがるコイツは?」といった感じだ。
「あの人魚姫が言ってたじゃねーか。だからよ、俺みたいな奴が嫌いな奴がいるってことだろ?」
「そりゃ、人には好き嫌いってものが……まさか、フォルテス」
訝しげにしていたサナエルは、何かを思い付いたように声色を変えた。
「確かに、あの絵と比べようもありませんね」
「ぐ!?」
サナエルの言葉に、まるで刺されたような呻き声を出すフォルテス。サナエルはそんなフォルテスを見ながら、必死に笑いを堪えていた。
「まさか、髪を伸ばす理由がソレとはね……」
「うるせー」
「ブッ!お前は、彼に関わると、途端に初になりますね」
クックックッと肩を震わせて笑うサナエル。
フォルテスが何よりも大切にしている物がある。それは、一枚の紙に描かれた絵だ。
紙に描かれた、黒い肌に黒い髪と黒い瞳、黒い翼を持つ一人の少年を思い出す。
それはフォルテスのデザイン画。
幼い日に研究所から逃げ出す時に見付けた紙だ。自分の名前を知り、自分が大切に望まれていた事を知った宝物。
だが、紙の外見が元になった筈なのに、今のフォルテスとは似ても似つかないのだ。
確かに外見の特徴だけなら一致する。
だが、紙の上の少年は、優雅で冷徹そうな雰囲気。戦闘中のフォルテスは冷淡な部分もあるが、大体は暑苦しいと感じる程に朗らかでガサツな男である。
恐らくだが、もし紙面の少年が実在するなら、フォルテスのように、しゃがんでズボンの尻の部分を破ったりしないだろう。
少年は細身でありながらも均整がとれた体をしている。けっして目の前の男のような、岩のようにガッシリして筋肉が浮き出たムキムキではない。
例えるなら、少年はモデル体型で、フォルテスは格闘家体型なのだ。
「あの姿に近付きたいなら、体格をどうにかしたらどうですか?」
「んなもん出来るかよ。この体格だからこそ、あの一撃が撃てるんだ。だから、髪を伸ばしてんだよ」
そう、フォルテスが髪を伸ばす理由。それは、兄が考えた姿に少しでも近付こうとしている為。
「クックックッ……ハハハハ!」
何故か笑いが止まらないサナエル。腹を抱えて爆笑する。
可愛い!可愛い過ぎる。人工生命体だから確実な年齢は分からないが、フォルテスの肉体や精神年齢は、ギリギリ二十代だ。そんな年齢の男が、一体全体何やってんだか!
「お前、嫌い」
爆笑する相棒を前に、フォルテスは毒づき、再びグラスをあおった。




