終わりで始まり
時刻は夕方
リビングの机の上に置かれた朝食は、既に冷めきって乾いている。
いつもなら賑やかな声や物音が響き、夕餉の準備をするカリダの光景が見えるのだが、室内は暗いまま。
物静かな室内の中、賢者の寝室の床に、小さな羽が生えた少年が竜を抱きしめながら泣いていた。
「マスター…足が痛いでございます…治して下さいまし…じゃなけりゃ…ご飯作らないでございますよ」
少年の足は素足で走り回ったのか、皮膚が破れて血が流れ、その傷口には土が入って痛々しかった。
「マスター、メンテナンスが必要です。喉も足も痛い痛いんです…断固としてメンテナンスを希望します」
だから…マスター起きて。しゃがれてしまった声の少年は再び大粒の涙を滴らせる。竜は心配そうに少年を見上げて、慰めるように白い頬を舐めるが、少年の涙は止まらない。
「マスター…弟が出来てないでございます…さっさと起きて作ってくださいまし…」
少年は疲れ果てた体を丸めて呟くだけであった。
異変に気付いた後、彼は賢者に跨がり心臓マッサージや人工呼吸を繰り返した。前世の訓練を思い出し、懸命に心肺蘇生を繰り返す。
汗が滴っても手を痛めても、止めずに願うように蘇生を続ける。だがしかし、冷たい賢者に体温は戻らない。
冷たいままの体は人間じゃないようで、少年は絶叫して神に助けを求めた。
神に歌を捧げるが、それは歌ではなく金切り声で喚いているようにしか聞こえない。
歌声を聞いた豊饒神は、死人を蘇らせてくれなかった。それは彼の領分ではなかった。
削るように囀る少年。美しかった声は掠れてしゃがれ、喉がひび割れる。
「けほっ……かひっ!」
喉に込み上げる物を感じ、咳こんだ彼は血を吐いた。
「くそっ!」
起こらない奇跡に舌打ちし諦めた少年は、家を飛び出し山の中を走り回り助けを探した。
裸足が草木で切れて血が流れるが気にしない。
誰か誰かいらっしゃいませんか?
老人が病気なんです。
お医者様を呼んでください。
私のマスターを助けて下さい。
私のマスターを助けて下さい。
山の中に悲痛な叫びが響く。
絶叫しながら助けを求めた。
だがしかし、人里から遠く離れた山の中で少年の助けを聞く者は誰もいなかった。
そして走り回って力尽きた少年は、賢者の元に帰り、床に座り込んでうずくまった。
山の中を非力な体で走り回った少年の体は疲れきっていた。外見よりも幼くない少年だが、肉体の年齢に引きずられるようにして号泣した。賢者は少年の父親だった。捻くれ者だが優しく、ずっと彼に仕えるのだと思っていた。
早く賢者を弔わなければいけないと分かっていた。初秋といえども猶予はない。だが、少年はまだ賢者と離れたくなかった。もしかしたら奇跡が起こるかもしれない。そんな儚い希望を抱きながら少年は賢者の傍らで蹲るだけであった。
分かっている賢者が死んでいるのは理解している。それを自分に納得させる為に一晩だけ此処にいよう。
明日にはちゃんと葬るから。
箪笥の中から出した賢者のローブに包まった少年が瞳を閉じようとした時。
「キュ…ヴヴヴ…」
「センティーレ?」
突然、少年の手の中でセンティーレが唸った。脳天気なセンティーレらしくなく、歯を剥き出しにして獰猛な顔付きで扉を……扉の向こうを睨んでいる。
「センティーレ、どうしたでございますか?」
「ギャウ!!」
カリダの問いに答えずに、彼の腕の中から飛び出たセンティーレは、四肢を踏ん張り姿勢を低くして狩る者の体勢となって睨み付けていた。
戸惑ったカリダが近付こうとした時。
カツン…カツン…カツン
足音が聞こえた。
「っ」
カリダがその音に気付いて咄嗟に賢者を守るように立ちあがった時、ドアノブが動き扉がゆっくりと開いた。
「やあ、こんにちは」
「……どちら様でしょうか?」
部屋の中に入ってきて、中を見回すように顔を左右に動かしているのは四十代くらいの壮年の男性だった。
クリーム色の短髪は寝癖がついている。柔らかい雰囲気の茶色の瞳は眠たげで、大きなメガネも合い間って、恍けた雰囲気を醸し出している。男の持つ雰囲気のせいか、高級な生地を使った灰色の詰襟の制服を着ているのに何処かだらしない。制服の上には黒いシミで汚れた白衣を着ていた。
まるで前世の科学者のような姿の男は、カリダを見つけるとフンワリと微笑んだ。
歳の割には幼い笑顔。
「やあ、こんにちは君がカリダ君だね?」
「貴方様は?」
「僕はナイチル・ヒルド。君の製造者であるロドゴフ師の弟子だ。師から君の事は、手紙で知ってるよ。師は非常に残念だった」
ナイチルと名乗った男は、そう言うと慰めるように少年の背中を撫でた。
暖かい大きな手だった。
「すまない。僕は師を守ることができなかった。上層部に反抗した師の立場が悪くなるとは分かっていたのに、僕は師を止めなかった。もし、僕が止めていたら、師は流刑にならず、こんな事にはならなかっただろう。責任は僕にあるんだ、本当にごめんね」
まるで懺悔するように辛そうに吐き出される言葉。男は体を震わせて、澄んだ瞳からポロポロと涙を流し心から辛そうに泣いていた。
「だから、せめて懺悔として君を全てから守る為に来た。君が悪用されないように僕が師の代わりに守るよ」
男の顔を見上げながら、カリダは嫌な汗が流れるのを感じていた。男に気づかれないように部屋を見回して武器になるものを探す。
探しながら尋ねた。
【目の前のオカシイ男に】
「貴方様は、何故マスターの死をご存知なのでございますか?」
「ああ、それはね監視用の魔術が師に「嘘でございます。マスターは私に。「馬鹿達の監視は全て誤魔化してやったわ!監視員達は虚偽の報告をして上司に叱られるぞ!」と言って爆笑しておりました。どうやってマスターの死を知り、尚且つこんなに早くお越しになられたのですか?それに…」
「それに?」
センティーレが男の真後ろで体を低くして、両足を踏ん張り身構えた。
「何故貴方様は笑っているのですか?」
男の体は嗚咽によって震えている訳ではない。笑って震えていたのだ。
「え?僕笑ってる?」
「ええ…腹が立つくらいでございます!」
少年の大声を合図に、竜が飛び掛かる。ベットに立てかけられていた賢者の杖をもった少年も、堅い樫の木を叩き付けた。
狂気に彩られた満面の笑みを浮かべた【人の良さそうな男】の顔面に。
だがしかし…。
「ギャン!」
「センティーレ!?」
鈍い音と同時に吹き飛ばされた竜に、悲鳴を上げる少年。直ぐさま駆け寄ろうとするが、拘束されて叶わなかった。
「離してくださいまし!」
少年が睨む先には不気味な三人の人物がいた。
茶色い革に硝子や機械を嵌めた、ガスマスクのようなマスクを被り、両手には分厚い革製の手袋を嵌めている。三人とも酷く着膨れするツナギを着ている為、体型は全く分からない。ツナギは、赤色・青色・黄色の三色に染められている。
ペストが流行った頃の医者のような不気味な外見であった。
扉から乱入した彼等(彼女達?)が少年を拘束し、分厚いブーツを履いた足で竜を蹴り飛ばしたのだ。
小さな竜は大の大人に蹴られて骨を折ったのか、立ち上がらずに体を丸めて呻くだけだ。小型犬程度の大きさしかない竜は、恐らく内臓が傷付いているのだろう。口から血が流れている。
「ク…ククク…クフフフフ!」
笑いながら自分の顔を両手でゴシゴシと擦っていたナイチルは、ヌウと顔を上げた。
そこには、目と口の端を上に吊り上げただけのような不気味な笑顔。末恐ろしい迫力に満ち溢れた彼は、歓喜を隠しもしてなかった。
熱っぽい瞳の中には、まるで汚い感情がグルグル回っているように見える。
「一号です。何やってるんですか室長?」
少年を拘束しながら呆れたように尋ねる赤色の人物を見て、ナイチルは明るく笑って頭を掻いた。
「あ―、失敗した失敗した!嘘泣きには自信があったのに。ねえ、僕ってそんなに笑ってるかい?一号君?二号君?三号君?」
「一号です。笑ってます」
「二号です。大爆笑です」
「三号です。清々しいくらい気持ち悪い笑顔です」
「ウフフ……。汚いジジイを処分出来てスッキリしたから、やっぱり笑顔になっちゃうんだろうね。しかも君が僕の物になるんだ。堪えられる訳がないよ」
ね!と小首を傾げて笑顔で少年に尋ねるナイチル。拘束された少年は男の言葉を聞いて顔を青くした。
「まさか!?」
「勘違いしないでね?一号君と二号君と三号君がたまたまこの近くで、たまたま新開発した魔術を実験していただけだよ?それがたまたま、生き汚く延命の術をかけていたジジイの術を、たまたま阻害しちゃっただけなんだ。不幸な事故なんだよ?」
「何が事故でございますか!?貴方の責任でしょう!」
その言葉にナイチルはキョトンとする。
「うん、そうだよ?さっき言ってただろう?全て僕の責任だって。僕は何一つ嘘は言っていない」
ナイチルは青色の人物から注射器を渡されて微笑む。
「カリダ君は今から僕の所に来るんだよ」
「近寄らないでくださいまし!」
「大丈夫、安心して。君を危険から守ってあげる。やっと手に入った完全体を馬鹿な技術者に弄らせはしないよ。君を懇切丁寧に僕が調べてあげるよ。君を有効活用して、僕が沢山の完成品を作り出してあげる」
チクン
「イ!?」
首筋に感じる僅かな痛みに、上擦った悲鳴を上げて体を強張らせた少年。顔は真っ白に青ざめ、注入される液体の冷たい感覚に恐怖に顔を歪めた。
「痛いよね?ごめんね…まだ沢山あるんだ」
ニッコリ笑ったナイチルの後ろには、いつの間にか青色の人物が銀のトレイを持っていた。
トレイの上には沢山の薬剤が詰まった注射器が整然と並べられていた。
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「ぁ…ぁ…マスター…助け…マス…タ…痛い…痛いで…マスター…マス…タ…マスター」
「怖いんだね…でも大丈夫。すぐに、希望も絶望も感じなくなるからね」
「ああ!ぅ…」
「フフフ…眠っちゃったか。一号君?ジジイの資料の回収はできたかい?」
「二号です。はい全ての人型の資料を回収いたしました。中には製造途中の人型の素材らしき物も見えます。調べた限り、全ての材料が完全な状態で機器にセットされています」
「凄い、まさか原材料があるなんて!完全体と材料の二つが揃ってるなら、研究は一気に進む!早速、研究所に帰って分析しよう。やることは沢山ある。皆、暫く寝させないからね!」
「一号です。えーマジですか」
「二号です。鑑別して下さい」
「三号です。特別手当てつきますか?」
「大丈夫!特別手当てなら幾らでも出すよ」
ナイチル・ヒルド
賢者の親友であるナーゲル・ヒルドのひ孫であり
賢者の弟子であり
賢者の流刑後に兵器製造を任せられた、感情ある兵器の開発者
そう、賢者から手紙を貰った彼こそが裏切り者
「バイバイ糞ジジイ様」
優しく笑ったナイチルの前でカリダとセンティーレとロドゴフの家が燃え上がる。中に死体と子竜を残したまま、炎は鮮やかに煌々と夜空を照らして舞っていた。
バイバイと手を振るナイチル。歳を考えると幼な過ぎる動作だが、彼がやると何故か似合っていた。
「何やってるんですか?さっさと行きますよ室長」
「ああ!?ちょっと待ってよ君達!」
興味がなくなったように視線を外すと、彼は部下を追ってスキップしながら立ち去った。
ロドゴフは老獪な賢者であったが、目が曇る時もある。まさか、赤ん坊の頃から知っているナイチルが、自分を裏切っているとは思わなかったのだ。
あのナーゲルの血をひく者が、こんなに歪んでいたとは想像しなかったのだ。
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【種族】人工生物(家事特化)
【名前】カリダ・アーエル
【状態】防衛の眠り
【称号】生まれし者、ロドゴフの遺児
【スキル】気難し屋耐性
、賢者の知識、飛行、歌姫[豊饒神の加護][----][----][----]、色気(癒し系)
【体力】8/58
【魔力】20/120
【攻撃力】34
【守備力】40
【魔法攻撃力】50
【魔法守備力】60
【器用】130
【素早さ】90
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【状態】防衛の眠り…賢者が施した防御システム。イレギュラーな状態で無理やり意識を奪われた時に自動的に発動する。
正規の方法で解かなければ、【脳】が自壊してしまう。また、投薬や外科的処置等も自滅の引き金になる。これは、もしカリダが捕らえられた時に実験されないよう防止する為の処置。
実はロドゴフは、自分の寿命を延長させる術をかけていました。それは心肺機能の補助程度の力しかなく、老衰のスピードを止めれるような物ではありませんでした。
ギリギリ一年生きるかどうかだったのですが、手紙を読んで【完全体】を知ったナイチルのせいで、術が誤作動して急死しました。




