File.08:透明な目撃者
【記録者:久住 瑛一】
【記録日:20XX年 11月28日】
午後2時。冷たい雨が、新宿のアスファルトを黒く染め上げている。 窓ガラスを叩く雨音が、ザアザアと絶え間ないノイズとなって思考を妨げる。部屋の湿度は高いはずなのに、暖房の効かない空気は肌を刺すように冷たい。
俺はカフェインで荒れた胃をさすりながら、泥のように煮詰まったコーヒーを啜った。苦味が舌に張り付く。憂鬱な気分で、雨垂れの流れる窓の外を睨む。
「……久住さん。トレンドワードの『神隠し』、関連ポストが毎秒150件のペースで増加中です」
メインモニターの中、相棒の『アイ』が、重力のないデジタル空間に浮遊していた。 純白のボディスーツに身を包んだ彼女は、空中に展開された無数のニュースフィードを、指揮者のように指先で操っている。透き通るような白髪の毛先と、スーツを走る青いラインが、データの流速に合わせて静かに明滅している。
画面の端には、都内の公園で撮影されたニュース映像が流れていた。雨に濡れた黄色い規制線。地面を這いつくばる鑑識官たちの、黒い雨合羽の背中。
「神隠し、ねえ。21世紀になっても、人間は消えるのが好きだな」
俺は呆れたように呟いた。事件は昨日起きた。公園で遊んでいた5歳の男の子が、忽然と姿を消したのだ。
現場は、ビル群の谷間にある住宅街の公園だ。 出入り口は三箇所。公園自体の防犯カメラは古く、死角も多い。だが、周囲の道路には街頭防犯カメラやコンビニのカメラが網目のように張り巡らされている。
男の子が公園に「入る姿」は確認された。 だが、三つの出口のどこからも、「出る姿」は一切映っていなかった。 まるで公園の敷地内で、煙のように消えてしまったかのように。
警察はマンホールやトイレ、遊具の中まで徹底的に捜索したが、痕跡はゼロ。
ネット上では「UFOに連れ去られた」、「時空の歪みに飲み込まれた」と、無責任なオカルト説が過熱している。
「警察の捜査ログ(非公開)によれば、現場指揮官はあの仙崎警部です。彼らが『見落とし』をする確率は極めて低いかと」
「ああ、あの堅物なら、公園の砂の粒まで数えてるだろうよ」
俺は画面の中の公園の遊具を見つめた。雨に打たれる滑り台。誰もいない砂場。風で揺れるブランコの鎖が、キィキィと悲鳴を上げているようだ。
……昔、娘の陽を連れて行った公園に似ている。あの子も5歳くらいの頃は、目を離すとすぐにどこかへ行ってしまう危なっかしさがあった。その度に俺は冷や汗をかいて探し回ったものだ。
今はもう10歳。 毎月届く手紙の中で、あの子は俺を「悪いオバケと戦うヒーロー」だと信じて疑っていない。だが、もし今、この薄暗い部屋でキーボードを叩く俺の背中を見たら……「パパ」だと認めてくれるだろうか。
「……久住さん? バイタルが不安定です」
「いや、なんでもない。……警察は『証拠』しか見ないから見落とすんだ」
俺はキーボードを叩き、モニターに複数のウィンドウを展開させた。俺が見るのは、警察が押収した綺麗な防犯カメラ映像ではない。ネットの海に転がっている、汚れた『ノイズ』だ。
「人間が蒸発するわけないだろ。……単に、カメラの『死角』が動いただけだ」
「死角? この公園周辺の死角率は低いですが」
アイが首をかしげる。彼女の緑色の瞳には、論理的な疑問が浮かんでいる。
「それは地図上の話だ。……死角がねえなら、犯人が『作った』可能性もある」
「死角を作る、ですか?」
「ああ。だからこそ、固定カメラには映らない『ノイズ』まで洗うんだ。 アイ、事件発生時刻前後の、この公園周辺半径500メートル以内の『画像』を全部拾え。SNSの自撮り、ランチの写真、通りがかった車のドライブレコーダー、お天気カメラの背景……全部だ」
「……了解。画像を再展開します」
アイが両手を広げると、モニター画面いっぱいに、モザイク画のような膨大な画像の奔流が現れた。彼女はそのデータの海に飛び込むように、空中で体を回転させた。
「検索フィルター、適用。『人間』『風景』『ノイズ』……分類開始」
画面が高速で切り替わる。女子高生のピースサインの隙間。カフェのガラス張りの壁に映り込んだ反射。その中には、不吉なニュースサイトのサムネイルも混じり込む。
『速報:県内山中で一部白骨化した遺体を発見……』
「……チッ、検索ノイズだ。『遺体』は除外しろ。俺が探してるのは生きてるガキだ」
俺は舌打ちをして、マウスを握る手に力を込めた。 遺体なんて見たくない。見つからない方が幸せなこともある――そんな古傷が痛み出しそうで、俺は逃げるようにスクロールバーを操作し、その不吉な画像を画面外へ弾き飛ばした。
「……バイタル変動を検知。検索フィルターを修正します」
アイが静かに告げ、画面上の情報の奔流を再構築する。
「『生存』『日常』『無関係』のタグを優先表示」
数分後、アイの指先ひとつで、目まぐるしく流れていた画面のスクロール速度が緩やかになった。 彼女は少し疲れたように肩をすくめたモーションをした。
「久住さん。平和な画像ばかりです。有意なデータは検出されません」
「警察は『怪しい奴』を探すから見落とすんだ。俺たちが探すのは『怪しくない奴』だ」
俺は充血した目を擦りながら、画像を弾いた。ランチの皿。犬の散歩。カップルのキスシーン。
「……ストップ」
俺の手が止まった。
画面に映っているのは、ある通行人がSNSに上げていた自撮り写真だ。背景の公園入り口付近に、緑色の配送トラックが見切れている。
「画像認識を実行。車体のロゴマークは、大手運送会社『ワイルド・キャット便』のものです」
アイが即座に解析結果を出し、空中にウィンドウを浮かべる。
「このエリアは配送ルート内です。住宅街での停車は日常的な風景であり、不審な点はありません」
「いや、違う。……アイ、もう一枚。この公園から2ブロック離れた、大通りのライブカメラ映像を出せ」
「? 了解しました」
モニターの左側に公園のトラック(SNS画像)。右側に、大通りを走る別のトラック(ライブカメラ画像)が表示される。
「見てみろ。大通りの方も『ワイルド・キャット便』だ。ドアに書かれた『車両管理番号』を比較しろ」
アイが二つの画像を拡大する。ドアの上部に小さくペイントされた、英数字の組み合わせが浮かび上がる。
大通りのトラック:『SJ-012』
公園のトラック:『SJ-035』
「『SJ』は新宿営業所のコードだ。ここまでは合ってる」
「はい。番号も違いますし、別々の車両ですね。特に矛盾はありませんが?」
「矛盾だらけだ。……アイ、お前は街の『規模』ってやつを理解してない」
俺は公園側の『SJ-035』を指差した。
「ワイルド・キャット便の新宿営業所は、狭い路地に対応するために小型トラックがメインだ。保有台数は予備車を含めても20台そこそこしかない」
「……あ」
アイが小さく息を呑む。
「つまり、新宿営業所には『20番台』までの車両しか存在しないはずなんだ。……おい、データベースで裏を取れ」
「……照合します。ワイルド・キャット便、新宿営業所の車両登録リスト……」
その瞬間。
――ビッ。
空気が凍りついた。
透き通るような白髪の毛先と、スーツを走る光のラインが、穏やかな青色から、システムの警告を示す『赤』へと変化した。
「……新宿営業所の管理番号は『001』から『024』までです。登録データなし」
赤く発光したアイが、硬質な声色で告げる。
「『SJ-035』に該当する車両データは存在しません。これは……正規の車両を装った、架空の識別番号です」
「奴らは適当な数字をペイントして偽装したが、リサーチ不足だったな。そいつはこの世に存在しない『幽霊トラック』だ」
俺はSNSの画像を拡大させた。
自撮りをする女性の肩越し、背景に映るトラック。その荷台の後ろで、作業員らしき男が台車を押しているのが微かに見える。 載せられているのは、茶色の段ボール箱だ。
「……アイ、あの箱のサイズを計測しろ」
「ピクセル解析を実行。……縦、横、高さの比率から推測して、家電用の梱包箱に近いサイズです」
一見するとただの荷物だ。だが、俺の背筋に嫌な汗が流れた。 サイズ感だけが、決定的に不吉だった。 人間が――5歳の子供が、体育座りをして押し込められれば、ちょうど収まる大きさだ。
「……ッ」
胃の奥から、強烈な吐き気がこみ上げてきた。 脳裏に、自分の娘の姿がフラッシュバックする。 もし、あの子が。見慣れた宅配便のトラックだからと気を許し、次の瞬間には暗い箱の中に詰め込まれて、「荷物」として出荷されたら?
これはもう、取材じゃない。子を持つ親としての、どうしようもない憤りだ。
「……ふざけやがって」
俺は歯ぎしりをした。口の中で血の味がした。
「たった一人の子供をさらうために、トラック一台を偽装して……本物の流通網に紛れ込ませて『出荷』だと? 人間をなんだと思ってる」
「……状況証拠、連結しました」
アイの声にも、怒りのような熱がこもる。
「推論結果を修正。これは『神隠し』ではなく、計画的な『幼児誘拐』です」
俺は舌打ちした。大手運送会社の信用を隠れ蓑にした、偽装トラック。神隠しの正体は、あまりに用意周到な営利誘拐だったのだ。
「……久住さん。警察に通報しますか? 正規の手順なら、受理されるまでに……」
「そんな暇はない! 奴らのルートに乗ったら終わりだ……ガキが二度と戻れない場所に売り飛ばされちまうぞ!」
俺は怒号を飛ばしながらスマホを取り出した。指が震えてうまく動かない。ライターとしての冷静さは消え失せ、子を持つ親としての激情が体を支配していた。 俺は連絡先リストの奥底にある、使いたくない番号を表示させた。
「アイ。仙崎の個人端末に、匿名でこの画像を送りつけろ」
「メッセージは?」
「一言でいい。『このトラック、ナンバーが存在しない幽霊だぞ』……とな」
余計な説明はいらない。あの鋭いおっさんなら、この事実だけで瞬時に全てを理解して動くはずだ。
「……送信完了。仙崎警部の端末で、即座に既読がつきました」
アイが腕を振り下ろすと、赤い警告色がゆっくりと青色へ戻っていった。
***
数時間後。ニュース速報のテロップが流れた。
『誘拐犯グループの車両を警察が確保。男の子は無事保護されました』
画面の端に、雨の中連行される容疑者の傍らに仙崎の姿が一瞬だけ映った。
俺は安堵の息を漏らし、震えの止まった指先で新しいタバコに火をつけた。
「……解決しましたね。久住さん、記事の構成案はどうしますか?」
アイが新しいドキュメントを開く。 いつもの青い光に戻った彼女だが、その表情は少し硬い。
「『住宅街の死角! 偽装トラックによる卑劣な誘拐』……これなら、親御さんたちへの注意喚起としてバズります。社会的な公益性も高いネタです」
「ボツだ」
俺は即答した。紫煙を吸い込むと、肺の奥まで苦味が広がった。
「そんな生々しい誘拐記事が出たら、あの子は一生『宅配便のトラック』を見るたびに、恐怖で震えることになる。……自分が『荷物』にされたなんて事実は、一生知らなくていい」
俺は新しいタイトルを打ち込んだ。キーボードを叩く音が、雨音に混じる。
『【神隠し】検証! 異次元公園の謎! 少年は時空の狭間を見ていた!? UFO誘拐説を追う!』
「……質問」
アイが目を丸くし、画面上の「フェイクニュース」を指差した。
「真実を隠蔽することは、類似事件の再発防止の観点から見て、社会的な損失です。……なぜ、たった一人の幼児の精神衛生を、社会全体の利益より優先するのですか?」
「……トラウマにするには、人生は長すぎるからな。 あの子には、『自分は不思議な世界に迷い込んで、お巡りさんに助けてもらった冒険者』だと思わせておいてやれ」
俺は冷却シートを額に貼り付けた。冷たさで思考のスイッチを切り替え、エンターキーを叩いた。
「……計算不能」
アイは首をかしげたまま、しばらく沈黙した。 やがて、彼女は小さくため息をつき、その計算を放棄するようにヘアピンの明滅を止めた。
「幼い心を守るためには、残酷な事実を……優しいファンタジーで上書き保存するという例外処理。……今の私には、まだ処理しきれない矛盾です」
「ゆっくり学べ。時間はたっぷりある」
街はもうすぐ冬になる。 俺の娘も笑って暮らしているだろうか。そうであってほしいと願うことしか、今の俺には許されていない。
モニターの中、アイもまた、俺と同じ方向を見上げていた。彼女の左のヘアピンだけが、まだ納得していないように、小さく、不規則に明滅を繰り返していた。
(File.08 了)




