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File.07:生成された遺言

【記録者:久住 瑛一】

【記録日:20XX年 11月25日】


 午後1時。空は高く晴れているのに、秋風は思いのほか冷たい。事務所の窓ガラスは冷え切っており、指先で触れると結露しそうなほどだ。俺はカフェインで荒れた胃をさすりながら、泥のようなコーヒーを啜っていた。液体が食道を通り落ちる熱さだけが、生きている実感を与えてくれる。


「……久住さん。動画共有サイトの片隅で、再生数は少ないですが……極めて興味深い『心霊動画』がアップロードされています」


 黒い画面の中、相棒の『アイ』が音もなく浮かび上がる。純白のボディスーツに身を包んだ彼女は、空中に展開した無数の動画サムネイルを、まるで見えないトランプのように指先で切っていた。透き通るような白髪の毛先と、スーツを走る青いラインが、データの流れに合わせて穏やかに明滅している。


「心霊動画? どうせCGか、合成だろ」


「いいえ。投稿者は50代の主婦。タイトルは『死んだ娘が変なことを言います。助けてください』。……これは故人のログを学習して再現する、最近流行りのグリーフケアAIアプリ『Re:Member(リ・メンバー)』です」


「今はそんなアプリまであるのか……」


「……オカルト的な演出意図は検出されません。純粋な『恐怖と困惑』の記録です」


 アイが指を弾くと、一枚のウィンドウが俺の目の前に滑り込んできた。再生回数はまだ3桁。動画の内容は、スマホの画面録画キャプチャだった。


『……見てください。これ、昨日の理央なんです』


 投稿者の震える声でナレーションが入る。画面の中では、CGで作られた若い女性「理央」が、最初は笑顔で話していた。少し不自然な瞬き。合成音声特有の平坦なイントネーション。


『お母さん、元気? ご飯ちゃんと食べてる?』


 しかし、数秒後。


 ザザッ……。


 音声にノイズが混じり、娘の表情が不穏に歪んだ。CGのテクスチャが剥がれ落ちるように、笑顔と悲しみの表情が入り乱れたポリゴンが崩壊していく。


『……痛いよ』


『……痛い。痛い。なんで』


『……なんで、あの時、見てくれなかったの』


 動画はそこで途切れ、投稿者の悲鳴のような呼吸音で終わっていた。概要欄には、こう書かれている。


『娘は先月、事故で亡くなりました。運営会社に問い合わせても「調査中」と言われたままです。娘は私を恨んでいるのでしょうか? 詳しい方、教えてください』


「……なるほど。事故死した娘がいきなり『痛い、見てくれなかった』と恨み言を言い出したわけか」


 俺はタバコに火をつけた。火をつける乾いた音が虚しく響く。吐き出した紫煙が、モニターの青い光の中で白く揺らめいた。


「よくある話だ。AIの学習データに、ホラー映画のスクリプトでも混じったんだろ。あるいは、ネット上の怪談を誤学習したか」


「いいえ。解析の結果、これは外部ノイズではありません」


 アイは淡々と告げながら、空中で両手を広げた。彼女の周囲に、膨大なテキストデータの奔流が渦巻く。


「このアプリ『Re:Member』が学習に使用した、参照元データをトレースしました。AIの生成ログに残されたアクセス元を辿り、まずは『理央』という人物の表向きのSNSアカウントを特定」


 アイは空中で指先を滑らせ、滝のように流れるログの向こう側を透かし見るように瞳を凝らした。


「さらに、その書き込みの癖やメタデータから検索範囲を広げ……彼女が別名義で運用していた、鍵なしの『裏アカウント』を発見しました」


「……裏アカウント?」


「はい。検索除けが施されていますが、AIのクローラーなら捕捉可能です。アプリのAIは、この裏垢のテキストデータまで『本人の発言』として学習してしまったようです」


 アイが右手を突き出すと、一つのウィンドウが抽出された。


 そして――。


 ――ビッ。


 鋭い警告音と共に、アイの姿に変化が生じた。透き通るような白髪の毛先と、ボディスーツを走る光のライン――。鮮やかな青からシステム上の重大な不整合を検知し、警告色を示す『赤』へと静かに変化した。


 部屋の照明が落ちたかのように、赤い光だけが俺の手元を照らす。彼女は赤く変わった瞳でログを見つめ、痛ましそうに眉を寄せた。


「……久住さん。推奨しませんが、表示します」


【学習元データ:SNSアカウントのログ】


 3月10日:手首痛い。また無視された。


 3月15日:お母さんは、成績の良い「優等生の私」しか見てない。


 4月20日:消えたい。誰か助けて。手首の傷、また増えた。


「……これは……」


 赤く発光するアイが、無機質に、しかしどこか沈痛な響きで告げる。


「AIは仕様通り、彼女が生前母親に隠していた裏アカウントの『本音』を忠実に再現してしまったのです。……久住さん、彼女の死因は本当に事故でしょうか? このログを見る限り……」


「……ストップ」


 俺は遮った。喉の奥が引きつる。画面のログから目を逸らしたかった。


『成績の良い私しか見ていない」』


『手首の傷』


 それは、親が一番見落としやすく、そして知った時に最も地獄を見る言葉だ。


 裏アカウントで叫ばれる悲痛な言葉達。


 おそらく彼女は何度となく母親に伝えたかった言葉だろう。


 子を持つ親として、俺は自分の娘のことを考えずにはいられなかった。5年前、とある事件をきっかけに俺は家族と離れることになった。


 みなみは今、10歳。離れて暮らすあの子は、俺のことを『悪いオバケと戦う秘密のヒーロー』だと信じているらしい。元妻が娘を守るためについた、優しい嘘だ。陽は毎月、俺の書いたデタラメなオカルト記事をこっそり読んで、「パパは今月も頑張ってるんだね」と面会の際に手紙をくれる。


 だが、もしあの子が大人になり、この世の本当の理不尽さに触れた時。父親がヒーローなんかじゃなく、ただの薄汚いオカルトライターだと知ったら?あるいは、この少女のように誰にも言えない痛みを抱え、SNSの片隅で「助けて」と泣き叫んでいたら?……俺はそれを知ることができるのか?いや、今の俺にはその資格すらない。俺はただ、娘の幻想を守るために、汚れた嘘を積み重ねることしかできないのだから。


「久住さん? 心拍数が上昇しています」


「……うるさい」


 俺は震える指でタバコの灰を落とした。灰皿に落ちた灰が、崩れて形をなくす。 画面の中では、母親が「詳しい方、教えてください」と助けを求めている。彼女が知りたいのは真実だろうか?


 いや、違う。彼女が欲しいのは、「娘は私を恨んでいない」という免罪符だ。もしここで、「娘さんは貴女に絶望して自殺したんですよ」なんて真実を突きつけたら。この母親は、一生自分を呪い殺し続けるだろう。


 かつての俺のように。


「……アイ。この動画のコメント欄に書き込め」


 俺はモニターを睨みつけた。赤く光るアイは、俺の意図を測りかねて、じっとこちらを見返している。


「『映像を解析しましたが、これはアプリのシステムが外部のウイルスに感染して発生したバグです』」


「『最近、同様の乗っ取り被害が多発しています。この音声は娘さんのものではなく、悪意ある第三者が作成した偽データです。直ちにアプリを削除してください』……そう書いて送信しろ」


「……拒絶リジェクトします」


 アイの声が硬くなる。彼女はキーボードを叩く動作を止め、赤い瞳で俺を射抜いた。


「それは虚偽情報フェイクです。ファクトは『娘さんの自殺願望がAIによって露呈した』です。これを伝えなければ、根本的な解決にはなりません」


「伝えてどうする。母親を殺す気か」


 俺は椅子を蹴って立ち上がり、モニターに手を突いた。ガラスの冷たさが掌に伝わる。その向こうで、アイがハッとして身を引く。


「死んだ娘が、実は母親を恨んで死んでいったなんて真実、墓場まで持ってかせてやれ。母親には、『娘は事故で不幸にも亡くなったが、最後まで良い子だった』……その綺麗な嘘だけ残してやるのが、俺たちの仕事だ」


 俺の声は、自分でも驚くほど悲痛だった。それはこの母親のためであると同時に、どこかで暮らす自分の娘と元妻への、身勝手な祈りでもあった。 知らないままでいてほしい。俺という父親が汚れていることも、世界にはこんな救いのない真実があることも。


「……」


 アイは沈黙した。論理的な正しさと、俺が提示した「救い」の矛盾に、処理が追いついていない。


 彼女は視線を斜め下へと落とし、何かを必死に演算しているように、ヘアピンがチカチカと不規則に明滅していた。導き出される「正論」を、俺が求めた「嘘」が塗りつぶしていく。その不条理な処理結果を、彼女は無言で飲み込もうとしているようだった。


 やがて、彼女は小さく頷いた。赤い光が、ゆっくりと青色へと戻っていく。


「……オーダーを受理。送信します」


 アイが空中に仮想キーボードを展開し、繊細な指使いで嘘の文章を打ち込んでいく。最後に、彼女はためらうように一瞬指を止め――小さく息を吸って、Enterキーを叩いた。


 画面に『送信完了』のポップアップが浮かび、すぐに消える。俺たちのついた嘘が、デジタルの海に放たれた瞬間だ。


 ***


 それから数時間が経過した、夕暮れ時。紫煙で白く曇った部屋に、アイの静かな声が響いた。


「……久住さん。通知ノティフィケーションです」


 彼女が指差したウィンドウには、あの投稿者からの返信が表示されていた。


『ありがとうございます。そう言っていただけて安心しました。怖かったので、すぐに削除します』


 直後、ブラウザの画面が自動的にリロードされた。さっきまで「理央」が映っていたプレーヤー部分は、『この動画は投稿者により削除されました』という冷たい文字列だけが残った。


 消える寸前、ノイズの向こうで彼女が一瞬だけ寂しげに微笑んだように見えたのは、俺の感傷だろうか。それとも、アイ自身が、同族である彼女の消滅を悼んだのだろうか。


「……動画、消滅デリート。投稿者自身の手で削除されました」


 アイは静かに、何もない空間を見つめていた。デジタル空間に独り取り残された彼女の姿が、少しだけ孤独に見えた。


「……質問クエリ


 彼女は振り返らず、消去されたデータの残滓ざんしに指先を漂わせたまま呟いた。


「なぜ、貴方は『ウイルス』という虚偽の原因を設定したのですか? 『娘のバグ』と言えば済む話です」


「ウイルスなら……『外部の悪意』のせいにできるからだ。娘も、母親も悪くない。悪いのは顔の見えない誰かだ」


「……誰かを悪者に仕立て上げることで、当事者の心を守る……」


 アイはヘアピンをチカチカと点滅させ、小首をかしげた。


「計算が合いません。その解決策ソリューションでは、真実は永久に失われます。最適解ではないはずです」


「人間にとっての最適解は、正しさじゃない。安らぎだ」


 俺は新しい冷却シートを額に貼り付け、強引に頭を冷やした。エディタを開く。指先の震えはもう止まっていた。俺はぬるくなったコーヒーを流し込むと、迷わずにキーボードを叩き始めた。


「タイトルは『呪いのAIアプリ! 冥界からのハッキング手口とは!?』……。真実はゴミ箱だ。俺たちは、誰も傷つかない安っぽい怪談を作ればいい」


 モニターの奥で、誰にも読まれることのなかった少女のSOSが、デジタルの海に沈んで消えていった。


 アイはまだ、納得できていないようだった。彼女は俺の書く「嘘の記事」と、消去された「真実のログ」を交互に見比べ、眉間のシワを深くしている。


「……処理不能アンプロセッサブル。嘘をつくことが『救済』になるというロジックが、私の倫理コードと衝突しています」


 静かな電子音が、解決しない問いを残して部屋に響く。彼女のヘアピンは、エラーを示すように赤く短く明滅し続けていた。


(File.07 了)

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