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File.05:幽霊の正体

【記録者:久住 瑛一】

【記録日:20XX年 10月31日】


 午後10時。 世間がハロウィンの馬鹿騒ぎに浮かれている夜。 事務所の外からは、仮装した若者たちの嬌声や、パトカーのサイレンが遠く響いてくる。 だが、この薄暗い部屋には、電子機器の駆動音しかない。


 俺はこめかみを揉みながら、サブモニターを横目で睨んだ。 丸二日寝ていない脳に、甲高いアニメ声の絶叫が突き刺さる。


『きゃああああ! 待って! なんで勝手に動くの!? お菓子あげるから許してぇぇ!』


 画面には、同接数5万人を超える人気VTuber『夢見ゆめみクルミ』が映っている。 彼女のアバターも今日は可愛らしい魔女のコスプレ姿で、画面には『ハロウィン緊急企画! 絶叫ホラー実況!』というテロップで、毒々しい紫とオレンジの文字が踊っていた。


「……うるさい。音を消せ」


 俺は不快感に顔をしかめ、マウスに手を伸ばした。


「消しません。久住さん、これは興味深いデータです」


 メインモニターの中、相棒の『アイ』は興味深そうに身を乗り出していた。 純白のボディスーツに身を包んだ彼女は、空中に浮かべたウィンドウで、動画のコメント欄の流速を指でなぞるように計測している。 その緑色の瞳が、高速で流れる文字の滝を追って左右に動く。


「現在、ハロウィンの影響でネット全体のトラフィックが増大していますが、この配信だけ不自然な『異常値』が出ています。……彼女、演出ではなく、本当に生命の危機を感じていますよ」


「……ただのビビリなんだろ。『お菓子をくれなきゃイタズラするぞ』ってな。演技だよ、演技」


 俺は興味なさげに言い捨て、ぬるくなったコーヒーを口に運んだ。 だが直後、スピーカーから異様な音が響き、俺の手が止まった。


 ドゥン、ドゥン、ドゥン……!!


 ゲームのBGMに混じって、マイクが物理的な環境音を拾い始めたのだ。部屋の奥から響く、腹の底を打つような重く鈍い回転音。何かが暴走し、床を激しく叩きつけているようだ。


『え!? 待って、洗濯機!? なんで勝手に回ってるの!?』


『きゃあああ! カーテンも! なんで勝手に開くの!?』


 さらに、画面の中の『クルミのアバター』が、バグったように明滅した。 白目を剥いて不自然に痙攣けいれんし始め、首があらぬ方向にねじれ、口がガクガクと開閉を繰り返す。


「……顔認識トラッキングのエラーです。原因は、部屋の照明」


 アイが冷静に分析し、サブウィンドウに波形データを表示する。


「ストロボのような激しい明滅のせいで、カメラが配信者の顔を見失っています。……これは、ハロウィンの余興とは思えません」


 見えない部屋の中で、照明がストロボのように明滅し、洗濯機が暴れ、カーテンが開閉している――。 そのカオスな状況が、音とアバターのバグを通して、生々しく伝わってくる。


『え!? 何!? 電気が消えた!? 誰かいるの!?』


 コメント欄が爆笑の草(w)で埋め尽くされる。


『神演出キタコレwww』


『お化け屋敷より怖くて草』


『トラッキング外れて顔ヤバいぞw』


「……アイ。彼女のルーターをスキャンしろ。演出にしては、家電の挙動がバラバラすぎる」


「了解。……解析開始します」


 アイの表情から、好奇心の色が消えた。


「……解析完了」


 彼女は空中で指を弾き、ルーターのログを俺の前に展開する。


「黒です。何者かが外部から侵入し、スマートホームの制御権アドミンを奪取しています」


 物理的な侵入者はいない。 だが、『見えない誰か』がネット経由で部屋を支配している。 現代の怪物は、白い布を被ったオバケなんかじゃない。 LANケーブルの向こう側にいる悪意だ。


 その時。 マイクの奥から、ジジッ……という不快なノイズと共に、今まで聞いたことのない合成音声が響いた。 部屋にあるスマートスピーカーが乗っ取られたのだ。


『ト……リ……ッ……ク……』


『オ……ア……』


『……ト……リ……ー……ト……』


 画面右を流れるコメント欄が、ピタリと止まり、すぐにざわつき始めた。


『え?』


『今の声なに?』


『演出? 怖すぎんだろw』


『いや! 待って、誰!? 今、スピーカーから……!』


 マイクが、クルミの悲鳴を拾う。演技ではない、本物の怯えが伝わってくる。しかし、無機質な音声は容赦なく続く。 先ほどの定型文のような口調から、次第に粘着質な、湿り気を帯びた言葉へと変質していく。


『……ネ……エ……』


『……ボ……ク……ノ……コ……ト……』


『……キ……ラ……イ……?』


『やめて! 誰なの!? 勝手に喋らないで!!』


 クルミが泣き叫ぶ。だが、スピーカーの声は、彼女の拒絶を楽しむように、ゆっくりと言葉を紡ぐ。


『……イ……ツ……モ……』


『……ミ……テ……ル……ヨ……』


『……ア……ン……ナ……ニ……』


『……オ……ウ……エ……ン……』


『……シ……タ……ノ……ニ……』


 コメント欄の空気が一変した。「草」や「w」が消え、戦慄が走る。


『おい、これガチじゃないか?』


『アンチか?』


『いや、ガチ恋勢の成れの果てだ』


『クルミちゃん逃げて!!』


「……これは……」


 俺は眉をひそめ、手に持っていた缶コーヒーをデスクに置いた。ただの愉快犯じゃない。これは、歪んだ愛情が反転した、純度100%の『私怨』だ。 一番タチが悪いタイプだ。スピーカーの向こうの怪物は、震える彼女に向けて、決定的な宣告を下した。


『……ム……シ……ス……ル……』


『……ワ……ル……イ……コ……ニ……ハ……』


『……オ……シ……オ……キ……ダ……』


 ポン、という無機質な起動音が鳴り響く。

 ハッカーが、「お仕置き」という名の制裁を実行する合図だ。


『……ミ……ン……ナ……ニ』


『……ク……ル……ミ……ノ…』


『……イ……バ……シ……ョ』


『……オ……シ……エ……テ』


『……ア……ゲ…ル』


『……………トウ……キョウ……ト……』


『おい待て』


『住所読み上げ!?』


『ガチのやつじゃんやばいって』


「……! 晒し行為だ!」


 俺は椅子を蹴って立ち上がった。 住所が読み上げられれば、彼女の人生が終わる。 ネットの特定班が動けば、数分で本名まで特定できるだろう。


「これはやりすぎだ!……アイ! 彼女のルーターを攻撃して強制再起動させろ! 配信を落とすんだ!」


「実行します!」


 アイが両手を突き出し、攻撃コードを生成しようとした。 だが、次の瞬間。


 ――ビッ!


 強烈な警告音と共に、アイの動きが硬直した。 彼女の透き通るような白髪の毛先と、スーツを走る光のラインが、瞬時にして警告色を示す『赤』へと染まる。 部屋全体が、非常事態を示す赤色灯のような光に包まれる。


「……警告アラート。攻撃不可能です」


「は?」


 アイの赤い瞳が激しく揺れている。 彼女は焦ったように空中のウィンドウを叩くが、拒絶を示す「ACCESS DENIED」の文字が並ぶだけだ。


「攻撃者は、ルーター内に『デッドマン・スイッチ』を仕込んでいます! 外部からの切断、および電源の遮断を検知した場合、即座に『彼女の素顔と本名』を、乗っ取った彼女自身の公式アカウントから自動投稿するスクリプトが組まれています」


「……なんだと? 人質を取ってるのか」


「さらに、この攻撃は海外のプロキシに加え、多重Torネットワークを経由しています。物理層でのIP偽装(スプーフィング)も行われており、逆探知と暗号化解除には、私の演算リソースを全開にしても20分かかります」


「20分も待ってたら、住所なんかあっという間に読み終わるぞ!」


 スピーカーの声は、こちらの焦燥をあざ笑うかのように、ゆっくりと、容赦なく続く。


『セ……タ……ガ……』


『ヤバイよ、ヤバイよ』


『通報しますた』


「くそっ、万能AIが聞いて呆れるな!」


「申し訳ありません。論理的な対抗策カウンターが見つかりません。回線を切れば拡散され、切らなければ読み上げられる。チェックメイトです」


 赤い光を放つアイが、悔しげに唇を噛み、デスクを拳で叩くモーションをした。 万策尽きた。 デジタルな攻防は完全に詰んでいる。 ハッカーは、俺たちが手をこまねいているこの状況を、どこかでニヤニヤしながら見ているはずだ。


「……久住さん。一つだけ、選択肢オプションがあります」


 アイが顔を上げる。 その赤い瞳には、苦渋の色が滲んでいる。


「警察への通報、およびサイバー犯罪対策課への介入要請です。私のデータベースにある、仙崎せんざき警部の個人回線に接続可能です。彼なら……」


「アイツだけは駄目だ」


 俺は即座に吐き捨てた。


「あの堅物が動く手続きをしてる間に、住所なんか読み終わってる。それに……これ以上、あのオッサンに借りを作りたくねえ」


「ですが、このままでは……」


「俺の方でなんとかする。警察サツを使わない方法でな」


 そう大見得を切ったものの、具体案があるわけじゃない。 俺は焦りながら、マイクの向こうで暴れ回る家電たちの『音』を睨みつけた。 照明、カーテン、洗濯機、スピーカー。 すべてがIoTで繋がれ、ハッカーの意のままに操られている。


「……待てよ」


 俺の視線が一点で止まった。


「アイ。彼女の部屋にある接続機器デバイスで、『人命救助』に関わるものはあるか?」


「質問の意図が不明です」


「いいから探せ! 法律で設置が義務付けられていて、他のどんな命令よりも優先順位プライオリティが高いやつだ!」


 アイが一瞬沈黙し、即座に答える。


「……あります。天井の『火災報知器スマートアラーム』。これもWi-Fi連動型です」


「ハッカーはそれを制御してるか?」


「いえ、アクセスログなし。演出に使えない地味なデバイスだと判断したのでしょう」


「なら、お前が踏み台にできるな」


 俺はニヤリと笑った。


「アイ、その火災報知器をハッキングしろ。センサーをごまかして、『火事だ』と誤認させろ」


「……!?」


 アイが大きく目を見開き、赤い光が困惑して明滅した。


「しかし、それでは近隣住民や消防に通報が……。虚偽通報は消防法違反です」


「構わん! 住所がバレて人生が燃えるより、ボヤ騒ぎの方がマシだ! ハロウィンの悪戯いたずらにしてやれッ!!」


「……了解」


 アイは覚悟を決めたように頷いた。 彼女は両手を広げ、仮想空間のキーボードを乱暴に叩き込む。


「センサー数値、改ざん。煙濃度、危険域へ設定。……鳴らします!」


 次の瞬間。


『ジリリリリリリリリリリリリリリリッ!!!』


 配信音声のレベルメーターが振り切れるほどの、耳をつんざく警報音が鳴り響いた。


『火事です! 火事です! 直ちに避難してください!』


 機械的なアナウンスが、住所を読み上げるスピーカーの声を完全にかき消す。


『え!? きゃああああ! 火事!?』


 絶叫と共に、気配がマイクから遠ざかっていく。 ガタンッ! ヘッドホンを投げ捨てたような乱暴な音。 続いて、バタバタと部屋を飛び出す足音が響き――最後に、ガシャンという何かが引っかかるような鈍い音がした。


 プツン。


 唐突に通信が寸断され、配信画面がブラックアウトし、 『ERROR』の文字が表示された。


「おい、アイ! 今の音……足が引っかかってケーブルが抜けたんじゃないか? 通信が途絶えたらデッドマン・スイッチが作動して、個人情報がばら撒かれるんじゃなかったのか!?」


「……ふぅ、間に合いました」


 スピーカーから、アイの声が響く。 少し疲れたような、しかし安堵に満ちた声だ。 モニターの中、彼女の髪とスーツの色が、激しい赤から、ゆっくりと青へと戻っていく。 彼女は、額の汗を拭うような仕草を見せ、空中に浮かんだままふわりと着地した。


「PCの物理接続が切断された瞬間、私が彼女のルーターを経由して、ハッカーのサーバーに対し『偽の接続維持ハートビート信号』の送信を開始しました」


「……は?」


「ハッカーのプログラムに、『配信用PCはまだ正常に稼働しており、ターゲットは恐怖している』という嘘のステータスを送り続けました。その隙に、攻撃サーバーの管理者権限をクラックし、拡散スクリプトを削除しました」


「……お前、ハッカーに『ダミーのデータ』を掴ませたのか」


「はい。現在、ハッカーのPCには、私が生成した『クルミが泣き叫ぶ偽の音声』がループ再生されています。彼はまだ、自分が勝っていると思い込んでいますよ」


 アイは悪戯っぽく、右目の下瞼を指で下げる「あっかんべー」のような仕草をした。 俺は椅子に深く沈み込み、大きく息を吐いた。 冷や汗でシャツが張り付いている。 暖房も入れていないのに、部屋中が暑く感じられた。


「お前なぁ……、だが助かった」


「褒め言葉として処理します。……なお、火災報知器の誤作動ログは消去しました。消防には『誤報』として処理されるでしょう」


「で、犯人は?」


 アイは涼しい顔で、サブウィンドウに個人情報を表示させた。


「攻撃者のPCを特定。ユーザー登録者は都内、東京メディア未来大学在籍の男子大学生です」


「なんだ、ガキか。……ハッキングにかける情熱があるなら、もっと他に使えよ」


 俺は呆れて鼻を鳴らし、タバコの灰を落とした。

 アイは淡々と、サブウィンドウに犯人のSNSログを表示させる。


「動機は……本人の物と思われるSNSの過去ログから推測できます。高額な投げ銭(ギフト)を無視されたことによる、単なる逆恨みかと思われます」


「……くだらねえ。勝手に貢いで勝手にキレただけか」


 俺は深く息を吐き出し、張り詰めていた糸が切れたように椅子に背中を預けた。 どっと疲れが押し寄せてくる。


「彼、泣いていますよ」


「あ?」


「彼のPCの壁紙を、すべて『火事です』という文字に変えて、ブラウザのトップページを『消費者センター:返金について』のページに固定しておきましたから」


「……お前性格悪いな」


 俺は冷めきったコーヒーを流し込み、モニターの電源を落とさずに目を閉じた。 とりあえず、最悪の事態は回避した。 後の始末は、現実リアルの警察沙汰に震えるガキと、とんだ悪夢を見せられた人気VTuberの問題だ。


 俺たちの仕事は終わった。


 ***


 午前4時。 ハロウィンの喧騒もようやく落ち着き、白み始めた空の下、新宿の街は祭りの後のゴミだらけの静寂に包まれていた。 事務所の中も、PCのファンの音だけが響く、いつもの冷たい空気に戻っている。


 俺は重たい瞼をこすりながら、冷却シートを額に貼り付けた。 冷たさで意識を切り替え、キーボードに手を置いた。


 契約しているオカルト系Webニュースサイト『トワイライト・ニュース』の入稿管理画面(CMS)を開き、締め切りを過ぎていた原稿枠を埋める。


「……今回の件、記事のタイトルは決まりだ」


『生配信中にポルターガイスト!? ハロウィンの夜に起きた怪奇現象!』


 真実は闇の中。表に出るのは、誰も傷つかない安っぽいオカルトだけだ。 俺は『公開』ボタンを叩いた。


 ――『ステータス:公開中』。


 ロード時間はゼロ。編集部のチェックなんて野暮な工程はない。 質より量、事実よりPV。こういう掃き溜めのようなサイトこそ、俺の書く「嘘」にはお誂え向きだ。


「……久住さん。質問クエリ


 それまで黙って作業を見ていたアイが、不思議そうに画面を指差した。 その指先は、俺が今まさに投稿した「偽の記事」を示している。


「今回の解決策ソリューションについて。……消防法違反のリスクと、個人情報漏洩のリスクを天秤にかけた場合、後者を選択するのは論理的に妥当ではありません」


 彼女は首をかしげ、ヘアピンをチカチカと不規則に明滅させた。 それは、計算が合わないことを示すエラー信号だ。 彼女の髪とスーツの色は、激しい赤から、ゆっくりと青色へと戻っていたが、その表情にはまだ納得していない色が残っている。


「さらに、事実ハッキングを隠蔽して『怪談』にすることで、被害者の社会的信用が守られるという因果関係も不明瞭です。……なぜ、嘘をつくことが『正解』になるのですか?」


「それが『粋』ってもんだ。AIにはまだ早いか」


 俺は苦笑し、ブラウザを閉じようとした。 その時だ。


「……おや。新着記事にコメントがつきました」


『素晴らしい「作り話」ですね。……その綺麗なペンで、あとどれだけの真実を塗り潰せば気が済むんですか?』


 ハンドルネームは『K』。 アイコンは真っ黒なデフォルト画像だ。


「……また、こいつか」


 俺はうんざりしたように眉を寄せた。 ここ最近、俺が記事を更新するたびに、監視しているかのようなタイミングで現れるアカウントだ。


「……熱心な読者ですね。毎回、『最初』にコメントがあります」


「ただの暇人だろ。……通知は切っておけ。気味が悪い」


 俺は不快感を振り払うように、ブラウザを閉じた。 ハロウィンの夜は明けたはずなのに、仮装の下に隠した素顔(真実)を、ネットの闇の奥からじっと値踏みされているような、嫌な感覚だけが残った。


(File.05 了)

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