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File.02:フルオープンの愛情

【記録者:久住 瑛一】

【記録日:20XX年 8月20日】


 午後2時。 アスファルトが溶け出しそうな猛暑。 俺が事務所の1階に降りると、湿った熱風が全身にまとわりついた。 タバコ屋のガラス戸の向こうから、セミの鳴き声に負けない野太い声が飛んでくる。


「おーい、久住! 生きてるかい!」


 このビルのオーナー兼、店番をしている大家さん――富田 幸子(とみた さちこ)だ。 御年78歳。 新宿の裏通りで半世紀以上も商売を続けてきた、筋金入りの「古株」。 彼女はカウンターに身を乗り出し、バタバタと団扇うちわを仰いでいる。


「生きてますよ。家賃なら先週払ったでしょう」


「挨拶代わりだよ。……それにしても、今日は一段と暑いねぇ。これじゃあ私が干物になる前に、店の商品がシケちまうよ」


 大家さんはカウンターの下から、ゴソゴソと何かを取り出した。 新聞紙に包まれた、いびつだが立派なきゅうりとナスだ。 土の匂いがふわりと漂う。


「ほら、持っていきな。田舎の娘夫婦から送ってきたんだよ。アンタみたいな根っからの『出不精』は、こういうの食わないと夏バテで死ぬよ」


「……どうも。ありがたく頂きます」


 俺は苦笑して野菜を受け取った。 ずしりと重い。 大家さんは口こそ悪いが、こうして季節ごとに届く娘夫婦からの便りを、いつも嬉しそうに自慢してくるのだ。


「で、だ。……久住。アンタ、機械には強いかい?」


 大家さんは急に声を潜めると、カウンターの奥から奇妙な物体をドンと置いた。 プラスチックが硬い音を立てる。 それは、レンズのついた白い卵型のロボット――最近流行りの『見守りカメラ付きスマートスピーカー』だった。


「これ、孫の健太がね、『ばあちゃん心配だから』ってネット通販で買って送ってくれたんだよ」


「お孫さんが? 珍しいですね」


「ああ。娘らが野菜を送るついでに、『健太からだ』って一緒に入ってたんだよ。『これでいつでもばあちゃんの顔が見れる』ってさ」


 大家さんは、愛おしそうに、けれど少し乱暴にロボットの頭をペチペチと叩いた。


「でも、コイツがまったく動かなくてねぇ。私が話しかけてもウンともスンとも言わないんだよ。不良品を掴まされたんじゃないかねぇ」


「説明書も字が小さくて読めないし、ケータイすらまともに使えない年寄りにこんなハイテクなもん送りつけてきやがって。……まあ、気持ちは嬉しいんだけどさ」


 文句を言いながらも、その口元は緩んでいる。 俺はロボットを手に取った。 軽い。 安っぽいプラスチックの筐体。 手の中で弄ぶと、中で部品がカタカタと鳴るような頼りなさがある。 聞いたことのない海外メーカー製だ。


「……とりあえず預かりますよ。設定を見直してみます」


「頼んだよ。直ったらスイカも切ってやるからさ。とびきりデカいやつが届いてるんだ」


***


 事務所に戻り、俺はその「卵」をデスクに置いてPCに接続した。 冷房の効いた部屋で、メインモニターが明滅する。


「アイ。こいつの診断を頼む。大家さんの孫からのプレゼントらしいが、反応しないそうだ」


 俺の呼びかけに応じ、黒い画面の奥から青白い光が滲み出す。 粒子が集束し、相棒の『アイ』が音もなく姿を現した。


 純白のボディスーツに身を包んだ彼女は、重力のないデジタル空間にふわりと浮遊したまま、デスクの上に置かれたチープなプラスチックの塊を、ガラス越しにジロリと見下ろした。 その緑色の瞳孔が、カメラの絞りのようにキュッと収縮し、対象をスキャンする。 左前髪のヘアピンが、解析中を示すようにチカチカと短く明滅した。


「……了解。外部デバイス、認識マウント


 彼女は興味なさそうに、空中に浮かんだ仮想ウィンドウを指先で弾いた。 表示されたスペック表を一瞥し、ため息をつくようなモーションをする。


「……安物ですね。セキュリティチップすら搭載されていません。型番『Watch-U-Always 3000』。格安のネットワークカメラです。……おや?」


 アイの緑色の瞳が、わずかに細められた。 彼女は空中で指を滑らせ、通信ログのパケットを表示させる。


「どうした? 故障か?」


「いいえ、ハードウェアは正常です。ですが……通信ポートが異常な挙動を示しています」


 俺は頂いたきゅうりを齧りながら、あの強い大家さんが孫には甘いという事実に少しだけ苦笑していた。 娘さんが選んだ立派な野菜と、孫がよこした安っぽい機械。 どちらも愛情のように見えるが、質感がまるで違う。 だが、きゅうりを飲み込むより早く、アイの声が鋭く響いた。


「……久住さん。推奨:直ちにレンズを塞いでください」


 ――ビッ。


 警告音と共に、室内の空気が張り詰めた。 モニターの中、アイの纏うスーツの色が、鮮やかな青から警告色を示す『赤』へと一瞬で切り替わった。 部屋の照明が赤く染まるほどの輝度。


 俺は眉をひそめ、ガムテープをちぎり、レンズに乱暴に貼り付けた。


「どういうことだ?」


「このデバイス、セキュリティ設定が『フルオープン』です」


 アイは不快そうに腕組みをし、赤く光る瞳で「卵」を睨みつけた。


「初期設定のパスワード『admin / 0000』が変更されていません。さらに、グローバルIPアドレスに対してポートが全開放されています。つまり……」


 アイが指を弾くと、モニターにブラウザ画面が表示された。 それは、世界中のセキュリティが甘い監視カメラの映像を勝手に収集・公開している、海外の違法サイトだった。


「……URLさえ分かれば、世界中の誰でも、大家さんの寝室や茶の間をリアルタイムで覗き見できる状態です」


 画面に、見慣れたタバコ屋の奥の茶の間が映し出されている。 段ボール箱いっぱいの野菜と、巨大なスイカ。 仏壇。 そして、カメラに向かって「おい、聞こえてるのかい?」と話しかけている、さっきの大家さんの姿。


「……最悪だな。孫のやつ、説明書も読まずに繋げたのか」


 俺は舌打ちをした。 デジタルに疎い高齢者に、設定もせずにこんなものを送りつけるなんて、優しさというより無知な暴力だ。


「……いえ、久住さん。これは『設定ミス』ではありません」


 アイの声のトーンが、一段低くなる。 赤い警告色を纏った彼女は、憤りを隠そうともせず、乱暴にウィンドウを切り替えた。


「アクセスログを逆探知しました。このデバイスには、過去3ヶ月間、『管理者(孫)』によるアクセス履歴が一度もありません」


「……は?」


「お孫さんは、このカメラを送ってから一度も映像を見ていません。……その代わり」


 アイが別のウィンドウをポップアップさせる。 それは、動画配信サイトの「裏掲示板」のようなページだった。


【スレタイ:新宿のあけすけババア観察スレ Part.15】


『今日のババア、また野菜食ってるw』


『口悪すぎワロタ。客に説教してるぞ』


『誰かマイク機能で「金出せ」って脅してみてよw』


『スパチャ投げたらエアコン消してやる機能実装まだ?』


 俺の背筋が凍りついた。 そこには、あの気丈な大家さんの生活の一部始終が切り取られ、嘲笑のネタとして消費されている光景があった。


「……このカメラの映像、意図的に『晒されて』います。ストリーミングの設定を行ったのは、購入者であるお孫さんのIDです」


「……なんだと?」


「お孫さんは、祖母を見守るためではなく……祖母の私生活をコンテンツとして配信し、広告収入アフィリエイトを得るためにこれを設置したと推測されます」


 ガタン。


 俺は立ち上がり、椅子を蹴り倒していた。 脳裏に、汗を拭いながら野菜をくれた大家さんの顔が浮かぶ。


『娘らが野菜を送るついでに、健太からだって入ってたんだよ』


 その「健太」は、ばあちゃんを心配してなんかいなかった。 母親(娘さん)が詰めた愛情たっぷりの野菜の横に、悪意の塊を忍ばせていたんだ。 ばあちゃんを動物園の猿のように檻に入れ、見世物にして小銭を稼ぐために。


「……クソガキ。大人の怖さを教えてやる必要があるな」


 俺は震える手で今朝大家さんに貰ったきゅうりを握りしめた。 へし折れそうだ。


「久住さん。この事実、大家さんに伝えますか? 『お孫さんは貴女を見世物にしていました』と」


「……言えるわけねえだろ」


 俺は呻いた。 あの人のことだ。 事実を知れば「馬鹿野郎!」と怒るかもしれない。 だが、その心は死ぬ。 どんなに強くても、身内の裏切りには耐えられないだろう。


「……アイ。このサイトと、孫のアカウントを攻撃しろ」


「ハッキングですか? 違法です」


 アイは即答したが、その瞳は赤く燃えたままだ。


「構わん。カメラのファームウェアを書き換えて、二度と外部アクセスできないようにしろ。掲示板もサーバーごと落とせ」


「……了解」


 アイは短く答えると、空中に仮想キーボードを展開した。 彼女の細い指が、目にも止まらぬ速さで鍵盤を叩き始める。


「論理的には非推奨ですが、感情的には同意します」


 タンッ!


 彼女がエンターキーを叩き込むような動作をすると、画面上で攻撃コマンドが奔流となって走り抜けた。 スーツの赤いラインが激しく脈打ち、彼女自身の演算負荷が高まっていることを示している。 数秒後、悪趣味な掲示板が『404 Not Found』のエラーメッセージと共に消滅した。


「……掲示板サーバーのダウンを確認。続けてカメラの制御権を奪取します」


 アイの指がさらに加速する。


「管理者権限《Admin》を強制剥奪。新規パスワードを設定。……お孫さんのIPアドレスをブラックリストに登録し、永久追放《BAN》しました。これで、彼がこのカメラにアクセスすることは二度と不可能です」


 アイのスーツの色が、ゆっくりと赤から青へと戻っていく。 彼女はふぅ、と前髪を払い、いつもの涼しい顔に戻った。


「それでいい」


 俺はカメラ(卵)を手に取った。 レンズに貼ったガムテープを剥がす。


「……だが、これじゃあ『壊れている』のと同じだ。大家さんはガッカリするだろうな」


 孫と繋がっていると信じている彼女に、どう説明すればいい? 「壊れてました」と言って返せば、彼女はまた孫に連絡し、孫はまた新しい「スパイ道具」を送ってくるかもしれない。 俺は少し考え、引き出しからUSBメモリを取り出した。


「アイ。簡単な『チャットボット』を組めるか?」


「可能ですが、用途は?」


「このカメラにインストールしろ。特定のキーワード……『おはよう』『飯食ったか』『元気かい』といった言葉に反応して、孫の声で定型文を返すだけのプログラムだ」


 俺は指示を飛ばす。


「『うっせーな、元気だよ』『ばあちゃんも無理すんな』『いつも色々サンキュ』……そういう、ちょっとぶっきらぼうで、でも一番欲しがっている言葉だけを返すように設定しろ」


「……声のサンプルが必要です」


「カメラの登録IDから、孫の『表のアカウント』を洗え。SNSか何かで、顔出しで喋ってる動画を上げてるはずだ」


 アイが指先を走らせる。 数秒後、呆れたような溜息をついた。


「……ヒットしました。動画サイトに多数の投稿があります。最新の動画タイトルは……『【感謝】大好きなおばあちゃんへ。オリジナルソング作ってみた』。……再生数稼ぎの典型的な『感動ポルノ』ですね。矛盾した行動パターンに吐き気を催します」


「裏表があるのが人間だ。そこから声をサンプリングしろ」


「了解。……ですが、サンプル数が少なく、完全な再現は不可能です。イントネーションにロボット的な違和感が残ります」


 俺は鼻で笑い、安っぽいプラスチックの筐体を指で弾いた。


「構わん。どうせ数千円の安物スピーカーだ。『音が割れてる』『電波が悪い』『風邪引いた』……言い訳なんていくらでも立つ。多少ノイズが混じってる方が、むしろリアルだろ」


「……なるほど。『ハードウェアの低品質さ』を、逆に『偽装の隠れ蓑(クローク)』として利用するのですね」


「ああ。それに大家さんは機械音痴だ。スピーカーから声がするだけで魔法だと思ってる。……ある意味、俺たちが仕掛ける『優しいオレオレ詐欺』だな」


「……倫理コードを一時凍結。チャットボットを生成し、インストールします」


 アイが指先をカメラにかざし、システムを書き換える。 これで、このカメラは二度と映像を外には流さない。 その代わり、大家さんが話しかけた時だけ、理想の孫の声で相槌を打つ「魔法の鏡」になる。


***


 夕方。 俺はタバコ屋のカウンターに、カメラを返しに行った。


「大家さん。直りましたよ」


「おお、本当かい! やるねぇ久住! さすがインテリ!」


 大家さんは嬉しそうにカメラを受け取り、さっそく大声で話しかけた。


「おーい! 健太! 聞こえるかい!」


 一瞬の間があり、カメラからザザッというノイズ混じりの、少し籠もった若者の声が返ってきた。


『……おう。聞こえてるよ、ばあちゃん』


 それは、アイが合成した音声だ。 抑揚が少し平坦で、機械的にも聞こえる。 だが、大家さんの顔がパッと華やいだ。 少女のような笑顔だった。


「なんだい、声が変だよ? 風邪でも引いたのかい?」


『……ああ、ちょっと喉がな。……ばあちゃんも無理すんなよ』


「馬鹿だねぇ! ちゃんと野菜食って寝な! お菓子送ったから食いな!」


『……分かってるよ。いつも色々サンキュ』


 大家さんは、プラスチックの卵を愛おしそうに撫でた。 その手つきは、いつも店先で見せる強気なものとは違い、とても優しかった。 その姿を見て、俺の胸の奥がチクリと痛んだ。 彼女が撫でているのは、孫じゃない。 俺が用意した、不出来な偽物のプログラムだ。


 彼女の「疑うことを知らない愛情」は、簡単に騙されてしまう。 もしこれが悪意ある詐欺師なら、彼女は全財産を毟り取られていただろう。 だが、今回は。


「……ありがとよ、久住。これで寂しくないよ」


 その言葉に、俺は曖昧に頷くしかなかった。


「……また何かあったら言ってください。セキュリティの設定、厳しくしておいたんで。もう誰にも覗かれませんから」


「へえ、そうかい。よく分からんけど、安心だねぇ」


 俺は店を後にした。 背後から、大家さんが楽しそうに「AIの孫」に説教をする声が聞こえてくる。 事務所に戻ると、モニターの中でアイが静かに浮遊していた。 彼女の横には、先ほどまで稼働していた『AI孫』と大家さんの会話ログが表示されている。


『元気かい?』


『おう、元気だよ』


『長生きしなよ』


『ばあちゃんもな』


 そんな、中身のない、けれど温かい言葉のやり取りが、文字列として流れていた。 アイは、そのログと、俺が持ち帰ったスイカを交互に見つめている。 大家さんが「手間賃だ」と言って、強引に持たせてくれたものだ。


「……久住さん。報酬リワードのスイカ、糖度が高そうです」


「ああ。喉も渇いてるし、いただくとするか」


 俺はキッチンから包丁を取り出し、大家さんから貰ったスイカを三角形に切り分けた。 ザクッ、という音と共に、甘い香りが部屋に広がる。

赤い果肉は瑞々しく、乾いた喉を潤すには十分だった。


 アイは空中にウィンドウを開き、今日のログを指先でなぞった。 その表情には、困惑の色が浮かんでいる。


「……不可解ミステリーです」


「提供したサービスは『偽造された会話プログラム』です。論理的な修理は行われていません。それなのに、依頼主の満足度係数は最大値を示しています」


 彼女は首をかしげ、左前髪のヘアピンをチカチカと不規則に明滅させた。 それは理解を示す青い光ではなく、計算結果が合わないことを示す『警告の点滅エラー』に近い。


偽物フェイクの対話に、これほどの幸福度が発生する根拠が見つかりません。……彼女の認識機能にバグがあるのでしょうか?」


「人間ってのはな、本物か偽物かなんてどうでもいいんだよ。『自分が信じたいもの』があれば、それで幸せになれる」


「……非論理的イラショナルです」


 アイは納得がいかない様子で、ログを「解決済み」フォルダではなく、「保留ペンディング」フォルダへと移動させた。


「真実よりも優先される『幻想』が存在する……。今の私には、計算不能なパラメータです」


 静寂を取り戻した部屋に、アイの電子音が響いた。 彼女はまだ、人間の「優しい嘘」をバグとして処理することしかできないようだった。


 引き出しから冷却シートを取り出し、額にピシャリと貼る。 人工的な冷たさが、今の俺にはちょうどいい。 俺はエディタを開き、迷わずにキーボードを叩き始めた。


 タイトルは『独居老人を狙うデジタル・ハイエナの手口』。 大家さんの笑顔を守るための、懺悔のような記事の執筆音が、狭い部屋に響き渡った。


(File.02 了)

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