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21/23

File.20:神の名の残滓(ざんし) (2/4)

【記録者:久住 瑛一】

【記録日:20XX年 XX月XX日】


 冬の夜風が、高層ビルの間を刃物のように吹き抜けていく。 俺と三好は、都心の喧騒から少し外れた公園の片隅で、男を待っていた。


「……来た」


 三好の呟きと同時に、街灯の届かない暗がりから、長いコートの襟を立てた男が姿を現した。警視庁捜査一課、仙崎だ。相変わらず鋭い目つきをしている。


「わざわざこんな時間に呼び出すとは、よっぽどのネタか、よっぽどの不祥事か……どっちだ」


「……前者ですよ。児童虐待、それもかなり悪質な案件です」


 俺の言葉に、仙崎は鼻で笑った。


「虐待だと? それなら所轄か児童相談所に通報しろ。捜査一課の刑事が動くのは、その子供の息が止まってからだ。……それに児相に言ったところで、あそこは慢性的な人手不足。すぐに動くのは無理だろうな」


「わかっています。だから、あんたに声をかけたんだ……これが、あの『クオリア・メソッド』の仕業だとしても、同じことが言えますか?」


 その名前を口にした瞬間、仙崎の目が、獲物を捉えた猛禽類のように鋭く細まった。空気が一瞬で氷点下まで下がったかのような錯覚に陥る。


「……しっ」


 仙崎は即座に口元に人差し指を立てた。その仕草は、静かに、しかし抗いようのない威圧感を持って俺たちを黙らせる。


「……ここではダメだ。どこに教団の耳があるかわからん。場所を変えるぞ」


 仙崎は周囲を一暼して確認すると、俺たちが用意した東都新聞の社用車を顎で指した。


 ***


 車内には、使い込まれたシートの匂いと、三好が持ち込んだコーヒーの香りが微かに漂っていた。仙崎は後部座席に深く身を沈め、窓の外を警戒しながら低く言った。


「……話せ。時間はそうない」


 俺は岡田から託されたあの資料をダッシュボードから取り出し、仙崎の膝に叩きつけた。


「状況証拠は揃っています。これが現在進行形でどの程度動いているのか、正確な時期までははっきりとはわかりません。ただ、あそこの本部には、確実に虐待を受けている子供がいる」


 仙崎は無言で資料をめくり始めた。車内のルームランプに照らされた『聖童計画』の文字と、凛を「加工」するためのスケジュール表。ページをめくる音が、やけに大きく響く。


 仙崎の表情が、1ページごとに険しく、深く、どす黒いものに変わっていった。


「……状況証拠だけでは、まだ動けん。教団施設への強制捜査には、それ相応の『裏』が必要だ」


「これだけの計画書があってもですか?」


「ああ。それに、クオリア・メソッドに関しては警察内にも『身内』がいるようでな……現場が動こうとしても、どこからか待ったがかかる。まるで、見えない壁が立ち塞がっているようにだ」


 仙崎の吐き出すような言葉に、三好が息を呑んだ。


「警察関係者にも、教団の人間がいるっていうんですか……?」


「ああ。……以前も、ある政治家への不透明な金の流れを掴んで、公安が内偵を進めていたことがあった。だが上からの鶴の一声で、捜査は一夜にして打ち切り、証拠はすべてシュレッダー行きになった。信者か、あるいは弱みを握られた協力者か……。どっちにしろ、上層部がブレーキをかけているのは間違いねえ」


 仙崎の苛立ったその横顔を見て、俺の脳裏にある苦い記憶が蘇る。


「……あの時もそうだったな」


 俺の呟きに、仙崎の動きが止まった。


「……」


 仙崎は何も答えず、ただ苦虫を噛み潰したような表情で視線を逸らした。


 2年前、真壁麻衣失踪事件について俺は独自に掴んだ複数の証言と、彼女や他信者の『裏切り者』の処遇を記した『報告書』を揃え、仙崎に相談した。


「これなら事件性が認められる。すぐに捜査に踏み切れるはずだ」


 そう自信を持って突きつけたはずの証拠は、結局、警視庁の冷たい闇に葬り去られた。あれほど決定的な物証がありながら、上層部は「事件性なし」の一言で片付けられた。


「2年前、真壁さんの件をあんたに持ち込んだ時……あの時も、今と同じ『壁』があった。違うんですか?」


俺の問いかけに、仙崎は低く唸るような声で答えた。


「……ああ。あの時も、現場の熱を冷ますような『指示』が上から降りてきた。……クソッタレ」


 2年前の真壁麻衣、そして現在の羽鳥凛。 クオリア・メソッドという怪物の影に潜む、警察内部の腐敗。

俺は握りしめた拳の震えを必死に抑えていた。この「壁」を壊さない限り、凛を救い出すことも、真壁の無念を晴らすこともできない。


 仙崎は資料を閉じ、俺の目をまっすぐに見つめた。


「久住。お前たちが追っているのは、ただの新興宗教じゃない。国の中枢にまで根を張った、巨大な寄生虫だ。一歩間違えれば、お前たちの命だけじゃ済まないぞ」


「……わかっています。それでも、放ってはおけない……5歳の女の子が、あんな虚ろな目で……」


 俺の言葉に、仙崎はしばらく沈黙を守っていた。やがて彼は、資料を俺に返し、車のドアハンドルに手をかけた。


「……俺は俺のやり方で、その『壁』の綻びを探す。久住、お前は新聞記者だ。ペンで、その壁を叩き壊せ。世論が爆発すれば、警察も動かざるを得なくなる」


 仙崎は車を降り、夜の闇に消えていった。


 仙崎が去った後、俺と三好は顔を見合わせた。警察が動けないのなら、俺たちが直接あの子から証言を獲るしかない。俺たちは再び、あの河川敷へと向かった。


 ***


 この前と同じ時間。冷たい月光が照らす河川敷には、ポツンと一人、あの少女がいた。


「また一人で遊んでいるのかい?」


「あ! この前のおじさん!」


 凛が屈託のない笑みを向けてくる。その無邪気さが、かえって俺の胸を締め付けた。


「こんばんは。今日は……おにぎりとお菓子を持ってきたよ。食べるかい?」


 俺が差し出したコンビニの袋を見て、彼女の瞳が輝いた。


「え、いいの!? 食べる! ……あ……でも……」


 伸ばしかけた手を、彼女は不自然に引っ込めた。


「でも? 食べないのかい?」


「お母さんが、お母さんが……『揺りクレイドル』で出されたご飯以外は食べちゃダメって……」


 凛の母親、羽鳥はとり ゆう


 クオリア・メソッドの幹部クラスであり、今回の『聖童計画』の立案者その人だ。自分の娘を「商品」として計画に差し出す、非道極まりない人物。


「お母さん、怖いの?」


「……ううん、優しいよ。お母さん、いつも忙しそうにしてるけど、わたし『には』とっても優しいんだ。だから……わたし、お母さんを助けるんだ」


「助ける……?」


「うん、お母さんに言われたとおり、みんなの前ではやってるよ。お腹すいちゃうけどご飯もがまんしてるの。明るい時間は揺りクレイドルでおとなしくしてるよ」


 その言葉に、三好が言葉を失って立ち尽くした。


「でもそれでキミはいいの?」


「……うん……お母さん、たくさんお金が必要だからって言ってたから。わたしががんばれば、お母さん喜んでくれるから……」


 自ら望んでやっている? いや、違う。これは、母親への無償の愛を利用した、魂の搾取だ。


「……それでも、キミに痛いことをしたり、ご飯をあげないのは『虐待』と言って、悪いことなんだよ。……今辛いなら、おじさんと一緒に安全な場所に行こう?」


 俺は震える手を彼女に差し伸べた。


 だが、凛は怯えたように後ずさりし、首を大きく振った。


「……でも、でも……お母さんにはわたしがいないとダメだから……!」


 凛は俺の手を拒み、闇に沈む施設――『揺り籠』に向かって走り出してしまった。その小さな背中は、あっという間に夜の深淵へと消えていった。


 闇に消えていく凛の小さな背中を、俺はただ立ち尽くして見送るしかなかった。あの子を今ここで無理にでも保護すべきか、それとも――。


「……行きましょう、先輩。今は、これを形にするのが先です」


 三好の声に促され、俺たちは重い足取りで車に戻った。


 ***


 会社に戻り、俺は三好と共に一気に記事を書き上げた。


 岡田からもたらされた「集金システム」の全貌、仙崎から聞いた「警察内の身内」の存在、そして、深夜の河川敷で震えていた少女の悲痛な独白。


 朝刊が出る前日の夕方。


 騒がしい編集フロアの奥で、俺と三好は大熊デスクに呼び出された。


「……久住、三好。この記事、本当に大丈夫なんだな?」


 大熊が原稿を叩く。その目はいつになく真剣だった。宗教団体を敵に回すリスク、そして警察内部への不信感を煽る内容。一歩間違えれば、新聞社そのものが窮地に立たされる。


「3年前と同じわだちは踏まない」


 俺は大熊の目を真っ直ぐに見つめ、一言一言に力を込めた。真壁真依の事件で何もできなかった後悔が、今の俺を動かしている。


「……わかった。お前の覚悟、受け取ったぞ。行け」


 大熊の許可が下りた。これで、明日の朝には日本中が『クオリア・メソッド』の化けの皮が剥がれた姿を知ることになる。


 ***


 その日の夕方、片付けを終えた俺に三好が声をかけてきた。


「先輩、この後飲みに行きましょうよ」


 三好は大きく背伸びをして、凝り固まった肩を回しながら声をかけてきた。大仕事を終えた後の、戦友としての誘いだ。だが俺は、デスクの上の私物を鞄に詰め込みながら首を振った。


「三好……すまん、今日は帰らせてもらうわ」


「えっ、先輩どうしたんすか? 飲みに行きましょうよ!」


 三好は意外そうに眉をひそめ、俺のデスクに身を乗り出してきた。いつもなら二つ返事で付き合う俺が、入稿直後に直帰しようとするのが不思議だったのだろう。


「その……なんだ、娘のみなみの誕生日でな……」


 俺が少し照れくさそうに、バツが悪そうに視線を逸らして言うと、三好はオーバーなほど驚いて見せた。


「そ……そんな大事な日なら事前に言ってくださいよ! 水臭いなぁ……プレゼントとかケーキの用意はしてあるんすか?」


「いや、これから……」


 俺が時計をチラリと見ながら言葉を濁すと、三好は「あちゃー」と額に手を当て、深い溜息をついた。


「ありえないっすよ、先輩。そんなんじゃ陽ちゃんに喜んでもらえないっすよ。しょうがないっすねぇ」


 三好は呆れたように笑いながら、手慣れた手つきでタブレットを取り出した。画面を高速でスクロールさせ、慣れた様子でいくつかのページを俺の目の前に差し出す。


「ここのケーキはめちゃくちゃ美味いっすから、絶対喜びますよ。あと、最近の女の子ならこれが鉄板です。さぁ、早く帰ってあげてください」


 三好の指差す画面には、色鮮やかなケーキと、今時の子供が夢中になりそうな玩具が並んでいた。


「……その……なんだ、ありがとう三好」


 普段は生意気な後輩だが、こういう時の気の利き方には敵わない。俺は三好の好意に甘え、少しだけ急ぎ足で会社を後にした。


 駅へ向かう道すがら、スマホを取り出しトークアプリを立ち上げる。妻の由香里への連絡。


『これから帰る。帰りにケーキと陽のプレゼントを買うが、この中ならどれがいい?』


 三好に見繕ってもらったおもちゃのページを添付する。返信はすぐに来た。


『お仕事お疲れ様。今日は早く帰れるのね。陽は最近、瑛一さんの影響を受けてトイカメラが良いって言ってたよ。「新聞記者ごっこ」するんだって』


 画面を見つめたまま、俺は笑みが溢れそうになるのを必死で堪えた。自分の背中を見てくれている。その誇らしさと愛おしさで胸がいっぱいになり、足取りは自然と軽くなった。


 ***


「……ただいま」


 玄関のドアを開けると、冷え切った外気とは対照的な、温かい夕食の匂いが鼻をくすぐった。靴を脱ぐ間もなく、廊下の先からバタバタと元気な子供の足音が近づいてくる。


「パパー! おかえりー! 今日は早い!」


 勢いよく飛び出してきたみなみが、俺の膝に全力で抱きついた。小さな体温が、凍てついた俺の心を解かしていく。


「パパ、おかえりなさい」


 キッチンから顔を出した由香里が、エプロンで手を拭きながら、柔らかな笑みを浮かべて俺を出迎えてくれた。


「陽、誕生日おめでとう」


 俺は三好のアドバイス通りに用意した、綺麗なラッピングの小箱を陽の目線に合わせて差し出した。


「ありがとうー! ……あ! カメラだー!」


 陽はもどかしそうに包装紙を剥ぎ取り、中から出てきたピンク色のトイカメラを掲げて歓声を上げた。すぐにレンズを俺に向け、「はい、チーズ!」とはしゃぎながらシャッターを切る真似をする。


 その眩しいほどの純粋な笑顔。だが、フラッシュの残像のような錯覚が俺の視界を掠めた。脳裏に重なったのは、深夜の河川敷で小石を投げていた、あの羽鳥凛の土気色の顔だ。


 同じ年齢。同じように「お母さん」を信じ、大人の私欲に無防備にその身を捧げている少女。片や誕生日の祝福を一身に受け、片や暗い『揺りクレイドル』で命を削られている。そのあまりに残酷なコントラストに、俺は一瞬、息をすることさえ忘れて立ち尽くしてしまった。


「……瑛一さん?」


 カメラを構えてはしゃぐ陽の正面で、不自然に固まってしまった俺を、由香里が心配そうに覗き込んできた。彼女の鋭い直感は、俺の表情に過った微かな陰りを見逃さなかった。


「……ああ、なんでもない。少し仕事の疲れが出ただけだ。さあ、パーティーを始めようか」


 食卓には、陽の大好物であるハンバーグと、湯気を立てるコンソメスープが並んでいた。由香里が腕によりをかけた料理の数々が、食卓を彩っている。


「ハッピーバースデー・トゥー・ユー……」


 手拍子に合わせて歌う俺と由香里の声が、狭いリビングに響く。ケーキの上で揺れる5本のキャンドル。陽はその炎を真っ直ぐに見つめ、大きく息を吸い込んで一気に吹き消した。


「おめでとう!」


 パチパチと拍手が起こり、陽は照れくさそうに、しかし誇らしげに笑った。ケーキを頬張りながら、陽は三好に勧められたトイカメラを首から下げ、さっそく「取材」を始めた。


「パパ、今日はお仕事がんばった? 悪い人、やっつけた?」


 無邪気な問いかけに、俺は喉の奥に熱い塊が込み上げるのを感じた。


「ああ、頑張ったよ。……明日の朝には、きっともっと良くなる」


 温かいスープの味、甘い生クリームの香り、そして家族の笑い声。俺は無理に口角を上げ、陽の小さな手を握った。今夜だけは、この平穏に浸らせてほしかった。


 明日の朝刊が世に出れば、全てが変わる。教団の闇は暴かれ、凛は救い出され、正義は果たされる。


 あの時の俺は、ただ純粋にそう信じ切っていた。……この幸福な時間が、音を立てて崩れ去る前触れであることなど、夢にも思わずに。


(File.20 了)

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