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20/21

File.19:神の名の残滓(ざんし)(1/4)

【記録者:久住 瑛一】

【記録日:20XX年 2月13日】


 新宿の空気は刃物のように鋭く、冷たい午後10時。 事務所の窓ガラスには真っ白な結露がこびりつき、外界と隔絶されたこの部屋を監獄のように閉じ込めている。


 俺は厚手のカーディガンを2枚重ね着し、足元のストーブで暖をとるが、断熱性がいまいちな事務所では指先まで温かくはならない。


「……久住さん。バイタルデータに異常な『波形』を検知。血圧の上昇と、指先の微細な震えを確認しました」


 メインモニターの中で、純白のボディスーツを纏った『アイ』が、心配そうに眉を寄せる。 彼女の周囲には、現在ネット上で急速に拡散されている「週刊実話」の電子版記事と、それに関連するSNS投稿が無数のウィンドウとなって展開されていた。


「……放っておけ。ただの寒さだ」


「嘘ですね。貴方の視線は、過去3分間、この記事の一点に固定されています」


 アイが指を弾くと、俺が見つめていた見出しが拡大される。


『聖夜の惨劇、舞台はあの「呪われた教団」跡地だった――真壁圭被告、数々の犯行の深淵』


 昨年末のクリスマス、真壁が模倣殺人、車両爆破で佐伯への殺人未遂をおこし、俺が襲われた事件だ。警視庁の仙崎による「根回し」のおかげで、俺の名前は一切公表されず、真壁は「とある作家の創作ノートを盗み見て暴走した不安定なファン」として処理されたはずだった。


 だが、マスコミは別の獲物を見つけ出していた。


「……11月に白骨遺体が見つかった『クオリア・メソッド』の跡地。そして今回の事件……。ネットの野次馬どもは、これらと『5年前』を結びつけ始めてやがる」


 俺は震える手でタバコを掴んだが、火をつけることさえ忘れて画面を凝視した。


「はい。SNS上のハッシュタグでは、すでに『神の子事件』というワードがトレンド入りしています」


 アイが冷徹にデータを提示する。 彼女の背後には、5年前に東都新聞が報じた当時のアーカイブ記事が、亡霊のように浮かび上がった。


『東都新聞スクープ:カルト教団「クオリア・メソッド」、信者の子供を「神の子」として幽閉か』


 その署名記事の筆頭には、俺の名前――久住瑛一の4文字が刻まれている。


「……やめろ、アイ。そのウィンドウを閉じろ」


拒絶リジェクトします。現実から目を逸らすことは、根本的な解決になりません」


「閉じろと言ってるんだッ!!」


 俺は激昂に任せてデスクを叩き、叫んでいた。


 脳裏に、強烈なフラッシュバックが奔走する。 河川敷で出会った少女の無邪気な笑顔。 そして、かつての上司大熊からの呼び出し。


「……はぁ、はぁ、……っ」


 胸の鼓動が早打ちし痛む。視界が歪み、意識が遠のく。


「久住さん! 呼吸を整えてください! 心拍数140を突破、パニック障害の閾値を超えています!」


 アイのスーツのラインが、警告色である『赤』へと激しく染まった。 彼女は画面から身を乗り出すようにして、俺のバイタルを必死にスキャンし続ける。


 だが、俺の意識はすでに、ここではない「5年前の地獄」へと引きずり込まれていた。


 あの時、俺はエース記者として、正義という名の毒に酔っていた。 『真実』を暴くためなら、どうなろうと構わないと思っていた。 その先に、あんな「結末」が待っているとも知らずに。


(ごめんな…救う事ができなくて)


 俺はそのまま崩れ落ちるようにデスクに突っ伏した。 暗転していく視界の向こうで、5年前の雨の匂いが、再び俺の鼻腔を突き刺した。


 ***


 カタカタカタ……。


 指先でキーボードを叩く、硬質で小気味よい音が耳の奥に響いている。


 周囲は騒々しい。絶え間なく鳴り続ける電話の着信音、タバコの煙が混じった重たい空気、そして締め切りを急かすデスクの野太い怒鳴り声。


「……っ」


 不意に意識が浮上する。


 ……そうだ、俺は今記事を書いている途中だった。


 顔を上げると、そこには活気に満ちた、しかしどこか殺伐としたフロアが広がっている。 見慣れた、しかし今はもう失われたはずの、5年前の光景だ。


「久住さん、また手が止まってますよ。締め切りすぐそこっすよ」


 8年前の屈辱を糧に、組織内の『政治』を理解し利用する、まだ少し青臭い正義感を瞳に宿していた頃のあいつだ。 俺は止まっていた手を再び動かし、モニターに向き直った。


 明日締め切りの記事を仕上げる。ただ、常に脳裏には『クオリア・メソッド』の文字が躍っていた。


 ***


 真壁の姉、真依の事件から2年が経過していた。状況証拠など警察に提出するも、この2年全く動いた気配がない。 俺と三好は教団の闇を暴こうと執念深く取材を続けていたが、奴らは決定的な尻尾を出すことはなかった。


「先輩、例のNPO法人なかなかボロを出さないっすね……」


 三好が飲みかけのコーヒーをデスクに置き、焦れったそうに背もたれへ身体を預けた。


「あぁ……連中も信者を抱える手前、慎重に動いてやがる。何かきっかけがあれば……」


 俺は情報の断片を繋ぎ合わせようと、充血した目でモニターを凝視し続けていた。膠着こうちゃく状態の空気がフロアに澱む。その時、三好のポケットの中で、バイブレーションが鋭く空気を震わせた。


「……先輩、ちょっといいですか?」


 スマホの画面を覗き込んだ三好の顔から、余裕が消えた。


「なんだよ、今忙しい……」


「連絡ありました、情報屋の『イッペイ』です。例のNPO法人の内通者から東都新聞こちらへ伝えたい情報があるそうです」


「……なっ!?」


 ―――情報屋『イッペイ』。


 黒に近いグレーな方法で俺達が探れない情報を対価交換で提供する協力者だ。


 俺はタイピングを止め、椅子を回して三好を見た。


「行きましょう先輩、駅前の喫茶店で内通者が待っているそうです」


 俺たちは騒がしい編集フロアを飛び出し、駅前にある古びた喫茶店へと向かった。


 ***


 店内の隅の席で一人の男が震えていた。岡田という名のその男は、何度も周囲を気にしながら、震える手で一束の極秘資料を差し出してきた。


「……もう、限界なんです。救済なんて嘘だ。あの子は……あの子はただの『道具』じゃない」


 岡田の絞り出すような声には、深い絶望が滲んでいた。


「見てください。これが連中の正体だ。……神様を作るための、悪魔の設計図ですよ」


 表紙には『聖童計画・収益シミュレーション』の文字。そこには、救済という仮面を被った教団が画策する、新たな「集金システム」の全貌が記されていた。


【聖童計画・収益シミュレーション】


◾️聖童

ターゲットは教団幹部の娘、羽鳥 凛(はとり りん)

5歳。


教団の「聖性」を血統的に証明するシンボル。

「無垢な子供」というビジュアルによる、一般層からの圧倒的な同情心と寄付意欲の喚起。


◾️演出

「奇跡の具現化」

信者サクラを用いた病気平癒の自作自演。教団の意向に沿った「神のお告げ」の代弁。


「この子には力がある」という確信の植え付け。


「偽りの難病設定」

現代医学で診断不能な「霊障による衰弱」を付与。「神の力を使うと命が削られる」というタイムリミットの設定。


「今助けなければ死ぬ」という焦燥感による寄付の即時実行。


◾️身体加工

「食事制限(飢餓状態の維持)」

神聖な透明感を出すため、低カロリーの流動食のみを給餌。重度の栄養失調による痩身を維持。


守ってあげたいと思わせる「悲劇のヒロイン」の構築。


「日光の完全遮断」

本部地下室での隔離。不自然なまでに「青白い肌」の生成。


世俗離れした神秘性と病弱なビジュアルの完成。


「定期的かつ強制的な剃髪」

宗教的な出家と、抗がん剤治療による脱毛イメージの混同。


視覚的な「難病のリアリティ」の補強。


 読み進めるにつれ、三好の呼吸が浅くなり、額に青筋が浮かび上がった。俺もまた、資料を握る指先に力を込め、こみ上げる吐き気を必死に抑えていた。俺たちの顔は、もはや怒りを通り越して、鬼気迫るほどに険しくなっていた。


「なんて連中だ…反吐が出るっ…」


 三好が資料を握りしめ、低く唸った。


「これ、現在進行形で動いている話なんですよね? 何とかして助けてあげないと…」


 岡田が、テーブルに滴り落ちるほどの涙を流しながら、俺たちの手を取り、必死に訴えかけてきた。


「お願いだ…! 凛ちゃんを…助けてやってくれっ…この子はいつも笑顔で、私たちの間でも可愛がられていた子なんだ…なのに何でこんな事に…」


 嗚咽おえつを漏らし、そのまま椅子から崩れ落ちるように泣き崩れる岡田。その震える背中を見つめながら、俺の胃の奥でどす黒い怒りが渦巻いた。


 俺の娘、みなみももうすぐ5歳だ。 家で無邪気に笑う陽と同じ年齢の子供が、広告塔として利用されている。 1人の子の親として、俺はそれをどうしても見過ごすことができなかった。


「……行くぞ、三好。この設計図が『本物』である証拠を掴む」


 ***


 あれから数日、俺と三好は教団本部の周辺を執拗に調べていた。岡田の資料にあった「隔離」が事実なら、その少女は外界から遮断されているはずだ。だが、情報の裏を取るためには、その少女の存在をこの目で確認する必要があった。


 様々な時間に教団本部周辺を歩き、隙を狙っていた。


 深夜午前2時。この日は教団本部の裏手を流れる静まり返った河川敷を、俺たちは歩いていた。


 その時、街灯の光も届かない堤防の下、ふと三好が足を止めた。


「……先輩、見てください。こんな時間に子供が」


 三好の指差す先、小石を投げて遊んでいる小さな影があった。こんな時間に子供が一人でいるのは、どう考えても異常だ。俺たちは顔を見合わせ、その影にゆっくりと近づいた。


「……キミ、こんな時間に1人でどうしたの?どこのお家の子かな?」


 声がけに驚いた子供は肩をビクつかせて振り向いた。

5歳くらいの子だろうか、頬は痩せこけ髪は無く、深夜の寒空の下ではあまりにも薄着であった。


 その小刻みな震えに気づいた三好が、子供の目線に合わせてゆっくりとその場に膝をついた。


「あ……えっと、おにーさん達怪しい者じゃないよー……えと…あ! 飴食べる?」


 差し出されたのは、コンビニで買ったイチゴ飴だった。俺は思わず苦笑し、一歩後ろから三好の肩を軽く叩く。


「いや……知らないおじさんから飴もらうとか怪しい……」


「おじさんって……僕まだ二十代ですよ!」


 と三好が小声で抗弁していると、それまで虚ろだった少女が、その小さな包み紙を見た瞬間に瞳が見開かれた。


「え……! あめ!?」


 俺たちの困惑を余所に、三好が差し出した飴をひったくるように奪い取ると、勢いよく頬張った。


「~~~ん~~甘い~~!」


 甘みが舌に広がったのか、子供の強張っていた肩の力がふっと抜けた。 しばらく無心に飴を転がしていたが、少しだけ落ち着きを取り戻した様子だったので、静かに話しかけた。


「……で、こんな時間にどうしたんだい? お家の人は? 心配してるんじゃないかな」


 目線を合わせるために膝をつき、優しい声色で俺は話しかけた。


「……いましか、あそべないから」


 子供の声は細く、かすれている。


「お昼は、たくさん大人がいて、私を囲むから……遊べない。だから、夜にこっそり抜け出してきたの」


「たくさんの大人…?…囲む…?」


「……そんな…たった一人で?」


 三好が絶句し、深夜の冷気に震える子供の小さな肩と、季節外れの薄い服から覗く細すぎる腕を、痛ましそうに見つめた。


 俺は、自分の娘と同じ年頃の子供が、大人たちの監視から逃れるためにこの凍えるような闇の中にしか自由を見出せないという現実に、胸を締め付けられるような思いがした。


「……キミ、何か困ってる事はない? どこか痛いところは?」


 俺は、震える声を必死に抑えながら問いかけたが、あまりに虚ろな瞳を見て、言葉が喉の奥でつかえた。


 子供は、自分の腕に刻まれた点滴の跡のような痣を見つめながら、ぽつりと呟いた。


「わたしね、お腹空いたんだ。最近、普通のご飯もらえないから。幼稚園に行かなくなったし、髪の毛も全部なくなっちゃった。……痛いことされるの、嫌だな」


 虐待――その二文字が脳内を支配した。


「……そろそろ戻らないとバレちゃうから」


 そう言うと子供は、それ以上何も語らず、トボトボとした足取りで闇に沈む建物の影へと戻っていった。


 何かを感じた俺たちは息を潜め背中を追った。無意識にカメラを構え、シャッターを切る。


 やがてその子供が吸い込まれていった重厚な玄関。 その脇、街灯の微かな残光が、闇に溶けかかった看板の文字をぼんやりとなぞっていた。


 目を凝らし、そこに刻まれた名を確認した瞬間、俺の血は凍り付いた。


 そこに掲げられていたのは、見紛うはずもないロゴマーク。


『NPO法人 クオリア・メソッド』


 この時、俺たちは確信した。目の前で震えていたこの子供こそが、岡田の資料にあった『神の子・羽鳥 凛』本人であることを。


「……見つけたぞ。三好、今夜は眠れそうにないな」


 俺は震える手でカメラを構え、シャッターを切った。陽と同じ年齢のこの子を救い出し、あの教団を地獄へ叩き落としてやる。その決意が、俺を狂わせ、やがてすべてを失わせる「神の子事件」の幕開けだった。


(File.19 了)

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