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File.15:時を超える少女

【記録者:久住 瑛一】

【記録日:20XX年 1月11日】


 新宿の街が、ようやく正月の甘い残り香を吐き出し終えた午後2時。 ゴミ捨て場に山積みにされた松飾りが、乾燥しきった北風に煽られて、カサカサと乾いた音を立てている。


 事務所の空気は、安物の電気ストーブが吐き出す焦げ付いたような熱と、極度の乾燥でザラついていた。足元だけは無駄に熱いが、隙間風の吹く肩口は凍えるほどに寒い。俺は耐えきれず、椅子の背にかけてあった厚手のカーディガンを掴み、ウールのセーターの上から羽織った。


 その瞬間、『バチッ!』という鋭い破裂音と共に薄暗がりに青白い火花が飛ぶ。


「……痛っ!クソ、どいつもこいつも新年早々乾燥しすぎなんだよ。俺をテスラコイルにする気か」


 指先の痺れを振り払いながら毒突くと、冷ややかな声と共に、メインモニターの中央が淡く発光した。


 黒い画面に浮かび上がったのは、相棒の『アイ』だ。純白のボディスーツに身を包んだ彼女は、背景のデジタル空間に、しんしんと舞い落ちる『結晶状のスノーフレーク』のエフェクトを降らせていた。彼女は空中でくるりと一回転し、虚空から生まれるデジタルの雪片を楽しそうに指先で弾く。


 ただでさえ凍える室温だというのに、視覚的に「真冬の極寒」を強調してくる。嫌がらせとしか思えない。


 アイが浮遊したまま、雪の結晶の一つを指先でパチンと弾いた。チリン、と澄んだ電子音が響く。


「今の放電、電圧にして数千ボルト。久住さんの毛髪が逆立っていますよ。……ですが、その不機嫌を上書きできるくらい面白いものを見つけました」


 アイがスッと指を振るう。彼女は重力のないデジタル空間に浮遊したまま、一つの動画ウィンドウを俺の目の前にスライドさせた。


「……久住さん、『時間旅行タイムトラベル』を信じますか?」


「信じるわけないだろ。熱力学第2法則を無視するな。……それよりこのストーブだ。足元だけはローストチキンにする気かと思えば、上半身は零下だぞ。断熱の概念を知らないのか、この建物は」


「断熱材の施工と、加湿器の稼働を推奨します。……それより久住さん、この映像ログをどう説明しますか?」


 アイの話を無視した俺を仕返しするかのように話を切り替えてきた。


  動画共有サイトの深層、再生数わずか3桁のオカルト系チャンネル『Archive_X』。 タイトルは『【閲覧注意】30年間、姿を変えずに映り込み続ける「白いワンピースの女」まとめ』。


「……なんだこれ。オカルト系チャンネル……?また「何か」が写り込んだみたいな合成映像か何かか?」


「先ずは見てください。不自然さが無いのでよく見ないとわかりませんよ。」


 俺は言われるがままに動画を再生した。


『Case 1:30年前。K県の夏祭り』


 画面に映し出されたのはどこかの夏祭りらしきもの。なんて事のない、懐かしい雰囲気の夏祭り。


 ノイズの走る粗いVHS画質の映像だ。 色褪せた浴衣、ぼやけた提灯の明かり、そして画質の悪いマイクが拾う割れた音質。 カメラの手ブレに合わせて、画面全体がザラザラと波打っている。 その人混みの中に――白い半袖のワンピースを着た、長い黒髪の少女が紛れ込んでいる。


「……このワンピースの少女か?特に違和感はないと思うが」


 オカルト動画特有の「合成っぽさ」を探そうと俺は思わず画面に顔を近づけた。


「次です」


『Case 2:15年前。S市の遊園地パレード』


 今度はデジカメ画質の映像。 激しく動くカメラ。観客たちは歓声を上げている。 その観客席の最前列に、さっきと全く同じワンピースの少女が座っている。


 彼女の髪が、パレードカーが通り過ぎる風圧で、ふわりと自然になびいた。 隣の子供が振り回した風船が、彼女の肩に当たって弾む。 物理挙動に一切の矛盾がない。 そして何より気になるのは、彼女の表情だ。 周囲が笑顔でパレードを見ている中、彼女だけが、少し寂しそうに、けれど愛おしそうに、風景全体を見渡している。


「……なんだこれ」


 背筋に冷たいものが走る。 30年前と15年前。 画質も、ファッションも、空気感も違う。 なのに、彼女だけが『少女』のまま、その時代、その場所に、あまりに当たり前に『生きて』いる。


「合成特有の『浮いた感じ』が一切ない。……だが、同一人物だとしたら計算が合わん。30年前と15年前で、1歳も老けていないなんてあり得ない」


『Case 3:3年前。渋谷スクランブル交差点』


 鮮明な4K映像。冬の雨上がりの交差点。 行き交う人々は厚手のコートにマフラー姿で、白い息を吐きながら足早に歩いている。 極寒の雑踏の交差点に彼女は立っていた。 30年前と同じ、薄手の白いワンピース姿で。


「……寒くないのか?」


 俺は思わず呟いた。 周りの人間が凍えている中で、彼女だけが肌を露出させ、鳥肌ひとつ立てずに涼しい顔で佇んでいる。 その服の質感は、4K画質で見ても本物の布にしか見えない。冷たい雨に濡れて、少し重たそうに肩に張り付いている様子さえ完璧だ。 だというのに、彼女からは「寒さ」という生理反応だけが欠落している。


「……アイ。解析結果は?」


 俺は震える手でタバコに火をつけた。 ここまで完璧だと、逆に怖い。 「実は不老不死の人間が実在する」と言われた方が、まだ納得できるレベルだ。 それほどまでに、この少女の「存在感」は圧倒的だった。


「……戦慄せんりつしました」


 アイの声色が、かつてないほど重く沈んでいる。 彼女はウィンドウを操作し、映像をフレーム単位(コマ送り)に分解し始めた。


「久住さん。これは合成です。ですが……AIの自動生成ではありません」


「は? 自動生成じゃない?」


「AIによる自動生成なら、必ず微細な『破綻』が出ます。影の角度が数度ズレたり、背景のノイズパターンと馴染まなかったり。……ですが、この映像にはそれが一切ありません」


 アイが、VHS映像の少女の髪の毛先を極限まで拡大する。 そこには、デジタルのドットではなく、執念のような「手描き」の跡が見えた。


「この映像は、1フレーム(30分の1秒)ずつ、手作業で『光の粒』を描き込まれています。 当時のカメラレンズ特有の『色収差』、フィルムの『劣化具合』、その場の『空気の揺らぎ』……。すべてを計算し、ドット単位で彼女を風景に溶け込ませています」


「……手作業だと?」


 俺は絶句した。 動画というのは、静止画の連続だ。たった1秒の映像を作るのに、30枚から60枚の絵が必要になる。 それを、30年前の画質、15年前の画質、現代の画質に合わせて、光と影を一枚一枚調整しながら描き込む? 気が遠くなるような作業量だ。人間の所業じゃない。


「久住さん、この映像の『オリジナルの出典元』を特定しました。……これを見てください」


 アイが画面に二つの動画を並べて表示する。

 

 左側は、先ほどまで見ていた『Archive_X』の映像。そして右側は――「彼女」だけが綺麗に消えた、何の変哲もない風景映像だった。


「ネットの海に埋もれていた個人所有の映像アーカイブの過去ログです。右側が『加工前』の真実。……つまり、彼女はこの場所に存在していませんでした。誰かが後から、彼女をこの風景の中に『書き加えた』のです」


「……そんな合成っぽさはどこにも……」


 アイが映像のウィンドウを指で弾くと、その背後に、映像を構成する膨大な数式の羅列が、滝のように流れ落ちるコードとなって現れた。


「見てください。光の屈折率の計算式、そしてノイズの分散アルゴリズム。これらは、エンジニアがプログラムを書く際、計算を効率化させたり光の粒を描写したりする工程で、どうしても隠しきれない独自の『癖』……いわばデジタル上の筆跡です」


 アイは流れる数式の一点を指差し、その『癖』を過去のデータベースと照合した。


「……この筆跡の持ち主を特定しました。元・大手映像制作会社のチーフエンジニア、山崎やまざき 真矢しんや。光学的合成の分野で、かつて数々の賞を受賞した人です」


「……山崎?」


 俺はその名前には聞き覚えがあった。


「ああ、知ってる。数年前のあの大ヒット映画のVFXを担当してたやつだろ。業界じゃ名前の売れたトッププロだ。……だが、なぜそんな人がこんなオカルト動画を?」


「彼の足跡を辿っていたところ、数年前の業界誌のインタビュー記事を見つけました。……これを見てください」


 アイがスッと差し出したのは、映像技術者向けの専門誌『DIGITAL WORLD』のバックナンバーだった。そこには、数年間の沈黙を経て復帰した山崎の、どこか遠くを見つめるようなポートレートが掲載されている。


【インタビュー抜粋:光の粒子に宿る記憶】


「……私がこの世界を志したきっかけは、30年前に亡くなった妹です。幼かった彼女は、夏の祭りの夜に病で急逝しました。手元に残されたのは、解像度の低い、ノイズだらけの古いホームビデオだけ。


技術が進歩し、実写と見紛うような映像が作れるようになるたび、私は思うのです。この技術があれば、あの日、レンズの向こうで笑っていた彼女を、今の美しい景色の中に呼び戻せるのではないか、と」


「……妹を、病気で」


 俺はタバコの煙を肺の奥まで吸い込んだ。記事の日付は5年前。当時の彼はまだ、技術者としての願望を語っていた。だが、その後の彼は表舞台から姿を消している。


「彼はこの記事の直後、会社を辞めています。そして、ひっそりとこの個人ブログを立ち上げ、独りで『研究』に没頭し始めたようです。……タイトルは、『時の箱庭』」


 アイが新しいウィンドウを開く。それは数年前で更新が止まった、個人ブログだった。


「このブログは、山崎という男のプライベートな研究記録……いえ、執念のログと言うべきでしょうか。彼は妹さんを亡くしてから、デジタルの海を通じて自分が見る景色の中に彼女を『再構築』しようとしていたようです。……見てください、たった一つのシーンを完成させるために費やされた、この異常なまでの試行錯誤を」


 ブログの記事には、気の狂いそうなほど緻密な「制作メモ」が、アップロードされていた。 それは日記というより、『神が生命を創造するための設計図レシピ』に近かった。


【20XX年 8月15日:夏祭りの再現 1】


 当時のVHSカメラのレンズ特性を再計算。画面端のワンピースの裾が、レンズの色収差でもっと赤くにじむはずだ。 ドット単位での「汚れ」が足りない。あいつがそこに『いた』というノイズを描き込め。


【20XX年 8月17日:夏祭りの再現 2】


 光源の矛盾。提灯の灯りは、あんなに均一じゃない。電圧の不安定な夜店の発電機を想定し、0.2秒周期の微細な明滅フリッカーを彼女の頬の陰影に同期させる。 まだ「張り付いている」ように見える。背景の空気と、彼女の輪郭を馴染ませろ。


【20XX年 8月20日:夏祭りの再現 4】


 物理演算の破綻。南南西の風、風速3メートル。髪の毛束コードA-04の揺らぎが、周囲の柳の揺れより0.1秒早い。……これでは彼女が「風」を感じていない。 あいつは風が吹けば、少しだけ目を細める。その不随意運動リアクションを描き足せ。やり直しだ。


【20XX年 8月28日:夏祭りの再現 8】


 音響との共鳴。遠くで花火が鳴った。あいつなら、きっと驚いて0.5秒遅れて瞬きをする。 30分の1秒のフレーム単位で調整。まつ毛の影、瞳の中の映り込み、すべてをあの日と一致させる。

――ようやく、あいつが呼吸を始めた。


「……狂気だな」


 俺は息を吐き出した。


 彼は、死んだ妹を「ただ貼り付ける」だけでは満足できなかったのだ。 妹が本当にそこに「生きていた」という証を作るために。


 光の屈折、風の抵抗、鼓膜を打つ音への反射反応……その全てを計算し、妹の姿を映像の中に一枚一枚『描いた』のだ。 レンブラントが光を描くように、彼はデジタルデータの中に、妹の命をドット単位で受肉させた。 だからこそ、彼女はあんなにも生々しく、不気味なほど自然に、世界に溶け込んでいたのだ。


「……ここまでされると、もう執念というより『呪術』に近いな」


 俺は画面の中の少女を見つめた。


 彼女は30年前の夏祭りで、本当に焼きそばの匂いを嗅ぎ、花火が鳴って、驚き目を細めていたのかもしれない。 彼の狂気が、物理法則を超えて彼女をそこに存在させたのだ。 ネット上の人々が「幽霊だ」「タイムトラベラーだ」と騒ぐのも無理はない。ここには、本物の「命」が焼き付けられている。


「……久住さん。この調査結果、どう処理しますか?」


 アイが静かに問う。


「真実を公表しますか? 『これは、ある人物が数年かけて作り上げた壮大なフェイク動画だ』と」


「……野暮なことすんな」


 俺はエディタを開いた。


 彼の費やした膨大な時間と愛を、ただの「偽造」として断罪するのは簡単だ。 だが、この完璧な「在るはずのない日常」を守るための、優しい嘘があってもいい。


「タイトルはこれだ」


『時空の迷子!? 歴史の裏側に潜む「観測者」の正体とは』


 俺はキーボードを叩く。


『……映像の専門家による解析でも、合成の痕跡は発見されなかった。


 彼女は確かにそこに『いた』のだ。


 きっと彼女は、あらゆる時代を旅する許しを得た、特別な存在なのだろう。


 彼女は誰も呪わないし、害も与えない。


 もし動画の中で彼女を見かけても、そっとしておいてあげてほしい。


 彼女はただ、私たちの生きているこの世界が、どれほど美しいかを噛み締めているだけなのだから――』


 俺はエンターキーを叩いた。


 これでいい。 彼の費やした膨大な時間と愛は、「解明できない不思議な現象」として、ネットの海で永遠に語り継がれる。 妹は、「死んだ少女」ではなく、「時を超える旅人」として、人々の記憶に残るのだ。


「……久住さん」


 モニターの中、アイが動画のラストシーン――極寒の渋谷の交差点の映像を静止させていた。


 凍えるような雑踏の中で、薄着の少女だけが、寒さなど知らないように凛と立っている。 その瞳は、カメラのレンズ越しに、製作者である彼の方を真っ直ぐに見つめているように見えた。


「気づきましたか? このブログの最後の投稿、動画のラストカットに対応する制作メモの末尾に、一言だけ書き添えられていました」


「なんて?」


「『やっと、目が合ったね』……と」


 アイがスロー再生する。


 無表情だった少女の唇が、ほんの数ミリ意志を持って動いたように見えた。


「……彼の願望だろ。編集でそう見せたんだ」


「そうかもしれません。ですが……デジタルの海でなら、そういう『奇跡』があってもいいと、私は思います」


 アイは少女へ、慈しむような眼差しを向けた。その瞳に宿る電子の光は柔らかく揺れ、それは演算ではない、彼女自身の「祈り」のように見えた。


「完璧すぎる技術フェイクは……時に現実リアルの解像度を超え、見る者の魂を揺さぶる『幽霊』を生み出すのですね」


「ああ、そうだな」


 俺は画面から目を逸らし、冷めきったコーヒーを流し込んだ。 だが、アイは優しく微笑んで、モニターの向こうの少女に小さく手を振った。


 画面の奥で、永遠の少女が、ふわりと微笑んだ気がした。


(File.15 了)

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