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第一章:南国に暖房器具を売れ

 まず、読者の皆様と「常識」の共有をしておきたい。

 一八世紀末、ニューイングランドの商人たちがこぞって船を出していた「西インド諸島」という場所についてだ。

 現在の地図で言うところのカリブ海地域。キューバやジャマイカなどが浮かぶその海域は、サトウキビのプランテーションで栄えていた。

 ここで重要なのは経済の話ではない。気温の話だ。

 あそこは熱帯である。

 一年中太陽が照りつけ、立っているだけで汗が噴き出し、湿気が肌にまとわりつく。現地の人々は、いかにして涼を取るかに命をかけている。

 冬の凍てつくマサチューセッツとは、物理法則が違う場所なのだ。

 さて、ここで問題だ。

 そんな灼熱の国に、絶対に輸出してはいけない商品は何か?

 正解は毛皮のコート、厚手のウール、そして――「ウォーミング・パン(行火)」だ。

 ウォーミング・パンをご存じだろうか。

 長い木製の柄の先に、蓋つきの銅製の鍋がついている道具だ。鍋の中に真っ赤に燃える炭を入れ、寝る前の冷え切ったベッドの中に差し込んでシーツを温める。

 雪深いニューイングランドの冬には欠かせない必需品だが、熱帯のカリブ海においては、ただの拷問器具である。

 サウナの中でストーブを売り歩くようなものだ。

 まともな知能があれば、絶対にやらない。

 しかし。

 私の目の前にいる、ティモシー・デクスターという男には、その「まともな知能」が欠落していた。

「ナップ! 船の手配をしろ! これを全部、西インド諸島へ送るぞ!」

 港の倉庫。

 デクスター氏は、積み上げられた大量の「それ」を前に、仁王立ちで宣言した。

 四万二千個の、ウォーミング・パン。

 ピカピカに磨かれた銅が、不吉な輝きを放っている。

「……旦那様」

 私はこめかみの血管が切れないように、深呼吸をしてから口を開いた。

「誰に言われたんですか?」

「向こうの商人に聞いたんだよ! 『デクスターさん、西インド諸島じゃあ、これが飛ぶように売れるらしいですよ』ってな!」

「それは、あなたを破産させるための嘘です」

「嘘なわけあるか! 彼らは親切だぞ!」

「いいえ、彼らはあなたが『紙くず』で大儲けしたのを妬んでいるのです」

 街の商人たちの悪意は明白だった。

 成金のデクスターを陥れるために、在庫処分に困っていた暖房器具を売りつけ、あまつさえ「南国へ送れ」と吹き込んだのだ。これほど分かりやすい罠もない。

「いいか、ナップ。あいつらは言ったんだ。『最近の西インド諸島は冷え込むらしい』とな!」

「赤道直下で冷え込むわけがありません」

「お前は行ったことがあるのか?」

「ありませんが、地図と理科の知識があれば分かります」

「俺は信じるね! だってこのパン、見てみろよ。銅がキラキラしてて綺麗だろ? 綺麗なものは売れる。これが商売の鉄則だ!」

 ダメだ。

 「綺麗だから売れる」。

 五歳児なら可愛げもあるが、五十近いおっさんが言うと恐怖すら感じる。

「それに、これも送るぞ!」

 彼が指さした檻の中には、野良猫がひしめき合っていた。

 その数、数百匹。

「……猫、ですか」

「おうよ! 『猫も足りてない』って聞いたからな。街中のガキに小遣いやって集めさせたんだ。どうだ、壮観だろ!」

 私は天を仰いだ。

 南国に暖房器具と、薄汚れた野良猫を輸出する。

 この船が出港すれば、デクスター氏はアメリカ商業史に残る笑い者になるだろう。

 私は彼を止める義務があった。だが、私の給料はこの男のポケットマネーから出ている。そして彼は、私の忠告よりも、自分の「直感(という名の思い込み)」を信じている。

「ナップ、お前も乗れ。現地で売りさばいてこい」

「……はい?」

「俺は忙しいからな。お前が責任者だ。全部売れるまで帰ってくるなよ!」

 こうして私は、四万個の暖房器具と数百匹の猫と共に、カリブ海への地獄のクルーズに出ることになった。

 船上での日々は割愛する。ただ、猫の世話と船酔いで、私の体重が五キロほど落ちたことだけは記しておこう。

 数週間後。

 我々の船は、西インド諸島の港に到着した。

 予想通り、そこは灼熱地獄だった。

 甲板に出ただけで、熱気がハンマーのように殴りかかってくる。

「……終わった」

 私は港に降り立ち、絶望的な気持ちで積荷を見上げた。

 誰がこの暑さの中で、布団乾燥機を買うというのか。

 私は辞表の書き方を脳内で反芻しながら、とりあえず現地の商人に見本を見せることにした。

「これだ。買ってくれ」

 私は投げやりな態度で、ウォーミング・パンを差し出した。

 現地のプランテーション主(農園経営者)は、怪訝な顔でそれを手に取った。

 長い柄。銅製の深い鍋。蓋。

「……ふむ」

 彼は鍋の蓋をパカパカと開閉し、柄の長さを確かめ、そしてなぜか、目を輝かせた。

「おい、こいつは素晴らしいぞ!」

「は?」

「ちょうど探していたんだ! サトウキビを煮詰める大鍋から、蜜をすくい上げて隣の鍋に移すための『ひしゃく(スキマー)』をな!」

 彼はパンの蓋を乱暴にもぎ取ると、銅の鍋部分を掲げて見せた。

「この深さ、この柄の長さ! 煮えたぎる蜜をすくうのに完璧じゃないか! 蓋はいらんが、鍋としてなら最高だ! おい、いくらあるんだ!?」

「え、あ、四万個ほど……」

「全部買う! 言い値でいい!」

 私は耳を疑った。

 暖房器具として持ってきたものが、蓋を外しただけで、製糖業界の革命的ツールとして受け入れられたのだ。

 さらに、奇跡は連鎖する。

「ところで、あの鳴き声は何だ?」

「あ、あれは猫です。売り物にならないただの……」

「猫!? 猫がいるのか!」

 プランテーション主が私の肩を掴んで揺さぶった。

「倉庫のネズミ被害で困ってたんだ! 穀物も砂糖も全部食われちまう! 猫がいれば助かる! 頼む、一匹たりとも残さず売ってくれ!」

 ……。

 …………。

 帰りの船の中で、私は空になった貨物室と、金貨で膨れ上がった金庫を見つめていた。

 利益率は七〇〇パーセントを超えていた。

 暖房器具は「柄の長い鍋」として完売し、野良猫は「害獣駆除のスペシャリスト」として高値で引き取られた。

 ニューベリーポートに帰港すると、デクスター氏は満面の笑みで私を迎えた。

「おう、早かったな! 全部売れたか?」

「……ええ。完売です」

「ガハハ! 見ろ! やっぱり俺の言った通りだろ!」

 彼は私の肩をバンバンと叩いた。

「暑い国では、きっと『何かをすくう』のに長い柄が必要なんだろうと思ってな! 俺の読み通りだ!」

「……絶対に嘘ですよね?」

「あ? 何か言ったか?」

「いえ。……旦那様は、東洋一の哲学者です」

 私は深く頭を下げた。

 そうでもしなければ、やりきれない気持ちが口からあふれ出しそうだったからだ。

 この男は、間違った地図を持って、間違った船に乗り、それでも目的地にたどり着いてしまう。

 

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