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第一章1"記憶の残滓"


狂ったように降り注ぐ酸性雨は、まるでこの世界の悲惨な運命を嘆く、天空の涙のようだった。


ライトは、凍てつくような雨のカーテンを切り裂くように歩いていた。

だが、肌を刺すその冷たさも、彼の心に広がる虚無感に比べれば、微風のようなものだった。


震える手が、濡れそぼったコートのポケットに伸びる。

取り出したのは、一枚の古びた写真。

縁はボロボロになり、色は褪せてしまっているが、そこに焼き付いた光景は、今も鮮烈に彼の脳裏に焼き付いている。


それは、彼がまだ「希望」という言葉を信じていた頃の記憶。

革命軍『インワン・フリーダム』の輝かしい日々。


ライトの瞳が、かつての戦友たちの顔を一人ひとりなぞっていく。

中央には、自信に満ちた笑みを浮かべるリーダー――**ジャック**。だが、その顔にはペンで×印が乱暴に引かれていた。

陽気なライラ、寡黙な相棒のサイラスとギデオン、泥にまみれることを厭わなかった高貴なるステラ王女……エララ、怪力ガル、名工サトウとボルグ、狂気のマッドドクター・リクター、戦場の女傑エヴァ、忠実なレックス、そしてアリサテール。


写真の中の彼らは、肩を組み、同じ理想を信じて笑い合っている。

……たった一人を除いて。


ライトの視線が、写真の右端で止まる。そこにはかつて、**「マキ」**という名の少女がいた。

だが今、彼女の顔は黒いインクで幾重にも塗りつぶされ、紙が破れんばかりの筆圧で消し去られていた。

それは、憎悪と苦痛が凝縮された、呪いのような痕跡。


あまりにも残酷な裏切り。受け止めきれない現実。

ライトは写真をくしゃくしゃになるほど握りしめ、胸の奥から込み上げる激情を押し殺すように、長く重い息を吐いた。


「過去など……ただのチリだ」


そう呟き、彼は自分に言い聞かせるように、再び歩き出した。


その時だった。

雨音と頭上を飛び交うエアカーのエンジン音に混じって、路地裏の闇に蠢く影が目に入った。


一人の少年だ。

全身泥まみれで、ゴミの中で生きてきたかのような風体。着ている服はボロ布同然で、寒さを防ぐ役目すら果たしていない。

だが、ライトの目を引いたのは貧困そのものではない。


少年の左腕――それは、赤錆だらけの無骨な**「機械義手」**だった。

そして、やせ細った脚を支えるように装着された、旧式の**「強化外骨格エクソスケルトン」**。


少年は飢えた獣のように、巨大なゴミ箱を漁っていた。蓋をこじ開けるたびに、機械腕がギギギと軋んだ音を立てる。

腐りかけた残飯を拾い上げ、まるで宝物のように見つめるその姿。


ライトは足を止め、無言で立ち尽くした。

その少年の姿こそが、この腐敗した世界の縮図そのものだったからだ。


……降りしきる雨の中。

ふと、少年の視線がゴミの山から外れ、ライトの胸元に吸い寄せられた。

先ほど写真を取り出した際、無意識のうちにコートの外に出てしまったのだろう。古びた金属のロケットペンダントが、ネオンの光を反射して揺れていた。


闇市場で売っても二束三文のガラクタだ。

だが、それはライトにとって**「記憶の棺」**だった。


中には**「氷華ひょうか」**――かつてステラ王女が彼に託した、故郷の星の希少な花が封じ込められている。

透き通るクリスタルのようだった花弁は、今や枯れ果て、茶色く変色してしまっていたが、それこそがライトに残された数少ない心の支えだった。


**フワッ!**


思考するよりも速く、少年が動いた。

脚部の旧式モーターが甲高い駆動音を上げ、小さな体を弾丸のように射出する。

一瞬でライトの懐に飛び込むと、生身の右手がロケットを掴み、力任せに引きちぎった!


「なっ……!?」


ライトが驚愕の声を上げ、首元を押さえた時には、すでに手遅れだった。

少年は獲物を手にすると、強化された脚力を活かしてゴミの山を飛び越え、闇の奥へと消えていった。



全身の血が沸騰するような怒りが駆け巡る。

だがライトは、ハイテク機器や高度なスキルを使って少年を止めることはしなかった。

彼が選んだのは、最も原始的で、単純な方法だった。


走る。


ライトは闇に向かって駆け出した。

ブースターも、照準補助も、武器もない。

ただの生身の二本の足で、泥水を蹴り上げ、雨音に負けないほどの荒い息を吐きながら。


「止まれ、クソガキ! 返せ!」


雷鳴に負けじと叫ぶ。

生身で走る感覚――重力に縛られた体の重さ、風の抵抗、滑りやすい路面。

それは彼が長く忘れていた感覚だった。純粋な体力と根性だけが試される、泥臭い追跡劇。


少年は義手と外骨格こそ低級品だが、この迷路のような路地を知り尽くしていた。ジグザグに障害物を避け、ライトを翻弄する。

ライトは奥歯を噛み締め、必死に食らいつく。

ステラの形見だけは、絶対に失うわけにはいかない。たとえこの街の最果てまで走ることになろうとも!


……不意に、少年の足音が止まった。


ライトは角を曲がり、濡れた地面を滑りながら急停止した。

目の前の光景に、彼の呼吸が一瞬止まる。


行き止まりだ。

だが、行く手を阻んでいたのはコンクリートの壁ではない。

**「人と機械の壁」**だった。



少年はその場にへたり込み、恐怖に震えていた。

彼の目の前に立ちはだかっていたのは、インワン帝国の兵士二人。ライトの記憶に鮮明に残る、漆黒に金の縁取りが施された装甲服――かつての友、ジャックが築き上げた権力の象徴だ。

その傍らには、真紅のセンサーアイをぎらつかせた警備ロボット**『エンフォーサー』**が控えている。


どうやら少年は、逃げる途中で兵士の一人にぶつかってしまったらしい。


「薄汚いドブネズミが……よくも俺の鎧に触れてくれたな」


兵士の一人が、ガスマスク越しに低く唸った。

彼が振り上げたのは、高圧電流を纏ったスタン・バトン。青白いスパークが雨粒を弾き飛ばす。

少年は目を固く閉じ、反射的に片手を上げて身を守ろうとした。もう片方の手は、ライトのロケットを命綱のように握りしめたままだ。


ライトはギリリと歯軋りをした。

奴らのことはよく知っている。インワン帝国の兵士に「慈悲」という文字はない。交渉も、弱者保護法もない。

あるのはたった一つのルール――**『強者が正義であり、逆らう者は排除する』**。


このままでは、少年は殺される。そしてステラのロケットも、血の海に沈むことになる。


「おい! 待て!」


ライトは叫んだ。

その声は、兵士とロボットの注意を瞬時に引きつけた。

バトンを振り下ろそうとしていた兵士が動きを止め、侮蔑の眼差しを向けてくる。


「何だ貴様は? 下層市民が、死体になりたくなければ失せろ」


もう一人の兵士が、即座にアサルトライフルをライトに向けた。


ライトはゆっくりと両手を胸の高さまで上げ、降参のポーズをとった。

だが、その目は瞬時に戦況を分析していた。兵士二人、ドロイド一体。距離は10メートル。中間に少年。


「その子は、俺の物を盗んだんです」

ライトは努めて冷静を装って言った。

「それを取り返しに来ただけだ……見逃してやってくれませんか。ただの飢えた子供だ」


最初の兵士が高らかに笑った。

そして次の瞬間、彼は少年の脇腹を軍用ブーツで思い切り蹴り上げた!


「がはっ!!」

小さな体がゴミ箱に叩きつけられる。


「ここは治安維持区域だ。戒厳令下において、将校への接触は反逆行為とみなされる。刑罰は……即時処刑のみ!」


兵士は再びバトンを振り上げ、今度は少年の頭蓋骨を砕くべく狙いを定めた。


その瞬間。

ライトの中で、何かが音を立てて切れた。


彼はもはや、ただの市民ではない。

眠っていた《獣》――戦士としての本能が、激しい怒りと共に覚醒した。

目の前で誰かが死ぬのはもう沢山だ。ましてや、かつての友が作り出した組織の手によってなど!


……殺害は得策ではない。瞬時に計算する。ここで殺せば、「帝国」へ、いや、最悪の場合「ジャック」の耳に入ってしまう。まだ旅立つ準備はできていない。


ライトは恐怖に怯える演技をしながら、再びポケットに手を入れた。


「や、やめてくれお巡りさん!」声が震えている。「金目の物ならある……その子の命と交換してくれ」


兵士の手が止まる。「金目の物? 寄越してみろ。価値があれば考えてやる」


ライトの手の中で、ピンポン玉ほどの球体が握られていた。

親指が安全ピンを弾き、微かな「カチッ」という音が鳴る。


「これだ……!」


彼はそれを放り投げた。

兵士の手元へではない。警備ロボットの足元へ。


**カッ――!!!**


超新星のような閃光が炸裂した!

同時に、鼓膜を引き裂くような高周波音が鳴り響く。センサー撹乱用に改造された**「フラッシュバン(閃光弾)」**だ。


「ぐあああっ!! 目が!!」

兵士たちが悲鳴を上げ、調光システムの作動が遅れたマスクを押さえてのたうち回る。

ドロイドもセンサーが過負荷を起こし、警報音を撒き散らしてよろめいた。


ライトはその隙を見逃さなかった。

正確無比な動きで光の幕を突き破り、腰の後ろに隠し持っていた古いサバイバルナイフを抜く。スイッチを押すと、青いプラズマの刃がヴン!と唸りを上げた。


一閃。

ドロイドの脚部油圧シリンダーが両断され、巨体が轟音と共に崩れ落ちる。


間髪入れず、ライトは少年の襟首を掴み、強引に引き起こした。


「立て! 死にたくなきゃ走れ!!」


混乱する少年を引きずり、ライトは脇目も振らずに走り出した。


「ぼ、僕の……あなたのペンダント!」

少年が走りながら、握りしめたロケットを差し出す。


「今はいい! 走れ!」


ライトは少年の背中を押し、路地裏の迷宮へと飛び込んだ。

背後からレーザーの射撃音が迫る。ヒュッ! ヒュッ! 赤い閃光がゴミ箱を焼き、ライトの肩をかすめていく。


「追え!! あのクズどもを逃がすな!」


怒号を背に、二人は汚水と闇にまみれた路地を疾走した。

錆びたフェンスをくぐり、排水溝を飛び越え、追っ手の足音が遠ざかるまで、彼らは止まらなかった。


……サイレンの音が、街の四方八方から響き渡り始めた。

路地裏からは抜け出したが、状況は悪化の一途を辿っていた。

赤と青のパトライトが摩天楼と濡れた路面を照らし、まるで死のダンスフロアのようだ。頭上にはパトロール・ドローンが蜂の大群のように舞っている。


「いたぞ! 確保しろ!」

地上部隊の怒号と共に、赤いレーザーサイトがライトの胸に集まる。


「クソッ! しつこい連中だ」

ライトは悪態をつき、逃げ道を探して視線を走らせた。

その目が、ジャンクパーツ屋の前に放置された一台の車両に釘付けになる。


それは、旧式の**「スカイ・バイク」**。

ボディは錆だらけ、エンジンは剥き出しで配線が見えている。だが、この地獄から抜け出す唯一のチケットだ。


「小僧! 来い!」


ライトは弾幕の中を強行突破し、バイクに飛び乗った。

コンソールのデジタルロックを蹴り砕き、配線を二本引きちぎってショートさせる。バチッ!


**ドゥルルルン――!!!**


反重力エンジンが爆音を上げ、排気管から灰色の煙を吐き出した。


「乗れ! 落ちたくなきゃ俺の腰にしっかりしがみついてろ!」


少年が慌てて後部シートによじ登り、細い腕でライトにしがみつく。

少年の鉄の足がステップに乗った瞬間、ライトはスロットルを限界まで回した。


機体は猛烈な加速Gと共に垂直上昇し、地上の兵士たちを置き去りにして空へと舞い上がった。


だが、悪夢は始まったばかりだった。


高度500フィート。

夜の帝都の空は、何層にも重なる**「スカイ・レーン(航空路)」**を行き交う自家用車、空飛ぶタクシー、輸送トラックで埋め尽くされていた。巨大なホログラム広告が、視界を遮るように輝いている。


『航空迎撃部隊へ! 目標は盗難車両にて北へ逃走中!』

ヘルメットの傍受無線から、冷徹な指令が聞こえた。


直後、ビルの谷間から市警の**「パトロール・スピーダー」**三機が飛び出し、サイレンを鳴らして背後に食いついてきた!


「舌噛むなよ!!」


ライトは突風に負けじと叫んだ。

ハンドルを強引に切り、大型輸送トラックの鼻先をかすめるように急旋回する。**ギィィィン!**(反発エンジンの悲鳴) トラックのクラクションが長く響いた。


彼は、現代人が使うような飛行支援システム(オートパイロット)など使っていない。

全て**「完全手動マニュアル」**。

かつての勘と、研ぎ澄まされた反射神経だけが頼りの暴走だ。

加速するたびに、老朽化したバイクがバラバラになりそうに振動する。


**チュドォォン!**


パトロール機からのプラズマ弾がライトの耳元をかすめ、横のコーラ広告板を粉砕した。火花が降り注ぐ。


ライトは機首を下げ、逆走車線へと急降下した!

正面から迫る対向車たちが、パニックになって回避行動をとる。罵声とクラクションが空に満ちる。

コンクリートの迷宮と化した摩天楼の間を、右へ左へと機体を振ってすり抜けていく。


この感覚……。

顔を打つ風、心臓を早鐘のように打たせる速度、そして背中に張り付く死の気配。


「前! 行き止まりだよ!」

少年が絶叫した。目の前には巨大なビルが壁のように立ちはだかっていた。


「行き止まりじゃない……**『近道』**だ!」


ライトは不敵に笑い、さらにスロットルを回した。

ビルとビルの連絡橋、そして排気ダクトの間に空いた、ほんのわずかな隙間。

そこへ向かって一直線に突っ込む!


**ガガガガガッ!**


サイドミラーが壁を擦り、火花を散らすほどの狭さ。

だが、バイクは弾丸のようにその隙間を突き抜け、反対側へと飛び出した!


追っ手のパトロール機は機体が大きすぎて通れず、急ブレーキをかけて立ち往生するしかなかった。

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