第99話 拾った子豚の世話をする
俺の目の前には、一匹の、か弱き雌豚がいた。
ピンク色の、ふわふわとした生地で作られた、豚をモチーフにした可愛らしい着ぐるみを着た、小さな少女。
その正体(中の人)は――このアースガルド王国で『天使』とまで称されていた、リリアーナ姫その人である。
彼女が今、その身にまとっている服は、もともと彼女の姉であるエレノアのために、俺が趣味で用意したものだ。
そのため、小柄な彼女にはサイズが幾分大きかった。
だが、そのぶかぶかな袖口も、それはそれで愛らしい。
もっとも、そのサイズの問題も、優秀な俺の専用メイド・リーリアが、慣れた手つきであっという間に調整し、今の彼女の体にぴったりと合うようにしてくれたのだが。
「……明日までには、姫様の体型に合わせ、完璧に仕上げておきます」
俺から見れば、すでに十分すぎるほどの仕上がりなのだが、裁縫の得意なリーリアは、まだ納得していないらしい。
「……なんですの、この、ふざけた衣装は」
リリアーナ姫は憮然とした顔を作り、その潤んだ瞳で俺を睨みつけてくる。
「仕方ないだろう。お前が粗相をしたせいで、汚れた豪華なドレスは洗濯中なんだからな」
彼女が着ていた服と下着は、屋敷のメイドたちによって丁寧に手洗いされている。
バルタザール(変態)であれば、希少な「お宝」を購入するために、金貨三百枚は喜んで出したかもしれないが――売るのは、やめておいた。
その衣服が姫の私物であると説明するのが、面倒くさかったからだ。
持ち主の情報を秘匿して売るのは道義に反するし、それに考えてみれば、リリアーナ姫が我が家にいること自体、最重要機密事項だ。
売れるわけがない。
この屋敷には、彼女と同じ年頃の少女も何人か暮らしている。
用意しようと思えば、普通の着替えを用意すること自体は可能だった。
だが、それでは面白くない。
そう思い、俺は着ぐるみタイプの可愛らしい服を、彼女に着せてみたのだ。
「なかなか、似合っているじゃないか。とても可愛いぞ、リリアーナ」
「くっ……! こ、こんな格好を褒められても、少しも嬉しくなどありませんわ! それに、わたくしは、この国の姫なのです! その、馴れ馴れしい口の利き方を改めなさい!」
俺は、そんな憎まれ口をたたく生意気な少女の体を、ひょいと軽々と抱き上げた。
「さて。とりあえず、この可愛い子ブタちゃんは、地下室にでも入れておくか。部屋の用意は、もう出来ているな、リーリア」
「はい。いつでもお迎えできるよう、完璧に整えてございます」
以前、闇オークションで、俺が競り落としたばかりの、ファーマとリーラの姉妹が、暮らしていた部屋がある。
そこに、このお姫様を、しばらくの間、入れておくことにした。
あそこならば、頑丈だし警備体制も万全。
たとえ王族が暮らしたとしても、何ら問題はないほどの、豪華な調度品が揃った部屋だ。
「ちょっと! いったい、どこに連れていくつもりですの! 早く、わたくしを王宮にお帰しなさい!」
子豚ちゃんが、可愛く暴れる。
「王宮に連れて行ってもいいですが、その場合は、これまでの詳しい経緯をご説明するために、例の、あなたと情報王との楽しい映像を、あなたのご家族、王族の方々に、ご覧いただくことになりますが、よろしいでしょうか?」
俺は抱き上げた子豚ちゃんを、まるで米俵のように、ぞんざいに肩に担ぎながら、そう、優しく脅した。
「お、おろしなさい、このっ……! あ、あの映像を、お兄様やお姉様に見せるなんて、いいわけないですわ! あんなもの、今すぐ、処分なさい! そして、わたくしを誘拐した、卑劣な犯人として、自ら名乗り出て、潔く処刑されてしまいなさい!」
随分と、無茶なことを言ってくれる。
「リリアーナさま。そのような、わがままを仰ってはいけません。あなたさまを、あの恐ろしい犯罪者から救出し、こうして、お世話までしてくださる、ゼノス様の海よりも深い優しさに、まずは、心から感謝しなくてはいけません」
リーリアが、まるで聖母のような微笑みを浮かべて、リリアーナの頭を優しく、よしよしと撫でながら、ゆっくりと諭している。
どうやら、リーリアは、リリアーナのことを、「可愛い小動物」か何かとして、すっかり気に入ってしまったみたいだ。
……この子豚ちゃんが、巨乳でなくて本当に良かった。
頭を撫でられているリリアーナは、その子ども扱いに、ぷうっと頬を膨らませて、ふてくされている。
俺は、彼女を可愛がるリーリアの代わりに、お姫様の、その丸くて可愛らしい尻を、愛情を込めて、軽く「ぱしん!」と叩いてから、地下室へと向かった。
***
この屋敷の地下室の中で、最も頑丈で、そして、最も豪華な部屋。
壁にかけられた、いくつもの魔導ランプの柔らかな照明が、落ち着いた雰囲気を作り出し、最新式の除湿機能のある魔道具が、室内の空気を常に快適に保っている。
俺は、ふかふかのソファに腰かけ、膝の上に肩に担いでいたリリアーナを、ちょこんと乗せる。
テーブルの上には、すでに、使用人たちに運ばせておいた温かい食事が、ずらりと並んでいた。湯気を立てる、色鮮やかな料理の数々。
濃厚な肉の匂いと、ハーブの香りが食欲を誘う。
焼き加減の絶妙なローストチキン。その隣には、とろりと溶けたチーズが乗った、熱々のグラタン。銀の皿には、艶やかな赤ワインソースを纏ったステーキが鎮座している。それから、黄金色に焼かれたパンの山。香ばしい匂いが、部屋いっぱいに広がっていた。
俺は、その中から焼きたてのパンを一つ手でちぎり、リリアーナの小さな口元へと運ぶ。
「……! じ、自分で食べれますわ!」
「ダメだ。お前の食事は、俺が与えてやる」
この可愛らしい子ブタちゃんを見ていると、無性に餌付けをしてみたくなったのだ。
最初のうちは彼女も、ぷいっと顔を背けて頑なに拒んでいた。
だが、どうやら今日の夕食はまだ何も食べていなかったらしい。やがて、その小さなお腹が「ぐぅ……」と、可愛らしい音を立てた。
その音に、彼女は羞恥で顔を真っ赤に染めながら、ついに観念したようだ。
小さな口を、おずおずと開けて、俺の差し出す食事を、顔を赤らめながら食べ始める。
***
食事が、すべて終わった後。
俺は、【支配の首輪】を懐から取り出して、テーブルの上に、カチャリと置いた。
魔導ランプの光を鈍く反射する、黒曜石のような美しい首輪。
「これを付けて、大人しく、ここで俺のペットとして暮らすか。それとも、今すぐ王宮に戻って、これまでの全ての経緯を、あの愉快な映像付きで、国の上層部に説明するか。……好きな方を、選べ」
俺は彼女に、最後の選択を迫る。
リリアーナ姫は、しばらくの間、その唇を、きつく噛みしめていたが。
やがて、その瞳に大粒の涙を浮かべながら、小さく頷いた。
彼女は、首輪を付けることを選んだのだ。
俺としても正直、彼女の処遇には困っている。
彼女を、ただ王宮に返すのは問題外だ。
俺が誘拐事件の真犯人として、再び疑われかねない。
かといって、あの映像を見せて潔白を証明したとしても――
今度は相手方が今回の事件の対処に困り、王家のスキャンダルを隠蔽するために、俺の口を封じようとしてくるかもしれない。
あの映像でリリアーナを脅しはしたものの、それは自分を傷つけるかもしれない諸刃の剣だ。
おいそれとは使えない。
しばらくは、俺が責任をもって、この屋敷で彼女の面倒を見るしかなさそうだ。
俺は、そう結論づけた。




