第98話 攫われた姫君
犯罪組織から救出に来たはずの俺を――
捕らわれのお姫様は、その美しい瞳に剥き出しの敵意を宿して睨みつけてくる。
俺は、そんな彼女の反応など意に介さず、
椅子に腰かけた彼女の元へと、ゆっくりと歩み寄った。
「どうして、ここが……」
その声は、驚愕と焦りでわずかに震えていた。
「――さて。一体、なぜでしょうね」
俺は、彼女の疑問には答えず、その華奢な肩へと手を伸ばす。
「い、いやっ!」
リリアーナ姫は、咄嗟に光魔法を放った。
直径二十センチほどの純白の光弾が五発。空気を灼くほどの熱量と、凄まじい速度で俺に襲いかかる。
しかし、それらは――
俺の【魔封印】の領域に触れた瞬間、まるで幻のように霧散した。
常人であれば一発で戦闘不能になるほどの威力だ。この幼さでこれほどの魔法を操るとは、その才はかなりのものだ。
「やれやれ。おいたが過ぎる子には、少しばかりお仕置きをせねばなりませんな」
俺は、リリアーナ姫の肩にそっと手を添え、優しく、しかし有無を言わせぬ力で椅子から立たせる。
その両腕を背後へと回し、逃げられないようにしっかりと制した。
「アシュラフ。適当な紐を持ってこい」
「かしこまりました」
俺の背後に付き従っていた魔人の姿が一瞬消え、再び現れる。
その手には、ちょうど良い長さのロープ。どうやら、この誘拐犯のアジトの中から拝借してきたようだ。
俺は、抵抗するリリアーナ姫の腕を後ろ手に回し、しっかりと拘束した。
「わたくしに、このような真似をして、ただで済むと本気で思っているのですか!? 早く、これを解いて放しなさい! この、無礼者ッ!!」
「……」
俺は、余ったロープで、騒ぎ立てる彼女の口元を、丁寧にふさいだ。
「申し訳ありませんが、あまり騒がれてしまうと、誘拐犯の残党に我々の存在が気づかれてしまう恐れがありますのでね。今しばらく、それで我慢してください」
そう理由を述べると、俺は拘束されたままもがくリリアーナ姫の体を、ひょいと横抱きに抱え上げた。
お姫様を、お姫様抱っこする。
この施設にいた犯罪組織の構成員は、すでに全員、俺とアシュラフによって眠らされている。残党など、おそらくいないだろうが、この地下空間には他の組織の人員が潜んでいる可能性もある。
見つかると厄介だ。
可哀そうではあるが、お姫様の口はふさいでおく必要がある。
俺は、彼女を抱っこしながら、先ほどまで、この部屋の様子を記録していた魔道具を取り出し、その映像を洞窟の壁に投射した。
そこには、お姫様と豚のような情報王イグナツィオとの、倒錯的なやり取りが、克明に記録されている。
可憐な姫君が、太ったみっともないおっさんに馬乗りになり、その巨大な尻を、鞭で何度も叩いている。
その映像だけでも、かなりのものだが、そこで話されている会話の内容は、王家の存在そのものを、根底から揺るがしかねないものばかりだ。
「あなたと、あの犯罪者との、よからぬ計画も、すべて記録してあります。まずは、安全な場所へと移動してから、ゆっくりと、事情を窺うことにいたしましょう」
俺が優しく言うと、彼女は金色の瞳を絶望に見開き、みるみるうちに、その目に涙を浮かべた。
「ん~~~、ん~~~~っ!!」
いやいや、と、必死に首を振って、ついに本当に泣き出してしまった。
「おや。そんなに、怖かったのですね。ですが、もう大丈夫ですよ。この私が、あなたを、必ず守ってあげますから」
俺は腕の中で震える彼女を、慈しむように優しく抱きしめながら、来た道をゆっくりと引き返していった。
***
俺は、彼女を腕に抱えながら、来た道をそのまま引き返す。
地下遺跡を抜け、地上へと続く長い螺旋階段を上がっていく。
それまでは俺の腕の中で身をよじっていたリリアーナ姫だったが、先の見えない真っ暗闇の階段では、ぴたりと大人しくなった。
ここで下手に暴れるのは危険だと、その怜悧な頭脳が判断したのか。
あるいは、ただ暴れ疲れただけか。
やがて階段を上り切り、俺たちは地上に出た。
朽ち果てた教会の中は、冷たい夜の闇に満たされていた。
そこには、まだアシュラフによって眠らされている見張りの男たちが転がっている。彼らも、明日の朝には目を覚ますだろう。
俺は、腕の中にいるリリアーナに目を向ける。
(さて。この厄介なお姫様を、これからどうするか……)
リリアーナと情報王を引き離すため、勢いとノリで連れてきてしまったが――
この先のことは、まったく考えていなかった。
俺が彼女を救出したのだと王宮に連れて行っても、犯人とグルだったのでは、というあらぬ疑いを招きかねない。
俺は、心の中でこっそりと途方に暮れる。
腕の中のリリアーナに、あえて聞かせるように独り言を口にした。
「さてさて。これから、このとんでもない“おてんば娘”をどう使ってやろうか。王家に対する交渉のための人質として利用するか。それとも、この映像を世間に公開して、王家の権威を完全に失墜させてやるか。あるいは、それも面倒だ。このままどこか深い山の中にでも行って、生きたまま土の中に埋めてしまおうか。そうだ。魔物の餌にする、というのも良いな」
俺は、自分を殺そうとしたお姫様への意趣返しに、ちょっとだけ彼女を脅してみた。もちろん冗談だったが、リリアーナ姫は本気で受け取ったらしく、恐怖のあまり再び必死に暴れ出す。
「ん~っ! んん~~~っ!!」
落ちると危ないので、俺は暴れないように、彼女の体をさらに強く抱きしめた。
(……少し、冗談が過ぎたか。しかし、まあ、本当に、この先どうするかな?)
俺が困っていると、背後の影からアシュラフが提案してきた。
「よろしければ、ゼノス様。その姫君を、わたくしめの支配下に置くというのはいかがでしょうか。責任をもって管理いたしますが」
アシュラフが手袋を外し――
その陶器のように白い手に、不気味な魔力を宿しながら、リリアーナの震える顔へとゆっくりと迫る。
それを見たリリアーナの恐怖は、俺の生ぬるい脅しとは比べ物にならないほど凄まじかった。
彼女の金色の瞳から光が消え――
その瞳は、恐怖と嫌悪に染まっていた。
そして、俺の腕の中で、温かい液体が彼女の豪華なドレスをじわりと濡らす感触があった。
彼女は失禁し、その絶望が可愛らしい顔を蒼白に染め上げていた。
「――待て、アシュラフ。こいつの使い道には、少し、考えがある」
俺が静かに言うと、アシュラフはぴたりと手を止める。
「さようでございましたか。これは、失礼いたしました」
奴はそう言うと、俺に深々と一礼し、再び闇の中に姿を消した。
(……今、あいつ。少しだけ、残念そうな顔をしてやがったな)
滅多に表情を変えない下僕の、わずかな変化が、少しだけ印象に残った。
俺は、外に待たせてある馬車に、ぐったりとしたお姫様と一緒に乗り込んだ。
馬車に備え付けられている上質な毛布を自分の膝の上に敷き、その上にリリアーナを優しく乗せる。
そして、御者に静かに出発を命じた。
彼女と共に、まずはグリムロック邸へと向かう。
彼女の美しい金色の髪は、誘拐されていたとは思えないほど綺麗に整えられていた。その体からは、高級な石鹸の香りがふわりと漂う。
清潔な環境で、何一つ不自由なく暮らしていたのだろう。攫われていた、とはいうものの、あの誘拐犯たちの親玉は彼女を丁重に扱っていた。
いや、そもそも――
あのイグナツィオは誘拐犯というよりは、彼女の忠実なる下僕だったといっても過言ではない。
気配を消して観察した両者の関係は、まるで女王様と忠実なる下僕だった。
その優しい下僕の元から、彼女は今、本物の悪党に攫われてしまったのだ。
想定外の状況の変化に混乱し、怯えている。俺は何も言わず、ただ彼女の体を包み込むように抱き直す。
俺は、腕の中で小さく震える彼女に、少しばかり同情した。
(ちょっとは、優しくしてやるか……)
この、お姫様のお漏らしで、かすかな湿り気を帯びた最高級の毛布は、バルタザールに高値で売れるだろうな、などと思いながら。




