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第97話 女王様ごっこ

 俺は、何者かに攫われたという哀れなお姫様を救出するため――

 犯罪組織のアジトである、この地下施設の居住空間へと、転移の魔人アシュラフを伴い、静かに侵入している。


 そして、その奥の部屋で、世にも奇妙な光景を目の当たりにした。


 一人の可憐な少女が、太ったみっともない男に馬乗りになり、その、はち切れんばかりの巨大な尻を、革の鞭で何度も繰り返し叩いている――という場面だ。


「必ずうまくいくと、豪語していましたわよね、あなた? それなのに、あの劇場からは――結局、何も出てこなかった。これでは、お兄さまやお姉さまの宿敵を排除できませんわ! 何のために、わたくしが“誘拐されてあげた”と思っているのですかッ!?」


 びしっ!

 鞭が空気を切り裂く鋭い音。


 部屋に、乾いた音が響き渡る。


 事前に、俺の下僕であるアシュラフから聞いていた通りの状況のようだ。

 リリアーナ姫は自由を与えられ、誘拐犯に丁重にもてなされている。


 内容は、かなりエスカレートしているが――

 概ね、合っている。


 『アースガルド王国の天使』リリアーナ姫。

 彼女は表向き、この犯罪組織に捕らわれているが、実際には、まるでこの組織の主であるかのように、尊大に振る舞っていたらしい。


 手足の拘束もされておらず、この地下施設で最も豪華な部屋を与えられ、日々、贅沢な食事を提供されているようだ――と。


 その報告を受けていたので、彼女の身の安全については心配していなかった。


 だが、まさか――

 このような倒錯的な状況になっているとは、思いもしなかった。


 俺は焦らず冷静に、この情景を見て、自分のやるべきことに着手している。

 彼女たちの様子を、あらかじめ懐に忍ばせておいた撮影用の魔道具で、音も立てずに記録に収めていく。


「こうなったら、もう仕方がありません! 最終手段です!! あの忌々しいグリムロックの屋敷に手勢を差し向けて、力ずくで制圧してしまいなさい!」


「そ、そうしたいのは、やまやまなのですが……。ですが、女王様。あの屋敷の警備は、噂以上に厳重ですし、何より得体のしれない凄腕の警備兵を多数雇っている可能性が非常に高いのです。現に、あのブランシュフォール辺境伯が送り込んだ暗殺者や、闘技場の支配者ゾルタン・レックスが差し向けた密偵たちも、こともなげに返り討ちにされています。下手に藪をつついて蛇を出すようなことになりかねませ……うひぅっ!」


 彼が必死に話している、その最中に――

 リリアーナ姫の無慈悲な鞭が容赦なく、その巨大な尻を捉えた。


 ビシッ!!


 すると、その男は、まるで歓喜するかのように、喜びの雄たけびを上げた。


「あ、ありがとうございます! 女王様ッ!!」


 彼女は、女王ではなく、お姫様なのだが。

 まあ、この場では、そういう設定の『女王様』ということなのだろう。


 やがて、彼女は飽きたように男の背中からすっと立ち上がり、近くの椅子に優雅に座ると、テーブルの上の紅茶に手を伸ばした。


「今日のお仕置きと、ご褒美はここまでです。あの男のアジトが、こちらの想像以上に厳重な警備を敷いているということは、よく分かりました。爆弾で殺そうとしても、平然と生き延びて。腕利きの暗殺者を放っても、いとも容易く返り討ちにして。密偵を放って様子を探ろうにも、すぐに気づかれてしまう。……それで、次はどうするのです?」


「……正直に申し上げますと。も、もう、我々には、打つ手は……」


 男は、何かを期待するような、ねっとりとした視線を姫に向けながら、四つん這いのまま、そう言いよどむ。


「お仕置きは、もう、してあげませんわよ?」


 リリアーナ姫の、そのあまりにも無慈悲な一言に、男は心底がっかりしたように、その巨大な肩を落とした。


 実に、哀れなものだな。

 まさか、あれが“本物”の裏社会の情報王だとは。


 そう――

 裏社会の情報王、イグナツィオ・ヴァラキア。


 アシュラフがこの施設を事前に内偵調査した結果、本物の情報王は、今、俺の目の前で無様に四つん這いになっている、この恰幅のいい、豚のような男だということが判明したのだ。


 これまで俺が相手をしてきた、あの蛇のように狡猾で冷徹な男は、どうやらイグナツィオの“情報王という役”を演じていた影武者だったらしい。


 俺は、それからもしばらくの間、優雅にお茶を楽しむ幼いお姫様と、顔から脂汗を滝のように滴らせている“本物の情報王”の奇妙な会話を、盗撮しながら盗み聞きしていた。


 そして、十分すぎるほどの動かぬ証拠を記録してから――

 俺は静かに、行動を開始する。



 ***


 裏社会の実力者と、純真無垢なお姫様。

 どうして、このような交友関係が生まれたのか。


 お姫様の方から近づいたのか――

 それとも、イグナツィオからか。


 おそらくは、イグナツィオの方から贈り物をするなり、情報を提供するなりして、リリアーナ姫に接触し、少しずつ交友関係を構築していったのだろう。その過程で、“女王様と豚”が誕生した、というわけだ。


 俺は、四つん這いのおっさんの、その背後に音もなく近づくと、そのたるんだ背中に、人差し指で、そっと触れる。そして、『睡眠』の状態異常を付与する魔力を、その体内へと静かに流し込んだ。


 どさっ!


 鈍い音が響き、イグナツィオは糸が切れたように倒れこんだ。

 リリアーナ姫は、その音に驚いたように、辺りを鋭い視線で警戒する。


 俺は、そのタイミングで、気配遮断の魔法を解除した。


「――お迎えに上がりました。お姫様」


 俺は、まるで舞台の上に立つ役者のように、芝居がかった口調で、そう言った。


 最初はこの事件に、直接介入する気はなかったが――

 アシュラフの報告を聞き、考えが変わった。


 情報王とリリアーナ姫のタッグは、危険すぎる。


 当初の予定通り、セレナ・クリスタルライトにこの場所の情報を渡し、彼女に姫を救出させた場合――誘拐犯として、イグナツィオが捕まることになる。

 王家に捕らえられた情報王が、俺に関する“疑惑”を売り渡すことは、容易に予想できる。


 下手をすれば、誘拐事件の黒幕は俺だ――

 などと、言い出しかねない。


 それに、この地下施設は裏社会の中枢ともいえる場所だ。

 いろんな意味で、事件の解決現場がここではまずい。


 リリアーナは、この場所から引き離さなければならない。


 俺はちらりと、倒れて眠っている男を見る。

 こいつが苦労して手に入れた『天使』を奪ってしまうのは、少しばかり可哀そうだなとは思うが――やむを得ない。


「この、わたしが来たからには、もう、何の心配もありません」


「くっ……! あなたは……!」


 リリアーナ姫は、その美しい顔を驚愕と、そして、剥き出しの敵意に満ちた目で、歪ませながら、俺のことを強く睨みつけていた。


 お可愛いことだ。


 どうやら俺の、この華麗なる救出劇は、彼女にとっては、あまり歓迎されていないらしい。


 当然か。

 何しろ俺は、彼女の大好きな姉と兄を脅かす、この世界のラスボスなのだから。

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