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第90話 天使のお使い

 俺たちが劇場の豪華な特別室で、食後のデザートとショーを楽しんでいるところに、リリアーナ姫の護衛騎士――セレナ・クリスタルライトが再び姿を現した。


 どうやら彼女は、主君である姫君の到着に先駆けて劇場入りし、事前に警備状況やこの部屋の安全性を徹底的にチェックするらしい。


「リリアーナさまからのご命令です。姫様は後ほど、王宮の警備兵に厳重に守られながら、馬車でこちらにおいでになります」


 まあ、あの凄惨な爆破事件のすぐ後の会談だ。

 これくらい慎重になるのも、無理はない。


 自分が犯人なのだから、危険がないことは分かっていたとしても――

 慎重さを装うのは当然だろう。


 もちろん、俺の方も万全の態勢を整えている。


 こっちは実際に危害を加えられたのだから、警戒態勢は最大限に強化している。

 鷹の獣人ホークスには、劇場の上空から周囲の状況を見張らせていた。

 仕事をさぼってばかりの面倒臭がりな獣人は、いつものように「へいへい」と文句を言いながらも、今は真面目に任務に就いている。


 捨て駒としても使えるエルフ族のカイルには、劇場周囲の巡回を命じてある。

 妖しい奴がいれば、攻撃してかまわないと伝えてある。


 転移の魔人アシュラフは、屋敷の警備につかせている。

 俺の留守を狙って、向こうを攻撃してくる可能性もあるからだ。


 あの可憐な『爆殺天使リリアーナ様』が、今度は一体どんな奇想天外な手で俺を攻撃してくるか――

 まったく予測がつかない以上、こちらの備えも万全にしておくべきだ。


「お食事がまだでしたら、セレナ殿の料理もご用意いたします」


 リリアーナ姫とは会食を行うわけではないので、彼女の分の食事まではあらかじめ用意していない。だが、ここの優秀なスタッフに命じれば、何か気の利いたものをすぐに出してくれるだろう。


「いえ、お気持ちは大変ありがたいのですが、今は任務中ですので。私のことは、どうかお気になさらずに、皆様はどうぞごゆっくりと、お料理をお楽しみください」


 セレナは実に真面目で、いい子だ。


 俺には、無邪気に人を爆殺しようとしたリリアーナよりも、よっぽど彼女の方が“天使”と呼ばれるにふさわしいように思える。月の光を思わせる銀色の髪が、落ち着いた淡い照明の中で、静かに煌めいていた。


「でしたら――劇場内をご覧になりたいのであれば、私が直々にご案内いたします。

 関係者以外は立ち入りできない場所も、ここには多くございますので」


「いえ、滅相もございません。グリムロック様のお手を、これ以上煩わせるわけにはいきません」


 ――随分とストイックだな。

 彼女とは距離を縮めたいのだが。


 俺はすっと立ち上がり、彼女の美しい手を取った。

 ひんやりとした手の甲が、俺の指先に触れる。


「俺のことは、これからは、どうぞ『ゼノス』とお呼びください」


 とりあえず、口説いておくことにした。


 セレナは、俺の真っ直ぐな目を見つめ、照れたように白い頬をぽっと赤らめる。


(……よし。これは、脈ありとみていいだろう)


 俺の背後から、三人の美しい女性たちの非難するような冷たい視線を感じるが――今は完全に無視だ。


「あっ、あの……! で、では、私のことも、どうか、セレナとお呼びください……ゼノス様」


 その可愛らしい受け答えからは、俺に対して満更でもない感情が、はっきりと伝わってきた。


 それから俺は、少しばかり不機嫌になった三人の女性たちのご機嫌を取りながら、残っていた料理をゆっくりと平らげた。


 やがて、階下のショーも終焉し、客たちはまばらに帰っていく。

 広い店内には、後片付けをするスタッフと、会談の行われる地下室をチェックしていたセレナだけが残っていた。


(それにしても、この時間に待ち合わせとは……本当に大丈夫なのか? 幼い姫君は、もうとっくに“お眠”の時間だろうに)


 俺たちが、地下にある防音設備の整った貴賓室で、主役であるはずのリリアーナ姫の到着を今か今かと待っていると――外を見回っていたカイルから、緊急の呼び出しが入った。


 店の周囲に、王家の騎士団が物々しい雰囲気で大勢詰めかけているらしい。

 そして、その騎士団を率いているのは――


 この国の第一王子、リアムだということだった。

 


 ***


 店の外は、一変して緊張感に満ちていた。煌々と輝く街灯の下、ずらりと並んだ騎士たちが、凍り付くような空気を放っている。


「――これは一体、どういうことですかな? リアム殿下」


 俺は店の外に出て、騎士団を率いるリアム王子に静かに問いかけた。


「ゼノス・グリムロック。貴殿に、我が妹リリアーナ誘拐の嫌疑がかかっている。大人しく、この劇場の中を隅々まで調べさせてもらおうか」


 ……ん、誘拐?

 一体、何を言っているんだ、こいつは。


「お待ちください。誘拐の嫌疑と言われましても――リリアーナ姫の方から、今夜この場所での会談を提案され、我々はただ、お待ちしていたところです。何かの間違いではないのですか?」


 何がどうなっているのか、さっぱり分からない。


 だが、いずれにせよ、この要請は断る一手だ。

 この店の中を、ずかずかと捜索されるのは単純に気分が悪い。それに、この劇場にはザハラ王国の本物の王女姉妹が、身分を隠して働いているのだ。


 【変身の指輪】で姿を変えているので、おそらく問題はないだろう。

 だが、他にもエルフや獣人を何人も雇っている。

 何らかのきっかけで、彼らの存在が王家の騎士団に知られる危険がある。


 それは避けたいところだ。


 後は、劇場の地下にある隠し部屋に、来るべき反乱のための軍資金として、大量の金貨と銀貨を積み立てている。


 そのことも、出来れば知られたくはない。


 行方不明の王女姉妹。

 エルフや獣人との、不明瞭な関係。

 隠し部屋の存在と、そこに眠る大量の硬貨。


 いずれも法に触れるようなものではない。

 ――のだが、すべて、出来れば隠しておきたいものではある。


「たとえ、リアム殿下からの直々のご要請であったとしても、そのような、根も葉もない王女誘拐の疑惑だけで、この私有施設を捜索される、というのは、いささか筋が通りませんな。どうか、お引き取り下さい」


 たとえ相手が王子と言えども、正当な理由なく、高位貴族である俺がオーナーを務める、この施設の強制捜査など、できるはずがないだろう。

 俺は、我がグリムロック家の威光を盾に、王子のその理不尽な要請をきっぱりと拒否した。


 リアム王子と俺は――

 夜の劇場の前で、静かに、しかし激しく睨み合った。

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