第88話 天使の言伝と騎士への誘惑
寝室でエレノアとリーリアと戯れていた、まさにその時。
来客を告げられた俺は、身支度を整え、応接室に入った。
重厚な扉を開け、光の差し込む部屋へと足を踏み入れる。
リリアーナ姫の護衛騎士、セレナ・クリスタルライトが椅子からすっと立ち上がり、丁寧な挨拶を始めた。
彼女の肩まで届く美しい銀色の長い髪は、まるで月の光を溶かしたかのように、清らかな輝きを放っている。その所作の一つ一つに、名門貴族としての品格が感じられた。
「突然の訪問、大変申し訳ございません、グリムロック様。本日は、先日の事件のお見舞いと、我が主、リリアーナ殿下からの言伝をお届けにまいりました」
「……言伝、ですか」
やはり、あの天使の皮を被った爆殺少女は、まだ俺を殺すのを諦めてはいないらしい。
(やれやれ。次は一体、どんな手を使ってくるのやら)
俺は彼女に着席を促してから、その向かいのソファにゆっくりと腰を下ろす。
その隣には、先ほどまで寝室で共にいたエレノアが、何食わぬ顔で座っていた。
「まあ! エレノア様もこちらにいらっしゃっていたとは。ご挨拶が遅れ、大変申し訳ありません」
セレナは、エレノアの今日の予定までは把握していなかったようだ。
「それで、リリアーナ様からの言伝というのは? エレノア様がこの場に同席していても、構いませんか?」
念のため、もう一度お伺いを立てる。
疚しい企みがあるのなら、余人に聞かせるなと言い含めている可能性もある。
「はい、もちろんです。聞かれて困ることではありません。我が主リリアーナ様は、グリムロック様との会談の席を、ぜひとも、もう一度設けたいと、そう考えておいでです」
確かに、一見すると聞かれて困る内容ではない。
だが、あの“爆殺天使”がそのような誘いをかけてきたということは――
(やはり、俺を殺すのをまだ諦めていないと見るべきか……)
「あの凄惨な爆破事件の、すぐ後だというのに、ですか?」
それとなく探りを入れる。
「だからこそ、なのだそうです。『あのような卑劣な妨害があったということは、戦争の継続を望む過激派にとって、わたくしとゼノス様との会談は、それだけ大きな脅威なのだということの、何よりの証明です。で、あれば、我々は決してテロなどに屈せず、和平への道を共に探らなければなりません』と、姫様は強く仰られていました」
――ほう。
年の割に、上手いことを言うじゃないか。
「……いいでしょう。その会談、謹んでお受けいたします。それで、日時はいつに? 場所はどこで?」
下手にこの申し出を断って、まったく予想外の不意打ちを食らうよりは――
相手の誘いに乗った方が、ある程度こちらの心構えができる状況で、事を進められる。
「もしよろしければ、グリムロック様がオーナーを務めていらっしゃるという、あのレストラン【砂漠の星】を使わせていただければと考えております。それも、今夜。……大変急な申し出となってしまいますが、いかがでしょうか?」
なるほど。
会談場所としては、申し分ない。
だが、俺の所有するレストランを使うとなると、前回のように事前に爆発物を設置することは不可能になる。
あの“爆殺天使リリアーナ様”としては、それでいいのだろうか?
それとも、俺を殺す以外に、何か別の狙いがあるのか?
疑問は尽きないが――
虎穴に入らずんば虎子を得ず、だ。
「分かりました。最高の席をご用意しておきます」
話はまとまった。
そこに、それまで黙っていたエレノアが、口を出してきた。
「そういうことなら、私も、その会談に同席しよう」
俺は別に構わんが、リリアーナ姫の方はどうなのだろうか。
セレナの目をじっと見て返答を促すと、彼女は少し考えた後、こう答えた。
「……はい。おそらく、問題ないかと存じます。リリアーナさまには、私の方から、その旨をご報告いたします」
「では、エレノア様の席も、用意させておきます」
セレナの用件はこれで終わった。
彼女は姫への報告のため、すぐに王宮へ帰ることとなった。
俺は馬車まで彼女を見送るために外に出る。
そして、彼女が馬車に乗り込む瞬間、その白く美しい手を取り、エスコートした。
「ご丁寧に、ありがとうございます、グリムロック様」
「いえ。あなたのような、美しい方の側に、一秒でも長くいたかった。ただ、それだけですので」
そう言って、セレナの手の甲に優しく口づけをした。
彼女の頬が、見る見るうちに赤く染まっていく。
あの爆殺事件でうやむやになってしまったが、今回の俺の本当の狙いは、このセレナ・クリスタルライトなのだ。
俺の突然のアプローチに、セレナはひどく慌てふためいていたが、その表情は満更でもない様子だった。
(これは、あの映像で脅さなくても、十分に脈があるかもしれんな)
俺は、リリアーナ姫の相手をしながら、このうぶな護衛騎士を同時に攻略することにした。
「……貴様は、本当に、節操がないな」
一部始終を見ていたのだろう。
背後から、エレノアが非難する、冷たい声をかけてきた。
どうやら嫉妬しているようだ。
――やれやれ、仕方のない奴だな。
俺は彼女に近づくと、その腰にぐっと手を回し、強く抱きよせる。
「お前の方こそ。夜の予定も空けていたとはな。今日は一日中、この俺に愛されたかったと見える――節操のないお姫様だ」
「ば、馬鹿を言うな! これは、その、たまたまだ! たまたま、今日の予定が、空いていただけだ! 誰が、貴様などに……!」
ばしぃいいいんんッ!!!
「んぎぃいいい♡」
グリムロック邸の、手入れの行き届いた庭に、乾いた音が響き渡った。
いつものように、見苦しい言い訳をするエレノアに、いつの間にか、俺たちの後ろに控えていたリーリアの、愛の仕置きが入ったのだ。
「リーリア。ここは、寝室ではないぞ」
「……大変、申し訳ありません、ご主人様。この雌豚に対する衝動を、どうしても、抑えられませんでした」
俺がたしなめると、リーリアは深々と頭を下げて、謝罪した。
「まったく。メイドの躾けは、主人の務め――俺を煩わさせるとは、まったく」
俺はエレノアを放し、今度はリーリアを優しく抱きしめる。
そして、その豊かな尻を、愛情を込めて、軽くはたいてやった。
ぱしぃん!
「あぁんっ♡ お仕置き、ありがとうございます、ゼノス様っ」
リーリアは、心から嬉しそうに、そう言って反省を表明する。
そんな俺たちの、仕置きを口実にしたラブラブな様子を――
エレノアが、ひどく憮然とした表情でじっと見つめていた。
その瞳の奥に、わずかな羨望の色が浮かんでいることに――
俺は、もちろん、気づいている。




