第83話 天使の『おままごと』
今日は休日で、学校は休み。
そしてこの日は――
先日、手紙を受け取った“王国の天使”と称される、純真無垢な幼い姫君との初めての会談が予定されている。
リリアーナ姫に会うため、俺はグリムロック家の紋章が刻まれた馬車に乗り、王宮へと向かっていた。
天気は、雲一つない晴れ。
窓から差し込む日差しが、やけにまぶしい。
馬車の窓枠に反射した光が、眩しく視界をちらつく。
俺は、心地よく馬車に揺られながら、これから会うリリアーナ姫を、いかにして俺の支配下に置くか、その方法について考えを巡らせていた。
(……なかなか、難しいな。相手が、クーコやルミアのような獣人であれば、圧倒的な強さを見せつければ、それで一発なんだが)
だが、いくら俺でも――
まだ幼い人間の姫君に、いきなり手を出すような無粋な真似を、考えているわけではない。
何とかして、お姫様の方から、俺に好意を抱かせることができれば、俺の『専用奴隷』へと、自動的になってくれるはずなのだが、その具体的な方法が、どうにも思い浮かばなかった。
そういえば、リリアーナ姫の姉であるエレノアは、いつの間にか、俺の『専用奴隷』になっていた。
正直、彼女がいつ俺に惹かれたのかは分からない。
きっかけも不明だが、気づけば俺に心を寄せていたようだ。
俺は闘技場での戦闘時、【変身の指輪】を使って正体を隠し、『漆黒の魔剣士』として何度も彼女と接触していた。
ひょっとすると、正体不明のミステリアスな魅力、そして共に戦う中で、心を奪われていたのかもしれない。
……まあ、いい。
下手に小難しい計画を立てなくてもいい。
この俺は、素で、けっこうカッコいいのだ。
何とかなるだろう。
(案外、会ったその瞬間に、お姫様が、俺に一目ぼれする、なんてことも、十分にありえるしな)
俺は、そんな楽観的なことを考えながら、馬車に揺られていた。
***
王宮に着くと、大勢の使用人たちの、丁重な出迎えを受けた。
豪華な内装と、磨き上げられた床が、王家の権威を物語っている。
そして、そのまま、会談場所である、お姫様の私室へと通された。
(まずまずの歓待ぶりだな)
だが、少し気になったのは、その出迎えの列にも、そして、通されたこの会談場所にも、肝心のお姫様本人の姿が、なかったことだ。
お姫様の代わりに、俺の相手をしてくれているのは、彼女の護衛騎士、セレナ・クリスタルライトだった。
「申し訳ございません、グリムロック様。リリアーナさまは、ただいま、お着替えの最中でして。本当は、こちらでお出迎えするご予定だったのですが、グリムロック様がお見えになる、その直前に、どうしても、ドレスを変更したい、と申されまして」
「いえ、お気になさらないでください。姫君のお気に召すまで、いくらでもお待ちしますよ」
どうやら、俺と会うために、わざわざお色直しまでしてくれているらしい。
てっきり、子供のおままごとの延長かと思っていたが――
お姫様は、かなり本気で、この会談に臨んでくれているようだ。
俺は、彼女とこれまで一度も会ったことはないはずだ。
だが、リリアーナ姫は、どこかで俺を見かけていたのかもしれない。
夜会か、何かのパーティーで、すれ違った瞬間――
その時、彼女は俺に一目惚れしてしまったのだろう。
それで、大好きな兄や姉の真似事として、『和平のための交渉』というもっともらしい建前を掲げ、恋い焦がれる俺と会うために、この会談を自らセッティングした。
……おそらく、そんなところだ。
俺は、今回のこの“イベント”の背景を、そう予測した。
しばらく待っていると、一人のメイドが部屋に入ってきて、護衛騎士セレナ・クリスタルライトを外へと連れて行った。
おそらく、着替えを終えた姫の護衛として、彼女を迎えに行ったのだろう。
つまり、今この部屋には、俺ひとりだけ。
仮に、俺がこの部屋で、姫の下着を漁ったとしても、誰にもバレることはない。
もちろん、そんな無粋な真似をするつもりはない。
だが、してもバレない――
という状況ではある。
『天使』とまで称される清純可憐な姫が、どんな装いを身につけているのか。
正直、興味はある。
だが、覗こうとは思わない。
俺は紳士だからな。
俺は、静まり返った姫の部屋を、ぐるりと見渡した。
いかにも、女の子の部屋、といった感じだ。質素ながらも、一つ一つの調度品は、最高級の品で揃えられている。高価そうな品ばかりだが、そのデザインは、華美すぎず、可愛らしいものに、上手く統一されていた。
タンスはあるが、そこに下着がしまってあるとは限らない。
何せ、お姫様なのだ。
衣服は、別の――
専用の衣装部屋に、まとめて保管してある可能性も高い。
もし、ちょっとした好奇心で、俺がタンスを開けている、まさにその瞬間に、リリアーナ姫が部屋に入ってきたとしたら。彼女の、百年の恋も、その一瞬で、木っ端微塵に砕け散り、完全に冷めてしまうだろう。
俺は勧められた椅子から一歩も動かずに、お姫様の到着を静かに待った。
視線を壁の絵画に移す。
花束を抱えた天使の絵が、こちらを見下ろしていた。
……まるで、俺の心を見透かしているようだ。
十分くらい、待たされただろうか。
(……それにしても、少し、遅いな。それに、何か、妙だ)
俺の心の中に、ほんのわずかな――
しかし、無視できない違和感が、芽生え始めていた。
(……なんだ? なにか、おかしい。この部屋に入ってきてから、使用人たちの足音が聞こえない。この部屋に、俺以外の人間がいないだけでなく、その周囲の部屋や、廊下にも、人の気配が、ずっと、全くないような……?)
俺が、部屋の周囲に、意識を集中させていると、ふと、部屋の中に漂う、微かな、焦げ臭いにおいに気づいた。
……なんだ、この匂いは?
そう思った、次の瞬間だった。
凄まじい衝撃が空気を裂き、壁を砕き、床を跳ね上げた。
爆風が唸りを上げて吹き荒れ、無数の金属片が嵐のように舞い、その場にいた者へと容赦なく襲いかかり、死へと至らしめる。
悲鳴を上げる間もなく、鋭利な破片が肉を裂き、血が舞い散った。
純粋無垢な天使の部屋は――
一瞬で、地獄と化した。




