第79話 魔界の姫と支配の証
俺が、呆然とする魔界の姫――
ルシフィールのもとへ、ゆっくりと歩みを進めていた、その瞬間だった。
背後に、冷たい殺気が走る。
部屋の隅で沈黙していた、メイド姿の魔人の少女――ミュリルが、再びその身に殺意を宿し、音もなく俺に襲いかかってきた。その両手には、先ほどまでは見えなかった暗殺用の暗器。闇に溶け込むような、細身のクナイが、鋭く構えられている。
狙いは、首筋。
致命的な一撃だった。
だが俺は、服の下に常に仕込んでいた護身用の小手で、それを弾き返す。
キンッ――
甲高い金属音が、静寂を切り裂いた。
カンッ、カン、カンカン――
俺の周囲で、金属がぶつかり合う甲高い音が、連続して響き渡る。
着地した瞬間から、彼女の猛攻は止まらなかった。
両手に逆手で握った短いクナイが、嵐のような斬撃となって襲いかかる。
俺は、両腕に仕込んだ護身用の小手で、そのすべてを受け止めていく。
――流石は、お姫様の懐刀。
その実力は、疑いようもなく本物だ。
強い。
息もつかせぬ物理攻撃の合間に、彼女は小規模ながら極めて高威力の魔法を、巧みに織り交ぜてくる。閃光のような魔力が、斬撃の隙間から鋭く走る。
だが、どれほど高威力であろうと――
魔法攻撃なら、俺の【魔封印】に任せておけばいい。
俺は、ただ目の前の、無数のクナイの斬撃にだけ集中する。
そして――
彼女が大技を繰り出そうとした、その瞬間。
ほんのわずかに、体のバランスが崩れた。
その一瞬の隙を、俺は見逃さなかった。クナイを握る彼女の右手首を、ガシッと掴む。ひんやりとした肌の感触が、掌に伝わる。
その華奢な体に、俺の膨大な魔力を直接流し込む。痺れ――相手の自由を奪う、状態異常付与の魔法だ。ミュリルは、強力な魔力を秘めた魔人。だが、俺の魔力は、それを凌駕する。
彼女の動きを完全に止め、戦闘能力を奪い――
俺は、行動不能にすることに成功した。
俺は、ぐったりとした彼女の体を、そっと抱き上げる。
そして今度こそ、魔界の姫――ルシフィールのもとへ、ゆっくりと歩みを進めた。
「……その子を、どうする気ですか?」
彼女は、緊張した面持ちで問いかけてくる。
その声には、かすかな震えが混じっていた。
「危害を加えるつもりはありませんよ。最初に申し上げた通り、俺はあなたに挨拶をするために来た。そして、あなたと――じっくりと意見交換がしたくてね」
俺は、腕に抱えていたミュリルを、彼女の主君が眠るベッドの上へと、そっと横たえる。その体からは、かすかにお漏らしをしたような匂いが漂っていた。
(……痺れの魔法で、身体の制御が効かなくなったか)
申し訳なさを覚えながらも、俺は静かに、姫との交渉へと臨む。
俺は、ルシフィールの細い腕を取り、有無を言わせず、その体を抱き寄せた。
――ここからは、多少強引にいく。
「きゃっ……! 無礼なっ!」
か細い抗議の声。
だが俺は、それに構わず、震える彼女の体を、慈しむように優しく撫でる。
そして、彼女の背に広がる二対の翼へと、そっと手を伸ばした。
片方は、天使のような純白の翼。もう片方は、悪魔のような漆黒の翼。どちらにも、柔らかな羽毛が生えている。
「天使の羽に、魔人の翼……。実に、美しい」
「……これは、魔王だった父と、天使だった母が、私に残した唯一の形見です」
なるほど。
どうやら彼女は、前魔王と、その魔王がどこかで捕らえた、哀れな天使との間に生まれた、禁断の子供、ということらしい。
俺は、そのあまりにも美しく、そして、どこか儚い身体がとても愛おしくなった。そして、夢中になって愛で始める。
「……そういう、あなたは、一体何者なのですか? 人間、ですよね? どうやって、この魔界に、入り込んだのですか? ここまで、誰にも気づかれずに、この寝室に忍び込むなんて……ん、あっ!」
「あなたに、会いたくて。ただ、夢中で、ここまでやってまいりました」
俺は、どこまで彼女に情報を開示すべきか、まだ決めかねていた。
彼女との今後の関係が、まったく見通せない以上、今はあえて曖昧に返しておく。
「……答えに、なっていません」
当然、彼女は怒る。
だが、俺はその抗議に耳を貸さず、震える彼女の体を、翼ごと優しく抱きとめる。純白と漆黒の翼が、俺の腕の中でわずかに揺れる。俺は、彼女の拒絶を受け止めながらも、言葉では届かない想いを、静かに伝えようとした。
それは、心を通わせるための『対話』
――互いの存在を確かめ合う、静かな交感。
やがて、痺れで動けなかったミュリルも意識を取り戻し、距離を保ちながらも、会話に加わる。三人の間に、少しずつ、時間を忘れるほどの静かな親交が芽生えていく。
俺は、突然現れた得体の知れない人間の男。
彼女たちが、そう簡単に心を許すはずもない。
それでも、言葉と行動を重ねながら、少しずつ信頼を築いていくしかない。
そして――
俺の、女性を深く思いやる紳士的な心遣いが、功を奏したのか。彼女たちの心にも、やがて前向きな変化が芽生え始めた。
三時間ほど、共に過ごしただろうか。
種族こそ違えど、言葉を交わし、互いの思いを重ねることで、彼女たちは俺への警戒を、完全に解いてくれていた。
そして、彼女たち二人の、白く滑らかな下腹部には、いつの間にか、俺の『専用奴隷』の証が、淡い光を放って、くっきりと刻まれていた。
その証は、ただの契約の印ではない。
彼女たちの魔力と俺の魔力が混ざり合い、新たな絆を紡いだ証。それは、彼女たちの心と体を、俺に深く結びつけた。
「ゼノス様……あなた様は、わたくしの、味方なのですよね?」
ルシフィールの声には、もはや不安の震えはなかった。
まるで子犬のように俺を見上げるその瞳には、揺るぎない信頼が宿っている。
「もちろんです、ルシフィール」
「……姫様を、もし裏切れば、その体を八つ裂きにするからな」
「案ずるな。俺がルシフィールを裏切ることなど、決してありえん。これからは、共に彼女を守ろう――ミュリル」
俺は、腕の中で幸せそうに寄り添う二人を、改めて、強く、強く抱きしめた。
それは、甘く、そして静かな誓いだった。
(魔界の王座を狙うオルカスの動向を探るためにも、魔界の情勢を知る彼女たちとの協力関係は不可欠だ。この世界が、これからどう転がるかはわからないが――)
俺は、心の中で、そっと呟く。
(……まあ、何とかなるだろう)




