第78話 魔界の姫と消滅の光
「何者か、と聞いているのです」
魔界の姫、ルシフィールは、その漆黒の瞳の奥で、黄金の瞳孔を鋭く光らせ、ものすごい警戒心で俺を睨みつけていた。そこには好奇心もあるが、それは好意的なものではなく、「敵」の正体を探っているという類のものだ。
あれ?
好感度が、やけに低いな?
俺の、最高にクールで紳士的な登場シーンは、どうやら完全にスベったらしい。
おかしい、と思ったが、よくよく考えれば、俺は彼女の寝室に、何の断りもなく忍び込んでいる、ただの不審者だ。この状況から意味深な会話の応酬が始まるのは、物語の世界の中だけらしい。
彼女のこの反応は、至極まっとうなものだろう。
むしろ、悲鳴を上げて衛兵を呼ばないだけ、かなり抑制的に話をしてくれている方だ。
まずは、聞かれたことに、素直に答えるか。
「これは失礼いたしました。私は、ゼノス・グリムロックと申します。ルシフィール様と、ぜひとも友好な関係を築きたいと思い、こうして馳せ参じた次第です」
自分で言っていて、かなり無理があるかな、と思ったが――
ルシフィールは意外にも、ひとまず様子を見ることにしたようだ。
「……そうですか。では、詳しいお話を、あちらで伺いましょう」
彼女は、寝室の奥にある豪奢なテーブルセットの方へと、その美しい顔を向け、そう言った。
椅子に座って、話を聞いてくれるらしい。
ここまで、誰にも見とがめられることなく、この城のど真ん中に、やすやすと入り込んできた、謎の相手。下手に騒いで衛兵を呼ぶよりも、まずは自分自身で、俺という人間から情報を引き出すことにしたのだろう。
なかなかに、胆力のある姫君だ。
彼女との関係を、今後どうしていきたいのか。
正直、俺は全くのノープランでここまで来てしまったが、まあ、こうして話しながら、それを考えるのも悪くはない。
俺は、彼女に促されるまま、テーブルの方へと、ゆっくりと歩いていく。
その時だった。
ひゅごっ!!
俺の真横、完全な死角から、鋭く、そして極めて高威力の魔力の塊が、こちらに向けて放たれた。それは、空気の裂けるような音と共に、一瞬にして俺の元へ迫る。
だが――
その魔法は、俺に届く前に、まるで幻のように、フッと霧散した。
俺の周囲には、あらゆる魔法を無効化する【魔封印】の力が、常に発動している。俺が無傷だったのは、そのためだ。もし、それがなければ、今の一撃で俺は死んでいただろう。
俺は魔法が撃たれてきた方向、部屋の隅の暗がりに、ちらりと目を向け話しかける。
「お姫様との甘い逢瀬を邪魔するとは……。随分と無粋なネズミが、この部屋には潜んでいたようだな」
漆黒の闇の中に、何かがいた。
音もなく姿を現したのは、一人の、魔人の少女だった。
年の頃は、まだ十代半ばといったところか。
小柄で、可憐な美少女だ。
肩までの漆黒の髪は、丁寧に切り揃えられ、艶やかに光を吸い込んでいる。
大きな黒い瞳の奥には、まるで宝石のようなエメラルドグリーンの瞳孔が、妖しく輝いていた。
彼女が身にまとっているのは、フリルのついたメイド服。
だが、その可憐な装いとは裏腹に、彼女の周囲には不吉な気配が漂っている。尋常ならざる魔力の波動が、静かに、しかし確かに空気を震わせていた。
――ただのメイドではない。
それは、誰の目にも明らかだった。
なるほど。
俺を始末させるために、ルシフィールは、わざわざ俺をあのテーブルへと誘導したのか。
「……まさか、ミュリルの隠密魔法を看破するだけでなく、攻撃魔法まで打ち消すとは……。あなたは、本当に、一体何者なのですか?」
ルシフィールはベッドから静かに立ち上がる。
その両手に、光と闇――
相反する二つの魔力を同時に展開させ、俺に向けて手をかざした。
前魔王の娘、ルシフィール。
銀色の、どこまでも透き通るような長髪が揺れている。純粋無垢そのものを体現したかのような、絶世の美女。その肌は陶器のように白く、漆黒の瞳の奥では、黄金の瞳孔が爛々と輝いていた。
そして今、彼女の背から広がるのは、先ほどまで隠されていた二対の翼。
片方は純白の天使の翼。もう片方は、漆黒に染まった魔の翼。
(左右で色が違う……?)
彼女が今、構築している魔法は――俺の知る限り、どんな魔法とも異なる。
まったく未知のものだ。
光と闇。
相反する二つの属性を、同時に融合させるなど……。
「この魔法は、相殺など不可能。聖魔を融合し、すべてを消滅させる。――さあ、消えなさい!!」
彼女の言葉と共に、俺の周りの空気が、奇妙に歪み始めた。
俺は、彼女の構築した魔法に、内心、本気で焦りを覚えていた。
(いや、ちょっと待った。『消滅魔法』!? それは、俺の【魔封印】で、果たして霧散させることができるのか? 出来なきゃ、【魔封印】の能力ごと、この世から消滅させられてしまうんじゃ……!?)
分からない。
だが、これに頼るしかない。
こちらが軽いパニックに陥っている間に、ルシフィールの魔法は完成していた。
そして俺に向けて、漆黒と純白が混じり合った、禍々しくも美しい光が放たれる。
ズオオオッ!!
俺は、周囲に展開していた【魔封印】の有効範囲を、即座に最大まで広げた。
不思議な輝きを放つ、その究極の魔法。だが、それは俺を捉えることができなかった。光が俺の【魔封印】の領域に触れた瞬間――まるで、最初から存在しなかったかのように、跡形もなく霧散したのだ。
部屋に、沈黙が訪れた。
残されたのは、俺たちの呼吸音だけ――
それが、やけに大きく、耳に刺さる。
ルシフィールは呆然と立ち尽くしていた。
驚愕に見開かれた瞳。俺に向けられたままの手。
その指先が、かすかに震えている。彼女の切り札は、確かに霧散した。
その事実が、彼女の自信を、静かに、しかし確実に崩していく。
「そ、そんな……っ! 信じられない……! 私の切り札……すべてを消滅させる、この魔法を打ち消すなんて……!」
その声は、震えていた。
怒りでも、恐怖でもない。
――混乱。
彼女の中で、何かが崩れ始めている。
(……ふう。危なかった。マジで、助かったぜ)
俺は、内心で安堵の息をつく。
だが、その感情をすぐに押し殺し、表情を無機質なものへと戻す。
今、彼女は揺らいでいる。
――ならば、仕掛けるのは今だ。
「やれやれ。お転婆が過ぎるお姫様には……少しばかり、お仕置きが必要かな?」
俺は、ゆっくりと歩き出す。
確かな足取りで、ルシフィールへと向かって。
一歩、また一歩。
そのたびに、俺の漆黒の瞳が、わずかに赤く染まり始める。微かに揺らめく妖しい光が、瞳の奥で脈打つように灯る。
特に意味はない、魔力による演出だが……。
これは、きっとカッコいいはず。
さあ――
ここからは、俺の反撃の時間だ。




