第72話 三つ首の魔獣と三つの戦場
ゴォォォン……!
巨大な鉄の鐘が打ち鳴らされ、その重々しい響きが、観客で埋め尽くされた円形闘技場「アビス・コロシアム」全体を揺らす。いよいよ、鉄と血の祭典、その決勝戦の火蓋が切って落とされた。
俺たちの陣形は、俺が単独で前衛、その左右後方にエレノアと、巨大な黒豹の姿となったクーコが控えるトライアングルフォーメーション。
対する敵チーム「鋼鉄の獣王」は、前衛に三つの首を持つ巨大な魔獣・地獄の門番ケルベロス。後方には、そのケルベロスを操る重戦士の司令塔ヴァルカンと、同じく巨大な豹へと獣化したネルフェルが静かに控えている。
先に動いたのは敵チームだった。
ケルベロスの三つの頭のうち、中央の首が、不気味に赤黒く光る喉を大きく開く。次の瞬間、喉の奥から噴き出した灼熱の炎の奔流が、一瞬にして闘技場の大気を歪ませながら、俺たち目掛けて襲いかかってきた。
まるで溶鉱炉から溢れ出るような、圧倒的な熱量を持つ炎だ。
その熱波は、数メートル離れた俺の肌すらジリジリと焦がし、観客席からも悲鳴にも似た歓声が上がった。
「いきなりこれかよ。だが……」
俺は迫りくる炎に向け、ゆっくりと右手をかざす。
すると、手のひらの先で空間が揺らぎ、まるで巨大な滝が見えない壁にせき止められたかのように、炎は音もなく完全に霧散していく。
灼熱の奔流は、俺の指先に触れることなく、まるで最初から存在しなかったかのように消え失せた。
『う、うぉおおおおーっ!? なんと、漆黒の魔剣士ゼノス! ケルベロスの地獄の業火に、たった一人で立ち向かい、完全に防いでいるーっ!』
実況の声が驚愕に震え、闘技場に響き渡る。
敵も観客も、まさかケルベロスの最大火力が、こうも簡単に無効化されるとは予想していなかっただろう。敵陣を縦に蹂躙する範囲攻撃、たいていの相手なら、あれで相手の陣形を両断できている。
初手は空振りに終わった。だが――
間髪入れず、敵は次の手を繰り出してきた。
今度は、ケルベロスの右の首が天を仰いで咆哮する。凍てつくような冷気が闘技場を満たし、会場には急速に白い霧が形成されていく。
「二人とも、自分で対処しろ!」
俺の叫び声と同時に、上空から降り注いだのは、無数の氷の槍だった。
一本一本が人の背丈ほどもある巨大な氷の塊が、雨のように、いや、まるで天から降り注ぐ矢のように降り注ぐ、広範囲殲滅型の魔法だ。
俺の【魔封印】が効果を発揮するのは半径2メートル。
全てを無効化することはできない。
俺が正面の攻撃を防ぎながら、背後にいる二人を見る。
エレノアは、その軽い身のこなしと、夜空に舞う蝶のように華麗な剣技で、降り注ぐ氷の槍を的確に弾き、かわしていく。彼女の剣が氷とぶつかるたびに、澄んだ金属音が鳴り響き、破片がキラキラと光を反射しながら飛び散った。
クーコは巨体ゆえに避けきれないが、その分、強靭な肉体を持つ獣人族の驚異的な自己回復力で耐え抜くつもりだろう。氷の槍がクーコの分厚い毛皮に突き刺さり、深々と傷を刻む。しかし、クーコはびくともせず、その傷は見る間に塞がっていく。
――後衛の心配は無用。
氷の雨が止むと、今度はケルベロスの左の首から、天を裂くような白い稲妻が俺目掛けて降り注いできた。再び【魔封印】で稲妻を霧散させると同時に、俺は一気にケルベロスとの距離を詰める。
「……これも防ぐか」
敵の司令塔ヴァルカンが、小さく呟いたのが聞こえた。
ケルベロスの攻撃に呼応するように、敵の獣人ネルフェルも動いた。
後衛のエレノアとクーコ目掛け、凄まじいスピードで突進してくる。その巨体から放たれる風圧が、土煙を巻き上げながら、まっすぐに二人の元へと向かっていく。
「クーコ、頼む!」
「ガァァァッ!」
クーコは、その突進を正面から受け止めた。
ガキンッ!
獣人同士の牙と爪が、ぶつかり合う鈍い音。
二体の巨大な豹が、互いの鋭い爪を深々と身体に立て、顎を噛み合わせ、激しくもつれ合う。その激突の隙を、エレノアが見逃すはずがなかった。
「そこだっ!」
彼女は音もなく敵の側面に回り込み、クーコとの力比べで動きが止まったネルフェルの脇腹に、容赦なく剣を突き立てる。
***
一方、俺はケルベロスとの近接戦闘に突入していた。
俺に届く寸前で霧散する魔法の極彩色の光が、視界の端で瞬く。
ケルベロスの左右の首が、俺を消滅させる勢いで、無差別に魔法を放ち続けているのだ。氷の塊が、雷の閃光が、まるで嵐のように周囲を吹き荒れる。
しかし、俺の周囲、半径2メートルだけは、奇妙なほど静かな無風状態が保たれていた。
敵の重戦士ヴァルカンは、魔法に巻き込まれないように十分な距離をとり、ケルベロスを操ることに専念している。
実質的には、ケルベロスとの一対一の戦いだ。
「……くっ、何なんだ、あいつは――」
苛立ちを隠せないヴァルカンの声が聞こえる。
「魔法を防がれるのであれば……」
吹き荒れる魔法の嵐の中、それまで沈黙を保っていたケルベロスの中央の首が、再び俺に向かって巨大な顎を大きく開く。
――物理攻撃か。
闇のように深い喉の奥に並ぶ、一本一本が剣のように鋭い巨大な牙が、俺の、すぐ目の前に迫る。
その口内からは、焦げ付くような硫黄の匂いが立ち込めていた。




