第71話 鋼鉄の獣王と決勝の舞台
ザハラの王女ファティマとレイラは、俺の側で生きることを選んだ。
これからも、この劇場で踊り子と歌姫として才能を輝かせてくれる。
彼女たちの母国ザハラ王国は、悪徳大臣カリム・アルハキムが実権を握り、彼女たちを溺愛する兄王子アジームの動向も読めない。今は下手に動かず、現状を維持するのが最善だろう。
俺は二人の部屋でわずかな仮眠をとった後、転移魔法で自邸に戻り、何食わぬ顔で学校へ向かった。
少し寝不足だったが、休むほどではない。
その日は一日、退屈な授業を真面目に受けた。窓から差し込む陽の光が、平凡な日常を映し出していた。
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非合法の闘技場【奈落の底】。
年に一度の鉄と血の祭典、『アビス・コロシアム』で順調に勝ち進んだ俺たち、チーム『ロイヤル・ファントム』は、ついに決勝戦へと駒を進めていた。
今年の優勝賞品を誰にも渡す気のなかったゾルタンは、決勝にこのチームを控えさせている。
決勝の相手は、この闘技場の支配者ゾルタン・レックスが、莫大な私財と裏社会のあらゆるコネクションを惜しみなく投入して結成した、無敗の王者チームだ。
ゾルタンは、俺の下僕であるアシュラフの、さらにその下僕。
命令すれば、相手チームにわざと負けさせたり、優勝賞品の獣人族の姫を戦う前に引き渡させたりすることも可能だ。
だが、そんな真似をする気は毛頭ない。
不自然な八百長は、必ずどこかで誰かの疑念を招く。それは、俺が予想しない新たなシナリオを生むリスクを高めるからだ。
何よりも、このゲームのラスボスたる俺が、そんなセコい真似はできっこない。
堂々と、正面から、その圧倒的な実力で優勝して見せる。
それだけだ。
決勝戦の開始を前に、奈落の底は異様な熱気に包まれていた。
天井の見えない巨大な空間には、所狭しと観客席が設けられ、そこから湧き上がる怒号、嬌声、手拍子が渾然一体となり、まるで巨大な生き物の咆哮のようだ。
鉄骨が軋む音、酒の匂い、獣の臭い、そして興奮した観客たちの汗の匂いが混ざり合い、独特の雰囲気を醸し出している。照明はギラギラとリングを照らし出し、その周囲の観客席は、熱狂的な興奮の色に染まっているように見える。
リングの中央。
スポットライトを一身に浴び、俺たちは最後の敵と静かに向き合う。
俺の隣には、いつも冷静なエレノアと、どこか楽しげに尻尾を揺らすクーコ。
二人の瞳の奥には、静かな自信が宿っている。これまで数々の強敵を打ち倒してきた、揺るぎない経験がそうさせているのだろう。
対峙するチームの名は、【鋼鉄の獣王】。
そのチームの司令塔、ヴァルカンは、まるで彫像のように微動だにせず、こちらを睨みつけている。
分厚いプレートアーマーは、磨き上げられているわけではないが、無数の傷跡が歴戦の勇士であることを物語る。顔に走る深い傷は、彼の辿ってきた苛烈な戦いを静かに語りかけてくるようだ。
手にした巨大なモーニングスターは、その重量を感じさせないほどに、彼の屈強な腕に馴染んでいる。その冷たい眼光は、獲物を定める猛禽のようだ。
そして、ヴァルカンの背後。
漆黒の巨体が、威圧感を放っている【地獄の門番・ケルベロス】。
三つの頭はそれぞれ異なる方向を向きながら、真っ赤な目で周囲を警戒している。口元からは、時折、三つがそれぞれ異なる息遣いを漏らし、空気がかすかに揺らぐ。炎の熱、氷の冷気、そして微かに刺激臭を伴う雷の粒子が、その存在を周囲に知らしめる。
その巨体を取り巻く分厚い毛皮は、光を吸収し、より陰鬱な印象を与える。
最後の一人、豹の獣人ネルフェルは、ヴァルカンの右に控え、全身を黒いローブで覆っているため、その全貌は窺い知れない。
だが、時折、ベールの隙間から覗く目は、不気味な光を宿している。
獣化前の人間形態であるにもかかわらず、その細い体からは、隠された素早さと鋭利な爪の存在を予感させる。まるで影のように、音もなく地面に立っている姿は、彼女が熟練した暗殺者であることを示唆している。
観客席の一部からは、「鉄の王!」「ケルベロス!」といった、相手チームへの熱狂的な声援が飛ぶ。彼らは、この無敗の王者に絶対的な信頼を寄せているのだろう。
しかし、その中に混じって、俺たちのチーム、『ロイヤル・ファントム』への期待の声も上がっている。「ロイヤル・ファントム、やってくれ!」「あの魔獣をぶっ倒せ!」と、挑戦者である俺たちに、一縷の望みを託す者たちもいるようだ。
「司令塔であるヴァルカンを先に潰したいところだが、そうすれば制御を失ったケルベロスがどう動くか、全く予想できん。やはり、先に、あのデカブツを倒す必要があるな」
俺の言葉に、隣に立つエレノアが静かに頷いた。
彼女の双眸は、ケルベロスの三つの頭を冷徹に分析している。クーコは、俺の肩の上で小さく唸り、すでに戦闘モードに入っているようだ。その金色の瞳は、神経質な興奮の色を帯びている。
「そうだな。で、あれの相手は、誰がやるのだ?」
「当然、俺だ。三種類の属性が異なる魔法のブレスはかなり厄介だが、俺ならば何とか対応可能だ」
俺の【魔封印】の前では、いかなる魔法も無力。余裕で対応できるのだが、ここではあくまで「何とかできる」程度の、絶妙なニュアンスで説明しておく。
「となると、クーコが、あの豹の獣人の相手をし、私が、あの重戦士の相手をする、ということか」
「ああ、そうだ。クーコが豹に押し負けることはないだろう。エレノアは、防御力の高い相手を無理に仕留めようとせず、奴の注意を引き付けることに専念してくれ」
俺は、エレノアと、肩に乗るクーコに最後の指示を伝えた。
クーコの金色の瞳が、獲物を狙うように鋭く輝く。
「了解した」
「にゃー」
俺たちの短い作戦会議が終わるのを見計らったかのように、実況が、マイクに割れんばかりの声で叫んだ。
『さあ、皆さん、お待ちかね! いよいよ、年に一度のこの祭典、血と鉄の交錯する日がやってきた! 今宵、栄光を掴むのは一体誰だ!? 無敗の王者【鋼鉄の獣王】か! それとも、我々の前に現れたる新星、【ロイヤル・ファントム】か! 最終決戦が今、始まる!!』
その声は闘技場全体に轟き、観客のボルテージを最高潮へと導く。
『いよいよ決勝戦が始まるぞ!! さあ、野郎ども、準備はいいかぁ! これより、鉄と血の祭典【アビス・コロシアム】、決勝戦! 試合開始だぁあああ!!!!』
試合開始を告げるゴングが、今、高らかに鳴り響いた。
その重い金属音が、幾千の鼓膜を震わせ、俺たちの戦いの火蓋を切って落とす。




