第68話 砂漠の王子と恋敵の慢心
俺は今、ザハラ王国のアジーム王子に招待され、学園内にある彼の専用サロンにいた。窓からは傾きかけたまばゆい陽光が差し込み、磨き上げられたアンティーク家具の木目が鈍く光る。
ふわりと香るアロマと、遠くで聞こえる学園の喧騒が混じり合う、どこか現実離れした空間だ。その重厚な空気が漂うサロンで、アースガルド王国の第一王子、リアムも同席し、重要人物による三者会談が行われていた。
それにしても、このアジーム王子。
彼は、俺が知るゲームの物語には、一切登場しなかったキャラクターだ。
砂漠の王国ザハラといえば、ゲームの中ではリアム王子と明確に敵対する勢力だったはずだ。両国の戦争を継続させることで交易路を独占し、莫大な利益を得る。その価値を守りたいために、常に戦争継続派に裏から力を貸していたのだ。
そして、当時のザハラ王国の実質的な指導者は、善良な王族などではなく、悪徳大臣のカリム・アルハキムだった。
その悪徳大臣、年齢は五十代半ば。
贅肉のついた恰幅の良い体格は、厚手のローブの下でも見て取れる。口元には常に丁寧だがどこか胡散臭い笑みを張り付け、その指には、これ見よがしに金の指輪がいくつも輝いていたのを思い出す。
カリムはザハラ評議会の中でも特に発言力の強い有力部族の長の一人であり、交易路の管理と、そこから上がる莫大な税収を司る大臣の職にある男。リアム王子にとって、彼は倒すべき敵でしかなかった。
だが、今、俺の目の前にいるアジーム王子は、そのカリムとは真逆の、高潔な和平推進派だ。彼の涼やかな目元には一点の曇りもなく、砂漠の王族特有の精悍な顔立ちが、その誠実さを裏打ちしているかのようだった。
こんな人物が、ザハラにいたのか。
そして、そいつが表舞台に登場してきた。
……おそらく、俺が転生者としてこの世界で好き勝手に動き回っているせいだろう。そのせいで、本来のゲームの歴史には存在しなかった、新たなイベントが次々と生まれているのかもしれない。
――まあ、何が原因でこうなったのかは、ここで今、考えてもわかりはしない。
俺にとって言えるのは、敵が増えた、ということだ。
少しばかり厄介なことになったな、とは思う。
だが、気に病むほどのことでもない。結局のところ、ザハラの中で、今もなお、最も強い力を持っているのは悪徳大臣のカリムであることに違いはないのだから。アジーム王子の存在は、とりあえず放置でいい。
俺は頭の中で思考を切り替え、口元に薄く笑みを浮かべた。
せっかくの機会だ、少し遊んでいくことにしよう。目の前には恋敵であるリアム王子がいる。敵情視察も兼ねておきたかった。
「ところで、リアム殿下。殿下は、少しも心配にはならないのですか?」
俺の唐突な問いに、リアムは僅かに眉を上げ、翡翠の瞳を不思議そうに瞬かせた。
「……なんのことかな、ゼノス君」
「もちろん、あなたの婚約者であるエリザベート姫のことですよ。年頃の美しい婚約者が、俺のような得体の知れない男の元に、こうも頻繁に通い詰めているのですよ? 普通、心配になるものではありませんか?」
通い詰めているといっても、実際には二週間に一度くらいの割合だが、それでも普通の婚約者であれば気が気ではないはずだ。
だが、リアムは、その完璧な笑顔を微動だにさせずに、実に余裕のある態度で答えた。その笑みはどこか挑戦的で、俺の心を読み取ろうとしているかのようだ。
「なに、私は君と違って、愛する婚約者を、些細なことで束縛したくはないのでね。それに、そもそも心配など無用だよ。彼女は、『魔力ゼロ』の君に、男としての魅力など、それこそ欠片も感じてはいないだろうからね」
彼は、俺を見下すように、言葉を続けた。
その口調は、まるで無価値な石ころを見るかのように冷淡だ。
「彼女が、君の元に足繁く通っているのは、あくまでも両国間の『和平』を実現するため。そのための、純粋な政治活動だ。仮に、万が一、君が劣情に踊らされて、彼女に襲いかかったとしても、簡単に返り討ちにされるだけだろうしね。優れた魔術師である彼女に、君が敵うのかな?」
魔力ゼロの人間が魔力を持つ人間を襲えば、確かにそうなるだろうな。
俺が、本当に、ただの魔力ゼロであれば、だが。
どうやらリアムは、俺とエリザベートのことを疑うどころか、心配すらしていないようだ。むしろ完全に俺のことを舐めきっている。
だったら、もう、遠慮はいらないな。
……最初から、遠慮はしていないが。
あの気高い姫様は、心置きなく、このまま俺が美味しく頂いておくとしよう。
俺は、口元に一層深い笑みを刻んだ。
俺が内心でそうほくそ笑んでいると、隣にいたアジーム王子が、清らかな響きを持つ声でリアム王子を嗜めた。
彼の穏やかな眼差しが、リアムへと向けられる。
「リアム殿下。あまり、そうやって、人を馬鹿にするような物言いをするものではないですよ。……済まなかったね、グリムロック殿。こちらから招いておいて、気分を悪くさせてしまった」
アジームにそう言われ、リアム王子は少しばかりばつが悪そうな顔をしていた。
きまり悪げに視線を逸らす。
二人とも、基本的には育ちの良い、善良な人間なのだろう。
この中で、一番の悪人は、間違いなくこの俺だ。
何しろ俺は、このゲームの、本来のラスボスなのだからな。
それに、俺に対する悪口など、今さら気にもしない。
実際に俺は、彼の美しい婚約者を恋の虜にして、完全に寝取ったばかりの、紛れもない大悪党なのだから。
でもまあ、そのことに関しては、以前リアム王子本人が、直々に「惹かれ合うのは自然の摂理」と言っていたので問題はない。彼自身が立派なお墨付きを与えてくれていることだし、今さら気にしなくてもいいだろう。
こうして、俺とアジームとリアム。
それぞれの思惑が複雑に渦巻く、奇妙な三者会談は、静かに幕を閉じたのだった。




