第61話 魔剣士ゼノスと王女エレノア
ワァァァァァッ!!
地鳴りのような大歓声が、円形のコロシアムを揺らした。
土埃が舞い上がり、鉄と血の匂いが鼻腔をくすぐる。
観客の視線が降り注ぐリングの中央で、俺とエレノアは、初戦の相手【鉄血の傭兵団】の3人と静かに向き合っていた。周囲の喧騒は、まるで遠い幻のように意識の端に追いやられる。
敵の中央に立つのは、全身を分厚い鋼鉄の鎧で固めた重装戦士ゴォルガス。
黒ずんだ鉄の表面には無数の傷跡が深く刻まれ、使い込まれたその肩当ては鈍い光を放っている。
担がれた両手剣は、まるで巨大な墓標のように地面に突き立てられ、ずっしりとした威圧感を放っていた。
歴戦の猛者であることは、その立ち姿だけで否応なく伝わってくる。高い防御力と、一撃必殺の重さが彼の持ち味だろう。
向かって右にいるのは、身軽な革鎧の弓使いリガルドン。
しなやかな身体は常に重心を低く保ち、今にも飛びかかりそうな野獣のようだった。腰の矢筒からは、毒々しい緑色をした矢羽根が何本も覗く。
奴の動きは俊敏で、正確無比な射撃で援護するスナイパータイプ。厄介な状態異常攻撃も仕掛けてくるに違いない。
そして、左に控えるのは、灰色のローブをまとった魔術師グレン・マルガーン。
フードの奥の顔は見えないが、その指先からは微かに魔力の揺らめきが感じられた。空気がわずかに震えるような錯覚。
攻撃魔術と防御魔術を巧みに使いこなし、チームの攻防を支える司令塔だ。
「いいか、エレノア。俺が中央のゴォルガスを相手にする。お前は、まずあの弓使いから片付けてくれ」
「魔術師が先ではないのか? 連携を崩すなら、術者を叩くのが定石だろう」
隣に立つエレノアが、凛とした声で当然の疑問を口にする。
彼女の視線は、既に獲物を定めるかのように弓使いに向けられていた。
「ああ、問題ない。敵の魔術には、俺が対処する。お前は自分の仕事に集中しろ」
俺は自信に満ちた笑みを浮かべ、腰の剣を静かに抜きはらった。
抜き身の鋼の刃が、コロシアムの強い照明を反射して眩く輝く。その鋭利な輝きは、来るべき戦いの始まりを告げているかのようだ。
エレノアは一瞬訝しげな顔をしたものの、すぐに「ふん」と鼻を鳴らすと、同じく剣を抜き、指示通りに弓使いリガルドンとの距離を猛然と縮め始めた。
その動きは、まるで風を切る刃のように淀みない。
「……くっ!」
焦る弓使いは、大きく後ろに下がりながらエレノアに向けて矢継ぎ早に矢を放つ。
ヒュン、ヒュン、と風を切る鋭い音が耳をかすめるが、エレノアはそれを、まるで邪魔な虫でも払うかのように、剣で軽々と弾き飛ばしていく。
カキン、カキンと乾いた音がリングに響く。
流石は、王家最強の剣士。
その剣捌きには寸分の迷いも感じられない。
俺もまた、中央の重装戦士ゴォルガスとの距離を一気に詰めた。
キィィン!
甲高い金属音が、コロシアム中に響き渡る。
俺の剣と奴の両手剣が激しく火花を散らした。
火花が散るたびに、周囲に焦げ付くような金属の匂いが広がる。
重装戦士の後方では、魔術師グレンが、すでに大規模な攻撃魔法の詠唱を開始している。彼の指先からは、薄紫色の魔力が糸のようにたなびき始めていた。
「なかなか、やるな、小僧」
ゴォルガスの低い声が、ぶつかり合う剣の音の合間に響く。
「お前こそ、見かけ倒しではないようだな」
俺とゴォルガスの一進一退の攻防が続く。
身軽な俺が攻撃を仕掛け、重量のあるゴォルガスがそれを的確に受け止める。
互いの剣がぶつかり合うたびに、鈍い衝撃が腕に伝わってきた。
ゴォルガスも受けるばかりではなく、隙を見て攻勢に出る。
奴の重い一撃を捌くたびに、地面が微かに振動する。
やがて、魔術師の魔法が完成した。
彼の頭上に、灼熱の炎でできた巨大な球体が、ゆらゆらと不気味に揺らめく。
それは、まるで小規模な太陽が落ちてきたかのような、圧倒的な熱量を放っていた。肌を刺すような熱気が、数メートル離れた俺にも届く。
「下がれ、ゴォルガス!」
巻き添えを避けるため、重装戦士が俺と素早く距離を取った。
そして、俺に向けて、その灼熱の魔法が放たれる。
ドゴォン! と空気さえも燃やすような轟音が響き渡り、炎の塊が一直線に俺へと向かってきた。
観客席から、悲鳴と歓声が入り混じった、どよめきが上がる。
勝負はついた。
誰もがそう思っただろう。
だが、俺は、迫りくる炎の塊に向かって、ただ、ゆっくりと左手を振りかざした。観客には、その左手が炎を受け止めたように見えただろう。
次の瞬間、あれほど猛威を振るっていた魔法は、まるで幻であったかのように、何の音も立てずに霧散した。
一瞬にして熱気が消え失せ、冷たい風が頬を撫でる。
別に、手をかざす必要などない。
俺の持つ特殊能力【魔封印】は、俺の周囲の魔力を自動で無効化するのだから。
しかし、これは演出だ。
俺が敵の魔法を「何らかの特殊な方法」で打ち消したように、観客に見せつけるための――
「なっ、なにぃっ!? き、きさま、一体、何をした!!」
魔術師グレンが、信じられないものを見た、という顔で叫んでいる。
その顔は蒼白で、目を見開いて俺を凝視している。
「いや、なに。単純なことだ。お前の魔法の構造を瞬時に解析し、それを打ち消すための、全く逆の性質を持つ魔力をぶつけ、受け止めたまでだ」
もちろん、そんな芸当、俺にできるはずもない。
この世界の誰であっても、無理だろう。
何しろ俺がこの場で適当にでっち上げた、大嘘だ。
わざわざ解説する必要などないのだが、俺は観客の思考を誘導するために、あえてそう教えてやった。神秘性を高め、余計な詮索を排除できる。
それに――
その方が、大会が盛り上がるだろう。
「そんな魔法が……あるというのか……」
重装戦士ゴォルガスも、驚きを隠せないでいる。
その目には、確かに動揺の色が浮かんでいた。
俺の嘘は、十分に効果があったようだ。
【魔封印】。
それは、俺の魔力がゼロであることと表裏一体の、俺だけの能力だ。
今の俺は、【変身の指輪】で姿を変え、『敗北のゼロ』ゼノスとは別人ということになっている。
だが、それでも、なるべくなら「魔法を消せる」というのは、隠しておきたかった能力の一つだった。
「まあ、仕方ないか」
この能力をある程度知られてしまうリスクを負ってでも、この大会で手に入れたい優勝賞品があるのだから。
それに、今の状況なら、この程度のリスクは許容範囲だろう。
俺がそんなことを考えていると、ゴォルガスの捨て身の猛攻が襲い掛かってきた。
奴は、まるで壊れた人形のように、ただひたすら両手剣を振り回す。
一撃、また一撃と、重い剣が空を裂く。
「こうして、手数を増やせばどうだ! 貴様の、その小賢しい魔法の発動を、妨害してやる!」
魔術師も、気を取り直して、再び魔法の構築に入っている。
今度は、先ほどよりも小規模だが、明らかに速度を重視しているのが見て取れた。指先に集まる魔力が、先ほどよりも速いペースで光を強めていく。
「近くにいれば、お前も巻き添えを食うぞ」
「構わん! 刺し違えてでも、まず貴様を倒す! そうすれば、二対一だ!」
見上げた根性だ。
その覚悟は買うが、残念ながら。近接戦闘でも、俺が勝つ。
俺は、【魔封印】の有効範囲を、半径二メートルまで最大に広げた。
これまで互角に打ち合っていた俺たちの攻防が、その瞬間、劇的に変化する。
ゴォルガスの剣から、目に見えて力が消えた。
彼の身体能力を強化していた魔力が、俺の領域に触れた瞬間、完全に霧散したのだ。まるで、水の中から魚を上げたかのように、奴の動きがぎこちなく、鈍重になる。
俺は、その隙を逃さず一気に押し込んでいった。
重装備で動きの鈍い敵を、容赦なく追い詰めていく。
ゴォルガスの額には、汗が滲んでいた。
そして、ついに魔術師の二発目の魔法が完成する、まさにその寸前だった。
ヒュッ、と風を切る鋭い音がしたかと思うと、魔術師の背後に、いつの間にか回り込んでいたエレノアが、その美しい剣閃で、魔術師の首筋に、強烈な峰打ちを食らわせた。
ガクン、と魔術師の体が力なく崩れ落ちる。
その場に倒れ伏す音は、観客の歓声にかき消された。
弓兵リガルドンは、近接戦闘もそれなりにこなせたようだが、エレノアには到底かなわなかったのだろう。
リングの端で、すでに泥のように倒れ伏しているのが見えた。
エレノアの最後の一撃で、魔術師もまた、ぐらりと崩れ落ちた。彼のローブが砂埃を巻き上げ、静かにリングに横たわる。
三対二という、圧倒的に不利な状況――
だが俺たちは、まるで赤子の手をひねるかのように、歴戦の傭兵チームを圧倒してみせた。
俺たちの、完全勝利だ。
観客席から、割れんばかりの歓声が、まるでシャワーのように俺たち二人に降り注いでいた。その音は、勝利の美酒のように心地よく、全身に染み渡る。




