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第56話 血の祭典と新たな戦力

 俺が立つのは、地下深くに広がる非合法の闘技場【奈落のアビス・ピット】。淀んだ空気には血の匂いが微かに混じり、観客たちの熱狂的な叫び声が、常に低い唸りのように響いている。


 この血と欲望の渦巻く場所で、俺は時折、エレノアを剣闘士として試合に参加させていた。


 彼女の剣が煌めくたび、観客席からどよめきが起きる。

 それはまるで、飢えた獣たちが餌に群がるかのような興奮ぶりだ。


 俺たちのチーム名は『ロイヤル・ファントム』。


 そのオーナーである俺が受け取るファイトマネーは、一試合で六百金貨。

 試合に使うモンスターはこちらで用意しているので、その分、基本ギャラは高く設定されている。


 エレノアは無給で働かせているし、モンスターは召喚魔法で呼び出しているので、報酬は全て俺の懐に入る。さらに、賭けの胴元である闘技場の収益から、賭けられた総額の1%が、チームオーナーの取り分になる契約だ。


 俺たちが提供する、手に汗握る逆転劇の連続は、観客から絶大な人気を博しており、毎回大成功を収めていた。


 観客を熱狂させれば賭け金も増える。その日の賭け金の総額に応じて、ロイヤル・ファントムには、三千から五千金貨の成功報酬が上乗せされる。


 耳に響く歓声と、金貨のざわめきが心地良い。

 


 ***


 闘技場の支配人――ゾルタン・レックス。その鋼のように鍛え上げられた体躯からは、ただ者ではない威圧感が滲み出ていた。表情からは何を考えているのか読み取れないが、儲け話に執着しているのは明らかだ。


 一晩で百万金貨以上が動く年に一度の一大イベント【アビス・コロシアム】。

 そこに俺たちのような人気チームが参戦すれば、観客が投じる賭け金もさらに膨れ上がるだろう――


 彼はそう踏んでいるに違いない。



 ***


 【アビス・コロシアム】はトーナメント方式で、チームは三人一組。


 敵チームを全滅させるか、降参させれば、次の試合に進める。

 そして、過酷なトーナメントを勝ち上がったチームが、最後に、ゾルタン・レックスが作り上げた『奈落の底』最強のチーム、【鋼鉄の獣王アイアン・ビーストキング】と戦うことになる。


 その最終決戦に勝利すれば、晴れて優勝となり、その年の優勝賞品を手にすることができる、というわけだ。



 そして、今年の大会の優勝賞品は、なんと――

 獣人族の姫だった。


 名前は、ルミア・セクレッド。

 ルミアは、百獣の王たるライオンの獣人。


 さらに極めて珍しいことに、その毛並みは、雪のように真っ白なのだという。

 光を反射する純白の毛並みが、容易に想像できた。


 お姫様という血統の上に、希少種。

 当然、裏社会の人間たちが、喉から手が出るほど手に入れたがるだろう。


 もし、闇オークションに出品されれば、五十万金貨以上の値が付くのは固い、と言われている。


 俺がファーマとリーラを八十万金貨という狂った値段で競り落としてしまったので、それよりは低いが、あれは例外中の例外。


 その例外を除けば「史上最高額」を更新するとまで噂される「商品」だ。


 だが、俺の目的は、金儲けでも、お姫様コレクションでもない。

 優勝して、そのルミア姫の身柄を確保し、獣人族へと丁重に返還する。


 それを手土産に、獣人族との同盟のきっかけにできれば、それでいい。


 政治的な思惑が、俺の頭の中を占めていた。

 この策が上手く行けば、今後の計画にも大きな弾みとなるだろう。



 ***


 そんな俺の深謀遠慮など、知る由もないエレノアは、ゾルタン・レックスが控室から去った後で、案の定、文句を言ってきた。


 彼女の顔には、苛立ちがはっきりと浮かんでいる。

 空色の瞳が不満げに揺れていた。


「おい、きさま! また勝手な約束を……! 私は、王女としての公務で、日々忙しいと言っているだろう!!」


 甲高い声が控室に響く。

 いかにも生真面目な王女らしい抗議だ。


 けれど、知ったことではない――


「スケジュール調整くらい、何とかしろ。お前は、黙って俺の言うことに従っていればいいんだ」


 俺は、そう言って、ギャンギャンと騒ぐエレノアに、いつものお仕置きをしてやった。手加減無しの、愛の鞭だ。


「んっ……んぎゃうっ♡」


 エレノアが、嬉しそうな悲鳴を上げて、その場に崩れ落ちる。

 床に散らばった汗が、わずかに光を反射した。


 彼女の顔に浮かんだ恍惚とした表情は、何度見ても飽きない。

 実に、結構なことだ。


 

 ***


 闘技場を出て、馬車に乗り込む。

 ゴトゴトと揺れる車内で、遠ざかる闘技場の喧騒が薄れていった。


 泥と血の匂いが混じった熱気が、徐々に澄んだ空気に変わっていくのを感じる。

 そして、緑豊かな庭園が広がるグリムロックの屋敷へと戻った俺とエレノア。


 エレノアは、ここから王城へと帰還する。


 彼女を乗せた馬車が、石畳を滑るように進み、門の向こうに消えていくのを見送った後、俺は中庭に、専用奴隷のミナと、黒猫の獣人クーコを呼び出した。


 午後の柔らかい日差しが、庭の芝生に長い影を落としている。

 風が木々の葉を揺らし、ささやかな音を立てていた。


「御用でしょうか、ご主人様」


 ミナの澄んだ声が響く。

 彼女の目は、いつものように俺を真っ直ぐに見つめていた。


「にゃー」


 ミナの足元で、子猫のクーコが、可愛らしく鳴いた。


 小さな黒い塊が、きょとんとした目で俺を見上げている。

 まだあどけなさの残る瞳だ。


「今回用があるのは、クーコだ。今度、闘技場で開かれる大会に、チームで戦うことになってな。お前を、その戦力として加えることにする」


 獣人は、魔力を操るのは苦手だが、その身体能力は、人間を遥かに凌駕する。

 獣化形態ともなれば、なおさらだ。


 今のクーコの獣化形態は、ただの子猫に過ぎない。

 だが、俺の膨大な魔力を直接供給すれば、その身は、大人の猛獣に負けないほどの力を得るだろう。


 その秘めたる可能性を、今、引き出す。


 俺は、ミナからクーコを受け取ると、その小さな体に、直接、俺の魔力を流し込んでいった。


 掌から熱い魔力の奔流が流れ込み、クーコの体が震え出す。


「うにゃぁぁぁあああああ~~~~~~」


 クーコの体は、眩い光に包まれ、見る見るうちに巨大化していく。


 光が強すぎて、思わず目を細めたくなるほどだ。

 耳朶を打つような、動物の唸り声とも悲鳴ともつかぬ音が響き渡る。


 そして、光が収まった時、そこには俺の背丈をゆうに超える、巨大な黒豹のような猛獣が、そのしなやかな体躯を横たえていた。


 毛並みは夜の闇のように艶やかで、筋肉の隆起がはっきりと見て取れる。

 漆黒の毛皮は陽光を吸い込み、鈍い光沢を放っていた。


「わあ……! すごいです、クーちゃん! とっても、かっこいい!!」


 ミナが、目をキラキラと輝かせて、はしゃいでいる。

 その声には、純粋な喜びと興奮が溢れていた。


「乗ってみるか?」


 俺が、そう水を向けると、ミナは「はいっ!」と、満面の笑みで返事をした。


 子供は、こういうのが好きだろう。

 この反応は予想通りだ。


 俺は、ミナの小さな体をひょいと持ち上げ、クーコの背に乗せてやる。

 クーコの毛並みは柔らかく、温かかった。


 ミナを乗せたクーコは、その巨大な体躯に似合わず、優雅な足取りで、広大な庭をゆっくりと散歩し始めた。


 その姿は、まるで絵画のようだった。


(うん。これなら、戦力として申し分ないな)


 俺が、そう思って満足していると、ふと、視線を感じた。


 少し離れた場所で、俺の専用奴隷であるリーリアが、クーコに乗るミナの姿を、じっと、どこか羨ましそうに見つめていた。


 彼女の感情が表に出ることは稀だが、その瞳の奥に、微かな憧れのようなものが揺れていた。その小さな変化に、俺の興味が引かれた。


「……お前も、乗ってみるか?」


 俺がそう尋ねると、リーリアは真剣な眼差しで、こくこくと、何度も首を縦に振った。その熱意は、彼女にしては珍しいものだった。


 俺はリーリアを抱き上げて、ミナの後ろに乗せてやる。

 二人の少女を背に乗せたクーコは、彼女らの負担にならない速度で庭を駆けた。


 巨大な黒豹の背中に乗る、小さな少女たち。


 夕暮れ前の穏やかな光が降り注ぐ中、それは幻想的で平和な光景だった。

 その光景を見ながら、俺の心には静かな満足感が広がっていく。

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