第54話 帝国の姫と初めての痛み
約束の日、アドラステア帝国の姫、エリザベートが時間通りに我が家へやってきた。彼女は夜空を溶かしたような深い青色の髪を緩く編み込み、知的な琥珀色の瞳は、どこか遠い光を宿しているようだった。
その憂いを帯びた表情が、かえって彼女の美しさを際立たせる。
両国の和平のため、彼女は自ら進んで俺に身を差し出す覚悟で来たようだ。
もちろん、護衛のフレイヤも姫の背後にぴったりと付き従っている。
赤銅色の短い髪はぴたりと切り揃えられ、無駄なく引き締まった歴戦の兵士の体が、漆黒の騎士服に包まれている。彼女の鋭い視線が、まるで刃のように全身に突き刺さるが、俺は気にもしない。
「ようこそ、エリザベート様。お待ちしておりました」
「……来たくはありませんでしたが、これも両国の和平のため――仕方なくです」
ご立派な覚悟だ。
その気高さを存分に味わってやろう。
「きさま、姫様の尊いお体に、万が一にも傷をつけてみろ。その時は、遠慮なくその体をたたき斬るぞ」
護衛騎士のフレイヤが、物騒なことを言ってくる。
俺は彼女の髪に付けているカチューシャ型の魔道具【支配の首輪】に意識を集中させ、指先で弾くようなイメージで、微弱な魔力を流し込んだ。目には見えないが、微かに空間が歪むような感覚があった。
「ぐっ! ……ぐはっ♡」
フレイヤは膝から崩れ落ちそうになるのを必死に堪えている。
額には脂汗が滲み、悔しげに唇を噛み締めているのが見て取れる。
「懲りない奴だな。この俺に、生意気な口をきけば、どうなるか。お仕置きされるって、もう分かっているだろうに……」
ひょっとするとこいつも、エレノアと同じように、俺から痛みを与えられることに悦びを見出すタイプなのかもしれない。
「それに、『傷をつける』かどうかは、姫の身体の状況にもよる。俺とて、女性を無闇に傷つけたくはない。だが、もし『初めて』の場合は、いかんともしがたいからな。何せ、肉体的な意味での『初めて』は、相応の痛みを伴うものだろう? まあ、なるべく痛みのないようには、最大限配慮するつもりだが……」
俺がわざとらしくそう言うと、エリザベートとフレイヤの顔が同時にカッと赤く染まった。
エリザベートは、一瞬怯んだように琥珀の瞳を揺らし、フレイヤは顔を真っ赤にして、今にも飛びかかってきそうな形相だ。
「き、きさまっ! 姫様に向かって、何ということを!」
「あ、あの……! その、『痛み』については、心配には及びませんわ。わたくしは……すでに、婚約者であるリアム王子に、この身を捧げているのですから」
エリザベートは屈辱に耐えるように、しかしはっきりとそう告げた。
その声は、微かに震えている。
ほう。
やるじゃないか、リアム。
流石はゲームの主人公だ。
二人は正式な婚約者なので、それも想定の範囲内ではある。
彼女がこの場でリアムとの進展具合を開示したのは、俺の思い通りにはならない、というささやかな抵抗の意思表示なのだろう。
面白い。
実に、面白い。
だが、その抵抗も長くは続かない。
そんな気高い彼女が、俺との望まぬ営みによって、一体どう変わってしまうのか。じっくりと、楽しませてもらおうじゃないか。
俺はエリザベートを伴い、屋敷の奥にある寝室へと移動した。
廊下を歩く二人の足音が、静かに響く。寝室の扉は重厚な木製で、開かれるとひんやりとした空気が流れ出した。
もちろん、護衛のフレイヤは別室で待機だ。
「……早速、ですか? なんと見境のない方でしょう。これもせっかくの機会です。両国の和平について、まずは意見交換をさせていただきたいと思っておりましたのに」
「ふむ。確かに――ですがそれは、ベッドの中でもできるでしょう?」
俺の言葉に、エリザベートは心底軽蔑しきった冷たい眼差しを向けた。
その琥珀色の瞳には、一切の感情が見て取れない。
そして、こう宣言する。
「最初に言っておきますが、どれだけこの身体を汚されようとも、私の心が、あなたのものになることは、決してありませんわ」
言葉とは裏腹に、彼女の視線は俺の顔から体へと向けられ、微かに揺れていた。
それが期待か、それとも恐怖か。
どちらにせよ、彼女はすでに俺の掌の上だ。
***
数時間後。
俺たちは両国の和平について、実に有意義な意見交換を行った。
その『意見交換』がどれほど濃密なものであったかは、部屋に漂う甘い残り香と、少し乱れた彼女の髪が物語っている。
話し合いが終わり、彼女が帰る時間になった。
もっとじっくりと意見交換がしたかったが、帝国の姫である彼女のスケジュールは分刻みで詰まっている。残念だが、今日はお見送りするとしよう。
お姫様との会談をサポートしていた俺の専用奴隷、リーリアに声をかけ、エリザベートの身支度を手伝わせた。
俺は、まだ少し気怠げな様子のエリザベートの肩にそっと手を置き、優しく抱き寄せながら、共に寝室から出る。
彼女の髪から、甘い花の香りが微かに漂う。
「お帰りの時間だ。リーリア、フレイヤを呼んで来てくれ。来賓室で落ち合おう」
「かしこまりました」
リーリアがフレイヤの待機している部屋へと静かに向かった。
その動きは、まるで滑らかな水面のようだ。
「名残惜しいが、ここまでか。もっと君と深く語り合いたかったのだがな」
「……それならば、また、このような機会を設ければ、よろしいではありませんか」
エリザベートも、俺との『意見交換』の時間を存分に気に入ってくれたようだ。
その声には、先ほどの敵意など微塵も感じられない。
むしろ、どこか熱を帯びた、甘い響きが混じっていた。その瞳の奥には、新たな感情の火が灯っている。
エリザベートとフレイヤを見送るため、俺は彼女たちと共に屋敷の玄関の外まで出ていた。
夕暮れ時、西の空が燃えるようなオレンジ色に染まっている。
「きさま、いつまで姫様についてくる気だ! もう、約束は果たしたのだろう! これ以上、付きまとうのはやめろ!」
フレイヤが、相変わらず血走った目つきで吠えてくる。
俺は、また彼女にお仕置きをしてから、エリザベートと改めて向き合った。
「それで、次は、いつ会える?」
俺が熱のこもった視線でそう尋ねると、彼女は、恥ずかしそうに頬を染めながら、小さな声で答えた。
その顔は夕日に照らされ、ひどく熱っぽい。
「……また、すぐに、予定を調整いたしますわ」
その時、一陣の風が吹き、彼女のドレスの裾がわずかにめくれ上がった。
彼女の白い腹部には、すでに古の紋様が淡い光を放って浮かび上がっている。
それは、魂に刻み込まれた、抗いようのない支配の刻印。
――俺の、専用奴隷の証。
「ひ、姫様ッ!!」
もちろん、そのことを知る由もないフレイヤは、主君のあまりにも従順な態度に驚きの声を上げる。その声には、衝撃と絶望が入り混じっていた。
顔は蒼白になり、まるで目の前の現実を拒否するように、数歩後ずさった。
「フレイヤ……。これも、両国の和平のためなのです。そのためには、グリムロック様との、さらなる話し合いが必要ですから……」
エリザベートはもっともらしい言い訳をする。
その視線は、俺を一瞬だけ捉え、挑戦的な色を宿した。
もはや屈辱ではなく、微かな悦びすら感じ取れる。
「というわけだ。邪魔をしないでくれたまえよ、護衛騎士殿」
俺はフレイヤに向かって、勝ち誇ったように笑いかけた。
「ぐっ……ぐぬぬぬっ……!」
フレイヤは悔しそうに俺を睨みつけることしかできなかった。
その拳は、固く握り締められ、細かく震えている。
可哀想に。
彼女はまだ何も知らないのだ。
自分の主君が、心も体も、すでに俺のものになってしまった、ということを。
この光景が、彼女にとってどれほどの地獄か、想像するだけで胸がすく。




