第53話 生徒会長の裁定と拾った猫
「まったく……朝から、一体何をしているんだ、君たちは」
肌を刺すような、しかし呆れの色を帯びた声が響いた。
俺とアルドリックの間に割って入ってきたのは、王立魔法学園の制服が翻る生徒会長、エレノア王女だ。その声には、冷たい氷のような確かな威厳が宿り、周囲の喧騒を一瞬で凍り付かせる。
「あ、あの、これは、エレノア様! そこの男がどうにも不審な動きをしておりましたので、その、戦って様子を見ようと……」
さっきまでの戦闘狂ぶりはどこへやら、アルドリックは分厚い肩をすくめ、巨体を縮こまらせて、エレノアに恐縮しながら言い訳をしている。
どうやらこいつも、この王女には頭が上がらないらしい。
まるで猫をかぶった巨人のようだ。
「言い訳は受け付けません。学園内での私闘は、校則で厳しく禁じられているはずだ。二人とも、後で反省文を提出するように」
エレノアは研ぎ澄まされた刃のような瞳でビシッと言い放つと、おもむろに手をかざした。
手のひらから柔らかな、しかし確かな温もりを感じさせる光が放たれ、アルドリックの体を包み込む。
彼が負ったであろう打撲や切り傷が、みるみるうちに赤みが消え、皮膚が滑らかに回復していく。
「まったく、世話のやける……」
いかん、このままでは俺の傷が治らないことで不審に思われる。俺は魔封印があるため、直接触れて魔力を流し込まないと回復魔法が効かないのだ。
俺は慌ててエレノアに近づいた。
「待ってください、姫様。俺は、直接魔力を流し込まなければ、回復魔法が利かない特異体質だと言ったでしょう」
そう言って、有無を言わさず彼女の華奢で白い指先を掴み、自分の体にぐいっと押し当てる。その瞬間、エレノアの身体がびくりと強張った。
前回この流れでキスをしたからだろう。
ひどく警戒しているようだ。
その頬に、微かな桜色が差したのが分かった。
それを見たエリオットが、またしても噛みついてきた。
「おい、貴様! エレノア様のお体に、気安く触れるな!」
俺はちょっとムカついた。
元をたどれば、こいつがアルドリックをけしかけて、この騒動を引き起こしたんだろうが。
俺はエリオットにだけ見えるように、エレノアの腰の下のあたり、制服の上からでも分かるそのふくよかな肉を、親指と人差し指でそっと挟んだ。
そして、嫉妬と怒りで血走った目つきで抗議するエリオットの顔をにやにやと眺めながら――きゅっ、と強めに摘まみ上げてやった。
「んきゃ♡」
エレノアは、予期せぬ痛みと、おそらくは快感で、可愛らしい悲鳴を上げた。
その声は、まるで子猫の甘えた鳴き声のようだ。
「この俺を回復した褒美だ。ありがたく受け取れ」
「き、きさま……っ! このような、戯れを……!」
エレノアが潤んだ瞳で俺を睨む。
その視線には、怒りよりも羞恥と戸惑いが色濃く浮かんでいた。
俺はその抗議の視線を完全に無視し、エリオットに語りかけた。
「おかげで、朝から良い運動になったよ。感謝する」
エリオットは今にも飛びかかってきそうな、殺意すら感じる形相で俺を睨みつけてくる。俺はそんな彼の視線を柳に受け流し、悠々とその場を離れて自分の教室へと向かった。
背後には、凍り付いたような静寂と、収まりきらない不穏な空気が残された。
***
教室からは、いつもより大きめのざわめきが聞こえてきた。だが、俺が扉を開け中に入った途端、そのざわめきは水を打ったように静まり返る。
どうやら、さっきの決闘騒ぎのことで俺の噂をしていたらしい。
するとすぐに、セシリアが心配そうな顔で俺の元へ駆け寄ってきた。
その後ろには、同じく心配そうなリゼルの姿もある。
「ゼノス様! 校門で、アルドリック様と戦っていたと聞きましたけれど、お体は大丈夫ですの? それに、昨夜、劇場が何者かに襲われた、という話も……」
昨日の襲撃事件をもう知っているのか。
さすがは情報に敏感な貴族令嬢だ。耳が早い。
「なに、大丈夫だよ。怪我は、さっき生徒会長に治してもらったし、劇場の襲撃犯はもう全員捕らえてある。入り口の扉を少し壊されたが、すぐに修復できるよ」
脆い木の扉は破壊されたが、建物の頑丈な骨組みに影響は全くない。
扉はすでに腕利きの職人に発注済みで、一月もすれば元通りになるだろう。
そもそも、劇場の入り口の扉は営業中は常に開けっ放しにしているので、しばらくなくても問題はない。劇場型レストランは、休まずに今日から営業を再開できる。
「それよりも、だ。実は、可愛らしい猫を拾ってね。今、屋敷で飼い始めたんだが、放課後、見に来るか? 家のメイドのミナが甲斐甲斐しく世話をしているから、カイ君にも見せてやりたい。リゼルも、どうだ?」
「ね、猫っ! ゼノス様は、猫を飼い始めたのですか!? まあ、素敵! ええ、ぜひ放課後、お邪魔させていただきますわ」
「ふ、ふんっ! わ、私は、そんなのどうでもいいけど……カイを、あいつの妹に合わせてあげたいし、まあ、私も少しくらい猫を見たいし、行ってあげても、いいわよ……」
よし。俺は、まんまと釣れた二人に満足げに微笑んだ。
***
放課後、グリムロック邸。
「きゃーっ! なんて可愛らしいですの!」
「ふんっ。まあ、まあまあね……」
ミナが抱っこしている獣化形態(普通の子猫)のクーコを、セシリアとリゼルが褒めそやしている。クーコの、ふわふわとした黒い毛並みが、二人の頬にそっと触れるたび、嬉しそうな笑顔がこぼれる。
「二人とも、今日は泊っていくだろ?」
「えっ……。え、ええ。よろしければ」
「ま、まあ……あんたが、どうしてもっていうなら……」
二人は少し恥ずかしげに、しかし嬉しそうに、俺の申し出を了承した。
「わーい! またお泊りですね!」
「にゃーっ」
俺の妹のミナと、子猫のクーコが無邪気に喜んでいる。
「では、すぐに両家へのご連絡と、お泊りの準備を手配いたします」
俺の専用奴隷メイド、リーリアが有能にテキパキと動き始めた。
和やかで、平和な光景だ。
窓からは柔らかな夕日の光が差し込み、部屋全体を金色に染め上げている。
暖炉の火がパチパチと音を立て、穏やかな時間が流れる。
だが、俺の頭の中は次のことでいっぱいだった。
二日後には、あのアドラステア帝国の姫君、エリザベートとの密会が待っている。
その前に、この愛しい二人を存分に可愛がっておいてやろう。
俺はそう心に決めた。




