第52話 強制決闘と緑の重戦車
獣人の暗殺チーム【深淵の爪】との激闘から一夜明けた。
朝の空気は澄んでいるが、昨夜の激戦と寝不足で全身に漂う倦怠感に、俺は思わず顔をしかめた。
それでも、いつも通り王立魔法学園『アルカナム』へと足を進める。
だが、校門をくぐろうとしたその時、二つの影が俺の行く手を遮った。
朝日が差し込む校門の石畳に、二人の影が長く伸びる。
「ごきげんよう、ゼノス・グリムロック君」
そこにいたのは、青髪のエリオット・ヴァーリアス。
彼の涼やかな顔には、隠しもしない凍てつくような敵意が浮かんでいる。
(なんか不機嫌そうだな、こいつ?)
そして、もう一人は――
「よう! 久しぶりだな、ゼノス・グリムロック!! 早速だが、俺と決闘するとしようぜ!」
隣に立つ緑髪の大男、アルドリック・ストーンウォールが、周囲の生徒たちのざわめきすら掻き消すような、腹の底から響く大声で、いきなり決闘を申し込んできた。
……またか。
こいつは本当に懲りない。
俺に決闘を挑んでくるのは、これで二度目だ。
昨夜、命がけで暗殺者と戦ったばかりで、まだ全身の骨がきしむような疲労が残っているというのに……。
俺はうんざりしながら答える。
「決闘は、以前にもお断りしたはずですが?」
「そうはいきません。これは、強制参加です」
エリオットが、燃えるような憎悪の眼差しで俺を射貫き、冷たく言い放った。
(強制? 勘弁してくれよ、もう! ていうか、なんでこいつ、こんなに俺を憎んでるんだ?)
俺は一体、いつの間に、彼から恨みを買うようなことをしたのだろうか。
記憶を辿るが、心当たりがない。
そして、この状況にはもう一つ疑問があった。
いつも彼らと共にいるはずのリアム王子の姿が見えない。
となると、今回の騒ぎはエリオットの独断ということか。
アルドリックの大声は瞬く間に周囲の注目を集め、俺たちの周りにはあっという間に人だかりができ始めた。
王子の側近である二人は、学園内でも特に目立つ存在だ。
好奇と興奮に満ちた視線が、俺たちに突き刺さる。
俺がそんなことをぼんやりと考えていると、アルドリックが警告もなく、その巨大な拳を振りかざして襲いかかってきた。
風を切り裂くような音が耳を掠める。
「うおっ!」
俺は、その剛拳を正面から受け止めず、寸前で体を捻り、片手で巧みにいなしてかわす。体重と体格で圧倒的に上回るアルドリックの攻撃を真正面から受けるのは得策ではない。
敵の攻撃の力を利用して自分の体を動かす。
合気道にも似た、俺の得意な体捌きだ。
攻撃をいなした反動で、互いに距離を取り、にらみ合う形になる。
校庭に集まった生徒たちの視線が、緊迫した俺たちに集中していた。
(今の一撃は、様子見か……)
「はっはっは! 今のをかわすとは、やるじゃねえか!!」
アルドリックは心底楽しそうだ。
まるで子供が新しいおもちゃを見つけたかのように、その表情は純粋な喜びに満ちている。
本当に戦うことが好きな、生粋の戦闘狂なのだろう。
「決闘をするにしても、正式な手続きを踏んでほしいものですね。これでは、ただの私闘になってしまいますよ」
俺はあくまで冷静を装って言葉を返す。
本音を言えば、こいつと戦いたくない。
自分の本当の力を、こんな公衆の面前でひけらかす趣味はないのだ。「魔力ゼロ」の雑魚キャラ、『敗北のゼロ』として周囲から侮られていた方が、何かと都合がいいのだ。
だが、どうやらそうもいかないらしい。
「そんなことはどうでもいいんだよ! 決闘だろうが、私闘だろうが、強え奴と戦って楽しめれば、それでいいだろうが!!」
アルドリックの言葉が校庭に響き渡る。
戦闘狂の本性が剥き出しだ。
彼は再び猛然と攻撃を開始した。その巨体が大地を踏み鳴らし、地響きが足元に伝わる。普段ならこの暴走キャラの手綱を握っているはずのエリオットが、今回に限っては、むしろ彼をけしかけているように見える。
あの憎しみの瞳……。
もはや、この決闘は避けられないか。
俺はそう考えながら、アルドリックが繰り出す嵐のような拳撃を、紙一重でかわしていく。
まるで巨岩が転がり迫るような重い一撃を、寸前で躱し、敵の攻撃の側面を軽く抑える。その反動を利用して、最小限の動きで敵との距離を保つ。
「逃げてばかりでは、勝てんぞ!!」
その言葉通りだった。
俺は戦闘が始まった瞬間から、【魔封印】の範囲を半径2メートルまで最大に拡大している。この範囲に入れば、アルドリックの魔力による身体強化はたちまち霧散する。
つまり、こいつは魔力による強化が一切ない、純粋な素の身体能力だけで、これだけの凄まじい攻撃を繰り広げているのだ。
この手の「王子の側近キャラ」、転生ものでは物語の序盤で主人公のインフレについていけず、雑魚キャラ化するのがお約束だ。
だが、こいつは違う。
間違いなく、強い。
俺は魔力で自らの身体を強化し、アルドリックのガラ空きの腹に、カウンターの拳を突き刺した。
まるで岩を殴るかのような鈍い衝撃が拳に伝わる。
「ぐおおっ! やるな、テメェ! だが、効かん!!」
いや、効いていないことはないはずだ。
確かな手応えがあった。
だが、アルドリックは腹部への痛みを完全に無視し、俺に渾身の拳を放ってきた。
これまでの攻撃とは一線を画す。
速さも、重さも、まさに全力の一撃。
風を切る音が、今までとは段違いに鋭い。
攻撃の後のカウンター、避けることはできない。
俺はそれを左腕でガードする。
体重と体格で圧倒的に上回るアルドリックの拳は、重く、そして鋭い。
まるで鉄槌で打ち砕かれるような衝撃が、ガードの上から俺の身体を内側から突き抜けていった。左腕の感覚が、一瞬で痺れて消える。
骨が軋む音すら聞こえた気がした。
アルドリックは休むことなく、その巨大な拳を振り上げて再び突進してくる。
野獣のような咆哮が響く。
俺はその猛攻を躱しながらも、的確に敵の体に拳を突き刺していく。
***
奇妙な拮抗が生まれていた。
アルドリックは俺の【魔封印】によって、得意の身体強化魔法を完全に封じられている。一方、俺は周囲の生徒たちの視線を意識して、全力での身体強化ができない。
「魔力ゼロ」という、俺の表向きの設定をまだ崩したくないのだ。
二人の攻防は、互角のまま時間だけが過ぎていく。
戦いが長引くにつれて、俺の方もガードの上からとはいえ、何発か強烈な一撃を貰ってしまっている。
ガードに使った左腕は、もうほとんど感覚がなく、皮膚の下で鈍い痛みが脈打っている。
(……次で、勝負を決めるか)
とどめの一撃だけ、魔力による身体強化のレベルを、一気に引き上げる。
それで、勝負はつくだろう。
意識を集中し、体内の魔力を練り上げる。
指先が微かに痺れるのを感じる。
「……なにか、狙ってるな? いいだろう。次で、決めてやる」
アルドリックも、俺が勝負を決めようとしていることに、その野生の勘で気が付いたようだ。彼の顔から楽しげな笑みが消え、獲物を狙う獣のような鋭い眼光を宿す。
「いくぞ!!」
「ああ、来い!!」
俺たちが最後の一撃を交えようと、同時に地面を蹴り、動き出した。
砂埃が吹き抜け、二つの影が激突する――
その、直前だった。
「――そこまでだ! 止めないか、バカ者どもがっ!!」
凛とした、しかし有無を言わさぬ威厳に満ちた大音声が、その場に響き渡った。凍り付くような声に、校庭の喧騒が一瞬で静まり返る。
生徒会長、エレノア・アースガルド。
彼女の声が、俺たちの間に割って入ったのだ。
その視線は、鋭くも冷徹に、俺たちを捉えている。
こうして――
唐突に始まった決闘は、光の聖女の一声で終わりを告げた。




