第5話 新たな契約と、魔人との共謀
決闘から一夜明け、グリムロック邸は奇妙な静けさに包まれていた。
朝の光が差し込む大広間には、人の気配がほとんどない。
父は屋敷の使用人の大半と、戦闘用奴隷のストックまで残らず引き連れて、辺境伯領へ向かったらしい。
その広大な屋敷が、がらんどうになったことを肌で感じる。
「魔力のないお前には不要なものだろう」
それが、俺に残された使用人が少なかった理由だ。
わずかに残された数名の使用人が、広すぎる屋敷で埃を払う音だけが虚しく響く。
父は俺の魔力がゼロだと、本気で信じ込んでいる。
だが、俺に魔力がないわけじゃない。
「魔封印」の影響で体外に排出される魔力が霧散するだけで、魔力自体はちゃんとある。前世のゲーム知識によれば、オリジナルのゼノスは膨大な魔力を誇っていたはずだ。その設定自体は、俺にも反映されている。
しかし、この秘密は父に伏せてある。
だから、この仕打ちも大人しく受け入れた。
無能な次男というレッテルを貼られているうちは、警戒されることもない。
――これはこれで悪くない。
現状は俺にとって、むしろ好都合だ。
屋敷は、がらんどうになってしまった。
まるで、俺の心象風景をそのまま表しているかのようだ。
しんとした廊下を歩くたびに、靴音がやけに大きく響く。
そんな中、耳ざとい奴隷商人がさっそく屋敷を訪ねてきた。玄関の重い扉が開き、薄暗いエントランスホールに、ねっとりとした甘い香水の匂いが漂う。
「これはこれは、ゼノス様。お噂はかねがね」
現れたのは、ラザラス・ザイツ。
顔色の悪い土気色の肌に、黒く不健康な血色を帯びた唇。脂ぎった黒髪をオールバックにした痩身の男は、常に薄ら笑いを浮かべている。
その淀んだ深緑色の瞳は、獲物を見るような鋭い光を宿していた。ぎらつくような視線は、俺の全身を舐め回す。
この男は、昔から我が家と付き合いのある商人だ。
グリムロック家のような武門にとって、奴隷、特に魔力奴隷は重要な戦力。その供給を担ってきたのが、このラザラスだ。
「まさか、若様がご嫡男様を……お見それいたしました」
慇懃無礼な口調で、ラザラスは俺の決闘の勝利をねめつけるように賞賛する。
その言葉の裏には、「魔力ゼロのくせに、一体どんなイカサマを使った?」という探るような感情が透けて見える。
やはり、この男は油断ならない。
その底の知れない視線が、俺の神経を逆撫でする。
「屋敷の維持に必要な使用人を寄こせ。おかしな者は寄こすなよ」
俺は素っ気なく告げた。
口元は薄く笑ったままで、ラザラスはにやつきながら、契約済みの使用人奴隷たちを連れてくる。彼らの疲弊した表情からは、長旅の跡が見て取れた。
流石は長年この家と付き合ってきた奴隷商人だけあって、寄こす奴隷はどれも優秀だった。厨房係、庭師、護衛、そして数名のメイド。
整然と並んだ彼らの姿は、沈んだ屋敷に新しい風を吹き込むようだった。
父が連れて行った戦闘用奴隷とは違い、彼らは純粋に家事や護衛を行うための者たちだ。魔力は持たないか、ごく微量な平民がほとんどだった。
俺は適当な人数を選び、代金を支払う。
紙幣の束を見たラザラスはにこやかにそれを受け取り、深々と頭を下げた。
だが、その瞳の奥には、依然として底知れない闇が広がっている。
まるで、こちらを値踏みしているかのような視線――
正直、不快だったが、俺は気にせずにふんぞり返って奴を見返した。
相手に飲まれまいと、大物ぶって見せたのだ。
奴隷商人ラザラスが去り、新しく購入した執事やメイドが加わったことで、屋敷はいくぶんか活気を取り戻した。
使用人たちの慌ただしい足音や、小声での指示が、かつての静寂を破る。しかし、この屋敷の奴隷は、厳密には彼らだけではない。
他に一人、俺にとって「特別な奴隷」となった者がいる。
決闘前夜、俺と愛し合い、深く繋がったリーリアだ。
彼女との奴隷契約は、かなり特殊だった。
あの日、俺が彼女の胸元に触れた瞬間、肌に刻まれていたはずの奴隷紋が、まるで煙のようにふっと消滅したのを確かに感じた。
これは、俺の「魔封印」の能力が、他者の魔力を無効化するだけでなく、既存の魔法契約すらも解除できることを示唆していた。
だがその後、俺と彼女の愛の営みの後で、彼女の腹部に、全く新しい紋様が刻まれる。熱を帯びた皮膚に浮かび上がったのは、見慣れぬ魔力紋だった。
どうやら俺には、奴隷を自動的に増やす能力があるらしい。契約書も使わずに、無意識に彼女を「専用奴隷」にしてしまった。
「自分のことを心から愛している女」という限定条件はつくが、自然と奴隷を増やすことができる。まるで「攻略済みのヒロイン」に印が付くように……。
このゲームは、王子が複数の女性キャラと恋愛関係を発展させていく「ギャルゲー要素」があったので、驚きはあるものの、意外というわけではない。
こういう能力が実装されていても不思議ではない。
リーリアは、今も変わらず俺のメイドとして仕えている。
以前よりも、その献身ぶりは増したように見えた。
朝食の準備をする彼女の後ろ姿からは、迷いや不安は感じられない。彼女の瞳には、ただひたすらな忠誠と、深い愛情が宿っている。
それは、暗闇の中でも輝く、小さな光のようだった。
俺自身は、彼女を「手駒」として見てはいるが、同時に、唯一無条件で俺を支えてくれる存在として、特別な感情を抱いているのも事実だ。
「さて、まずは何からしようか?」
自室の重厚な椅子に深く身を沈め、窓から差し込む午後の柔らかな日差しを浴びながら、俺は物思いにふける。
手にしたカップから立ち上る紅茶の香りが、微かに鼻腔をくすぐる。
俺の目標は、三年後に勃発する世界大戦で勝利を収めることだ。
この世界のゲームのラスボスキャラ・ゼノス・グリムロックに転生した俺の使命は、反乱軍の旗頭として、この戦争を勝利に導くことにある。
そのためには、自陣営を強化すると同時に、敵陣営を弱体化させていかなければならない。
戦争を有利に運べるように、今のうちから伏線を張り巡らせていくのだ。
ゲームの主人公であるリアム王子は、王家と対立する戦争継続派のグリムロックの子息(本来のゼノス)が高い魔力量を示したことに危機感を覚え、「ゼノス」を仮想敵と見据えて戦う準備を開始する。
仲間を増やして、自分自身を強化して、危機に立ち向かおうとするのだ。
それを踏まえて考えると、俺の魔力がゼロだとみんなが思い込んでいる現状は、決して悪くない。
王子の視点から見れば、グリムロック家は嫡男を失い、次男は魔力ゼロの役立たず。脅威とは認識されにくいだろう。
俺は王子から危機感を持たれずに、水面下で戦争準備ができる。
――ただ、懸念点もある。
魔力がゼロと思われていると、味方からも舐められてしまうことになる。
これはまずい。
本来の「ゼノス」がゲームにおいて、反乱軍の旗頭となったのは、膨大な魔力を有していたからだ。
魔力ゼロでは、グリムロック陣営に賛同する貴族たちを惹きつけ、仲間を増やすことができない。
彼らは実力を重視する。
「そこはまあ、はったりで何とかするか」
俺はカップを置くと、不敵に笑った。
その笑みには、薄い自信と、わずかな焦りが混ざっていた。
「魔封印」というチート能力がある。
そして、ゲーム知識もある。
何とかなるはずだ。
方針は決まった。
まずは、父の計画に従い――
王家に対する反乱の同志たちとの橋渡し役を務めるとするか……。
「ヴァーミリオンとの関係を確かなものにしておく。準備を手伝え、アシュラフ」
ヴァーミリオン公爵家。
王国内でも屈指の権力と財力を持つ名門だ。そして、ゼノスの婚約者であるセシリアの家でもある。父の反乱計画において、ヴァーミリオン家の協力は不可欠だろう。
「かしこまりました。我が主、ゼノス様」
転移の魔人は恭しくお辞儀をする。
深々と頭を下げたその顔には、相変わらず感情が読み取れない。
魔人だからだろうか。
どうにも胡散臭いんだよな、こいつ……。
俺の魔力無効化能力に気づいているのかいないのか、いまいち表情が読めない。その恭しい態度も、どこか演技じみているように感じる。
底の知れない深淵を覗き込むような……。
そうは思っていても、今の俺はリーリアとこいつ以外の手駒が全くない状態だ。
使えるものは何でも使うしかない。
アシュラフの転移能力は、連絡役としてはまさにうってつけだ。
まずは、父が敷いたレールの上を歩くことになる。
だが、いつまでも言いなりになる気はない。
その先で、俺自身の道を切り開いてやる。




