第49話 獣人の爪牙と森の矢
ドゴォオオオン!!!
凄まじい轟音が劇場中に響き渡る。
埃と木屑が舞い上がり、瀟洒なデザインが施された【砂漠の星】の正面入り口は、見る影もなく木っ端微塵に破壊された。扉があった場所には、ぽっかりと黒い穴が空き、冷たい外気が流れ込む。
破壊したのは、そこに立つ一体の獣人だ。
ゆうに3メートルはあろうかという巨躯は、深い闇色の毛並みに覆われ、異様な迫力を放っている。黒熊に変貌したその姿、名はベアード。
獲物を見据えるような鈍い輝きを宿した瞳が――
飛び散った木片の向こうで俺を捉えた。
こいつは、正面から騒ぎを起こし、こちらの注意を引く「おとり」役だろう。
その傍らには、もう一人。
こちらは人間形態のままだが、その身から放たれる殺気は、巨大な熊の獣人に勝るとも劣らない。
やせ型で無駄なく引き締められた筋肉質な体つき。短く刈り込んだ茶色の髪の下には、獲物を狙う野生そのものの、鋭い銀色の瞳が光る。
全身に刻まれた無数の傷跡は、彼が潜り抜けてきた死線の数を物語っていた。
オオカミの獣人、ガゼル。
俺を探し出し、喉笛を掻き切るメインアタッカーと見た。
***
俺の下僕である転移の魔人アシュラフからの報告によれば、敵は四人組だ。
上空には、鷹の獣人ホークス。
澄み切った夜空に浮かぶ暗い影は、王都警備隊や騎士団の接近を捉え、仲間に伝える斥候役だ。同時に、歌姫リーラをさらった後の安全な退路を空から指示するナビゲーターの役割も担う。
そして裏口からは、黒猫の獣人クーコが闇に紛れて潜入しているはずだ。
しなやかな肢体で物音ひとつ立てずに移動し、劇場の暗がりに溶け込む。
彼女の任務は、地下にいる歌姫リーラの身柄確保。
これら全てを把握した上で、俺は彼らの役割を瞬時に予想した。
目的は、俺――
ゼノス・グリムロック暗殺と、歌姫リーラの誘拐。
それを請け負った、暗殺組織【深淵の爪】が誇る獣人エージェントたちだ。
***
「――いつでも始末できますが?」
先ほど、アシュラフからそんな物騒な提案があったが、それはやめておいた。
「お前は、何かとすぐに殺したがるな」
瓦礫が散乱する惨状を前に、俺は呆れながら呟く。
いずれ獣人族とも同盟を結びたいと考えている俺にとって、今回の襲撃はむしろ好機だ。彼ら全員を生きたまま捕らえ、交渉のきっかけを作れる。
この劇場の扉の修繕費は高くつくが、獣人勢力という強力なカードを手に入れられるなら安いものだ。そう考えれば、この破壊も些細な代償だ。
俺は破壊された扉の向こう、立ち込める埃の中に立つ巨大なクマと、鋭い視線を放つオオカミを見据える。
そう、俺は劇場の入り口で彼らを待ち構えていたのだ。
下手に中をうろつかれて被害が拡大しても困る。
だから、あえてこうして、一番分かりやすい場所に陣取ってやった。
「よう。何の用だ? 今日のショーは、もうとっくに終わってるぜ」
俺が軽口を叩くと、オオカミの獣人ガゼルが意外そうに目を見開いた。
その銀色の瞳に、僅かな動揺がよぎる。
「……我らの襲撃を、予想していたのか?」
低い、警戒を含んだ声が響く。
「ああ。イグナツィオの奴が、ご丁寧に『暗殺者を雇う』と息巻いてたもんでな。それで、こうして待ち構えてた、ってわけだ」
俺は肩をすくめてみせる。
「グォオオオオオ!!」
俺がガゼルと会話している隙を突いて、巨大なクマが地響きを立てながら襲いかかってきた。剥き出しの爪が唸りを上げて振り下ろされる。
それはもはや凶器というより、攻城兵器に近い。
風を切り裂く轟音が耳を劈く。
(これは、まともに受ければ死ぬな)
攻撃が俺の体に届く寸前、視界が歪む。
俺は転移魔法を使い、その場から姿を消した。
そして次の瞬間、熊の分厚い肩の上に、音もなく転移していた。
ごわごわとした硬い毛並みが指先に触れる。
俺はそのまま奴の首筋に、人差し指と中指を深々と突き入れた。
ずしゅっ!!
指先からは、青白い光を放つ魔力が流れ込み、筋肉の奥深くに浸透していく。
眠気を強制的に促す「状態異常付与魔法」だ。
この魔力が奴の体内に完全に回りきれば、この巨体も、赤子のように安らかな眠りにつくことだろう。こいつは、これで無力化できるはず――
だが、熊に指を突き刺した俺の、がら空きのこめかみを狙い、オオカミの獣人が凄まじい速度で手刀を繰り出してきた。
(――さすが獣人、人間形態でも速いな)
獲物を仕留めるための長く伸びた鋭い爪が、俺の頭蓋を貫かんと迫る。
その動きはしなやかで、獣特有の敏捷さを感じさせた。
「おっと」
俺は振り向きざまに、そいつの腕をがっしりと掴んで、攻撃を止めた。
筋肉の塊のような腕が、俺の掌に食い込む。
獣の荒い息遣いが間近に聞こえる。
ぐぐっ……!
オオカミは、獣の唸り声を上げ、その爪を俺のこめかみに押し込もうとする。
獣人の膂力は凄まじい。
腕が軋むような圧力を感じるが、力比べは魔力で身体強化した俺に分がある。
何とかその猛攻を押しとどめていた。やはりこの程度の体格差なら、俺の身体強化のほうが上だ。
その拮抗が破られたのは、全く予期せぬ方向からだった。
ヒュッ、と風を切る乾いた音と共に、一本の矢がオオカミの肩に深々と突き刺さった。
矢尻に塗られたエルフ族が用いる強力な痺れ薬が、瞬く間に作用したのだろう。
オオカミは、驚きに目を見開いたまま、その場に崩れ落ち、動けなくなった。
その銀色の瞳から、急速に生気が失われていく。
「……フォローが、少し遅いんじゃないか。カイル」
俺が物陰から姿を現したエルフの戦士に文句を言う。
彼の緑色のローブが、暗がりに僅かに揺れた。
俺がおとりとして正面から敵の注意を集め、物陰に潜んだカイルが死角から敵を狙撃して無力化する。それが今回の手はずだった。
熊が俺を攻撃した、あの最初のタイミングでこのオオカミに攻撃を仕掛けていれば、もっとスマートに終わっただろうに。
「ふんっ。貴様が、あの熊に殺されればいいのにと思い、しばらく待っていたんだ」
カイルは悪びれもせずに、そう言い放った。
その声には、僅かな嘲りの色が含まれている。
まったく、素直すぎる奴だ。
「それに、下手に攻撃して気づかれるよりも、今の方が良かっただろう。確実に攻撃を当てられるタイミングで、きっちり仕留めてやったんだ。文句を言うな」
……こいつは、俺に対する殺意をあけすけなく表明した後、もっともらしい言い訳を並べた。
常識的な会社であれば、こんな従業員は即座に首にするだろうな。
だがまあ、いいか。
俺は、この男に対して甘い。
――何かと不憫なやつだからな。
今回も、不問に付してやろう。
俺は心の中で、そっとため息をついた。




